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07話 最初の邂逅

 歓迎会は時間を忘れて盛り上がり、ふと壁の時計を見た僕は驚いた。

 時計の針は、ほどなく今日が終わるのを告げている。

 大変だ、そろそろ帰らないと、出勤二日目から遅刻なんて格好悪いことになりかねないぞ。


「申し訳ありません、すっかり長居をしてしまいました。そろそろお暇させていただきます」

「もう少しくらい良いじゃないか、タクシー代くらいならワシが出すし、なんなら泊まってっても良いぞ」

「いえ、さすがにそれは」


 手荷物を片手に席を立つ僕を、すっかり酔いが回って赤ら顔の社長が引き止めた。


「明日もお仕事でしょう? 唯野さんにご迷惑がかかりますよ」

「いえ、むしろ僕の方こそご迷惑をおかけしまして」


 奥さんが、やんわりとフォローを入れてくれる。

 社長の残念そうな顔に少々後ろ髪を引かれたが、これ以上居座っているとさすがに迷惑がかかる。

 僕もかなり飲んだので、ちょっと足元が覚束ないが、帰るだけなら問題なさそうだ。


「今日はありがとうございました。また明日からよろしくお願いします」

「あ、いまタクシーを呼びますので、ちょっとお待ちになってくださいな」

「いえ、今からでしたら終電も間に合いますし、酔い覚ましも兼ねて歩いて帰りますよ」


 奥さんに、これ以上気を使わせるのは申し訳ないな。

 僕は今日のお礼を言うと、早々にその場を失礼することにした。


 玄関まで見送りに来てくれた奥さんと娘さんに手を振って、僕は夜道を歩き始めた。

 昼間は厳しい残暑も夜になると鳴りを潜め、秋の気配を匂わせる風が火照った身体に心地良い。

 終電にはまだ余裕があるはずだ。

 僕は酔いも手伝って気分が良くなり、鼻唄を歌いながら夜の通りをのんびりと歩く。


 左右に延々と続く塀を、ぽつりぽつりと等間隔に続いていく電信柱の頼りない明かりだけが頼りなく照らしている。

 動くものさえ無い通りは死んだように静まり返り、僕の靴音だけがやけに大きく響いていた。


 おかしいな、道を間違えただろうか。

 いくら昼と夜で印象が違うと言っても、来るときにはこんな真っ直ぐな道を通った記憶は無い。

 不安に駆られ、思わずその場に足を止める。

 僕の前には、どこまで続いているのかわからない程の塀、そして電灯。

 振り返った後ろも……塀と電灯が続いていた。


 どうなってるんだ?

 まるで世界に自分ひとりしか居なくなってしまったような心細さで、背筋に冷たいものが走る。

 さっきまでの霞がかかったような酔いは完全に醒めていた。

 一体、僕はどこに迷い込んだんだ?

 とにかく、このおかしな場所から抜け出さないと。

 なけなしの勇気を振り絞って歩き出そうとした、その時だ。


 今まで静止したように動くものの無かった通りの端で、何かが揺れたような気がした。

 人影だ、何本か先の電信柱に半ば隠れるようにして、人が立っている。


 真っ白い……ドレスのような裾の広い服。さっき揺れて見えたのは、これか。

 女性だろうか?

 その姿を確認しようとした僕は、それがドレスなんかじゃなく、もっと異様な物であることに気が付いた。

 頭からすっぽりと被った真っ白い布。目にあたる部分が透明になっていて、両手だけが出ているその姿は忘れようにも忘れられない。


 ナイフの凶悪な光……狂騒する人々……縛られ泣き叫ぶ男……。

 そして、真っ赤に染まった世界。


 身体が小刻みに震える。

 目を逸らしたいのに、金縛りにあったように顔を背けることができない。

 人影が、こちらを向く。

 距離がそれなりに離れてるはずなのに、視線が合ったのが、はっきりとわかった。

 男だ! しかも僕は、あいつの目に見覚えがある!

 驚きが頭を貫いた。

 あの場に居た誰でもないはずだ。なら、あんな格好をしている、あいつは一体誰だ?


 ローブの男が薄笑みを浮かべたような気がした。

 正体を確かめなければ! 理由のわからない焦りが胸中から湧き出す。

 僕が一歩を踏み出そうとした瞬間、ローブの男は踵を返して走り出した。


「待て!」


 少し先を、まるで幽霊のようにふわふわとローブをはためかせて走る男。

 そんなに速くは見えないのに、走っても走っても追いつけない。

 電柱の灯りだけが、何本も何本も脇を通りすぎていく。

 まるで悪夢でも見ているようだ。


 一体どのくらい走り続けたんだろう?

 ようやく足を止めたローブ姿に追いついた頃には、辺り一面の景色は異様なものに変貌していた。

 うっすらと霧のようなものが、たゆたっている。

 果てしなく続いているように見えた塀と電灯は無く、代わりに、赤くてだだっ広い空間が広がっていた。

 夕焼けのような透明感のあるものでは無い、光源がわからず、強いてあげれば空間そのものが光っているような不気味な赤さ。

 そしてそれは、生物のように、ゆっくりと明滅を繰り返していた。


 この場所は忘れたくても忘れられない。

 会場に向かう時に最後に見た光景だ。

 やはりこいつは何か知っている。

 五、六メートルほど離れて立つローブ姿の男は、両手を垂らし、じっとこちらを見ている。

 もう逃げる様子は無いらしい。


「お前は誰だ、正体を見せろ」


 心臓が激しく脈打ち、息が切れそうになるのを無理やり押さえ付けた。

 気を張っていないと、足から崩折れそうになる。


「暴力に身を委ねるのは楽しかったか?」


 ローブでくぐもってはいたが、若い男の声だ。

 この問い、やはりあの場に居た誰かだろうか?

