04話 狂乱の宴
階段を下りた先は、がらんとした薄暗い小部屋のような空間だった。
コンクリート剥きだしの壁は、染みひとつない白一色で、まるで雪景色のようだ。
夢……だったんだろうか、まだ頭がぼーっとする。
何か、ごうごうという音が聞こえる気がするんだが、耳鳴りか何かだろうか。
「唯野さま、大丈夫ですか?」
意識を引き戻された僕は、慌てて口元の涎をぬぐう。
なんて締まりの無い顔をしていたんだ、僕は。
急に恥ずかしくなった僕は、誤魔化すように辺りをきょろきょろと見回す。
先導していた男は、いつの間に取り出したのか、片手に白いシーツのような畳まれた布を持っていた。
「この先が参加者さまの控室になっておりますので、入場前にこちらをお召しになってください」
男が差し出す布を言われるままに受け取る。
服だったのか、これは。
「ああ、そのまま上から被っていただければよろしいですよ」
緩慢な動作でジャンパーを脱ごうとした僕を男が制止する。
どういうことかわからなかったが、受け取った布を両手で広げてみて納得した。
それは、頭から足先まで全身をすっぽりと覆う、ローブのような物だった。
ナイロン製だろうか、動くとかさかさと音がする。
目の部分だけが透明になっていて、両手を通す部分は手首から先だけが外に出る仕組みだ。
「なんだかちょっと息苦しいですね」
顔全体を覆っているせいで、まるでマスクをしているようだ。
そして、洗剤の匂いでも隠しきれてない鉄錆臭の嫌な感じが、息苦しさに拍車をかけている。
「参加者さまのプライバシーを守るための措置ですので、ご不便でしょうがご了承ください」
確かにこれだけゆったりしたローブなら、わかるのは背格好くらいで、年齢どころか男女の区別もつきそうにない。
参加者には僕の見知った人もいるだろうが、声さえ出さなければ、おそらく気づかれまい。
「準備ができましたら、こちらの扉からお進みください。唯野さまのご無念が晴らされますことをお祈りしております」
男が扉を指し示す。アーチの形をした両開きの扉だ。
赤銅色に塗られたそれは、何故今まで気付かなかったのかと思うほど、白壁の中で異様な存在感を放っている。
男が扉についた鉄輪の片方をつかみ、ゆっくりと引いた。
僕は若干緊張しつつ、音も無く開いた扉をくぐる。
その先は、ちょっとした広間になっていた。
思い思いの場所に陣取っていた十人ほどの白ローブ姿が一斉に視線をこちらに向ける。
いつもの癖で、思わず軽く会釈をしたが、誰も反応は返って来ない。
これから始まる事を考えると当然の事だ、僕だってこんな所で和やかに世間話をするつもりなど毛頭無い。
部屋の中に入ると、さっきの音が更に大きくなった。
どうやら幻聴の類では無いらしい。
機械のモーター音のような一定したものではなく、もっとうねるような感じだ。
これが、濃い小豆色の壁と相まって、ざわざわとした胸騒ぎのような感覚を呼び起こす。
正面には、今くぐってきたより更に大きなアーチ型の扉、あれが会場へと続いているんだろう。
部屋にはもう一つ、大きなテーブルが備え付けられていた。
そのテーブルの周りを行ったり来たりして、何かを並べている一人の男。
全身真っ黒なスーツに仮面。彼もプレシャス。スタッフの人間なのだろう。
「それでは皆さま、開始の時間が近づいて参りました。お手数ですがこちらにお集まりください」
準備が整ったのか、男が僕らに声をかけた。
一同が、緩慢で無気力な動作でテーブルの周りへと集まる。
そこに並べられた物を見た瞬間、僕は息を呑んだ。
立てかけられた長槍、剣、刀のような物もある。
テーブルの上にも様々な形をしたナイフ、手斧、ナタに鎌、果てはカッター、アイスピック、出刃包丁まである。
そこはまるで、刃物の品評会のようであった。
「ご参加いただける皆様のために、当方で武器を用意させていただきました。どうぞお好きな物をお取りください」
ちょっと高めで耳障りな声で黒スーツの男が説明する。
口調は丁寧だが、どこか下品な印象を隠せない、そんな感じだ。
もともと背丈が高い方では無いようだが、背中を丸めてるせいで余計小さく見える。
手入れのいい加減な無精ひげ、髪はぼさぼさ、嫌らしく笑う口元からヤニで黄色くなった歯が覗いている。
見た目だけで、これほど嫌悪感を抱かせる者も珍しいんじゃないかと思う。
「さあ、遠慮せずに、どうぞどうぞ」
男が大仰に手を広げて見せる。
楽しくてしょうがないと言った感じだ。
僕を含めたローブ姿の参加者たちに無言の動揺が広がって行くのがわかった。
当然だ。
いくら恨み骨髄の相手でも、人を刺すのに刃物を選べと言われて普通は冷静でなんていられない。
しばしの逡巡の後、それでも一人二人とそれぞれ武器を手に取る中、僕も一本のナイフを手に取る。
そこら辺に売ってるような護身用の物では無い、軍用ナイフとか呼ばれてる片刃の大きなやつだ。
握りのひんやりした感覚が、今更ながら自分が何をしようとしているのかを思い出させる。
本当にやるのか?
