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01話 突然のメール

 開けっぱなしのカーテンの向こう、ビルの谷間に夕陽が落ちていく。

 赤く灼けた部屋の角で、僕は時間の流れるままに壁に頭を預けていた。


 もう何もしたくない。

 空っぽの時間と空っぽの自分。

 触れずとも塵になってしまいそうな、唯野 誠一郎という名前の器。

 ときどき、涙だけがひとりでに流れ落ちて、乾いていく。

 壁のカレンダーもあの日から止まったままだ。

 何度、陽が沈んでも明日はこない。


「……きょうこ」


 乾燥した喉からこぼれた名前はひどく掠れていた。

 ふと彷徨わせた視線の先、チェストに飾った写真立てが目に入る。

 僕と響子が並んで笑ってる写真。

 あれは、遊園地に遊びに行った時に撮ったものだったな。

 これからも楽しいことがたくさんあると思ってたのに。


 響子と初めて出会ったのは、大学に入ってすぐの頃だった。

 ショートカットで活発な彼女は、構内でいつもキラキラと輝いていた。

 地味で優柔不断な僕は、思い切りが良くて判断の早い響子に随分助けられたっけ。


 気付けば一緒に居て、いつも自然に振舞えて、すごく居心地が良かったんだ。

 両親も既に他界して、近くに親戚も居ない僕は、彼女だけが全てだった。

 卒業の時に将来を誓い合って、結婚資金を貯めるために必死で働いた。


 それなのに、彼女は事故で呆気なく僕を置いていってしまった。

 もう手が届かない。


 気道が詰まり、窓の景色がくしゃりと歪んだ。

 俯いた僕は、顔を膝に埋めて、声もなく泣いた。


 やがて真っ赤だった部屋が、だんだん青に変わっていく。

 もう何日こうしてるんだろう。いつまで続くんだろう。

 僕と響子の間に明けない夜が横たわっていた。


 そしてまた、押しつぶさんばかりの闇が襲い掛かってくる。

 息をするのも苦しくて、大きく喘いだ。

 誰か、誰でもいい……ここから出して。


 助けを求めたその時、まるで手を差し伸べるかのように軽快な電子音が静寂を打ち破った。

 スマホにメールが届いたようだ。


 ケースから漏れるわずかな光に縋りつくように、傍らに打ち捨てられていたスマホを手にとった。

 画面には新着メールの表示があり、慣れた操作で指が勝手にメールを開く。


 差出人は株式会社プレシャス・スタッフとある。

 テレビのCMなんかでも見る、結構大きな会社のはずだ。

 重要なお知らせという、ありきたりなタイトルが付いており、その下にはメールの本文が続いている。


『唯野誠一郎さま

 さわやかな秋晴れの季節がやってまいりました。

 あなた様の心にも晴れ渡る青空を提供いたしたく、弊社のイベントをご紹介させていただきます。


 このメールは、さる○月×日に沢渡 響子さまが轢き逃げ事故に遭われた件につきまして、そのご遺族ならびに関係者の方々のみに送信させていただいております。

 沢渡さまのご逝去につきまして、謹んでお悔やみ申し上げると共に、ご冥福をお祈りいたします。


 残されたご遺族さまにおかれましては、弊社には推し量れないほどの無念の情をお抱えかと思われます。

 そこで我々は、ご遺族さまのご無念を晴らし、立ち直るための応援をさせていただきたく、憎き加害者に裁きを下すための場をご用意いたしました。


 本件の加害者である寺島 圭司は、警察より弊社に身柄を引き渡され、拘束された状態にあります。

 確認は、添付させていただきました写真から行うことが可能です。


 当イベント中には、加害者は一切抵抗できませんので、どのような方でもご参加可能です。

 詳しい内容につきましては、来社時にご説明させていただきます。

 ぜひ、奮ってのご応募をお待ちいたしております』


 なんの連絡だろう?

 文字は読めるんだけど、頭がさび付いたのか意味がうまく入ってこない。

 どうもイベントのお誘いのようだけど、重要そうには見えないな。


 頭を振って、もう一度最初からゆっくり読み返してみた。

 もう一回……二回。

 何度も読み返すにつれ、自分の口元が引きつっていくのを感じる。


 とても信じられない。

 響子を轢き逃げした、あの許しがたい男に、僕の手で復讐ができる。

 どう読んでも、確かにそう書いてある。


 このメールは本物だろうか?

