設立
前垢の小説です
大正二年
大日本帝国 市ヶ谷陸軍省
日露戦争を終結させ、しばらくたったこの日
日露戦争で失われた兵員や艦艇の補填、国内外の防備といった問題を今日、ここ市ヶ谷でいかに進めるか、それらを話し合う場として設けられていた
本会議ではなく、あくまで事前の話し合いだった
陸海双方が意見を交わす中、陸軍のある佐官が挙げた意見が物議を醸し出した
「少数精鋭の軽歩兵部隊による撹乱破壊工作か……」
内閣総理大臣の西園寺公望が呻くように呟いた
陸海の主要人物が手にした書面を手に難しそうに顔をしかめていた
書面の表題は『小規模の精鋭部隊による敵陣への浸透破壊工作専門の部隊の設立の提案』となっていた
「こんな、邪道な部隊!わが陸軍の健闘精神に真っ向から反する卑怯なものではないか!」
そう怒鳴ったのは陸軍大臣の寺内正毅だ
「ふむ、私としては実に興味深い話です、しかしなぜここまでの予算が掛かるのかお聞かせ願いたい」
興味を示したのは海軍大臣の斎藤実である
相反する二人が睨みつけるのは一人の将校である
「鷲羽大佐、質問に答えたまえ」
西園寺が答えを促した将校は鷲羽菊蔵陸軍大佐である
身長は180cmオーバー、当時の日本人からしたらかなり大きい部類に入る大男だ
軍人らしいガッチリした肉体にナイフのような鋭い眼光、おっかない様相だが、軍人としてみるなら理想的とも呼べた
「では、僭越ながら、説明させていただきます」
低いながらもよく響く声で彼は言った
「まず最初に、この案は対米国戦を意識して編成したものだということを、言わせてもらいたい。資料の三枚目に書いてある通り、この部隊は五人から二十人ほどの一個分隊で敵の監視網を迂回、または排除し現地へ潜入。その後爆薬や狙撃をもってして、敵軍の指揮官、もしくは補給物資や兵器を破壊するといった任務に従事することが目的になります」
「くだらん!コソコソと隠れ回るなど、そのような卑怯な真似、武士道精神に欠ける!これなら師団数を更に増やし、兵員数と練度の面でカバーすれば、帝国は安泰だろう!」
寺内が顔を真っ赤にしながら書類を机に叩きつけた
「失礼ながら寺内閣下。資料の四項をご覧ください、便宜上、この部隊を特殊部隊と任命しましょう。この特殊部隊の主な任務は先ほど言った通り、敵陣後方への浸透のみならず、狙撃による要人暗殺、補給や修理中の敵車輌や艦艇の爆破破壊。それらに合わせて敵陣への偵察や陽動なども視野に入れており、実技、学科、演習など、厳しい審査を入れるつもりで、募集兵員は多くて一個大隊程度になる見込みです、皇軍全てにこの考えを浸透させるわけではないことをご了承ください」
「たとえ一部隊であろうと、そんな軟弱な兵士が存在していることがワシは許せんのだ!」
「ちょっと待ってください、一個大隊でこの予算ですか!?てっきり六個師団ぐらいかと……」
西園寺が驚いた声を挙げた。斎藤も眉を顰めている
鷲羽大佐が要求した予算の見積もりは巡洋艦を一隻、作れるほどの大金であり、それを一個大隊につぎ込むのだ
「現状の装備では任務遂行に支障がでる恐れがあるので、それらの開発の資金も含まれています」
「まったく貴様の話は筋がなってない!これだけの金を掛けて兵隊を育成するなど、聞いたことないわ!」
「……戊辰戦争にて、幕府軍が敗北したのは、変化を拒んだからだと、小官は愚考しております。旅順では、ロシヤ軍は機関銃の大量運用によって我が軍に多大な出血を用いました。戦とは常に新しい発想と新兵器を取り入れ、柔軟に戦況に対応していく事が大事であります」
「一理あるな」
斎藤がポツリと呟いた
「しかし、貴官の言い分は要領を得ない。浸透制圧、破壊工作尚結構。だが、これだけの予算をかける以上、失敗したら貴様の首だけでは済まない。恐れ多くも、皇軍は末端の一兵の爪の垢まで陛下の持ち物。はたしてそれほどの価値があるかどうか」
