10、野菊の花
10、野菊の花
笠井の実家は取り壊されていた。 菊池が、調査を依頼した探偵の調べによると、跡地は、長男である笠井氏が死亡した為、現在、友美の身元引受人である次男に、名義は相続されており、その後、会社の負債と相殺されて売却。 土地は、不動産業者に渡ったとの事。 菊池たちが訪れてみると、跡地は区画整理され、分譲地として売り出されていた。
近くにある民家の庭先で、農作業をしていた老婆に聞いたところ、少し先に行った所に笠井家の墓所があるという。 2人は、そこへ向かった。
「 友美ちゃんの出生届けは、この村役場では出されていない。 誕生日と、施設の託児委託契約書の日付けを見ると、1週間くらいしかずれていないから、産まれてからすぐに預けられたんだね 」
郷中の、曲がりくねった細道を歩きながら、菊池は言った。
「 なぜ、孤児として預けたのか、なぜ引き取った後も、孤児として育てたのか・・・ う~ん・・ 判らないな・・・ 」
大きな旧家前を通り過ぎ、ビニールハウス群の間の道を進みながら、菊池は続けた。
「 戸籍上は孤児だが、本来なら、実の子供である友美ちゃんが、笠井製薬の正統な相続人だよ。 亡くなった洋子さんが生きていたとしても、笠井氏の再婚相手の連れ子だからね。 遺産も、多少は貰えていたかもしれないよ? 」
「 そんなものに、興味はありません・・・ 」
傍らを一緒に歩きながら、友美は答えた。
ポーチに、そっと手を添えると、自分の推察を確認するように、友美は菊地に話した。
「 この、お母さんの手紙を読んで思ったの・・・ お父さんは、真面目に新薬の開発をしていたと思うわ。 出来上がったその薬は、きっと、とても自信のあるものだったんじゃないかしら。 だからお母さんにも投薬したのよ。 でも、結果は良くなかった・・・ 多くの犠牲を出して・・ お母さんまでも、失ってしまった。 お父さんは、私を見るのが辛かったと思うわ・・・! 自分を責めて・・ 悔やんでも悔やみ切れない気持ちになったでしょうね。 もう少し待てば・・ せめて、臨床結果が出るまで待っていれば・・ って。 だから私を遠ざけたのよ。 私とお母さんの記憶を、封印したかったのよ・・・ 」
ポツリ、ポツリと、自らの想像をつなぎ合わせるように言う、友美。
しばらく間を置いてから、菊地は答えた。
「 うん・・・ いかにも友美ちゃんらしい、優しい考えだね。 賛成だ。 事実、ホントにそうなのかもしれない。 笠井氏は、確かに晩期、ビジネスにのめり込んでいた節があるが、奥さんにまで人体実験を施すような人格の人であったかどうかは、定かではない。 逆に、奥さんを救おうと思って、やった事なのかもしれない 」
野鳥の鳴き声が、時折、辺りに響く。
2人は、道祖神のある小さな曲がり角を、竹林の方へ入って行った。
友美は言った。
「 お母さんは、お父さんを尊敬していた・・・ 私は、そんなお母さんの純粋な気持ちを、大切にしたいの 」
「 ・・そうだね。 当事者がみんな死んでしまった以上、その過去を確信する手立てはない。 結果は、いずれにせよ悲しい結末になってしまったけど、本人たちへの追悼の意も含めて、そうしておこうよ 」
竹林を抜けると、山の斜面に出た。 石垣で組まれた小さな敷地に、一群れの墓が並んでいる。
「 ・・これだ。 笠井家の墓地だ。 随分、歩いたなあ・・ さっきのお婆さんの話じゃ、すぐ近くのような言い方してたのに 」
菊地は、墓所入り口にある大きな石に手を掛けて、一息つきながら言った。 友美は疲れも見せず、早速、墓に刻んである名前を確認し始めている。 かなり古い墓もあるようだ。 長い風雨により、碑銘が読み取れないものもある。 しかし、母親が亡くなったのは、少なくとも約17年ほど前の事だ。 そんなに古い話ではない。