当然だ、ここまで来て引き下がれるか!
弱気に駆られそうになった僕を叱咤する心の声が聞こえた気がした。
そうだな、もう覚悟を決めろ。待ちに待った瞬間じゃないか。
ナイフを固く握りしめる。
天井の明かりを照り返して凶悪な光を放つそれは、もう出番が待ちきれないと言ってるようにも見えた。
「皆様、行き渡りましたでしょうか? それでは本日のイベントを始めさせていただきます」
男が扉の取っ手の位置についている鉄輪に手をかけ、こちらに嫌らしい笑いを向ける。
部屋の空気がぴんと張り詰め、緊張で肌が粟立つような感覚がある。
わずかに手が震えるのは、恐怖からなのか、それとも別な何かか。
一同が見守る中、扉がゆっくりと開かれて行く。
最初は、強烈な光の洪水だった。
太陽のような自然なものでは無い、もっと人工的な光が目に突き刺さる。
続いて襲ってきたのは、音の嵐だ。
さっきまで聞こえていた、うねるような音は、扉を開けた途端に圧倒的なボリュームで僕らに叩きつけられる。
歓声。
それも一人や二人では無い。
どこかの競技場か何かのような何十人という数の声が扉の向こうに溢れ返っていた。
ようやく光に目が慣れてきた僕は、恐る恐る扉をくぐる。
その先には、思ったより広い空間がひろがっていた。
大きさは、ちょっとした体育館ほどもある。石造りの地面と周りをぐるりと取り囲む壁。
そこに容赦なく降り注ぐ歓声に、上を見上げてみれば、この場を見下ろす形で作られた観客席には超満員の、人、人、人。
つくりが、以前TVか何かで見たコロシアムとか言う建物に似てるなと思った。
TVの画面を見ながら、いつか実物が見てみたいとはしゃいでいた響子の姿が思い出されたが、次の瞬間には周りの狂騒に押し流されて消えうせる。
とてもではないが、まともに物が考えられるような状況では無い。
観客席から僕らを見下ろしているやつらは、総じて良さそうな身なりをしていて、彼らが『金持ち』であることを物語っている。
年齢も、性別も、人種すらもばらばらだが、一つ共通していたのが、その表情だ。
ぎらぎらと病的に光る視線と、狂気をはらんだ笑み。
これから眼下で始まるであろう惨劇を余すところなく見たいという、そんな黒い期待が込められているのがはっきりとわかる。
身体の芯に震えが来る。
人はここまで残酷になれるのか。
「お集まりいただきました紳士淑女の皆様。当社地下処刑場へようこそ!」
観客席に圧倒されて今まで気付かなかったが、僕らが居る広場部分の中央に、マイクを持った黒スーツが一人立っていた。
さしずめ、司会進行役と言ったところだろう。
それにしても、こんな残忍な顔を並べてるあいつらに『紳士淑女の皆様』とは、この会社も皮肉がうまい。
「今宵、供されますは先だって沢渡響子さまを轢き逃げの末、死に至らしめた凶悪犯、寺島圭司であります。ご遺族の方々のご無念が鉄槌となって振り下ろされる様を心行くまでご覧ください」
僕らの反対側の扉が開くと、白い布にくるまれた大きな物を担いだ、数名の黒スーツが入ってきた。
彼らは、全員で担いでいたそれを、まるで粗大ゴミか何かのように乱暴に床に放り投げると、布を強引に剥ぎ取る。
中から出てきたのは、手足を縛られ、ろくに身動きもできない全裸の男だった。
床に転がされた茶髪の男は、頭だけを不器用に上げ、黒スーツたちに何事か激しく叫んでいる。
無表情でそれを見下ろしていた黒スーツの一人が、鬱陶しいとばかりに男の鳩尾あたりを蹴り飛ばした。
もんどりうって転がった男の顔がこちらを向く。
どくん。
身体がブレたのではないかと思うくらい大きな音を立てて、僕の心臓が一つ跳ねた。
跳ね飛ばされ人形のように舞う響子、躊躇い無く走り去る車、真っ赤な血、真っ赤な夕焼け。
運転席に座っていた男。
瞳の奥に焼きついて、忘れようにも忘れられないその顔。
間違いない! あいつだ!
