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中編

(1) 

 それから、青年は治療と称し、庵でマリーとの共同生活を開始した。


 若い男との二人での生活となると、親であれば多少は反対するものだが、神と謳われる名医となると話しは別で。

 もしくは厄介者を押し付けられるという安堵からか、むしろホッとしたような顔で「先生、後は頼みます!!」と、何度も何度も頭を下げて、庵から去っていった。



「おはようございます、マリーさん。よく眠れましたか??」

 庵じゅうのカーテンを開け放している青年の背後に近付くマリーの目の周りは、すでに真っ赤に腫れている。

「朝食の準備をしたいので手伝って貰えますか」

 下手に泣いていることに動じたり、いちいち指摘したりせず、あえて素知らぬ振りで普通に接してみよう。

 腫れ物に触るように怖々と扱われるのが、却って彼女は辛いのかもしれない。

「泣いていようがいまいが、僕はマリーさんとは対等に接するつもりだから。そのつもりでよろしくね」

 返事をする代わりにマリーは、すん、と鼻を啜った。

「ベーコンエッグを作ろうかと思うけど……」

 竈の中の石炭に火をくべていると、マリーは青年を押しのけて竈の前に立った。

 テーブルの上から持ってきたのか、いつの間にか手には卵が一つ、握られている。

「マリーさんが作ってくれるの??」

 マリーはまた一つ、すん、と鼻を啜る。

「じゃ、お願いしてもいいですか??貴女が作ってくれている間にお皿とか紅茶の準備しておきますから」


 大人しいばかりだと思っていたマリーが自ら動いてくれる――、意外だと感じつつ、「案外、すぐに涙を止められてしまうかもなぁ……」と、ほんの少し残念な気分に陥っていた。


 ところが約一五分後、青年の懸念は見事に打ち消されてしまった。


 フライパンを片手に、マリーが皿に乗せたベーコンエッグは真っ黒に焦げ付いていたのだ。

 絶句する青年の顔を見るなり、瞳が潤む程度に抑えられていたマリーの涙腺は一気に崩壊。

 滝の飛沫のような涙をボロボロと流し始めてしまったのだ。


「な、泣かないで下さい!僕、別に怒ってませんから!!」

 青年が慌てふためいて宥めるが、マリーの涙は止まらない。

 診察時間も迫っていることもあり、マリーを宥めるのもそこそこに、青年はテーブル席に腰を下ろす。

 マリーも、泣き顔はそのままに席について焦げたベーコンエッグに手を付ける。

「まぁ、火はちゃんと通っているから大丈夫だよ」

 いまいち、慰め切れていない青年の言葉にマリーの目からまた一粒、二粒と、涙が零れる。

 焦げ臭くて苦いばかりの卵を噛みしめながら、青年は向かいの席で泣きながら食事をするマリーをさりげなく注視していた。


(もしかしたら、マリーさんは言葉を話す代わりに涙を流しているのかなぁ……。自分の気持ちを上手く言葉で伝えられないから、泣いてしまうとか……)


 そう言えば、両親は彼女を『引っ込み思案の口下手な子』だと言っていた。

 口下手なのは、往々にして語彙力が不足気味なことから端を発することが多い、と聞く。

 言葉を多く覚えさせれば話ができるようになり、自然とマリーの涙は止まるのではないだろうか。


(そうだ!マリーさんに読書の習慣をつけさせてみよう!!一日に最低一冊は必ず本を読むようにさせて、少しずつ語彙力を高めてもらえばいいのかも……!)


 早速、青年はたった今思いついた考えをマリーに提案した。

 相変わらず、絶えずポロポロと涙を流しながらも、マリーは素直に頷いてみせた――、ように、青年には見えていたのだった。


 




(2)



 ――約半年後――



 朝一番、起きてきたマリーの顔を見た青年は、露骨に顔を顰めてしまう。

 こんな表情を見せては、彼女の症状を余計に悪化させてしまうと、十二分に理解しているにも関わらず。

 案の定、マリーは傷ついた顔を見せた後、赤く腫れた目尻に溜めていた涙を、ツーッと頬へと伝わせていた。


「あぁぁ、すみません、マリーさん。ちょっと寝惚けていて……。気を悪くさせてしまい、すみませんでした」

 我ながら、もう少しマシな弁解を言えないのか、と呆れてしまう。

 愚鈍そうに見えるマリーだが、実際の彼女は決して馬鹿ではないことを、この半年の間で思い知らされたというのに。

 同時に、どうにもやりきれない気持ちも湧き起こり、青年の心中はより複雑に掻きまわされた。


(……どうしてだ?!どうして、あんなに沢山本を読ませて、格段に語彙力が増えている筈なのに!!どうして……!『おはようございます』の、たった一言さえも、未だに言えないんだ?!)


 あれから、マリーには毎日様々な種類の本を読ませている。

 マリーも読書が嫌いじゃないらしく、読書の間だけは涙は止まっているし、日によっては一日二、三冊読み進める時もあった。

 ただ文章を目で追っているだけでは意味がない、と思い、一冊読了するごとに本の感想も毎回書かせてもいた。

 意外なことに、マリーの感想文の文章力は想像以上に高い。

 鋭い視点での作品への深い考察などを、美しい絵画を描くような鮮やか且つ繊細な筆致で書かれているのだ。


 だからこそ、青年は腑に落ちなかった。

 言葉に置いて、これだけ素晴らしい表現を文章では発揮できるのに。

 どうして会話に限っては一切発揮できないのだろうか。


 マリーの病気は心因性で、極度の対人恐怖と自信喪失状態が主な原因なのは分かっている。


 さっきはつい苛立ってしまったが、マリーの他人への恐怖心を和らげるため、甘やかさない程度に優しく丁寧な態度で接している、つもり、である。

 感想文の出来に関しても、手放しで褒め称えては自信を付けさせている、つもり、である。


 過剰に構われるのが嫌なのかもしれない。

 あえて放置してみたこともあった。

 実は、ただ我儘なだけなのかもしれない。

 厳しく接したみたこともあった。


 しかし、どちらもマリーの涙の量を悪戯に増やしていくだけで、却って逆効果にしかならなかった。


 両親からは『滑舌が悪い』と聞かされていたので、吃音の一種なのかもしれない。

 話し方の矯正をしようとしていたこともあった。

 過去に苛めを受けていた等のトラウマで話せなくなったのかもしれない。

 ありとあらゆるカウンセリングを施したこともあった。


 けれどそれ以前に、マリーが頑なに言葉を話そうとしない為、治したくても治せない。


 マリーが一体、何を求め、何を望んでいるのか。


 まるで、出口のない迷路を、死ぬまでひたすらグルグルと回らされている気分だった。

 それでも、青年は匙を投げるつもりだけは毛頭なかった。

 半ば以上意地の部分もありつつ、他に大きな理由が存在していた。



 マリーの症状が悪化の一途を辿っているだけでなく、日を追うごとに身体まで衰弱しつつあったから。

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