開戦
特殊部隊の養成には金がかかる
募集要項は最低でも中等学校卒業、身長150cm以上、心身に異常や持病がなく健康な男児。という枷がある上に訓練や教育には更に金がかかる
訓練用の武器や弾薬、座学に使う教材、様々な物に金がかかる
そうなると、陸軍専用教材とか海軍専用教材とか言ってられなくなり、自然と陸海軍で教材や教員の貸し借りが公然と行われるようになった
海軍も陸戦隊を”橋頭堡確保の為の殴り込み部隊”にするために陸軍に教えを請い、陸軍は陸軍で”少数部隊による敵基地や後方地帯への浸透、上陸”の可能性を探る中で、「潜水艦や魚雷艇」という物にたどり着き、海軍から技術者を紹介してもらったりエンジンを共同開発したりもした
陸海軍の溝は無くなりつつあるものの、やはり予算の奪い合いは熾烈で、共通の敵は大蔵省だったりもする
また、歩兵で戦艦を沈めることが可能だということが対馬沖演習で証明されてしまった以上、陸軍は”歩兵主体”に舵を切り、海軍は海軍で敵艦だけでなく、敵歩兵にも警戒せざるを得なくなった
艦内に侵入した敵兵を制圧するための武器、訓練、用兵を研究し、様々な兵器や部隊が作られた
だが、そこで一つの問題に当たった。技術者の無さである
兵器製作の工業力、ドクトリンもない為、計画は頓挫してしまったが、陸軍の将官から妙案が出された
ドイツ人技術者を日本に誘致するのである
第一次大戦後、混迷を極めたドイツに漬け込むような形になったが、ドイツの工作機械や技術者を大蔵省の尊い犠牲を払いつつ、手に入れ、技術力を高めつつあった
この案は第一次大戦からしばらくして実施されたので、日本の経済も瀕死の打撃を受けたが、皇室からの援助もあって、かろうじで持ち直したのだった
そして、ドイツ人がもたらした様々な技術、開発、そして建造した高速道路や流通網の甲斐もあり、日本経済に僅かな希望が見え始めた
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ABCD包囲網
アメリカ、イギリス、中華民国、オランダの四国による日本への輸出入を制限した物をさした造語である
盧溝橋事件から始まったこの日中戦争は日本軍の少数精鋭という運用体制では膨大な数の支那兵と広大な支那大陸を前に早くも頓挫気味だったが、工業力の増大でインフラ整備に力を入れた日本軍は前線部隊への頻繁な補給でどうにか戦線を維持していた
その補給を支えた一端にはイギリスの影もあった
なぜなら、この世界ではABCD包囲網からイギリスが抜けていた
というのも、日本の海軍力が低く、イギリスは自分達と同等かそれ以上の海軍力のアメリカと膨張しつつあるドイツを敵視していたからだ
それ故に、日本はイギリス経由で石油やゴムといった軍事物資を調達するので、この包囲網の効果は半減していた
工業化し、さらなる鉄や石油を欲した日本は経済封鎖から一年後、日中戦争は日本軍の全面撤退により終戦。中華民国は日本に賠償金を要求したが、日本政府へこれを拒否。揉めに揉めたが、中華民国政府高官がコミンテル(日本政府発表)による暗殺が決め手となり、日本政府は大陸内に建設した道路や橋といったインフラを賠償金代わりに講話は成立し、日本軍は邦人を連れ、朝鮮半島に転進。実質の満州を手放したのである
そこからは中華民国は中国国内に突如爆誕した中国共産党やコミンテル(日本語をしゃべるらしい)による内紛に荒れ、軍、政府機関への襲撃が横行し、被害総額は天文学的額になるともいわれるほどだった
なにはともあれ、日中戦争は終結したから経済封鎖はなくなったと思われたが、コミンテルによる破壊工作はソビエト連邦も否定しており、アメリカ政府は「コミンテルの名を借りた日本の陰謀は未だ中国大陸で横行しており、日本は朝鮮半島からも撤退すべき」という結論に至り、結局経済封鎖は解かれなかった
