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序笑

【登場人物紹介】

◆中川楓…16才の高校生。茶髪のツンツンヘアー。のんきなルックスだが実はお笑いにはうるさい。

◆新井美咲…16才。黒のセミロング。おっとりとした声。

◆ネル…美咲の愛猫。忠誠心は微妙。気まぐれ

◆マスター…60才。ボケ好きの元気なユーモアじいさん。普段はノロマだが、気合いを入れると速い。背は低い。

『ほらほら〜楓く〜んこっちへおいで〜! おじさんと楽しい事しよ〜』


入学式当日の朝――まだ睡眠中の楓は今、夢の中でマスターに犯されかけ、逃げ惑っている夢を見て、うなされている。


「く、来るな……触るなー!」


自分の叫び寝言で、はっと目を覚まし、ガバッと上半身だけ起こした。

はぁはぁと軽い息遣いをしながら今のおぞましいシーンが夢だったと理解すると、だいぶ心が落ち着いてきた。昨日の今日だし当然の結果だろうか。


「くそぉ、亀じいめ! 夢にまで出てきて、ふざけやがる!」


高校生活初日だというのに哀しいバッドスタートだ。

部屋の時計を見ると七時半をまわっている。学園までは歩きで普通に行っても二十分程で着くが初日位は早めに行っとくかなと学園指定のブレザーに着替える。

中学の頃は学ランだったので、私立のブレザーは新鮮だった。

ネクタイは楓にとっては真新しいアイテムなので、つけるのに苦戦した。

制服を着ると、不思議なもので突然高校生という自覚が湧いてくる。

さっきのふざけた悪夢のせいで食欲が瀕死の為、冷蔵庫からゼリー飲料を取り出し、それを登校中に飲む事にした。

今日からのバイトは週に六日、五時から十時、日曜の定休日以外のフル出勤。

夜飯付きってのはおいしい。

時給はというと、あの後マスターに恩着せがましく迫り、なんと千二百円にアップしたのだ。

深夜でもないのにこの値段は流石に気が引けるが、お気にのアイドルテレカを犠牲にしたんだし、遠慮する事もないだろう。

それにあのくだらんボケを冷たくスルーせずに、しっかりとツッコんでやっているツッコみ料も含めると、案外安いかもと一人部屋で怪しくほくそ笑む。昨日の今日だし当然の結果だろうか。


「くそぉ、亀じいめ! 夢にまで出てきて、ふざけやがる!」


高校生活初日だというのに哀しいバッドスタートだ。

部屋の時計を見ると七時半をまわっている。学園までは歩きで普通に行っても二十分程で着くが初日位は早めに行っとくかなと学園指定のブレザーに着替える。

中学の頃は学ランだったので、私立のブレザーは新鮮だった。

ネクタイは楓にとっては真新しいアイテムなので、つけるのに苦戦した。

制服を着ると、不思議なもので突然高校生という自覚が湧いてくる。

さっきのふざけた悪夢のせいで食欲が瀕死の為、冷蔵庫からゼリー飲料を取り出し、それを登校中に飲む事にした。

今日からのバイトは週に六日、五時から十時、日曜の定休日以外のフル出勤。

夜飯付きってのはおいしい。

時給はというと、あの後マスターに恩着せがましく迫り、なんと千二百円にアップしたのだ。

深夜でもないのにこの値段は流石に気が引けるが、お気にのアイドルテレカを犠牲にしたんだし、遠慮する事もないだろう。

それにあのくだらんボケを冷たくスルーせずに、しっかりとツッコんでやっているツッコみ料も含めると、案外安いかもと一人部屋で怪しくほくそ笑む。


【続く】

続きの詳細は後書きをご覧下さいませ。忘れ物がないか初々しく鞄をチェックする。こちらも学校指定だ。ハンカチは普段から持たない。自然乾燥派だが急ぎの場合のみ、髪の毛かズボンのお尻を利用してしまう。

