06話 新たな一歩
あの復讐という名の惨劇から数日後。
僕は勤めていた地方銀行に、事故以来初めて連絡を入れた。
響子を失ってから、ずっと無断欠勤を続けてて懲戒免職も覚悟したが、結果から言うと、一身上の都合による自主退社ということで落ち着いた。
事情は既に知られていて、それを慮った上司が色々と手を尽くしてくれたらしい。
挨拶に行った際に、上司は力不足で済まないと言っていたが、とんでもない。
社則を破り、お客様をはじめ、会社の内外の様々な人に迷惑をかけたのだ、むしろこのくらいで済んで感謝すべきだと思う。
逆に礼を言いたいくらいだ。
手続きや引き継ぎなどが全て終わった明くる日から、僕は早速次の仕事を探し始めた。
贅沢をする気は無いので、そこそこの給料で良いのだが、とにかく何かしていたかった。
前に進むために、やりがいを探していたのかもしれない。
放心状態だった頃は、後を追うことを考えたのも一度や二度じゃなかったが、今考えてみると、やらなくて良かったと思う。
仮にあの世とやらで再会したとしても、軟弱者と罵られそうだ。
こういう事には、割と遠慮しないタイプだったしな。
折からの不況の関係で就職活動が難航して困っていたところに、ひょっこりと大学時代の友人から連絡が入ったのが、つい数日前のことだ。
なんでも、小さな部品工場で経理ができる人間を探してるらしく、知り合いを当たっていたらしい。
僕は、その話に即座に飛びついた。
友人は驚いていたが、響子の事はうまく伏せて事情を話すと、元銀行員なら信用できると言って快く了承してくれた。
そんなわけで、僕は今、工場の方に入社の挨拶に来ていた。
ラフな格好で来てくれと言われて、ちょっと心配ながら普段着のままで来たが、どうも正解だったようだ。
わざわざ出迎えてくれた社長が、着古した作業着姿だったのだから、僕がスーツを着ていたらアンバランスになるところだった。
「今日から主に経理業務を担当してもらう唯野くんだ、みんなよろしく頼む」
「唯野誠一郎と申します。わからない事も多いかとは思いますが、よろしくご指導お願いします」
招き入れられた工場の中で、社長に紹介された僕は、姿勢を正して頭を下げる。
「うちは見ての通り、家族でやってる小っちぇえ工場だ、そう固くならずに気楽にやってくれな」
背が低めで、ずんぐりむっくりしたダルマを思わせるような体格に、口ひげを蓄えた丸顔は、笑うととても親しみやすい表情になる。
まるで信楽焼きの狸、などと考えてしまうのは、ちょっと失礼だな。
僕の前には二人の女性が立っている。
社長の奥さんと娘さんだ。
基本的に工場の製品は社長が一人で作っていて、二人はサポートという形で、一般事務や雑用なんかを分担して受け持っているそうだ。
奥さんの方は、社長と同じくらいの歳かな、ちょっとふくよかな感じで、別に着飾ってるわけでは無いのに、何となく上品に見える。
娘さんの方は、長い髪を後ろで縛って、活発な印象だ。
高校生だということだったが、低めの背と良く動く大きめの瞳のせいか、小動物を連想させる。
美人っていうよりは、まだ可愛いって感じだ。
「こちらこそ、ご迷惑をおかけするかもしれませんけれど、よろしくお願いしますね」
奥さんが、にこやかに挨拶を返してきた。
僕の仕事は、経理業務の補佐から始まって、納品先との交渉や銀行相手の資金繰り調整といった営業色の強いものもある。
昔から手先はあまり器用な方では無いので、ちょっと心配していたが、こういう方面なら今までの経験も活かせそうだ。
「お父さん、お金の事には、ほんと無頓着だから、びしびし言ってあげてくださいね」
「余計な事は言わなくて良い。それに工場では社長と呼べと言ってるだろう」
「はーい」
社長に窘められた娘さんが、ぺろっと舌を出す。
なんとも子供っぽい仕草だが、妙に似合うのが面白い。
親子の仲が良いのはアットホームで良いな、思わず表情が緩む。
「さて、挨拶も済んだことだし、今日は……」
社長が僕の格好を上から下まで確認して、満足げに一つ頷いた。
「うちで扱ってる商品に慣れてもらうのを兼ねて、倉庫整理でもお願いするかな」
「僕にできるでしょうか?」
「なあに、やることは簡単だから心配しなくて良いぞ。まずはついてきてくれ」
なるほど、汚れても問題無いかどうか確認してたのか。
倉庫整理なんて今までやったこと無いけど、ここで臆して社長さんを失望させるのは良くないな。
僕は、先に立って歩き出す社長の後を追った。
自宅と同じ敷地内に建っている工場は、今まで家族で経営してきた割には、そこそこ広い。
そこかしこに、油にまみれ、年季の入り方が一目でわかる工作機械が据え付けられている。
その周りには、用途のわからない器具や細かい部品の入った金属容器が雑然と置かれていたが、何故か散らかった印象は無い。
むしろ職人のこだわりと言ったイメージがあるから不思議だ。