「確かに」
「そのような軟弱者は帝国軍にはいらぬ!腹を切って詫びろ!」
三人からの追及にも鷲羽大佐は涼しい顔をしてこう言った
「では、こうしましょう。私にここに書かれた予算の半分と五年の時間をください。あの戦艦長門を沈めるほど兵士を鍛え上げてご覧にいれましょう」
部屋の空気が凍った
*****
大正8年 長崎県 対馬
大日本帝国陸軍 試験特殊工作大隊対馬駐屯地
粗末な掘っ建て長屋が三棟、廃業した漁師の家を改築した宿舎だ
試験大隊にして、陸軍にも海軍にも喧嘩を叩き売った鷲羽大佐は住む場所から寝る場所、訓練教材など、全て自前で調達せざるをえなかった
(唯一の救いは、部下が逃げ出さなかった事か……)
目の前に並ぶのは三百名余りの精鋭達。当初は四百五十名いた兵士は過酷な訓練のうち、少なくない離脱者や死者を出していた
「諸君、五年間、熾烈を極めた訓練によくぞ耐えてくれた。いよいよ今日、その訓練の成果を果たす時が来た!」
鷲羽大佐が懐から一枚の書状を出し、読み上げる
「世界大戦が終わり、日本も列強の一国として並び立った本日、南沙諸島方面へ戦艦長門を旗艦に駆逐艦四隻、巡洋艦一隻が長距離遠征訓練に出る。表向きは乗員の練度向上と朝鮮支那方面への武威を示す行為だとされているが、実際は、我々の試験である」
鷲羽大佐が手にした書状をかざした
「五年前、陸海軍司令官、寺内正毅閣下と斎藤実閣下両名と総理大臣西園寺閣下本人に書いてもらった念書だ。今日の訓練において我々、もしくは海軍の人員に死傷者を出しても良いとのお達しである、つまりこれは実戦と覚悟せよ!」
鷲羽大佐の言葉が辺りに響いた。一気に表情が引き締まる兵士達
「諸君らの目標は戦艦長門!甲乙丁の三班に別れ、弾薬庫、艦橋、機関室を制圧せよ!皇国の未来は、諸君らの双肩にかかっていると覚悟せよ!以上!」
*****
対馬近海
大日本帝国海軍 演習艦隊
旗艦長門
「艦長、全乗組員に第一種警戒態勢を取らせました、小銃にも実包を入れさせてます」
「よろしい」
艦長の飯田大佐は副長を下がらせると乗り込んでいる二人の客人に向き直った
一人は陸軍の遊佐大佐。寺内閣下と斎藤実首相直筆の乗艦届けを見せながら陸軍兵士一個中隊と共に乗り込んできた男だ
もう一人は海軍陸戦隊所属の穂積大佐。この人も遊佐大佐と同じ書状を持って海軍陸戦隊一個中隊と共に乗艦してきた
そして二人には一時的に艦長に命令し、艦長は演習に差し障りのない程度に艦の人員を動かす旨の命令書も持っていた
「ご命令の通り、艦内の警戒態勢をあげましたが、白兵戦の訓練でもやるのですか?」
「いやぁ、申し訳ありません、お手数をおかけします」
そう頭を下げたのは遊佐大佐だった
「何せ私も病床の寺内閣下から直々にこうしろと頼まれたもので、なんでも今日、賊が長門を襲撃するらしく、正直なぜ私が選ばれたのか不明なのですよ」
「なるほど……まぁ、同じ皇国を護る軍人です、狭い艦内で、もてなしも出来ませんが……」
「いえいえ、我々陸兵は輸送船にしか縁がありませんし、今回の件も、いい教訓になりますよ、あの日本の誇りとも言われる長門に、武勇高き海軍陸戦隊、これだけの兵があれば襲い来る賊なんぞ鎧袖一触ですなぁ!」
「そう言っていただけると幸いです」
興奮しているらしい遊佐大佐の相手もそこそこに、飯田大佐は先ほどから時計を見て喋らない穂積大佐を見た
「穂積大佐?どうかされましたか?」
「……すまない、厠は……」
「厠?ここを出た通路を突き当たりまで言って左から三番目のところです」
「そうですか……ちょっと、失礼」
そういうと穂積大佐は部屋から飛び出していった