ちり紙――流石に鼻水は自然垂れ流し派とはいかないので、街の配布物を利用している。

もうそろそろ部屋を出ようかという所で、携帯が鳴った。

新しい着うたにしたばかりなので、あまり聴かずに、すぐ出るのを惜しみしつつ、二つ折りの携帯をパカッと開いた。母親だ。

通話ボタンを押し電話に出る。


「はいもしもし」


「楓! 起きてるかい! 今日は学校だろ?」


「心配しなくても起きてるよ」


母親と話しながら、玄関に向かい踵を潰さない様にローファーをはいた。


「本当かい? あんたが自力で起きるなんて珍しいじゃないか」


少し感心した声で母親が言った。


「まあね。けど自力じゃないかも」


そう言いながら家の鍵を閉め、通学路を歩き出す。


「自力じゃないって……誰かに起こされでもしたのかい?」


クエスチョンボイスで母親が聞いてきた。


「実は昨日バイトが決まってさ、そこの……え? いや、ちゃんとしたバイトだよ。喫茶店。そこのマスターが今朝夢の中に出て来て、まあ起こしてくれたって言うか、起こされって感じかな」


楓はそう話しながら片手で鞄の中のゼリー飲料を取り出しキャップを歯に挟み手で回し開ける。

本体から離れた口内のキャップを“ぺっ”と飛ばして、既に小さなゴミだらけの道路に紛れさす。

綺麗な道路じゃない分、罪悪感は薄い。


「それじゃあその喫茶店のマスターさんに感謝しないとね!」


詳細をしらない母親は素直に常識を言ってきた。ジュルジュル……ゴクン。ゼリーを飲んだ。

「もちろん……あんな夢じゃなかったらね……」


楓はフェードアウト気味にしゃべった。


「え? 何?」


「いやなんでもない。もうすぐ学園につくからもう切るよ!?」


「はいよ。それじゃあちゃんと勉強するんだよ! またね!」


「わかってるよ」

と言い、電話を切った。

その瞬間、蒸し熱いサウナからやっと出た時の解放感の様なヘナった溜め息が出た。

親の説教じみた声は初日の登校中には余計こたえる。

上京を反対していた癖に、何だかんだ言ってこうして電話をしてくるのは心配なのか、応援なのか、はたまた大穴で寂しいのか、真相は闇だが出来ればそれらを尻目に着拒したい気持ちが薄情にもある。

だが、もしもお金を仕送りさえして貰えたら、若さ故の愚かな考えなど掌を返すに違いない。

その暁には着信歓迎、略して着歓となる。

男は英語でマンだから、これにすると火を出しそうだ。

それに、なんて現金な人間なんだと思われるかもしれないが、そういう考え自体、見栄っぱりな気がしていた。

楓は昔から洒落にもならない綺麗事はむず痒い。お金があって普通に困る人間などいない。

あり過ぎるなりの恵まれた悩みは別として。だからお金を貰えるなら素直にもなれる。

それでも譲れないものがある事くらいは理解しているつもりだ。

たぶんそれは命よりも大事なもので、それを捨てたら生きた屍と化す物。

そんな物を持ってたらどんなに誇らしいだろう。

そしてそれを守り抜くのが人生なのかもしれない。

楓はそう思ったら急にやる気が出てきた。 

「よし行くぞ! 我が学園へ!」

(って、あれ? なんか変な道に出たぞ……道ぃ! 間違えてるよぉーっ! どーじよー! 遅刻するー! あんな夢とはいえ折角亀じいが起こしてくれたのぬぃー! ごめんよ亀じい! やっぱり時給アップなんて悪事を働くんじゃなかったよ。これは亀じいの恨みかもしれない……)


「許してぇー、亀じいぃぃー!」


楓はその場に膝まずき、空に叫んだ!


「呼んだかい!?」


楓が振り向くとそこには車に乗ったマスターが親指を立てて、すかしていた。


「かかかっ亀じいぃー! なんでここに!?」


「いまからパチンコの朝一狙いに行くとこじゃ。お前さんも来るかい?」


「高校生をパチンコに誘ってんじゃねー、不良じいさんがぁ! つか丁度良かった、学園まで乗せてくれ!」


楓は返事を聞く前に勝手に助手席に乗る。

するとマスターは体をクネクネさせ

「えぇ〜? 困るよ〜ぅ。わしゃこれから大事な闘い備え、並ぶんだも〜ん」

と意地らしく言った。

それを聞いた楓の目がつり上がる。

「早く行かねーとフロントガラスの前にある、この変なぬいぐるみ引き裂くぞっ!」


楓は黄色のぬいぐるみをガっと駄目もとで掴み脅した。


「これ! マッ、マスタード君を離さんかっ! それはわしの命の次の次の次の次の次の次の次位に大事な物なんじゃぁ〜!」


(何かあんまり大事そうには聞こえないんですけど……)