 だとしても、わざわざこんな格好で歩き回るなんて、どうかしてる。


「なんのことだ? お前は僕を知ってるのか?」

「しらばっくれたって無駄だぜ、オレはお前の事なら何でも知ってるんだ、なあ唯野誠一郎くん?」


 心臓が飛び跳ねるほどの衝撃だった。

 相手が僕の名前を知っている。

 その事実が、言い知れないプレッシャーとなって圧し掛かってきた。


「お前は誰だ? 僕とどこで会ったんだ?」

「おっとそうか、こんなの着てちゃ、誰だかわかんねえのも、しょうがねえな」


 それにしても、この男の軽薄な喋り方といい、ローブからのぞく目線といい、なんでこんなに僕をイライラさせるんだろう。

 はぐらかされてるというわけでも無いのに、飛び掛って強引にローブを剥いでしまいたい衝動に駆られる。


「こっちも正体隠す気はねえんだ、ちょっと待ってな」


 男は頭の部分に手をかけると、勿体つけるように、ゆっくりとローブを脱ぎ始めた。

 僕は金縛りにあったように固まりながら、その様子を凝視する。


「前の時は話す暇も無かったからな、とりあえず初めましてと言うことにしとくぜ」


 ローブを完全に取り去り、歪んだ薄笑いを浮かべるその男は、確かに初対面であった。

 いや、むしろある意味、僕に最も近い人物とも言える。


「お前……そんな……え……なぜ」


 男を指差した手が小刻みに震える。

 僕と同じジャンパーにジーンズ姿、同じ体格、そして生き写しのような同じ顔。

 まるで大きな姿鏡の前に立っているような不思議な感覚。

 違うのは、そいつがポケットに手を突っ込んだまま、僕の意思とは関係なく、一歩また一歩と近づいて来ていることだ。


「唯野誠一郎だ、よろしくな」


 そいつが、僕の反応を楽しむように自己紹介する。

 ふてぶてしいとも取れるような自信に満ちた笑み。

 よく人から「なんとなく不安そう」と言われる僕には絶対できない表情だ。


「ばかな事を言うな! 唯野誠一郎は僕だ!」

「誰も、お前が違うなんて言ってねえよ」

「なんだって?」


 僕の頭の中は、混乱の極地だった。


「お前も唯野誠一郎、オレも唯野誠一郎。そういうこった」

「そんな話があるか! 誰がこんな手の込んだイタズラを」


 頭の中で、けたたましく警報が鳴っている。

 理由はわからないが、こいつのペースに呑まれてはいけない、そんな予感がした。


「やれやれ、オレ自身とはいえ疑り深けぇやつだな。わざわざこんなくたびれたジャンパー着て来てやったんだ、いい加減信じろって」


 僕は、はっと気づいた。

 そういえば、やつの着ているジャンパーは、僕が愛用している景品ジャンパーと同じデザインで、そこらに売ってるものじゃない。

 しかも、しわの入り方から擦り切れ方まで、まさにいま僕が着ているものとそっくりだ。

 同じことは、ジーンズにも靴にも言える。


 まさか、本当に僕自身なのか?

 ドッペルゲンガーだの生霊だのという、TVでしか見ないような単語が頭の中をぐるぐると回る。

 普段なら鼻で笑うところなのだろうが、この奇妙な空間が、それに現実味を帯びさせていた。


「ま、いーや。これから厄介になるんで、よろしく頼むぜ」


 そうこうしてる内に、僕の目の前まで来た男が、ポケットから右手を差し出した。

 さっきから浮かべている、人を小ばかにしたような薄ら笑いが、とても癇に障る。

 僕は、その手を乱暴に払いのけた。


「誰が、お前なんかの面倒を見るか」

「残念ながら拒否権は無ぇんだ、もう決まっちまった事だからな」


 男が払いのけられた手を再び差し出した。

 今度は僕の胸元に向かって。


「な、なにをする気だ!」

「ちょっと、その身体に同居させてもらうだけさ。なあに、まんざら悪いことばっかりでも無ぇぜ」

「や、やめろ! 来るな!」


 僕は、その手から逃れようと一歩後ずさる。


「そう邪険にすんなって」


 にやにや笑いながら手を伸ばして来る男。

 僕は、さらに一歩……下がることができなかった。

 石にでもなってしまったかのように、身体がぴくりとも動かせない。


「この場所は特別だからな、オレから逃げようったって、そうはいかねえ」


 男の手が、僕の身体に、ずぶりと入り込む。

 不思議な感覚だった。

 異物に蹂躙されるかのような嫌悪感の一方で、まるでパズルのピースがはまるような安堵感。

 まるで相反する感覚が、挿し込まれた手を中心に、せめぎあっている。


「仲良くやろうぜ、よろしくな」


 すぐそばで男の声が聞こえる。

 耳元なのか、頭の中からなのか、それすらわからない。

 エコーがかかったように、妙に反響するその声を聞きながら、僕は意識を失った。

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― 新着の感想 ―
[一言] ヒェッ:( ;˙꒳˙;): さっきまでごく普通の温かい家庭にお邪魔してたからこその展開に震える……。 温度差よ!! もう一人の自分はやっぱりあの時に生まれたんでしょうかね。 それとも、元々持…
[良い点] 『夕焼けのような透明感のあるものでは無い、 光源がわからず、強いてあげれば 空間そのものが光っているような不気味な赤さ。 そしてそれは、生物のように、 ゆっくりと明滅を繰り返していた。』…
[良い点] なんと…… リアルなサスペンスかと思えばファンタジー。 この入り方は絶妙ですね〜。 怖かったです〜!
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