病魔拠点での日常
一月某日 朝
拠点での朝は早い。大体、夜明け頃に起床する。まずは昨日のままのTシャツを着替えて、顔を洗い、そして台所へ向かう。
拠点では、私以外に家事をする者は居ない。結構な負担だ。それが分担なのだから不平は言えないが。
怠い身体を引きずって、いつもの錠剤を口に放り込み、水で流し込んだ。ストーブのスイッチを入れて、冷えた身体を少しだけ暖める。
次は朝食の支度だ。まずはサラダを作り、3人前盛り付ける。スクランブルエッグも作った。
「おはよ、リュウ」
一番質の良い睡眠をしてそうな、あいつが現れた。
彼女の名前は、夜音川 舞桜。何年か前、舞妓として稽古に通っていたらしい。現在はニート。その容姿は大和撫子そのもの、艶のある黒髪が、白い肌を引き立たせている。要するに、私よりかは遥かに美人なのである。
「ああ、ヨネガワか。おはよう」
ブランケットを羽織った彼女に、ストーブの前を勧める。
朝のニュースは、大抵気分の良い物ではない。一通り殺人だの強盗だの騒ぎ立てると、天気予報が始まった。
「寒い。1月だからまだまだ真冬よ……」
青ばかりの液晶を見つめて、彼女はやや機械的に呟いた。パステルカラーのネグリジェは、彼女の真黒い髪と少し不釣り合いだ。
「外に出なきゃいい。この森に、雪の中わざわざ出掛ける程の価値が果たしてあるかどうか」
「その厭世的な物言い、何とかならないの?」
呆れたヨネガワに、嫌味たっぷりの目線を浴びせられた。
「厭世的じゃない。無駄に感情移入したって、後々面倒な事になるだろう」
そもそも、と彼女の喋り方について文句を言おうと思ったが、朝からブルーになりそうなので止めた。
「お前さ、そろそろ働けよ」
……そう言う私も、今はバイトの一つもしていない。数年前までは、図書館司書だったのだが。
「やーだ。街までの道わかんなーい」
本気で怒るぞ、とまた文句が出かかったが、深呼吸で飲み込む。
「方向音痴を言い訳にするな、ニート」
「舞妓どすぅ」
あぁもううるさいな、と文句を……もういい。
「じゃあ働け。殆どひかげの稼ぎだろ」
「感謝しているどすえ」
「感謝で働けどすえ」
「感謝で死ぬどすえ」
小さく溜息をつく。
「シブヤだかアキバだか知らねーが、そこらの外国人に写真撮らせて、金ねだればいいだけだろ」
「かわいそうな旅行客さん」
「反吐が出る」
目を合わせずにぼそぼそと話すヨネガワに苛々する自分に、また苛々する。
出来上がった朝食を、まだ暖まっていない食卓に運んだ。そして、彼を起こしにかかる。
「食べとけよ。行ってくるから」
「いってらー。……どすえ」
廊下の冷気に震えながら、ひかげの部屋まで大股で歩いた。
「ひかげ」
寝相の悪い彼……大狗 ひかげの身体を揺さぶる。少し長めの白い髪がふわりと揺れた。その肌は、締め切った部屋に似合わない程に白過ぎる。
「ひかげ、朝」
「……あぁ」
ゆっくりと瞼を開き、覗いたのは淡い紫色の瞳。
「あぁ、リュウ、今日もこんなゴミ屑の様な僕のためにわざわざ貴重な時間を割いてまで寒い中仄暗い部屋まで足を運んで……」
どうやら、まだ寝ぼけているらしい。実に自虐的な言葉を遮りたいが、強い力で肩を掴まれ、そんなの出来る訳が無い。
「そう思うなら無闇矢鱈と人に触るな」
「あぁ、不快にさせてしまった。こんな僕なんてどうせ……」
「いいから起きろっつーの」
情緒不安定な彼を引き剥がし、そそくさと部屋を出た。
「朝食冷めるから。いい加減にしろ」
「ごめんごめん」
少し落ち着いたのか、自虐の言葉は引っ込んだらしい。
「じゃ、あともう一人、起こしてくる」
そう言って、向かいのドアを開く。が。
「……またかよ」
昨晩はきれいに布団にくるまっていたはずの彼女は、シーツのミイラと化していた。
