21話 帰り道
僕はいま、昴ちゃんを迎えに夜間講座をやってる校舎に来ていた。
商業地域の大通りに面した場所に建っている、オーソドックスな二階建て。
今はその全ての窓に、煌々(こうこう)と明かりがついている。
もっと小さい物を想像していたが、人気のあるところのようだな。
職員も受講生もたくさん居そうだ。
仮にストーカーが紛れてるとしても、簡単には絞れそうも無いな。
『張り切るのは勝手だが、さすがに早過ぎねえか?』
(別にそんなつもりは無いけど、そんなに早いかな?)
腕時計を見ると、終了予定の二十分くらい前だ。
辺りにも、ぽつぽつと迎えに来てる人やら、路肩に駐車している車なんかが見受けられる。
(いつも通りじゃないか、別に早く無いよ)
『もっとギリギリでも大丈夫だろ。待ってるあいだ何やってるんだよ』
(普通に待つ以外に何するんだ? ギリギリに来て昴ちゃんとすれ違いになるほうが困るだろ)
『そうだけどな。ただ待つのって退屈じゃねえか?』
(いいや、慣れてるし全然気にならないな)
【オレ】は、やれやれと言った感じの呆れ顔だ。
こういう飽きっぽくて我慢がきかない所は【オレ】の良くないところだと思う。
今のところは僕の意見に逆らうことは無いけど、勝手にやらせたら何をやりだすかと思うと恐ろしくなる。
そのあとも、事あるごとに飽きただの退屈だの言いだす【オレ】を適当にあしらってやる。
そうこうしている間に今日の講座が終了したらしい。
解放感でいっぱいの笑顔で受講生たちがバラバラと出てきた。
だいたい高校生から大学生くらい、夜間だからなのか男子生徒の方が多い印象だ。
さて、昴ちゃんはどこかな?
「あ! 誠一郎さ~ん! こっちこっち」
カバンを持った昴ちゃんが、僕を見つけて駆け寄って来た。
「先に来て待っててくれたんですね、ありがとうございます!」
「あ、うん、おつかれさま」
「えっと……どうかしました?」
「いや、なんでもないよ」
実は、昴ちゃんが出てきてから、どうも周りの男の子たち視線が痛い。
嫉妬とか羨望とか、そんな感じのが色々含まれてる気がする。
本人は気づいてないみたいだけど、こりゃかなりの人気を集めてるみたいだな。
出てくる時に怪しそうな人物を絞れないかと思っていたが、これだけの視線を集めているとなるとストーカーを確認するどころじゃないな。
さっさと移動した方が良さそうだ。
「それじゃ帰ろうか」
「はい、お願いします」
二人で連れ立って歩き出す。
この時期の帰り道は、すっかり日も暮れた後だが、通りの左右に並ぶ店はまだ開いてる所も多い。
人通りもそこそこあるし、道も明るい。
これなら安心だし、二人で居ることも手伝ってか昴ちゃんも不安がってる様子は無いみたいだな。
「今日はどうだった?」
「ん~、わかったような、わかんないような……」
ちょっと眉根を寄せて、難しそうな顔をしている。
これは、わからなかった所があるな。
「なら明日にでも復習が居るかな?」
「……お手柔らかにお願いします」
そんな他愛ない会話をしつつも、辺りに気を配る。
昴ちゃんの勘違いであって欲しいと祈っていたが、やはり現実はそう甘くは無いらしい。
『誰かついて来てるな』
(……やっぱり勘違いじゃないか)
さっきから後ろを見るとチラチラと視界の端に入ってくる男。
あまり目立たないようにか、やや遠くを付かず離れずついて来てるようだ。
この距離では顔は見えないはずなのだが、ずっと見られてるような気がして、背筋がぞくりとする。
さて、どうやって確認するか……。
「お、このぬいぐるみ可愛いね」
僕は、わざと店の前で足を止めてみた。
昴ちゃんもつられて、ぬいぐるみが入ったワゴンに興味を示す。
これで後ろの男がそのまま通り過ぎていくようなら、たまたま帰る方向が同じだった生徒が居たということになる。
ただの取り越し苦労なら、それに越したことは無い。
「昴ちゃんは犬と猫どっち好き?」
「ん~、どっちも好きですけど、ぬいぐるみなら猫の方が好きです」
そんな事を話しながら、さりげなく向こうの男の様子を伺ってみる。
離れているので良くわからないが、足を止めてショーウィンドウを見ているようだ。
やはり近づいて来ないのか……。
これは本格的にまずいな。
「あ! これ可愛い! でもちょっと高いなぁ……」
昴ちゃんが黒猫のぬいぐるみを手に取り、ちょっと困った顔をしている。
その声で、僕は考えごとから引き戻された。
「お小遣い足りないの?」
「買えないことは無いんだけど……」
「じゃあ、昴ちゃんが資格取れたら僕がプレゼントするっていうのはどう?」
「それなら頑張れます!」
「じゃあ約束ね」
ワゴンに、そっと黒猫を戻した。
偶然見つけたものだけど、よほど気に入ったのかな?