「っとにかく急いで創仁学園へ向かえば、このマスタード君? は解放してやるよ!」


「わかったよぉ、今行きますよっ。その代わりマスタード君に優しくしておくれよっ」


マスターはそういうと車を従順に創仁学園へ走らせた。「つか何? この長細いスティック状で一応マスタードに見えなくはない、ぬいぐるみは? 手にホットドッグ持ってるし……」


楓はマスターと妙なぬいぐるみのミスマッチが、どうも気になり聞いた。


「かわいいじゃろ? ゲーセンで取ったんじゃよ。名前が気に入っての。わしマスターだからマスタードなんてピッタリじゃと思い、洒落でゲットしたんじゃ。四千円かけての」


「四千っ!? それ洒落で使う金額じゃねーよ! あんた、かなり欲しかったんじゃね!?」

だけどその割には大事にしてるなと思い、その理由を聞くと、マスターは唐突に語り出した。


「マスタード君はわしの身代わりになり、宇宙人に……連れて行かれたんじゃっ! ……あれは、ある明け方、わしがほろ酔い気分でマスタード君と家路についていた時じゃった。急に空から全身黒ずくめの不気味な生物が現れてマスタード君を連れ去って行ったんじゃ!」


「うそっ!? それやばくねっ!?」


マスターは続けて語り出した。


「余りのスピードにわしは唖然とするしかなく、只々人間の無力さに悔やむしか出来んかった……次の日、わしは悲しみの中、マスタード君二号をゲットしにゲーセンへ向かう途中、なんと道端に落ちているマスタード君を発見したんじゃ。わしは嬉しくて泣きながらマスタード君を抱きしめた。それ以来マスタード君はわしにとってお守りみたいな物なんじゃ……」


「そんな歴史があったんですか……そうとは知らずすいません……ってあんた一度見捨てたよねぇっ!? この薄情物ぉー!」


そして楓は思った。


(しかもそれどう考えても、ただのカラスじゃね? けどこのアホマスター何故だか宇宙人だと信じてるし。まあ知らねー方が幸せって事もあるし、冥土の土産に黙っといてやるか)


そんなバカげた話をしている間に車は学園に到着した。マスターは丁度校門の前に車を止めてくれた。

「サンキュー亀じい! 話は又、夕方ね」

そう言って車を降り急ぎ足で学園内へ入って行く。

私立創仁学園――今日からここで新たな学生生活が始まる。

校庭には同じ制服を着た新入生が、わんさかいる。

さりげなく、あの子――新井美咲がいないか眼球をコキ使う。

未練たらしく探してしまう自分に呆れる。

一度出会っただけなのに、ここまで影響力のある子は初めてだ。

又その事実があの子の価値観を上げ、楓を苦しめている。

そんな不安定な気持ちのまま式に出席した。しばらく退屈な式に無駄な時間を使わされ、脱力しかけた所で、なんとか式をクリアした。

そのまま一旦教室に行く様に指示されたので一年一組に向かった。教室に入ると黒板に席を決めたプリントが何枚か張り付けてあった。中川――プリント上に自分の名前を見つけると、そそくさと席に着く。

周りには既に仲良くなっている人もいて、その社交性の高さが羨ましい。

楓は小学生の頃はガンガン友達を作っていたが、中学生の途中頃から、考え方が急に大人びてきて、周りの同級生がやけに子供っぽく映りだし、輪の中に上手く溶け込めなくなってしまったのだ。

おのずと、社交性は急激に下がり、友達も徐々に離れていき今に至る。

だがそれを教訓に高校からは持ち前の高い社交性を復活させ、友達をある程度は作る気でいる。

少々面倒だが、いれば何かと便利なのが友達だ。

恋人以外に自分の核まで見せる気は毛頭ないが、そこへ案内したくなる程の友達と出会うに越した事はない。

勿論女子の友達も作りたい。

クラスの女子を拝見すると中々のレベルが揃っている。

少し前なら完全にノックアウトされていたであろう。そう――あの日彼女にさえ出会わなければ。クラスの女子も友達として付き合うなら申し分ないが、恋人と考えると、贅沢にも比べてしまう。