すると日本は「米国政府は日本の権益を奪い尽くすまで封鎖やめないのか」と抗議、結果としては米国を信用しきれない英国との絆が深まるも、日米の溝はマリアナ海溝より深くなる一方だった
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1939年、ナチスドイツがポーランドへ侵攻し、第二次大戦は始まった
その直後、日本は日独伊三国同盟を「こんなことする為に入ったんじゃねーよ!」といって一方的に脱退した
その行動に反応したのは英米の二国で、英国はこれを歓迎し、米国は信用出来ないと非難した
だが、この発言を英国は非難した。なぜなら日米間の禁輸は未だ続いており、ドイツやソ連ともただならぬ仲の米国は内需とイギリスとの貿易(それにも限界があった)のみで国を切り盛りしており、経営は厳しいものがあった
国民が飢えるとどうなるか。どこからともなく現れたコミンテルの使者が平等主義を訴え、ルーズベルト大統領を押しのけ、共産主義者のアルバート・ホフマンが第32代大統領に就任したのだった
米国が共産方面を向きつつあるのを察知したイギリスはアメリカを見限り、日本と同盟を組んだのだった
こうなってくると雲行きに暗雲がさし始める。
それぞれの国同士、相容れない思想や理由があり、ソビエトとアメリカ合衆国の共産主義陣営、独伊の枢軸国、日英の連合国の三つ巴になりつつあった
日英同盟に乗っ取って日本はドイツへ無期限の潜水艦による通商破壊作戦に移行。陸軍はイギリス東洋艦隊と連携して中国大陸からイギリスの植民地へ侵攻する中国共産党軍の攻勢を防いでいた
日本海軍は全力をもってソビエトの赤色海軍を警戒し、陸軍はフィリピン、ソロモン、ガダルカナルにそれぞれ研究者や赤十字に偽造した部隊を派遣。陸軍の眠れる部隊、通称”蓮部隊”が各地に展開し、フィリピンに駐屯するアメリカ軍を監視し続けた
そして1940年の12月24日、日本海軍の根拠地の台湾、そしてイギリス東洋艦隊が錨を下すシンガポールにアメリカ陸軍のB-17の大編隊が襲いかかり、アメリカ合衆国、ソビエト連邦は連合国と枢軸国に宣戦布告した
宣戦布告の理由は中国大陸で苦しめられる中国共産党の同志の援護と、暴虐の限りをつくす枢軸国に鉄槌を下すというものであった
めちゃくちゃだ。ヒトラーもチャーチルも東条英機もそう思った
イギリス東洋艦隊の壊滅の報を聞き、ヒトラーもイギリス本土への攻撃を開始するも、海軍は派遣された日本軍の海上突入部隊(潜水艦や小型艇に乗り込み、雷撃により敵艦の行き足を止め、そのまま斬り込む部隊)や新型の酸素魚雷の威力を前にドイツ海軍は思うように活動できず、イギリスに上陸こそ叶わないもの、航空機による爆撃のみに留まり、すんでのところで持ちこたえていた
ドイツは破竹の勢いで攻勢を開始するも、この世界のヒトラーは聡く、「連合国と共産主義が潰し合いをしているところを漁夫の利を狙おう」という思考をもって、ソ連への警戒もしつつ、まずはイギリスを下す方針を固めつつあった
その日より、日本はラジオにて世界に喧伝した
「眠れる花よ、咲き誇れ
耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ我ら大和民族よ
必勝必中の信念をもってして、赤鷲を撃ち落せ」
この言葉は前々から決まっていた”蓮部隊”活動開始を意味する符丁で、鷲は枢軸国、赤は共産国家を指す暗号である
フィリピンのアメリカ陸軍航空隊を生贄に、彼らは地獄の釜を開いてしまった
第二次大戦の火蓋は切って落とされた