[エッセイ]絵と文字 デジタルとアナログ
美術館に行っても
心に刺さらないことがしばしば。
どうしてだろうと考えてみたら
絵とタイトルを同時に見ていたからだと分かった。
絵から空想する間も無く
こちらの心の前提関係なく
作者はこうやって考えましたよと
タイトルを突きつけられ、それにより
絵の意味が縛られてしまう様子は
大人になったときの気持ちに似ているね。
否応なくタイトルをつけて合理化。
わたしにとっては
空想の余地を残すことが大事だなあと思った。
なくしたものはとりかえせるのかしら。
絵の意味をひとつの言葉で縛ることは困難。
ひとつの言葉は包括さをあまり持っていないから。
でも、言葉は連ねると彫刻で彫っているような
清々しさで心を刺すことができる。
言葉にならないときは、言語以外のもので
表現することが必要だけど。
さらに言葉にはデジタルとアナログがある。
アナログ=手書きは、すこしだけ絵の意味も込められる。
弱々しく[楽しかった]と書いたら切ない印象になるのは、言葉以外の意味を強く感じるから。
デジタルとアナログでは
脳の使い方がなんとなく違う気がする。
より脳がしっくりくる方法で
物事を伝達する過程を重要視しているからかなあ。
伝えたいものや、与えたい印象によって
伝達手段を考えることもよいけど
自分の本能にしたがって
伝達手段を変えることも大切かなあと
感じるこの頃。
おしまい