幸か不幸か、楓の恋心は彼女のオーラに味をしめてしまった。

基本的には諦めつつも、ふとしたキッカケで脳裏に焼き付いた彼女の残像がちらつく。

その度に頭をかきむしり、儚い記憶を追い払う。

無意識なだけにどうしようもない。


しばらくして担任の先生が入ってきて元々開いていた教室のドアをバタンと閉めた。


「はい静かにー!」


先生が教壇から発した大きい声に微妙にざわついていた生徒達が急に黙り、教壇に注目した。

初日という緊張感もあり、皆真面目な顔を作っている。


「今日から君達の担任をする山本です」


それから淡々と自己紹介をする先生は、仕事の臭いがプンプンした。そこに教師としての自覚は一切感じられず、与えられたノルマをチンタラこなす、見習いタクシーと何らかわりない。

公務員という、安定湯にどっぷりつかり、例え偽善ですらムチャはしない、保身主義者のお手本ティーチャーといった感じだ。

今時熱血教師ってのも時代錯誤な気もするし、何か問題を起こすと聖職者というイメージがら、世間から叩かれ易い現状を考えたら、妥当な仕事ぶりだと理解は出来る。

逆にほとんどの生徒も教師に期待などしていないだろうから、皮肉にもバランスは取れている。

そんな学校環境を社会環境の縮図と考えたら、腐りきった社会にヒーローを送りこみたくもなる。

担任の自己紹介が終わり、その後細かな説明が続き、お昼過ぎには放課する事となった。明日の友達作りのため、大体の目星をつけ終えたら、いよいよ目的の場所へ向かう。

この学園へわざわざ来た理由がそこにあるのだ。少し興奮気味に目的の部へ向かう。

教室のある本館の隣に、白い五階建ての部活館がある。

一階から三階が屋内スポーツフロア、四階、五階が文化芸術フロアだ。目指すは最上階にあるお笑い研究部!

以前学校見学に来た時、調べて来たものの、実際に専用舞台でネタを練習する部員数の多さに驚いた。

それもその筈、どの部もそうだが、この学園の部活顧問は全員その道のプロ、もしくは元プロなのだ。

故に芸能界やスポーツ界と繋がりがあるため、夢を目指す学生が一同に集まる。

楓自身は、別にプロを目指すつもりはないのだが、自分の実力を試すべく、入部をしようと思っているだけだ。

部活館の入口を入ると左手にエレベーターがある。

楓はボタンを押しエレベーターに乗り込み、五階のボタンを押す。

エレベーターが上がっていき、途中三階で停まり、エレベーターが開いた。

すると目の前に、卓球のラケットを持った男子学生が立っていた。「あっ、これ上行きますけど」


楓はその男子に行き先を親切に教えた。


「サンキュー、青年。でも僕も上に行くのさ。乗せておくれっ」


キザな言葉使いで、そう言いながら、その男子は太った体で、のしのしとエレベーターに乗って来た。


(なっ、なんだこのデブはっ!? キャラと喋りが合ってねぇよ!)


見た目からすると、その手に持ってる卓球のラケットが、お好み焼き用の銀のヘラに見えて仕方がない。ぶひーっと叫びながら、豚天サーブでも打ちそうな顔だ。

エレベーターが五階に着きドアが開くと、その太った男子は駆け足で左手の通路の角へと消えていった。

続いて楓もゆっくりと降りた。


(アイツ意外に足速っ! 一応運動部だけの事はあるな)


降りた右手には窓があり、そこから本館が見える。エレベーターの向かいには自動販売機が設置されている。

楓はその手前の左手の通路を曲がった。

通路を挟んで、左右二つずつ、四つの部がある。右手前に声優部、奥に漫画イラスト部、左手前に、ゲーム制作部、そして奥にお笑い研究部がある。

通路を真っ直ぐ進み、部室の前に立ち止まる。

(ついにここに来たぞ。今日から俺のお笑いセンスをビシビシ鍛えあげるんだ!)