友美は、比較的、新しい墓石を選んで探した。 菊地も、手近にあった墓石から碑銘を確認し始める。
「 お母さん・・・ お母さん、どこ? 友美です・・ お母さん・・・! 」
友美は、ひっそりと立ち並ぶ墓石の間を歩きながら、墓石の1つ1つに呼びかけるように母を呼んだ。
「 どこにいるの、お母さん? 友美です・・ お母さん・・! 」
今まで、母を呼んだ事は、一度も無かった。 ・・でも、今は呼べる。 菊地も今、生まれて初めて、友美が母を呼ぶ事が出来た事に気付いた。
( 友美ちゃん・・・ )
何度も何度も、母を呼ぶ友美のその姿に、菊地は、迷子になって母を捜す子供の姿を重ねていた。 母を呼ぶ、そんなたわいも無い事すら、今までの友美には出来なかったのだ。 無心な友美の姿が、痛々しくさえ見え、目頭が熱くなるのを覚える菊地であった。
そんな菊地の目に、『 澄子 』という文字が映った。 比較的、新しい墓石である。
「 友美ちゃん・・・! お母さん、ここにいるよ・・・! 」
菊地は、友美を呼んだ。
友美は、遠くで振り返り、しばらくじっとしていたが、おもむろに歩み寄り、やがて小走りに、菊地が指す墓石の前に駆け寄って来た。
御影石で出来たその墓石は、先祖代々ではなく、母、澄子の為に建てられたものであった。 享年27才、とある。
「 ・・・お母さんっ・・・! 」
友美は、墓石に抱きつくようにして、その場にうずくまった。
「 お母さん、友美です・・・! やっと逢えた・・・! お母さん・・! 私・・ 寂しかった・・・ 」
後は、言葉にならなかった。 菊地はそっと、その場を外し、墓所の外へ出た。
・・・竹林の枝葉が風にそよぎ、心地良く鳴っている。 静かな墓所だ。 故人に逢うには、最適であろう。 菊地は、タバコに火を付けた。
西に少し傾いた日差しが、墓に寄り添い、泣いている友美を照らしている。 その情景を眺めながら、菊地は思った。
( ・・今、友美ちゃんは、お母さんに抱かれている。 出来る事なら、このまま全てが終わって欲しい。 街に帰れば、また、力との共存が待っている。 大館らとの対立も、今のまま平穏無事に済むとは思えないし・・・ )
菊地は、これからの、友美の未来を憂えいていた。
( 最大の力を持ったとされる小沢ユキには、未来が見えていたという・・・ この先、あの友美ちゃんに、心休まる未来はあるのだろうか。 出来るものなら、知りたい・・・! これ以上の試練は、あの子にとって限界だ。 精神的にも、堪えるものが多過ぎる )
他人に心配を掛けまいと、務めて気丈ではいるが、実際は、か弱い普通の女の子だ。 菊地には、新たな展開があるたびに、友美の心が悲鳴を上げているのが、手に取るように分かるのだった。
30分ほども経ったろうか。 友美が泣き止む頃合いを見て、菊地は、自生している野菊をいくつか摘み、友美の所へ戻って来た。
友美は、墓に寄りかかり、じっとしている。 墓石に腕を回し、寄り添っているその姿は、まるで母親に抱きついているかのように見えた。 母に逢えた満足感からだろうか、友美は、満ち足りて安らいだ表情をしている。
墓石に頬を付けたまま、菊地が摘んで来た野菊を見ると、呟くようにして言った。
「 ・・・きれいな、お花・・・ 」
「 お母さんに、あげて 」
菊地は、友美に野菊を渡した。 花刺しに野菊を立てると、友美は墓石に向かい直し、手を合わせた。
「 お母さんと、お話し出来たかい? 」
菊地の問いに、友美は振り返り、無言で頷くと、聖母のように優しく微笑んだ。