ずいぶん喜んでるみたいだ。
「約束ですよ?」
「もちろん! さ、社長が心配するといけないから、そろそろ行こうか」
僕らは店先を離れて、また歩き出す。
ちらりと見ると、向こうの男もショーウィンドウを見るのをやめて、しっかり付いてきている。
『いよいよ間違い無さそうだぜ』
(そのようだ。なんとか振り切らないと、家まで付いてこられるのは問題だな)
『いっそ、捕まえて懲りさせるか? いつでも代わってやるぜ』
(証拠も無いのに、そんなことできるわけ無いだろ)
捕まえて簡単に白状するなら苦労は無い。
もし警察沙汰になって、相手にシラを切られたら、暴行犯になるのはこっちだ。
キツネ男の時の失敗を二度もやるわけにはいかない。
『なら、どうする? このまま歩いてても解決しねぇぜ』
(どっかで時間を潰して、相手が諦めるのを待つしか無いな)
『またそんな消極的なやり方か。仕方ねえな、まあ好きにしろ』
いまは【オレ】の相手をしてる場合じゃない。
なんとかして、向こうの男が諦める方法を考えないと。
走って逃げ切れるかどうかわかならいし、かといって何度も寄り道をしていたら、さすがに怪しまれる。
人の目があって、時間が潰せて、周りからも違和感の無いところ……。
ちょうどその時、まるであつらえたような喫茶店が僕の目に留まった。
通りに面した大きな窓があり、しかもそこにある席は空いてるように見える。
ここなら、いくらでも時間を潰せる。
「そうだ、昴ちゃん。ちょっと寄り道していこうか」
「え? さっき早く帰るって……」
「ノド乾いてない? ご馳走してあげるよ」
「え? え? ちょっと待ってください」
驚く昴ちゃんの手を引いて喫茶店に飛び込む。
少々強引だが、悠長に説明しているわけにも行かない以上、やむを得ない。
店員さんの、いらっしゃいませの声もそこそこに、外から見えた席に真っ直ぐ向かう。
よかった、やっぱり空席だ。
昴ちゃんを先に座らせて、僕は向かい側に座る。
二人分の飲み物を注文して、ようやく落ち着いた。
「さっきは早く帰らなきゃって言ってたのに、急にどうしたんですか?」
昴ちゃんが怪訝な顔でそう聞いてくる。
それも当然だ。
事情を知らなければ、僕のやってることは支離滅裂も良いところだ。
「引っぱりまわしてごめん。落ち着いて聞いてね」
できるだけ冷静に話したかったが、逆にその空気で察してしまったようで、昴ちゃんの顔がこわばる。
「……居るんですか?」
「うん、間違いないと思う。ずっと後ろをついてきてたんだ」
そう言いながら、僕はちらっと窓の外を確認してみた。
通りの向こう側で、電信柱に半分隠れるようにして人影が立っている。
さっきから後ろをついてきていた男に間違いない。
もっとしっかりと確認したいところではあるが、室内の方が明るいのでこちらの動きが丸見えになってしまう。
僕らが出て来るのをじっと待っているのか、その場から人形のように動かない。
やはりそう簡単には諦める気は無いということか。
「ど、どうしましょう……どうしたら良いですか」
昴ちゃんは不安に顔を染め、すっかり落ち着きが無くなっている。
「大丈夫。向こうは店に入ってくる様子も無いし、しばらくここで時間潰そう」
「ほんとに大丈夫でしょうか?」
「僕がときどき様子を確認するよ。どうしようも無さそうなら警察なり社長なりに連絡しよう。多分すぐに飛んできてくれるよ」
昴ちゃんは、不安半分、恐怖半分の表情で窓から顔を背けている。
当然だ、僕だって昴ちゃんの立場だったら、自分を追い回してる正体不明の相手など一瞬でも視界に入れたくはない。
ウエイトレスさんが来て、注文した飲み物をテーブルに置いていった。
僕はコーヒー、昴ちゃんはフルーツジュースだ。
一口すすると、温かさと苦味が気持ちをやや落ち着けてくれる。
とにかく冷静にならないと、頼られてる僕まで慌てるわけにはいかない。
昴ちゃんの方は、上の空でそわそわと落ち着かない。
こんな時、お喋りか何かで気を紛らわせてあげられれば良いんだけど、不器用な自分が恨めしい。
じりじりと、驚くほどの遅さで時間が過ぎていく。
雑誌を見るフリをして、ときおり外を確認してみているが、通りの向こうの人影は一向に動く様子が無い。
「……誠一郎さん。まだ居ますか?」
「うん、まだ居るみたいだ」
「……そうですか」
昴ちゃんもマンガ雑誌を持ってきて開いてはいるが、焦りと不安でとても中身を読んでいるようには見えない。
これ以上、待ち続けるのは厳しいか……。
『もう飽きたぜ。出て行って捕まえるなり、誰か呼ぶなり、とっとと終わらせようぜ』
(そう言う訳には行かないよ。なるべく穏便に済ませたいんだ)
『まだそんなこと言ってんのか! こんなにやられてるのに』
(だからこそだ。これで警察呼んで職質してもらったり、社長に来てもらってこの場は逃れたとして、昴ちゃんはその後も夜間講座に通うかもしれないんだぞ? ストーカーが同じ教室にでも居てみろ、何があるかわからないだろ)
できればリスクを高める行為をしたくない。
こうやって帰りに迎えに来ることはできるが、行きの最中や受講中は見張っているわけにはいかない。
通い続けるにせよ、緊急避難的に辞めるにせよ、どうするか決めるまでは危険度を上げるのは得策じゃ無い。
だが、こうやって待ち続けて本当に向こうの男が諦めるのか?