楓は心の中で気合いを入れた。既にドア越しから、大きな声が聞こえてくる。先輩達の気合いの入ったツッコミだろうか。その活気ある雰囲気にワクワクドキドキしながら、ドアノブに手をかけ、グルッと回し部室のドアを開けた。

ドアノブに手をかけたまま、首だけ伸ばし室内を見渡すと中央に卓球台があり、目を血走らせて必死に卓球をしている人二名、その審判らしき人一名、計三名の人が目に映った。プレイヤーの一人は、さっきエレベーターで一緒だった男子だ。


「喰らうがいい! 秘技っハヤブサスマーッシュ!」


「来いやー! って遅ぉ! うわっ! 来たねーぞ、オーモリ!」

えらく白熱した声が室内に響き渡る。

その時楓が審判らしき人に気づかれた。「君誰ッスかー!」


その審判らしき人の叫び声に、プレイしていた二人も一旦タイムして、スッと楓の方を見やった。


「もしや君も卓球やりたいのかーいっ?」


さっきの太った男子が離れた所から叫んできた。


「いっ、いえっ! 間違えました〜。 失礼しま〜す」


楓は焦りながらドアを閉めた。


(どうなってんだ? ドアには確かにお笑い研究部って書いてあるしな……あっそういえば、あのデブ三階から来てたよな。って事はアイツらお笑い研究部の皆がまだ来てないからって卓球部から道具一式借りて、無断で部室を使ってる悪戯どもかもしれん! よし、ここは一つ俺が奴らを追い払って先輩達に誉められる様に株を上げとくか!)


楓は悪餓鬼排除を決心して、再び部室に入った。


室内に入ると依然として悪三人集は、我がもの顔で卓球をお楽しみだ。

楓はキリッとした面持ちで三人の近くに近寄った。


「すいませんっ! ここお笑い研究部の大事な部室なんですけど! 関係ない人は入らないでもらえますかっ?」


その怒鳴り声に、プレイしていた二人は手を止め、じゃけな目で楓を見た。

急に放っとかれたピンポン玉は、卓球台から弾け落ち、床でポンッポンッと弾んでいる。

「また君かい? 何か勘違いしてるけど僕達はここの部員さ。関係ないのは君の方じゃないのかい?」


少し呆れた顔で太った男子が言った。

予想外の返答に楓の目は点になった。同時に勘違いをした事に恥ずかしくなった。


「じゃ、じゃあなんで卓球なんかしてるんですか?」


「しょーがねーじゃん! 皆辞めちまって、今後どーしたらいいか分かんねーんだもんよ!」


太った男子と卓球をしていたボウズ頭の奴が驚愕の事実を漏らした。いきなりそんな事を言われ、喉が詰まり信じられない楓は、詳しい事情をボウズ頭に聞き出す。


「実はお笑いプロダクションに入る事が決まっていたここの卒業生が、卒業後、やっぱりプロダクション入りが無しになったみたいで、怒ったその卒業生はプロダクションの社長を殴りに行って、それで社長も怒ったらしく、うちの笑研は当然嫌われて、今後生徒達は笑研からプロデビュー出来なくなったらしい……。それを聞いた部員達は今朝一斉に退部届けを出し、他の部に移動しちまった……。そこにいる二人は今日入ったばかりだから、残ったのは俺だけなんだ……」


ボウズ頭は寂しげな目で、お笑い研究部を襲った急なアクシデントについて語った。


「そっそんな……」

楓はガックリと肩を落とした。

部からのプロデビューが不可能になったからではなく、沢山のお笑い好き達と絡んで、自分のお笑いレベルを確かめられなくなったからだ。

そして中学の時に学校のお笑い大会で爆笑を取った自分のネタが、どれだけ通じるのか、試したかったのだ。

楓はその為に、親の反対を押しきり、辛いアルバイトをして上京資金を貯めて、創仁学園に入ったのに、全ては水の泡になってしまった。

(残ったのはこのボウズの人だけか……この人何だか、さぶそうだしな……お笑いに対しての想いだけは熱そうなんだけど)


