プロローグ
このページにお越しいただき誠にありがとうございます。
無能な癖に納得いくまで更新しないという駄目作者ですが宜しくお付き合い下さいませ。
季節は春。
散り始めた桜もあればしぶとく残っている桜もあり、風もわりと暖かくなってきていた。特に目立つ事も無く、教室の隅で一人暗く過ごす事も無く、いたって普通に中学を卒業した中川 楓は、両親の意見に反対して独断で進路を決めて上京し、来月からここ東京の高校に晴れて通うことになった。
上京と行っても小学五年生までは東京に住んでいたため、楓にとっては帰ってきた感じだ。
やっぱり東京の雰囲気は楓にピッタリあっていた。
確かに空気は薄汚れていて体には悪いのだろうが、都会独特の明るくにぎやかで、弾む様なウキウキ感が楓に不思議と活力を与えてくれる。
ただ居るだけで若さを徐々に吸い取られそうな田舎の雰囲気にはどうも馴染めずにいたので、早くこっちに引越して来たかった。
向こうに住んでいる時に親に内緒でやったアルバイトで貯めたお金で今の1Kのアパートを借りた。
勝手に決めた上京とはいえ、いざ引越となれば少し位は親が援助してくれるだろうと考えていたのが甘かった。
両親は一円たりとも出してはくれず、結局自分で汗水垂らして稼いだ大事なお金を使った。
当然と言えば当然なのだが。
来月といっても入学式はあと二日後。
部屋の整理も三日かけてダラダラと終えた今、特にやる事もない午後の昼下がりは退屈でしかたない。
遊ぶお金はもう一銭も残ってない。
外は悔しいくらいに爽やかに日が射している。
上京初日から調子に乗って、やれ服だ、やれ美味しい外食だ、やれゲームだ漫画だと先の事など少しも考えずに使いまくり、あれよあれよと財布は軽くなってしまった。
残るはギリギリの生活費だけ。
あの親のことだ――実の子が遠い地で一人家賃に困ったところでびた一文払ってはくれないだろう。
それだけにこのお金だけはなんとしても無駄な消費の誘惑から死守しなければならない。それには余計な外出などせずに黙って部屋でゴロついている方が利口だ。
それとも昨晩やっとの思いで荷物の整理を終えたばかりなのに、せわしなく今から重い腰を上げて新たなバイトを探しに行くべきか否か。
そう考えただけでも全身の力が抜けていくのだから、今日はひとまず休んだ方がいいとグータラな楓は甘い判断を下した。
そうと決まればやる事は大体限られてくる。万が一の為にと、ある程度多目に働き稼いだお金でためらいもなく買った漫画かゲームのどちらかだ。
万が一の時に使うはずが予想よりも早い、にせ万が一の登場に非常金はあっけなく下らない娯楽物に化けてしまったのだ。だが楓にとってこの娯楽物は最高の暇潰しだ。昔からゲームが大好きで一度やり始めると時間を忘れてしまう時がある為二日などあっと言う間に過ぎる。
だが流石に入学してからバイトを探すのはキツイので明日には必ず決めときたい。
面倒な現実を一旦忘れて、お気に入りのゲームを夕方までやると、腹が減ってきたので近くのコンビニまで晩飯を買いに行く事にした。
食後に又やるため一旦セーブをすると本体とテレビの電源はそのままにして立ち上がり、起きてから着ている上下お揃いのブルーのパジャマをフローリングの床に脱ぎ捨て、白い洋服タンスの上から二番目の引き出しから黒のパーカーを取り出し、三番目の引き出しからブルーのジーンズを取り出すと、サッと着替えた。
どうせ近場のコンビニだしと小汚いサンダルを履き外に出た。
沈みかけの太陽がオレンジ色の光を放っている。
コンビニへ行く道は真っ直ぐだが、途中一ヶ所だけ大通りの信号を渡らなければならないのがうざかった。
