11話 招かれざる客
僕が、この【オレ】との奇妙な共棲生活を始めて、数ヶ月が過ぎ、季節はすっかり冬の装いを見せてきていた。
いつものジャンパーでは肌寒さを感じる日が増えてきた気がする。
あの日、駅で助けた子供は、落ちた拍子に足首を捻挫した程度で、特に大きな怪我は無かったらしい。
僕も念のため病院で検査を受けたが、特に悪い所は見当たらなかった。
最初のうちこそ地方紙の記者や小さな雑誌記者なんかが写真を撮りに来たり、インタビューに来たりもしていたが、いつの間にやら来なくなり、今では平凡そのものだ。
仕事も慣れてきて、特に大きなトラブルも無く、【オレ】の方はたいそう退屈しているようだが、僕はこんな生活ができるだけ長く続けば良いなと思っていた。
そんなある日のことだった。
「はいはい、ちいと邪魔するで」
工場の入り口の方から、大きくは無いが、不思議と良く通る声が聞こえてきた。
返事をして出て行ってみると、そこには二人の男が立っていた。
どちらも今まで会ったことないと思う。
彼らの妙な風体は違和感どころではなく、一度見たらとても忘れそうに無い。
片方は背が高く、やや痩せ型。
寒さが増してくるこの時期に、上下ともに真っ白なスーツを着込んでいる。
それだけでも場違いだと言うのに、胸に差した赤いハンカチや真っ赤なネクタイが非常に目にうるさい。
少し長めの髪を後ろに撫でつけ、面長で釣り上がった細い目は、まるでキツネを思わせる。
そして、口元に貼りついたような笑みは、一見親しみやすそうに見えるが、決して本心から笑っていない事が一目でわかる。
このキツネ男の後ろに付き従っているのは、さながらゴリラ男といった感じである。
ずんぐりむっくりした体格で、力自慢であることは、ワイシャツを盛り上げた筋肉のラインでも容易にわかる。
悪趣味な紫のスーツを着込んではいるが、どう見てもジャージや体操着の方が似合いそうだ。
角刈りで丸顔、鼻の穴が大きめで、とても知性的とは言い難い雰囲気だ。
用心棒と言ったところか。
とにかく胡散臭い。そんな印象を与える二人組みだった。
「失礼ですが、どちらさまでしょうか?」
僕が露骨に警戒心を表しても、キツネ男の方は、気づいているのか居ないのか、全く意に介する様子が無い。
「おっと失礼、わてらこういう者やさかい、よろしゅうしてな」
キツネ男が真っ白い上着の内ポケットから名刺を差し出した。
不動産の営業……会社名に聞き覚えが無いのは、僕がこの業界に詳しくないせいだろうか?
不審感と嫌な予感が胸中に広がっていく。
彼らと社長を会わせてはいけない。
それは、直感ではあったが、確信に近いものだった。
「社長はんは、おりまっか? それとも、あんさんが社長はんでっか?」
「いえ、違います。社長はただいま……」
「唯野くん、お客さんかい?」
ひとまずお引き取り願おうと断りの言葉を口にしようとしたが、それより先に声を聞きつけた社長が奥の作業場からひょっこり姿を見せた。
「そちらが社長はんですな、お初にお目にかかります」
僕の驚いた表情を読み取ったのか、はたまた別の理由か。
キツネ男は、大仰なジェスチャーと共に、全く迷うことなく社長に近寄っていく。
奇抜な格好と馴れ馴れしい態度に、社長も困惑気味だ。
「今日は社長はんに、ええ話を持ってきたんや。きっと驚きますよって」
キツネ男は、社長のそんな態度など意にも介さない。
相変わらずの変な喋りかたで、強引に話を持って行く。
「まあ、お話はお伺いします。すまんが、唯野くん同席してくれるか」
「もちろんです」
社長に促され、四人はそれぞれ応接セットに向かい合わせに座る。
腰を落ち着けるなり、キツネ男は持ってきたカバンから何か大きめの角型封筒のような物を取り出した。
「社長はんもお忙しいやろ思て、全部こっちでまとめて来ましたわ、まずはこれ見てくれまっか」
「ああ、すまんが、その前に」
早速はなしを進めようとするキツネ男を社長が手で制した。
「なんでっか?」
「その話し方はなんとかならんかね? 方言というわけでも無いんだろう? 小馬鹿にされているようで、どうも信用できないんだが」
訪問してきた以上、客として招き入れてはみたものの、こういうふざけ方が好きではない社長は、露骨に不快な顔をしている。
それはそうだろう、このどう聞いてもエセな関西弁もどきは、僕が聞いててもイライラしてくる。
「お初の方には良く言われますわ。えろうすんまへんなあ、これはポリシーですねん」
「ポリシー?」
「せや、営業に一番大事な物、なんだかご存知でっか?」
はて、なんだろう?