目的を失い、すっかり気落ちした楓は、大幅にパワーダウンしたこの部に入部するべきかを改めて検討する事にした。


「そういう事でしたら、とりあえず入部に関してはゆっくり考えます。では失礼しました」


府抜けと化した楓はそのまま部室を出ようと、後ろのドアへゾンビの様なスピードでフラフラと歩き出した。


他の三人は、しばしその姿をポカ〜ンと静かに眺めていた。

シーンとした部室に、超スローなゾンビ楓の擦る足音だけが空間を走っている。そして楓がようやくドアノブに手をかけたその時、ボウズ頭が沈黙を破る様に口を開いた。

「ちょっ、ちょっと待って君ー! なんかもう二度とここに来ない様なオーラを背中から感じるんだけどっ! ねえっ!?」


酷くショックを受けているせいか、その言葉は残念ながら楓の耳には入らなかった。

雑音を完全にシャットアウトした楓は、ドアノブを回し、ドアをゆっくりと押し開け始めた。


「ハゲ長! ヤバいッスよ! このままじゃアイツ帰っちゃうッスよ!」


先程卓球の審判を行っていたロンゲの美男子が、ボウズ頭(ハゲ長)に警告した。


「わぁーってるよ! おい、オーモリ! お前の体重で奴を食い止めろ! なんとしても奴を入部させるんだ! 王子(ロンゲの美男子)は入部用紙持ってこい! ゆけぃ!」


ハゲ長の指示でオーモリと呼ばれる太った男子は猛スピードで走り出し、頭上高くジャンプして、楓の上方から背中に重くのしかかった。


ズドーン!


「ぐっ! 重……い。何するんだ……どいてくれ……」


オーモリに潰された楓はうつ伏せになり、息苦しそうにうめいた。

それを確認したハゲ長が楓に駆け寄る。


「ハゲ長! 指示通り確保したよ」


オーモリは楓の上で右腕のちからコブをモリッと出し、満足気に言った。


「でかしたぞ! ミッションコンプリーッ! お主には後でカレーのタダ券を進呈しようぞ」


オーモリは

「っザス!」

と感謝し立ち上がると、楓から離れた。


すると休憩室にある入部用紙を王子がとってきた。

ハゲ長はその用紙を受けとると、楓に質問し始めた。「さて、手荒なマネして済まなかったね。悪気はあんまりないんだ。許してくれたまえ。それじゃあ先ず君の名前から聞こうと思う。……んん?」


早く名前を吐けと言わんばかりの、理不尽なハゲ長の眼に、楓は迷いながらも、うつ伏せのまま渋々口を開いた。


「か……かえで……中川楓です……」


「あらら〜、結構なお名前お持ちじゃないのぉ〜。我が笑研にピッタリじゃない。なあ野郎ども!」


「――ッス」

「――っかな」


ハゲ長の言葉に同意する二人。そしてハゲ長は入部用紙の名前の欄に勝手に楓の名前を代筆している。


「――が〜わ、か〜え〜でっと。よし、名前オッケー! 次、住所、携帯番号、動機、教えてっ」


楓は勢いで住所、携帯番号を教えたが、入部の動機に困った。

楓が入りたかったのは以前の部で、今の部には入部動機など全く無いからだ。

困った楓はしばらく沈黙した。

「も〜う長いよ! 動機はいいよっ。おれが適当に書くから――貸して!」


ハゲ長は楓から、なかば強引に用紙を取ると、動機の欄にスラスラと書き込んだ。

最後に楓の人指し指の拇音を取り、見事入部が完了した。


「ようこそ我がお笑い研究部へっ! さあさあ楓っち、いつまでもそんな所でぐったりしてないで休憩室でゆったり話そうや」


ハゲ長はキラキラとした瞳でそう言うと、楓の腕を掴みズルズルと引きずりながら休憩室へ向かった。

残る二人もその後に続いた。

休憩室に着くと楓もようやく自力で立ち上がり、室内を見渡す。

薄茶色のテーブルと椅子が六つ、テレビ、書類などを保管する棚などがある。


四人が椅子に座るとハゲ長が話始めた。


「えーそれでは皆さん、先ずは楓君に自己紹介をしたいと思います。と言うことで私からいきます。私の名前は石井智広、あだ名はハゲ長です。一応ここの新部長です。はい次ぃ!」続いて椅子から立ち上がったのは黒髪で軽いパーマがかかった、太っている男子――楓とエレベーターに乗り合わせた男子だ。


「ハ〜イ、ごきげん如何かな? 僕の名前は細田俊男。ついたあだ名は何故かオーモリさ。入部の動機は、友達にお前はお笑いやるしかねぇって言われたからかな。嗚呼、今日も何処かで恋の予感〜、以上かな」


(ププッ、何だよそれぇっ! やっぱりこのデブウケるわ!)


