05話 復讐の刃
寺島圭司が、恐怖に目を大きく見開く。
僕の目には、もはや周囲で騒ぎ立てる観客も、他の参加者も映ってはいなかった。
思い知らせてやる! 目一杯苦しむが良い!
まるで怪鳥のような叫び声を上げながら、僕は奴へと突進する。
「やめろ! やめてくれ! く、くるな! やめ……」
うるさい! 今さら命乞いなど聞けるか!
思い切り振り下ろしたナイフが、奴の太ももに深々と突き刺さる。
まるでバターのように易々とめりこんだ刃を伝って、肉を切り裂く何とも形容のし難い感触が手に返ってきた。
奴が苦痛の悲鳴を上げる。
響子はもっと痛かったはずだ! それを貴様は!
力任せにナイフを引き抜き、再び振り上げる。
大きく抉られた傷口から鮮血がほとばしり、僕の視界が真っ赤に染まった。
ナイフを両手で逆手に握り締め、力いっぱい振り下ろす。
もうどこに刺さってるかなんて構うものか。
奴が苦痛の悲鳴を上げている、それだけで堪まらない喜びが全身を駆け巡った。
もっと、もっとだ! もっと叫べ!
ナイフを突き刺す手に力がこもる。
そして、奴の悲鳴は、今まで躊躇っていた他の参加者たちも突き動かした。
一斉に殺到してきた参加者たちは、各々が手にした刃を奴めがけて振り下ろす。
吹き上がる血の噴水。
奴は既に悲鳴を上げることもできず、代わりに嘔吐のような水音を立てる。
正気を失ったような歓声が降り注ぐ中、僕らは執拗に奴の肉体に群がった。
まだだ! もっと、もっとだ!
己の復讐心の充足を求めて、僕は一心不乱にナイフを振るう。
さっきまで寺島圭司だったものは、ただの肉塊と成り果て、真っ赤な池の中に無秩序に転がっていた。
こんな姿になって、もちろん生きているわけは無いが、痕跡一つ残すのも気に入らなかった。
たぶん僕は恍惚とした表情を浮かべてるんだろう。
ナイフを一振るいするたびに、えも言われぬ快感が全身を駆け巡る。
もうこんな物は邪魔だ!
僕は手にしたナイフを投げ捨てると、握り締めた拳をたたきつけた。
床にたまった血が飛び散り、僕の全身を赤に染め上げる。
今まで何を躊躇っていたんだ僕は。
復讐、なんて気分が良いんだ!
僕は夢中になって、左右の拳を振るい続けた。
……
…………
壁の一面に大きく取られた窓。
見慣れた夜景の中を、小さなヘッドライトが行き交っている。
「ここは……」
どこだ? と言い掛けて、座り込んでいるのが、馴染んだ自室のベッドであることに気が付いた。
僕は、何をしてたんだっけ?
どうも頭に霞がかかったように重くて、うまく思い出せない。
確かプレシャス・スタッフの本社ビルの地下駐車場で誰かに会ったんだったな。
それで、どこかに案内されて……。
一つ一つ順番に記憶を紡いで行く。
どうも所々抜け落ちているようで、ふわふわと頼りない。
夢……だったんだろうか?
とすると、どっからが夢だったのか。
僕は考え込む時の癖で、右手を口元にあてた。
ん?
慌てて両手を鼻に当て、匂いを嗅いでみる。
微かに、だがはっきりとそこに残っていたのは、鉄錆のような……血の匂いだった。
コロシアムのような会場、狂気の表情で叫ぶ観客、辺り一面の血と肉塊。
かつて寺島圭司だったもの。
まるでスイッチが入ったように、一気に記憶がよみがえる。
こみ上げる物を抑えきれずに、僕はトイレへと駆け込んだ。
ひとしきり胃の中の物をぶちまけ、ようやく少し落ち着いた僕は、手と顔を洗ってリビングへと戻ってくる。
この世の物とは思えない、まさに地獄のような光景。
その中で、僕は薄ら笑いさえ浮かべながらナイフを振るっていた。
間違いなく、全て現実に起こったことだ。
とてもでは無いが、正気の沙汰とは思えない。
思い出すだけで、心臓が高鳴り、じっとりと嫌な汗が滲んでくる。
自分の手で人を殺したという罪の意識と嫌悪感が背中に重くのしかかる。
だが、その一方で復讐を遂げたという達成感のような物も確かに存在していた。
寺島圭司の最期は、まさに奴にふさわしいものだった。
恐怖も、痛みも、存分に味わったことだろう。
響子が受けた理不尽な想いは、多少なりとも晴らせただろうか。
もしかしたら、彼女はこんなことを望んでなかったかもしれない。
でも、こうしなければ僕は前に進むことができなかっただろう。
洋服のままベッドに寝転んだ僕の頬を一筋の涙が流れる。
響子がもう戻ってこない悲しみか、それとも復讐を果たした安堵か。
僕自身にも理由はわからない。
その夜は、走馬灯のように巡る響子との思い出に浸りながら、一睡もせずに朝を迎えた。