 こんなダイレクトメールまがいの物、普通に考えたらイタズラの可能性が高い。

 だけど、万が一これが本物だというのなら。


 鼓動が早くなっていく。

 なにか、信用できる手がかりは無いものだろうか。


 そういえば、添付の写真を確認して欲しいという記述があったな。

 僕は、メールに添付されている二つのファイルを開いてみた。


 一枚目は、明るく笑う響子の写真だった。

 もう居ないのかと思うと、胸がずきんと痛む。

 差出人が事件の被害者を把握しているという確認の意図だろうか、写真自体は僕も見たことがある物だ。


 続いてもう一枚の写真を開いた僕は、その画像に目が釘付けになった。

 殺風景な灰色の部屋で、手足を縛られ身動きできない状態で転がされている男が一人。

 顔だけをこちらに向けて睨みつけているこいつは、忘れようにも忘れられない。


 僕と響子の幸せをぶち壊した男だ。

 もう思い出したくない、彼女を失った日のことが溢れるてくる。



 あの日は仕事が早めに終わって、その帰り道に反対側の歩道を響子が歩いているのを見つけた。

 僕はなんて幸運なんだろうと思いながら、彼女に向かって手を振ってみた。

 響子も僕に気付いて、近くの横断歩道を渡ってくる。

 押しボタン式の信号は確かに青だった。


 突然ひびく耳障りなブレーキ音。

 一台の車が、明らかに停まりきれないスピードで横断歩道に突っ込んでくる。

 ドンと大きな音がした。

 ボンネットに一瞬乗り上げるようになった響子の身体が、道路に投げ出される。


「響子!」


 彼女は気を失っているのか、倒れたままぴくりとも動く様子はない。

 何が起きたのか、とっさにわからなかった。


 横断歩道を通り過ぎて、ようやく停まった車の窓が開き、ドライバーがこちらを見た。

 派手な髪色をした若い男だ。

 大変なんだ、たのむ、手を貸してくれ!

 息が苦しい、声にならない。


 倒れたままの響子を確認した男は、焦った顔をして車を急発進させ、そのまま走り去ってしまう。

 待ってくれ、なんで行ってしまうんだ。


 なんとかしなきゃ! なんとかしなきゃ! 早くしないと響子が!

 手が震え、足が竦んで、その場から一歩も動けない。

 こんなの嘘だ、なぜ、どうして!


 周りで誰かが騒いでいる声が耳に届く。

 どうした、大丈夫か! 事故だ、早く救急車を!

 口々に叫ぶ声が、わんわんと頭に響いてくる。


 響子の周りに人だかりができている。僕も早く行かなきゃ。

 こんな時だっていうのに、なんで僕は動けないでいるんだよ。

 焦るばかりで、力の入らない手足は一向に言うことをきかない。


 突然ぐらりと地面が揺れたような感覚がして、目の前が真っ暗になる。

 遠くでパトカーと救急車のサイレンが鳴り響いていた。


 そこから先は良く憶えていない。

 気が付くと、僕は病院のソファに呆然と座っていた。

 そうとう動転していたようで、どうやってここまで来たのか記憶が定かじゃない。


 響子はICUに運び込まれ、連絡を受けて駆けつけた彼女の両親もそれに同行している。

 なんでこんなことになってしまったんだ……僕が声をかけたりしなければ……。

 迂闊さと後悔の念に苛まれ、顔を上げることもできない。


 どうか助かってくれ。

 僕にできることは、ただひたすらに祈ることだけだった。

 だが治療の甲斐もなく、一度も目を覚ますことなく彼女は旅立ってしまった。

 音もなく世界の全てが崩れ去った。

 泣いて、泣いて、泣き疲れて。

 嗚咽も出なくなった僕に残されたのは、身を焼き尽くすほどの怒りだった。


 響子を撥ね、あまつさえそのまま逃げ去った男を絶対にこのままにはしておけない。

 運転席から見えたあの顔は、しっかりと目に焼きついている。

 たとえ地の果てだろうが追い詰めて、自分のしたことを後悔させてやらなければ。

 決して許してはおけない……。


 しかし、運命の巡り合わせは、それすら僕に許してくれなかった。

 事故現場には衝突の際に破損した部品などが散らばっており、警察はそれを手がかりにあっと言う間に逃げた男を確保してしまった。

 僕はまだ、何もできていないというのに。


 警察にも問い合わせてみたが、相手が未成年だったらしく、名前は教えられないと取り付く島もなかった。

 せめて結婚して家族になっていれば対応も違ったかもしれないが、婚約者ではまだ他人も同然だ。

 響子の両親なら聞いているかもしれないと思ったが、あの病室での悲痛な顔を思い出すと、どうしても電話を手に取れなかった。


 ともあれ、この男に残された道は、法に則って罪を償うことしかない。

 裁判で量刑を決められ、しかるべき所に送られるのだろう。


 だが、その後はどうなる?

 たぶん十年かそこらで、何食わぬ顔で社会に戻ってくるだろう。

 未成年であれば、写真も名前も公表されないのだから、復帰のハードルも低い。

 あんなマネをしておいて、全て忘れて就職して結婚して子どもを作って……。

 こんな理不尽なことがあるか!


 響子は病院の片隅で冷たくなった。どんなにか無念だったろう。

 それなのに、あの男は人権の名の下に法律と警察に守られるのだ。

 被害者遺族が、どんなに怒りの声を上げようと、それが届くことはない。


 この差はなんだ、バカにするな!