続いて先程卓球の審判をしていた、柔らかくシルバーの長髪の美男子。


「どもッス。星崎 誠ッス。あだ名は王子ッス。動機は研究部っていう響きが知的だったからッス。以上ッス」

三人の自己紹介が終わり続いてハゲ長が部の決まりを話始めた。


「既にお気づきかと思うが、この部はあだ名で呼ぶ決まりになっている。そうする事で、より早く親しくなれるからだ。あだ名の決定権は部長である私にある。そこの二人も私が決めたあだ名を大層気に入っている模様。そこで楓君のあだ名も、ずっと考えているんだが、余り特徴が無いため、そのまま楓とする! なんかあだ名っぽいし」


「そんな適当なっ! 僕にも研究部員らしいあだ名を下さいよ!」

そんな楓の願いも虚しく、楓の呼び名は変わらず楓となり、最後に楓が自己紹介をする事になった。


「あっ、中川楓と言います。あだ名は……楓です。ここに入ったからには必ずこの部を……」

「イチニイサンシゴーロクシチハチクージュー! イェーイ勝ったー! ジュースオゴリー!」


「ハゲ長! 今のはズルイよ! 四の所シって言ったじゃないか! それがなかったらギリギリ指抜けてたのに!」


指相撲に負けたオーモリが必死にハゲ長に抗議している。それを見た楓の顔がはんにゃに変わった。

ゴゴゴーッ……(楓怒りの音)


「貴様らぁぁ、人が自己紹介してる時に指相撲だぁ? その指一生使えなくしてやらぁー!」


ボキボキッ! 


「びえぇー!」


バキバキッ!


「ぐぬぉー!」


悪い子へお仕置き完了!


指に包帯を巻いたハゲ長が部員にこれからの活動を伝える。


「えー無事? 皆の自己紹介が終わった所で、ついに我が笑研の活動を始める! それじゃあ野郎共ー、ラケットを持って練習場に行くぞ、今度はダブルスだぁ! 着いてこい!」

(えぇっ!? 笑いのネタとか考えるんじゃないの!?)

ハゲ長の勢いにすっかり洗脳され、本来のお笑い活動を忘れた二人は

「ラジャー!」

と、一斉にバカ返事をし、練習場へ向かった。


「ちょ、ちょっとっ、みんなっ、なんで卓球するんですかぁー!?」


楓の正論はバカ三人の心に届くわけもなく、虚しく自分の耳に戻る。

一人休憩室に取り残され、改めてこの部に対して不安がよぎる。

練習場の方から聞こえる三人のアホ声がイラッとさせる。

楓はふと思い出した様に自分の入部用紙に書かれた動機が気になった。

あの時部長は何て書いたのだろう?

そう思い、棚を探ると自分の入部用紙を見つけた。

入部動機の欄に視線を合わせる。


〈入部動機〉

もちろん、世界一カッコイイ部長を尊敬しているからです。てへっ。部長になら抱かれても……きゃは! この部に入れて幸せです!



ゴゴゴーッ!(怒音)



「あのハゲェェェー!」


楓はハゲ長へ、死のロックオンをすると、死神の如くハゲ抹殺へ向かったのだった――。


こんな部だが、一応目的の部に入った。

頑張れ楓!

逃げろハゲ長!

【登場人物紹介】

石井智広いしいともひろ…笑研の新部長。通称ハゲ長。高校二年生。唯一笑研の全盛期を知る男。ボウズ頭。

細田和男ほそだかずお…高校一年。通称オーモリ。デブでキザな喋り方。

◆星崎 ほしざきまこと…高校一年。通称王子。シルバーのロンゲでイケメン。ッスが口癖。

◆マスタード君…黄色の細長いぬいぐるみ。マスターの御守り。

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