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12話 結束の力

 キツネ男たちが帰った後、その日一日は怒り冷めやらぬ社長が猛威を振るっていた。

 真面目にやってるのかもわからない、奴らのあの態度は、人の神経を逆撫でするのに充分なもので、とても真っ当な取引をしようとしているようには見えない。

 生真面目で職人気質な社長が激昂するのも無理はない。

 挑発して、こちらの判断を誤らせるのが目的なら、大したものだと思う。


 針の筵のような仕事を終え、家に帰ってきた僕は、さっそく例の封筒を取り出した。

 キツネ男が置いていったやつを借りてきたのだ。


『物好きなやつだぜ』

(うるさいなぁ、何かの役に立つかもしれないだろ)

『まあな。やつら、喰らい付いたら離さないって、そんな目してたぜ』


 書類を取り出して一枚一枚丁寧に見ていく。何かおかしな点があれば、そこから話の主導権を握れるかもしれない。

 数十分後、僕は半ば呆れた顔で書類を放り出した。


「完璧だこれ……」


 目算なので正確なところはわからないが、間取り図面もかなり正確。

 再開発計画についても、周りの利便性から環境にまで配慮したもので、非の打ち所が無い。

 しかも見積もりの買取金額に至っては、ネットで調べた相場の予想よりかなり坪単価が高い。

 さすがプロの仕事だと思わず唸らされる。

 とても僕なんかの目では粗は見つけられそうも無いな。


「いっそ、買い叩いてるんなら話の持って行き方もあるんだけどな」


 やつらは、そう日を置かずにまた来るだろう。

 その時のために、少しでも有利な材料を探さなければ。

 僕はそのまま書類を夜更け過ぎまで読み漁った。



 そして次の日、出社した僕は応接セットを挟んで、社長に顛末を説明していた。


「……というわけなんですよ」


 社長は未だ興奮冷めやらぬという感じではあったが、昨日よりはだいぶ話に耳を傾けられるようになっているようだ。

 隣には、なんとなく落ち着かない様子で奥さんと昴ちゃんが座っている。


「なんと言われようと、ここを売る気は無いぞ」

「もちろんです。僕も仕事場が無くなるのは困ります」


 思い入れもあるし、居心地も良い。こんな地上げまがいの手段で無くなられては納得がいかない。


「やはり、事情をお話して警察にお任せする方が……」


 僕は奥さんの意見に、力なく首を振る。


「まだ買い取り交渉の段階ですから、難しいかもしれないですね……」


 明確な罪が無ければ警察は動けない。

 相手が何かやらかしてからでなければ頼れないのだ。

 向こうもその辺は重々承知だろうし、いざ裁判になっても間違いなくその手の専門家が出てくる。

 プロを名乗るくらいだ、そのくらいの用意はしてあるだろう。


「とにかく、断るにせよ何にせよ不利な条件が多すぎるというのが正直なところですね」


 僕と社長は難しい顔を付き合わせた。

 部屋に重苦しい沈黙が流れる。


 おそらく、今日もキツネ男たちはやってくるだろう。

 売らないの一点張りで突っぱねたとしても、手を変え品を変え攻めてくるに違いない。

 何か有効な手立てが無ければいずれこちらが根負けしてしまう。


「ふ~ん、おっきなショッピングセンターもあるのね、お買い物とか便利そう」


 昴ちゃんが、なんとなく昨日の提案書をぱらぱらとめくりながら、そんなことを呟いた。

 