おおよそ真っ当な営業職とはかけ離れた男から飛び出した質問に、僕は首を傾げる。
「それは、インパクトや思てますねん」
あまりにも意外な答えに、社長が呆気にとられた顔をした。
それはそうだろう、TVに出てる芸人じゃあるまいし、ビジネスである以上、もっと重要な事があるはずだ。
「知ってまっか? 人は第一印象が九割言いますねん。それだけぱっと見の印象は大切ってことですわ。わては見ての通り顔に特徴がありますさかい、あとは服装とこの喋り方でインパクト抜群ちゅうやつですわ」
キツネ男は、得意げに着ているスーツの襟を、ちょいと引っ張って見せる。
「自慢じゃおまへんが、わい、初めて会うた人に顔忘れられた事ありまへんのや」
「まあ、そうでしょうな」
社長は、まるで苦虫を噛み潰したような顔をしているが、キツネ男は、わが意を得たりと言わんばかりの満面の笑みだ。
確かに第一印象はすごい。忘れようにも忘れられない。
しかし、これが「胡散臭い」というマイナス印象では本末転倒だろうと思う。
開いた口が塞がらない。
「おっと社長はんが、あんまり良い質問投げてくれたさかい、脱線しましたわ。お仕事の話にしましょか」
キツネ男は、先ほどの封筒から、がさがさと紙束を取り出す。
どうもペースが掴みにくい。
「まずはこれを見てくれまっか?」
キツネ男が取り出した小冊子のような物を受け取った社長が、ぱらぱらと中身を見た。
緑がいっぱいの公園、郊外型の大型店舗、その他アミューズメント施設。
カラフルなイラストに彩られたそれは、希望いっぱいの綺麗な見た目で、TVのCMか、さもなくば観光雑誌のスポット紹介のようなものだった。
「な? きれいでっしゃろ?」
「ああ、そうだな」
「利便性も文句無しやで」
「確かに便利そうだ」
社長が頷く。
「わてらに任せてもらえれば、ここいら一帯がこうなるって寸法や。な? すごい話やろ?」
「……は?」
社長と僕は揃って間抜けな声を出してしまった。
ここら辺は、住宅街としても結構歴史のあるところだ。それなりに空きもあるが、こんな巨大施設を作るスペースなど見た事が無い。
「察しの悪いお人やなあ、要するにここらを買い上げて、わてらの会社で再開発しよて、そういう話や」
あんまりにも唐突すぎて、まだぴんと来ない。
そんな呆気にとられた表情の僕と社長の様子にはお構いなしに、キツネ男は封筒からさらに数枚の紙束を取り出した。
「これがここの敷地の見積り、ちゃんと測量しましたんや。ほんでこっちが契約書や、よっく確認したってや」
社長と僕の前に、キツネ男が次々と書類を並べていく。
どこから手に入れたのか、敷地内に隣接してる、この工場と社長の自宅の間取り図面から金額の詳細な見積もり。
さらには、サインを入れるだけの段階まで記入済みの契約書まで用意されていた。
「つまり何か? きみらは、こんな突然やってきて、ここの土地を売れとそう言いたいのか?」
「せや、ようやくわかっていただけたようでんな」
キツネ男は、相変わらずの笑みをその顔に貼り付けている。
しかし、その表情は先ほどまでの親しみを込めたものではない。
侮蔑を含め、明らかにこちらを見下した目だ。
社長の顔色がみるみる変わっていく。
「帰れ!」
まるで建物を揺らすような社長の一喝を受けても、キツネ男は全く動じる様子は無い。
広げた書類を悠々と封筒に戻すと、それをそのままテーブルに置いてゴリラ男と共に立ち上がる。
「ま、今日は顔見せや、また来ますさかい、気が変わったらいつでも声かけてや」
「ふざけるな! 二度と来るな!」
「おお怖わ、ほんじゃ失礼しますわ」
キツネ男が用事は済んだとばかりに、とっとと工場を出て行った。
と、その時だ、後に続いていたゴリラ男が一瞬だけこっちを向く。
決して鋭くは無い、が有無を言わせぬ圧力を持った視線は、烈火の如く怒っていた社長が一瞬ひるむほどだった。
『なんつか、変なやつらだったな』
(ああ、そうだな)
『しっかし、あの後ろのやつ、ありゃあやべえ目してやがったな』
【オレ】の言うとおりだ。思い出しても寒気がする。
自分の意に沿わない相手には、簡単に倫理の一線を越えてきそうな、そんな目だった。
と、テーブルの上に残された封筒が目に留まる。
おそらく社長は怒りに任せて捨ててしまえと言うだろう。
しかし、どう考えてもこれで終わりとは思えない。
万が一のために保管しておいた方が良いかもしれない。
僕は心の中に暗澹とした雲が広がっていくのを感じていた。