既に喫茶店に入ってから一時間近くが経過している。
僕の中の迷いが不安で徐々に大きくなっていく。
「……誠一郎さん。まだ居ますか?」
昴ちゃんが不安そうな声で、また聞いてくる。
もう何度目かになる外の通りを確認して……人影が消えていることに気づいた。
思わず前のめりになって、外の様子を探る。
「ど、どうしたんですか?」
「ちょっと待って、居なくなったみたいだ」
どこかに移動したのか?
それとも本当に居なくなったのか……。
窓から見える範囲には居る様子は無い。
緊張しながら、そのまま外の様子を観察する。
今のところ戻ってくる気配な無いようだ。
「チャンスだ。出よう」
「はい!」
昴ちゃんを連れて店を出る。
二人とも必死だ。
とにかく急いでこの場を離れなければ。
昴ちゃんの手を引いて、ほとんど走るようなペースで家への道を急いだ。
どのくらい走ったろうか。
商業地域を抜け、住宅街に入ったところで、どちらからとも無く足を止め一息つく。
後ろから追ってくるような足音は聞こえない。
「ここまで来れば大丈夫かな」
「そうですね」
二人で胸を撫で下ろす。
あの喫茶店から結構な距離を走って来たはずだ。
出たところを見ていなければ、さすがに見失うだろうと思う。
「やっぱりその……そうなんでしょうか?」
「うん、残念だけどあれはストーカーの類だと思う」
「……そうですか」
家に向かって、並んでゆっくりと歩く。
追われることも無くなって少々落ち着いたが、代わりに何とも言えない重たい空気が流れる。
ストーカーの存在が昴ちゃんの気のせいでは無かった以上、何か対策を考えなければいけない。
具体的な被害が出ていないこの段階では警察が動いてくれるとは考え難い。
パトロールを増やしてくれるか、はたまたストーカーに事情を聞いてくれるか。
いずれにせよ強制力に乏しい。
夜間講座を辞めることも前向きに考える必要がありそうだ。
昴ちゃんは残念がるだろうが、何かあってからでは遅い。
そうして家についた僕は、奥さんに事のあらましを伝えた。
「……そうですか。唯野さんありがとうございました」
「いえ、昴ちゃんに何事も無くてよかったです」
ストーカーが本物だった以上、もう隠しだてしても仕方がない。
昴ちゃんの身の安全が第一だ。
「わかりました、主人とも相談してみます」
「よろしくお願いします。それじゃ、昴ちゃんまた明日ね」
「はい……今日はありがとうございました」
昴ちゃんも沈うつな面持ちだ。
せっかくやる気を出していたというのに台無しになってしまった。
もし夜間講座を辞めるとなったら、代わりといっては何だが僕ができる限りサポートしなければ。
そんな事を考えながら、その日は僕も自分のマンションへと帰った。
――
翌朝のことだった。
いつも通りに工場で仕事をしていた僕のところに昴ちゃんが駆け込んできた。
「せ、誠一郎さん! これ!」
よほど急いで走って来たのだろう。
肩で息をする昴ちゃんは、息も切れ切れで言葉がうまく出せないでいる。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「これ! これ見てください!」
昴ちゃんが、右手に持っていた紙を差し出した。
「朝起きたら、ポストに宛名も何も書いて無い封筒が入ってて、開けてみたらそれが! ……どうしよう、どうしたら良い?」
「ちょっと昴ちゃん落ち着いて」
宛名が書いてない?
つまり郵便では無く、誰かが直接ポストに入れて行ったということか?
昨日の今日で、しかも昴ちゃんのこの慌てよう。
とてつもなく嫌な予感がする。
まさか……。
気にする余裕も無かったのだろう。
くしゃくしゃになった紙を丁寧に広げてみる。
やはり中身は手紙だな……。
それを読み進めた僕は、昴ちゃんが取り乱している理由を嫌と言うほど思い知らされることになった。