「ばか言っちゃいかん、あいつらはこの辺の家を取り壊して作ろうとしてるんだぞ。それにこんなものが出来てみろ、商店街が、たちまち潰れてしまうぞ」

「そっか、お気に入りのお店が無くなるのはイヤだなぁ」


 そういえば、郊外型の大きなショッピングモールの影響で地元の商店街が経営難になる話は良く聞くな。

 地元に愛着のあるであろう社長が面白くないのもわかろうというものだ。


 ……まてよ。

 僕は何か引っかかりのような物を感じて、昨日穴が開くほど眺めた提案書の内容を思い出す。

 そうか、なんでこんな事に気づかなかったんだろう。


「あの、ちょっと聞いてもらえますか」

「どうしたんだ、唯野くん」


 僕は提案書の最初の方にある、計画の全体像が見えるページを開いた。


「これだけ大きな計画です。当然ここに含まれる対象の家はかなりの数になると思うんですよ」

「おい、道路地図を持って来い」


 社長の言葉で奥さんが棚から地図を持ってきた。

 良く顧客回りなんかで使う、住宅が一軒一軒表記されているやつだ。

 改めて比較してみると、相当広い。

 縮尺が違うのではっきりとはわからないが、家の数は三~四十軒に届こうかという勢いだった。


「これを全部買い上げようと言うのか……すごいな」


 社長が感心とも呆れとも取れるような声を上げた。


「で、ここら辺は古い家も多いみたいですから、この場所に対するこだわりみたいな物を持っている人も少なく無いんじゃないかなと」

「確かにそうだな、突然こんな馬鹿げた計画持ってこられても渋る所も多いだろうな」


 そこで、昴ちゃんがぽんと一つ手を叩いた。


「反対してる人たちを集めて、みんなであいつらをやっつけちゃおうって話ね」

「そうです。僕らだけでは対抗できなくても、反対運動まで大きくしてしまえば向こうも諦めるかもしれません」

「それなら、早速聞きに行ってこなきゃ」


 僕たちは相談の末、手分けして動くことになった。

 奥さんと昴ちゃんは、近所に知り合いが多いのを利用して、奴等がどのくらいの範囲で地上げを行なっているのか聞いて来てもらうことにした。

 その間のキツネ男たちの相手は僕と社長ですることにした。

 少しでも譲歩すると、付け込まれる可能性があるので、なるべく突っぱねるということで話を持って行くつもりだ。


 昼過ぎ、奥さんと昴ちゃんが連れ立って出て行った後、それを待っていたかのようにキツネ男たちが現れた。

 相変わらずのド派手な格好とニヤケ顔、しかも今日はご丁寧に菓子折り持参である。

 話し合いの内容は、こちらの目論見通り、売れ売らないの押し問答になった。


「あんさんも頑固なお人やなあ……しゃあない、また来まっさ」


 延々二時間近くねばった挙句、やや呆れた表情を浮かべつつ、キツネ男が席を立った。

 奴らが工場を出て、姿が見えなくなると同時に僕らは深いため息をひとつ吐く。

 全く進展の無い会話をこれだけ続けていても、奴らは疲れた顔ひとつ見せていない。


 対する、僕たちはソファから立ち上がる気力も残っていなかった。

 奴らのメンタルのタフさは、呆れるのを通り越して逆に賞賛したくなる。

 これは何とかしないと、早晩根負けするな。ぼんやりとそんな事を考えていた。


 夕方を過ぎた辺りに、奥さんと昴ちゃんが戻ってきた。


「あー、つっかれたー!」

「おつかれさま」


 昴ちゃんは帰ってくるなりソファに身を投げ出すように座ると、僕の差し出したグラスの水を一息に飲み干してしまった。

 かなり歩いたのだろう。態度には出さないが、奥さんの方も疲労の色が濃い。


「それでね、お父さん、唯野さん、聞いてくれる?」


 昴ちゃんと奥さんは、地図で見た範囲に入ってそうな家を片っ端から訪問してみたところ、ほとんどの家々で再開発計画に不満を持ち反対しているらしい。


『こいつぁいい、あいつらが来たら逆に囲んで脅してやったらどうだ?』

(ばか言うな、こっちは真面目に考えてるんだぞ)