「足元に気をつけてな、転んだら怪我じゃすまねえぞ」
当たり前だが、社長は慣れたもので、ひょいひょいと機械の間をすり抜けていく。
確かに、硬いものや尖ったものが、至るところにあるこんな場所で転ぶなんて、想像するだに恐ろしい。
僕は何度か段差に突っかかりながらも、どうにか社長に付いて行った。
「さあ、ここだ」
社長に案内された部屋を見た途端、僕は思わず声を失った。
さほど広くないと思われるその部屋は、天井まで届く金属棚が整然と並べられ、さらに窮屈な印象を与える。
さらには、それでも足りないと言わんばかりの、部品の入った箱やら何やらが乱雑に放り出されていた。
すでに社長本人にも手が付けられなくなっているであろうことは、一目見ただけでわかる。
これは気合を入れて行かないといけないな。
「面白そうな物があると、つい手が出ちまってな。使った後に適当に放り込んでたら、いつのまにかこの有様だ」
社長は面目無さそうに頭をかいた。
何となくわかる気がする。
大学時代の友人に、自他ともに認めるかなりのオタク趣味の奴が居たんだが、そいつの部屋もこんな感じだった記憶がある。
職人気質の人たちというのは、大なり小なりこういうものなのかも知れないな。
「とりあえず、できる範囲でやってみてもらえるか?」
「わかりました。まずは、種類を分けながら棚に並べてみますね」
「いきなり面倒な事を押し付けるようですまんが、うちの家族はみんな大雑把でなあ」
「任せてください……とは言えませんが、やれるとこまでやってみます」
「いやいやそれで十分、助かるよ。それじゃ、わからないことがあれば遠慮なく聞いてくれ」
そう言って立ち去りかけた社長は、思い出したように足を止めた。
「そういえば唯野くん、こっちの方はイケるくちか?」
社長は人差し指と親指で、おちょこをつまむような形にして、それを口元で、くいっとあおって見せる。
酒は飲めるか? という意味だ。
「はい、あまり強い方では無いですが」
以前は、ちょっと気が向いた時に響子と一緒に遊び程度に飲むことがあった。
正体を無くすまで飲んだことが無いので、強いかどうかは自分でも良くわからないのが本音だ。
しかし、社長がその答えを聞いて相好を崩す。
「そうか、それなら今晩はウチでメシを食って行け、歓迎会の代わりと行こうじゃないか」
「いやそんな、申し訳ないですよ」
「若いもんが遠慮なんかすんな。それに、うちの家族はみんな酒がダメで、ワシは普段から肩身が狭くてな」
奥さんは何となく飲むようなイメージじゃないし、娘さんはそもそも未成年だ。
一緒に飲む相手が欲しいというのも、あながち口実だけでは無さそうだ。
ここまで言ってくれてるのに、ここで断るのは申し訳ないな。
「そうですか、それじゃありがたくご馳走になります」
「そうこなくちゃな、じゃあ仕事が終わった後にな」
「はい、ありがとうございます」
僕が礼を言うと、社長は上機嫌で工場へ戻っていった。
さて、それじゃあ頑張って行くか。
僕は軍手をはめ直して、手近な部品の箱に手をかけた。
その夜、仕事を終え、シャワーを借りて汗を流した僕は、社長の自宅へと呼ばれていた。
皆で囲んだテーブルの真ん中では、スキヤキの鍋が、早くもぐつぐつとおいしそうな音を立てている。
そういえば、誰かの手料理なんて、いつ以来だろう?
なにしろ響子と付き合ってた頃も、お互い忙しくてコンビニ弁当とか店屋物ばっかりだったしな。
久々の暖かい料理を見ていると、急にお腹が空いてきた。
「大した物はありませんけど、たくさん食べてくださいね」
奥さんが、テーブルに皿を並べていく。
スキヤキに入れる追加の肉や野菜の他にも、酒のツマミになりそうな料理も何品か出されていた。
わざわざ用意してくれたのだろうか、ありがたいな。
「家族団らんの席にお邪魔しちゃって申し訳ありません」
「むしろ、うちの主人が無理を言ったのでしょう? こちらこそ急なお話でごめんなさいね」
「まあまあ、良いじゃないか。唯野くん、ビールで良いか?」
「あ、恐縮です」
社長が、もう待ちきれないといった風に、僕のグラスにビールを注ぐ。
僕は慌てて新しいビールの栓を抜くと、社長のグラスにもビールを注いだ。
「今日は無礼講だ、唯野くんの入社を祝って、まずは乾杯と行くぞ」
社長がグラスを掲げ、みんなが唱和する。
奥さんは烏龍茶、娘さんはフルーツジュースだ。
僕は、グラスに満たされたビールを一気に飲み干した。
普段使わない筋肉を使ったせいで、強い疲労感を訴えていた身体に染み渡るようだった。
「おう、唯野くん良い飲みっぷりだな」
社長は喜色満面で僕のグラスにビールを注ぐ。
他愛も無い会話と暖かい団欒。
社長と奥さんは、娘さんをとても大事にしていて、娘さんも憎まれ口を叩きながらも両親を尊敬している。
そんな様子を見ていると、こちらも自然と笑みが浮かぶ。
こうして晩餐は、終始和やかな雰囲気のまま進んでいった。