信号を渡りコンビニへ着き中に入ると始めての店という事もあり、一応どんな店員がいるのか横目でチェックしながら弁当売り場へ向かった。
パッと見た感じそんなに嫌そうな店員はいなかったのでとりあえず一安心して品定に入る。
色々悩んだが結局好物の唐揚げ弁当をカゴにいれレジに向かうと、ふとおでんが目についた。
食べたい――。
セルフでもどうぞと書かれた紙が貼ってあったので自分で取る事にした。
一番小さいカップを
手に持ち大根を取ろうとした瞬間、店員が取りますよと余計な声をかけてきた。
自分でゆっくり選んで取りたいからわざわざカップを持ってるのにそれを店員にやられてはセルフの良さが無くなってしまう。
同じ大根にしてもそれぞれ鮮度が微妙に違うんだ。
なるべく美味しそうなのを取りたかったのに邪魔をされた様で気分が悪い。
だが今更買わない訳にもいかない。
仕方なく大根だけを買う事にした。
店員が取ったのは予想通り楓が取りたかった大根ではない。
だいぶ時間が経っていそうな大根だ。
まあいいかと自分にいい聞かせながらコンビニを出て帰路に着く。途中の信号がタイミング悪く赤に変わり足止めをくらう。
信号待ちの間さっきのゲームの続きを頭の中で考えていると足下に妙な違和感を感じた。下を確認すると可愛い黒の仔猫が楓の足にスリスリとまとわりついている。
なんで仔猫がこんな所にいるんだろう?
飼い主とはぐれたのか、あるいは捨て猫か?いや綺麗な毛波をしているから恐らく飼い猫だな――などと考えていると後ろから女の子の声がする。
「ネルー!駄目よ。こっちに来なさいっ」
楓が後ろを振り向くと仔猫の飼い主らしき女の子が、黒いセミロングの髪を風になびかせながら少し焦った顔で仔猫を呼んでいる。
だが肝心の仔猫は女の子の方を見ながらも楓の足にべったりとしている。
楓も実家では猫を飼っていたのでまだジーンズにその匂いがついているのかもしれない。仔猫が戻らず困った女の子はスタスタと仔猫の方に歩み寄ってきて楓にすいませんと謝りながら仔猫をヒョイとだっこした。
女の子の胸元に抱えられた仔猫はゴロゴロとうなっている。
「こんな事初めてなんです。うちのネルちゃんがこんなに他の人になつくなんて」
女の子は仔猫の頭を優しく撫でながら話かけてきた。
女の子に対しての免疫力が低い楓は緊張してしまい何て返したら良いのか返事に戸惑う。ましてやこんな可愛い女の子なら尚更だ。
楓は取り合えず
「そうなんだ…」
と無難な言葉で動揺を隠した。
「あっ!もしかしてあなたも猫を飼っていらっしゃるのですか?」
女の子は思いついた様に瞳を輝かせて質問してきた。
その瞳は明らかに肯定を求めている。
最善の返答を模索する。
楓は今現在猫を飼ってはいないが、実家には猫がいた。
過去形になるがそれでも良いのだろうか。
しかも主に世話をしていたのは母親で楓はたまに気が向いたら餌をあげる程度だった。
ここまで細かく正直に説明をして、彼女の期待を裏切りはしないだろうか。
それともなごり惜しいが、もう会うこともないだろうし、いっそ適当に、はいそうですと言って彼女に満足してもらいサッサと帰った方が楽なのか、楓は一瞬悩み、いい言葉を思い付いた。
「ねっ……猫は昔から大好きで実家で一匹飼ってるんだ」
これなら嘘ではないし、ついでに猫好きという事もアピール出来て一石二鳥だ。
「本当ですか?それならなつくのも不思議じゃないですね」