「船酔いか?」
「仕方ありません。穂積大佐は確か艦政本部出身ですから、あまり船に乗らないのでしょう」
「そうなのですか、お詳しいですね」
「いやぁ、陸軍で大佐をやっていると色々聞こえてくるんですよ、アッハッハッハ!」
存外楽しい人だった。飯田大佐はそう思った
*****
深夜 対馬近海 海上
魚雷艇を改造し、速力と隠密性を挙げたこの試作型魚雷艇はエンジン音を絞り、もともと黒い塗装の船体に黒い布を被せて偽造した魚雷艇は戦艦長門の左舷に接近した
甲乙丁部隊を乗せた三隻は長門へ、残りの丙部隊は巡洋艦に接近し、制圧する予定だ
長門は現在第二戦速、この改良版魚雷艇でも十分に追いつける速度だ
魚雷艇に乗った兵員が長門の転落防止柵に杭ランカーを打ち込み、垂れたロープを器用に登っていく
先遣隊が周囲の安全を確保し、縄梯子を下ろした
二百名程の兵員が僅か三分ほどで梯子を登り切り、魚雷艇はそのまま目立たぬように離れた
甲板の隅に集まった兵士たちは暗闇の中、手の動きとアイコンタクトだけで進む
ある者は艦橋の窓や出っ張りに足を掛け、見張り員の後ろに回り込み、首を絞めて気絶させる
いくら射殺許可が下りているとはいえ、可能な限り彼らは殺さないつもりだった
深夜だが、第一種警戒態勢なので見張り員の数は多い
だが、ほとんどの見張りは彼らを見出すことはなかった、なぜなら彼らにとってこの第一種警戒態勢も演習の一環で、侵入者がいるとは思ってなく、その先入観から例え気配を感じたり物音がしてもネズミか何かかと流してしまっていた
そこに付け込んだ各部隊は物陰や空き部屋に隠れて巡回をやり過ごしていった
*****
戦艦長門 艦内
甲部隊小隊長の伊佐野少尉は曲がり角から出てきた巡回兵に襲いかかり、顎に掌底打ちを食らわし、あっという間に二人撃破した
「そいつらを隠せ」
部下は二人に猿轡と後手に拘束し、近くの主計科倉庫に押し込んだ
伊佐野少尉は曲がり角から小さな鏡を使い、注意深く通路の先を覗いた
「弾薬庫の前に歩哨が二人、あの格好は陸戦隊だ」
「なぜ陸戦隊が?」
「知らん、だが気を引き締めろ下手打てば無傷とはいかなくなる、杉田、ついて来い。他は待機だ」
伊佐野少尉と杉田伍長は途中奪った乗組員の服に着替えた
「行くぞ」
「はっ」
二人が歩き出し、弾薬庫に向かった
「止まれ、今弾薬庫は閉鎖されている、何用か」
陸戦隊の兵士が聞いてきた、銃を向けないあたり完全に油断してる
「はっ!熊岡主計大尉からの命令で、明日の砲撃演習に使用する弾薬定数の確認に参りました」
「砲撃演習?高田、聞いてるか?」
「いや、ワシは陸戦隊やぞ、知らん」
陸戦隊の二人がしばらく言い合い、やがて高田が振り向いた
「まぁ、そうだな、命令が本物か確認してくる、申し訳ないがしばらく待ってくれないか?」
「はぁ、構いませんが……」
「主計科大尉の熊岡大尉だったな」
「はい、第二士官室にいました」
「わかった、行ってくる」
高田が確認のため小走りで通路を曲がった
「うおっ!なんだきさッ!」
通路で待機していた他の隊員と遭遇したのだろう、胸ぐらを掴まれ、そのまま壁に叩きつけられ首を絞められ、意識を刈り取られた
「なんだ、どうした!?」
もう一人の陸戦隊の兵士が肩にかけた小銃を手にした
その瞬間、杉田伍長が陸戦隊の兵士に足払いを掛け、すかさず伊佐野少尉がのしかかり、首を締め上げた
「ごっ……!がっ!?」
酸欠で意識を失った兵士を壁に横たえ、他の隊員を呼ぶ
「突入だ」
陸戦隊から奪った鍵で扉を開け、弾薬庫に入る
中には作業をしていたのか、数名の乗組員がいた
「なんだ、貴様らは?」
この場の責任者と思われる軍曹が前に出てきた
伊佐野少尉は迷わずその軍曹の足を切り裂いた
「ぐうぉぉぉぉ!?」