身を裂かれる程の後悔、悲しみ、怒り。
心の奥底に封印していた記憶が、一気に甦る。
こいつのせいで響子は! そして僕は!
「さあお待たせいたしました! 参加者の皆様、彼は見ての通り丸腰で手足を縛られ何もできません。今こそ皆様の手で凶悪犯に正義の鉄槌を!」
寺島圭司を運んできた黒スーツが退場し、マイクを持った黒スーツが熱狂を煽るように叫ぶ。
惨劇を期待する観客たちが手を振り上げ、足を踏み鳴らす。
会場は既に凄まじいばかりのヴォルテージだ。
腹を蹴られて咳き込んでいた奴が、ようやく僕らの姿に気付いたようだ。
だらしなく茶髪のかかった顔が、見る間に恐怖の表情に彩られる。
当然だ。手に手に武器を持つ僕らに対して、奴は反撃の術が無いのだ。
これで平然としていられたら、それこそどうかしている。
「く、来るな! やめろ、死にたくない!」
ここに連れて来られるまでにも、さんざん殴られたのが容易に想像できる奴の顔は、恐怖でひきつって居る。
「そ、そうだ! 示談にしよう! ここから助け出してくれたら、いくらでも出すぞ。だから、な?」
ろくに自由にならない身体を必死に動かしながら、奴が懇願する。
くっ、こいつ人の命を何だと思ってるんだ!
あの時、すぐに響子を病院に連れて行けたら助かっていたかもしれない。
それを平気で見捨てておいて、今さら示談だって?
ふざけるのもいい加減にしろ!
やはり、この男には制裁を下さなければ!
しかし、意に反して身体は全く前に出ようとしない。
抵抗できない相手を集団で嬲り殺す、たとえ復讐だとしても、こんなことが許されて良いのか?
怒りに身を任せようとした僕を、頭の片隅に最後に残った理性が必死に押しとどめる。
(法を破った勝手な行いに巻き込まれて響子は死んだんだ。ここで復讐心にかられて法を破れば、あいつと同類になるんじゃないのか?)
『その法とやらで、奴はぬくぬくと生きながらえ、罪を償ったとかって勝手な免罪符をもらってシャバに戻るんだぜ、こんなのが正しい法だってのか?』
(例え間違ってたとしても、こんなやり方は良く無い。これではただの自己満足だ! ここで奴を殺しても響子が戻ってくるわけじゃない)
『そうやって理由をつけて全てから逃げて、またあの部屋に戻るのか?』
(逃げる? 僕が逃げてるって言うのか?)
『ああ、その通りだ。結局、人を殺すのが怖いだけなんだろう? ここに来た時の決心はどうした? ビビってんじゃねえよ』
僕の中で復讐心と理性がせめぎあう。
まるで二人の人物が言い争いをしているような激しさだ。
右手に握りしめたナイフが、今になってことさら重く感じられた。
『さっきの奴の物言いを聞いただろう? ここに至ってもまだ反省しないような奴に、制裁を加える以外にどうやってわからせるってんだ?』
(だからと言って、ここで私刑に処すのは間違ってる!)
『それなら好きにするが良いさ。どのみち奴は他の参加者に殺されるんだ、響子も報われない、自分も救われない、やり場の無い怒りと悲しみを抱えたまま一生を過ごすんだ、それで良いんだな』
はっと目が覚めたような気がした。
そうだ、あんな人でなしに何を躊躇う必要があるんだ。
響子の受けた痛みを何倍にもして奴に叩きつけてやる。
自らの罪の重さを悔いさせてやるんだ!
僕は感情に任せるように力いっぱいナイフを握りしめ、奴に向かって一歩を踏み出した。