『へいへい』


 こっちがそんな直接的な方法と取ってどうするんだ、それこそ相手の思う壺じゃないか。

 そんなバカな案は置いておくとして、数の力で対抗できるというのは、それだけでも話を有利に進めやすい。


「後は、その人たちがどのくらい協力してくれるかかな……」

「それも聞いてきたんだけど、何か行動を起こすなら協力するって人も多かったの、でも……」


 昴ちゃんは、ちょっと表情を曇らせる。


「みんな、誰かがやるなら協力するって感じで、誰も代表になるって人が居なそうなの」

「仕方ないよ、誰だって責任は負いたくないさ」

『根性の無え奴ばっかってこったな』


 【オレ】の声は、昴ちゃんには聞こえないが、概ね同じ事を言いたいのだろう。

 その一方で、事がこれだけ大きいとなると、責任を負いたくないという気持ちもわかる。


 今回の話は、持って行きかたを一つ間違えば、どうなるか予想もつかない。

 下手をすると、個人ではどうにもならない賠償になる可能性だってある。

 そんな火中の栗を拾うような真似は誰だって、御免こうむると言うのが正直なとこだろう。


「なんだ、そんなものワシがやれば良いだろ」

「お父さん!」

「あいつらに直接鉄槌を下してやれるんだろ? むしろ望むところだ」


 先ほどまでの疲労困憊ぶりはどこへやら、社長はそう言って豪快に笑って見せた。

 これは反対してみたところで、テコでも動きそうも無い。


 確かに職人気質の社長は、強気に出なければならない相手に対しては適任であるのは間違いない。

 ならば、僕がやる事は、それを全力でバックアップすることだ。

 どれだけ役に立てるかは、わからないが……。


『ま、お前さんならできるだろ。頭でっかちな作業は得意だろうしな』

(気楽に言ってくれる)


 僕は改めて、身が引き締まる思いだった。


 次の日から、社長、奥さん、昴ちゃんの三人は、反対する住人たちの取りまとめに奔走し、キツネ男の相手はもっぱら僕がすることになった。


 一日目……二日目……三日目……


 勤勉にも毎日やってくる奴らと、相も変わらずの押し問答の繰り返し。

 日にちを稼げば事態が好転するに違いない、それを頼りに折れそうになる気力を奮い起こす。

 そして、一週間が過ぎた頃、ついに待ちかねた援軍が到着した。


「……社長はん、こないな事されても困りますわ」


 キツネ男が、珍しく困ったような表情を浮かべて頬の辺りをかく。

 いま、僕の隣には社長が、そして反対派の中でも強面を選んできたのであろう男たちが五人ほど顔を並べていた。

 応接セットでは座る場所が足りないので、彼らはそれぞれ事務所から持ってきた椅子にどっかと座り、僕の後ろからキツネ男たちに睨みをきかせている。


 そして、テーブルの上に積み上げられた反対署名の束。

 昴ちゃんのアイディアで、枚数をできるだけ多く見せるために連名ではなく一世帯一枚の書類に署名してもらった。

 その十数枚の束が、奴らに有無を言わさぬ圧力をかけていた。


「これだけ反対意見があるんだ、少々考え直してはもらえないだろうか」


 努めて冷静に話す社長の言葉に、後ろの男たちが大きく頷く。

 どの顔も、絶対に譲らないぞという強い意思に満ちていた。

 キツネ男は署名の束を手に取ると、ぱらぱらと流し読みをする。


「ま、あんさん方の考えはわかりましたわ。ひとまず上に掛け合いますさかい、これは預かりまっせ」


 キツネ男は、持っていた鞄の中に署名の紙束をしまうと、それを手に立ち上がった。

 奴らに見せたのは、署名された原本では無くもちろんコピーである。

 持って行かれても、仮に破棄されたとしても何の問題も無い。


 それにしても、今日はやけにあっさり引き下がるんだな。

 僕は奴らの態度に、少々拍子抜けしていた。

 多勢に無勢と踏んだか、それとも別な理由があるのか……。


 僕の心配をよそに、奴らはその翌日からパッタリと来なくなった。

 社長や反対派の仲間たちは団結の勝利だと気勢をあげ、奥さんと昴ちゃんは胸をなでおろしていた。

 少々引っかかるところはあったが、それでも奴らに一矢報いたという事が、僕の心の不安を随分軽くしていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 団結して土地買収反対の署名を集めて、対抗するのは良い作戦ですね! でも代表には誰もなりたがらなくて、社長がなってしまう。 ちょっとここにドキリとしました。 このままでは終わらないだろうな……
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