「起きろ、シャム、起きろ」
こいつはまったく、ひかげより酷い寝相だ。昨日、よく髪を乾かさなかったのだろう。赤茶色の髪は棘だ。
「起きなさいな……ほら」
ぺしぺしと頬を叩くと、彼女はようやく重い瞼を開く。そして無言でシーツを剥がし、無音で居間に向かった。
「……ハァ」
溜息をつき、私も居間に向かう。
ダイニングテーブルには、ヨネガワ、ひかげ、シャムの三人が仲良く朝食を食べていた。私など気にもせず。
「あ、リュウ。ドレッシング無くなった」
私に気付いたヨザクラは、不満気に呟く。
「お前が使い切ったんだったら買って来い、ニート舞妓」
「それ矛盾してるって……どすえ」
それでも、誰も私に“買って来い”と言わないのは本当に有難い。大して歩けないこの脚じゃ、森を抜けるのも一苦労だ。
「じゃあ、四人で食べよう」
機嫌の悪い私に椅子を勧めるひかげ。
「ありがとう」
自分の作った(冷め切った)朝食に手を付ける。
「朝から嫌なニュースばっかりどすえ」
ヨネガワがまた不満気にぼそぼそと呟いた。
「不景気だしね。他人の不幸は蜜の味どす」
「食いながら喋るな」
二人とも歳は同じはずだが、幼く見えるのは気のせいか。
「シャムちゃーん、起きてまっか?」
一方、シーツミイラの彼女、シャムはまだ眠っているようだ。ヨネガワの声も聞こえていないようで、明後日の方向をぼんやりと見つめている。
「……あ」
「やっと起きたどすえ」
ようやく、真っ黒の瞳に光が宿ったようだ。
「……おはよ」
気怠げな彼女も起きて、ようやっと拠点での一日が始まる。
「ひかげ、今日の仕事はどうなんだ?」
「10時には帰るよ。そろそろ着替えなきゃね」
「ああ」
「いってらーどすえ」
平日は毎日バイトのひかげは、いつも朝と夜、たった数分しか顔を合わせない。
「じゃあ、着替えてすぐ行くから。じゃあね」
いつも通り、少し残った主菜。
「……気を、付けて。ね」
まるで言葉を話すのが億劫かの様に、彼女はそっと口を開く。それもそうか。彼女が中東から遥々この国へやって来てまだ3年、ようやくこの言語にも慣れ始めた頃だろう。
「ねぇ……わたしから二人に提案があるんだけど」
朝食を大体食べ終わった頃、ヨネガワが口を開いた。
「何だ? また三人王様ゲームか?」
一ヶ月程前、ヨネガワに提案されたそれは正に地獄そのもの……思い出さないようにしようか。
「いや、そうじゃなくて……、出掛けない?」
「え……?」
シャムが食いついた様だ。身を乗り出している。
「街に行こうよっ、ね?」
「二人で行って来いよ。私は待ってるから」
今の体力では、都会を歩くなんてとてもじゃないが無理だ。それにはある深い理由があるのだが……
「だから、三人で行きたいの! いつもリュウ留守番でしょ、歩けないなら猫車にでも乗せて引っ張るからさ」
「やめろっ、小っ恥ずかしい」
「シャムも三人で出掛けたいでしょ?」
「えっ……と、うん」
少し戸惑ってから、おもむろに頷くシャム。
「いやいやいやいや……冗談だろ? そもそも、街へ行ったところで何するんだよ」
「ドレッシング買おうか?」
「ならお前らで行けよ……」
無理無理無理無理……。
「リュウさん、ずっと、森出てないし……」
シャムまで乗り気だ。これは困る。
「私はいいんだよ……本当に」
「リハビリも兼ねて、行こうよ、リュウ」
それから10分程口論が続き、見事に私は言い包められてしまった。
「……わかったよ、行く、行けばいいんだろ?」
「っしゃあああっ!」
拳を突き上げるヨネガワ。
「リュウさん、よかった……」
目尻を下げて笑うシャム。
未だ10kmすら歩けない私。
「リハビリ、ねぇ」
ここは一つ、頑張るしかない。