 気も狂わんばかりに湧き上がる怒り、だがこの拳を振り下ろすことは叶わない。

 容赦なく襲い掛かってくる絶望に、僕は抗う術がなかった。



 化膿した傷のような記憶を振り払い、僕はスマホの画面に向かった。

 あの日に置き去りにされたはずの怒りが、写真を見ているだけで甦ってくる。

 僕から響子を奪っておいて、なんだその不服そうな顔は!

 反省の色も全く見えないじゃないか。

 やはりこいつを絶対に許すわけにはいかない。


 参加費用は前金で二百万と書かれている。

 本物であるならば惜しくは無いが、内容も内容だ。

 踏み込むには、ある程度の確信が欲しい。

 慎重に判断しなければ。


 まず、このメールがただのイタズラや無作為に出しているダイレクトメールではない事は明らかだ。

 写真もそうだが、本文の頭にハッキリと僕の本名が書かれている。

 しかもインターネット上で使用するようなハンドル名ではないということは、このメールを送ってきた相手は僕の事情を知っていて、明確な目的を持って送ってきたということになる。


 差出人のメールアドレスはプレシャス・スタッフが代表で使っているものと同じドメイン名だが、これは偽装が可能だと聞いた事があるな。無条件に信頼するのは危険かもしれない。


 となると、やはり一番の判断材料になりそうなのは、あの男の名前か。

 いまどき、警察がこんな乱暴な扱いをするわけはないし、もし写真が流出しようものなら大問題だ。

 そんなリスクを負うわけがない事を考えれば、この男の身柄がプレシャス・スタッフの手に渡っているのは間違いないだろう。

 ならば、奴が本当に寺島 圭司という名前ならば、プレシャス・スタッフは警察が本来秘匿すべき情報を持っているということになり、メールの信憑性もぐっと上がる。


 何か写真と名前を紐付ける情報はないだろうか。

 ためしに写真を拡大してみた僕は、男の傍らに何かカードのような物が落ちているのに気付いた。

 これは……運転免許証だろうか?

 おそらく本人確認のために置かれたものなのだろうが、写真の解像度が低くて、ぼやけてしまっている。


 これが本物だという確認が取れれば決定的なのだが、おそらく参加の意思表明をしなければ難しいだろう。

 参加未定の相手においそれと漏らすような情報とは思えないな。


 参加すると書かれたボタンの上に指をかけようとして、また戻す。

 スマホを持つ手が震えて、取り落としそうになるのを慌てて掴みなおした。

 押してしまっても良いのか? 押したら引き返せないぞ。

 なにを言っている、待ち望んだチャンスじゃないか。指をくわえて見逃すのか?


 固く目を瞑り、葛藤を振り払い、僕はボタンを……押した。

 全力疾走したような荒い息をつくと、僕は目を開ける。

 スマホの画面には、お申し込みありがとうございますと表示されていた。


 押してしまった。

 これで良かったのかと考える間もなく、スマホが新たなメールの着信を告げる。

 プレシャス・スタッフからの確認メールだった。

 とうに業務も終了したであろう夜中だというのに、やけに対応が早い。

 コンピュータから自動返信するシステムなのだろうか。


 内容は、お定まりの挨拶文から始まって、本社ビルの住所、受付可能な日時、手順、受付IDと続いている。

 脅し文句の一つも書かれているかと思ったが、最低限必要なことしか書かれていない。

 まず本社ビルに出向いて受付て、参加費用の支払い方法はそのときに説明があり、実施の日取りは入金を確認した後に連絡があるらしい。

 とにかくまずは運転免許証の話を聞いてみる必要がある。

 受付は明日でも大丈夫そうだな、夜が明けたら早速行ってみよう。


 逸る気持ちを抑えきれず、やみくもに部屋を行ったり来たりする。

 身体に気力が満ちてきて、とても眠れるような気分じゃなかった。

 こんなに夜明けが待ち遠しいのは久しぶりだ。


 そこで、ふと鏡が目に入って驚いた。

 こけた頬に無精ひげだらけ、落ち窪んだ目でこっちを見返してる顔は、とても人に見せられたもんじゃない。

 まずは、身だしなみだ。風呂に入ってそれから髭を剃ろう。行くときには、きちんとスーツを着たほうが良いかな。

 僕は、高揚した気分のまま準備に取り掛かった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 圧巻です。言葉選びがとても上手くて、惹き込まれました。 わたしは最近小説を描き始めたのですが、自信を無くしかけているところです← 参考にさせていただきます!!
[一言] 第一話から続きが気になっちゃいますね(*´艸`) しかも身近で起こる交通事故、ひき逃げ、反省の色がない加害者。法治国家であるが故に晴らせない無念、いろんな感情が混ざった誠一郎の気持ちに共感し…
[良い点] 主人公「唯野誠一郎」さんの 心理描写に、ぐぐっと 引き寄せられました。 婚約者を轢き逃げ事故で失ったのが 自分だったとしたら。 誠一郎さんと同じように 後悔、絶望、自責、悲哀に 打ちの…
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