ぐずれ落ちた軍曹を足で蹴飛ばし、その後に続いた部隊が小銃や拳銃、中には手榴弾や爆薬を持って現れた
「貴様ら!全員おとなしくしろ!」
「長門は我々が占拠した!」
「大井、酒田、全員を拘束しろ!」
「貴様ら!ふざけるな!こんな謀反を起こしてどうなるか」
「うるさい、猿轡もさせろ」
訓練どおり、拳銃で牽制する要員と縛り上げる要員の二人組で次々と長門乗組員を拘束していく隊員達を見ながら伊佐野少尉は満足気にそう命令した
*****
艦橋
穂積大佐と遊佐大佐はそれぞれ、割り当てられた部屋に戻り、飯田大佐は艦橋に立っていた
(遊佐大佐が言っていた、賊の侵入……にわかには信じがたいな、そういえば出港前に陸軍省の友人が対馬に謎の陸軍部隊がいるとか言ってたな、今も対馬に近いし……まぁ、ありえんか)
戦艦を鎮めるのは戦艦だけ。飯田大佐はそのように考えていた
故に、艦橋の入り口から投げ込まれた催涙ガス弾に反応する事が出来なかったのである
時限式の爆薬が炸裂し、ガラスの中に閉じ込められた催涙ガスが艦橋に撒き散らされる
「な、なんゲホッゲホッ!」
艦橋要員が目や口元を押さえ、むせるなか、防毒面を装着した黒づくめの人間が極めて慣れた手つきで艦橋要員に襲いかかり、素早く拘束していった
「貴様ら!ゲホッゲホッゴバッ!」
飯田大佐もボディーブローを腹に打たれ僅か数秒で崩れ落ちた
「艦長!どうされました!?」
防空指揮所から見張り要員が何名か降りてきたが、黒づくめの集団の一人が二十六年式拳銃を艦橋の窓に放ち、艦橋の窓を割ったことにより動きが止まった
「動くな」
「き、貴様ら……!」
防空指揮所から降りてきた軍曹が口元を押さえながら唸った
「大尉殿!弾薬庫、機関室を制圧したと連絡が入りました!」
「よし」
「軽巡球磨より発光信号!」
「読め」
「”我、夕暮れの波止場に泊りしカモメなり”以上!」
「機関室、弾薬庫、艦橋を制圧か、よろしい」
大尉と呼ばれた男は満足気にうなづいた
「飯田大佐殿、今宵のことは陸軍大臣、海軍大臣、更には総理大臣も承知の抜き打ち試験だ。結果は公表されない故に、このことは他言無用で頼む、乗員にもそう伝えよ」
「なんだと、貴様ぁ!」
「撤収だ!」
有無を言わせず、防毒面の一団は艦橋を出て行き、残されたのは縛られて動けない艦橋要員だけだった
この瞬間、歴史が変わった
*****
「ジャップはやはりジャップだな、戦艦の価値すらわからないとは」
「所詮は猿の真似ごと、ナガトやムツもハリボテに違いない」
「つまりジャップにはこれ以上戦艦や巡洋艦を運用する力がないということだな」
1930年、ロンドン軍縮会議は史実とは違う結果に終わっていた
日本は海軍の保有率を大幅に減らしたのだった
正確にいえば、日本は現存艦艇の一切を廃艦にしない代わりに戦艦を五年間建造しない、航空母艦を三年間建造しないという点が違うだけだが、これは近代の常識からしたらありえない結果でもあった
日本が自滅したと喜ぶイギリスとアメリカを尻目に、日本陸海軍首脳部は着々とある計画を進めていた
陸軍は今後戦地になると思われる支那大陸や太平洋の島々に農民や開拓団を装った少数部隊を秘密裏に送り込み工作をしたり、歩兵対戦車、歩兵対艦艇を想定した装備や練度の兵士を育成しつつあった
海軍は潜水艦により敵泊地や港湾に接近し、秘匿部隊を上陸させたり、機雷封鎖や偵察行動といった水中強襲の訓練やドクトリンを研究していった
日英同盟は維持しつつも仮想敵は白人至上主義に染まり、今後海軍力を増すであろうアメリカ、イギリスである
陸軍の仮想敵はソビエト連邦であり、主戦場となると思われる北海道、支那大陸には陸軍の精鋭が配置されていた
そして、歴史は同じように流れ、世界は転がる石のように戦争へ転がり落ちた