いやっ――いまさっきこんな事は初めてだと言ってたし、猫臭い服を着ている人は自分以外にも沢山いるだろうし、自分にだけなつくのは、やはり不思議なんじゃないかと内心軽いツッコミを入れる。本音を言えば実際に自らの手で彼女に何気無くツッコミを入れ、白く透き通る肌をした彼女の体に触れたい。
それは楓にしては珍しい感情だった。
出会って間もない人にこんな好けべな事を思ってしまうという事は、すでに彼女に魅了されているのか――ただ単にアレが溜っている時の無差別的な欲望とは思えない。そんな馬鹿な事を考えている間にも信号はもう何度も赤から青に変わっている。
彼女には真顔でそうだねと合わせた。
楓にしてみたら、彼女の性格の方がよっぽど不思議だった。
見た目はおとなしそうなのに、妙に人なつっこい感じだ。
只の天然キャラなのか偶然楓になついた事による仔猫パワーがそうさせているのかわからない――が、このままサヨナラは、ちと寂しい気がした。
あわよくばお友達になりたいと切に願う。
だがこんな時、何に願えばいいのか。
まだ月は出ていない。寝坊月め!大事な時に居やがらねえ。
楓はそう思いながらさりげなくパーカーの左腕の袖を上げ、左手首のデジタル時計をチラっと確認すると十七時三十六分だった。
元気いっぱいに光輝やく月が出る時間ではない。
いいとこモノクロのしけた月がノーメイクで顔をさらしている位だ。
こうなったら何かにお願いするなんて情けない気持ちは燃えるゴミ箱に捨て、自力で交友関係を築くしかないようだ。
楓は思った。
(よし!勇気を出して自分の言ボールでパスを出すんだ。
どんなパスがいいか――そうだ!先ずは仔猫の名前を聞こうぞよ!
ふっ……本当はさっき彼女が仔猫を呼んでいた時にネルとハッキリ聞こえたのだが、肩慣らしには丁度いい質問だ。
どうせおっとりした彼女だしバレてはいまい。
そこまで細かくツッコめる訳ないしな)
「んんコホン……この仔猫ちゃんはなんて言う名前なんですか?」
(おっしゃ!自然に聞けたぞ。この質問を架け橋に彼女のテリトリーへ、一気に侵入するんだ!かつてトルネードを武器にアメリカへ渡った勇敢なあの男の様に!ゆけ!我が言ボールよ。そして願いを叶えたまへー!)
楓の質問ボールを受けた彼女が返答する。
「名前はネルって言います。でもさっきネルを呼んだ時に聞こえてると思ってましたけど」
(ぐぬおぉー!
ツッコまれたー!
まさかのソロホームランだよっ!
はぁ……はぁ……みくびった。
てっきり只の天然キャラかと推測していたが、こいつぁーとんでもねぇ怪物バッターだぜ。これからは慎重に質問の球種を選ばないと、えれえ事になるな)
「あっ、そうでしたね!ネルちゃん、いい名前ですね!どうしてネルちゃんっていう名前にしたんですか?」
「良く寝るので単純にネルと名づけました。何か変でしょうか?」
仔猫を抱えながらそんな可愛い顔で言われたら例え変でも変じゃないと誰だって言ってしまうだろう。「全然変じゃないです!立派な由来ですよ!……なあネルちゃん?」
楓はネルの頭を人指し指でチョンと触れながら言った。
「にゃー」
ネルはまるで楓の言葉理解したかの様に小さく鳴いた。
それを見た彼女も嬉しそうにニコっと笑みを溢す。
「オレ、最近この辺に引っ越して来た中川 楓と言います」
楓はらしくもなく頬を紅潮させ何気に自己紹介をした。
「私は新川 美咲と申します。どうぞよろしく」
美咲はペコっとお辞儀をしながら挨拶した。よろしくという事はお友達になりましょうと受け取って問題はないだろう。
そうおもったら緊張でこわばっていた心が急に軽やかに弾みだした。
そのままいくつか質問を交し美咲が同い年だと言うことがわかった。
同い年なので楓は徐々に敬語を控えて、自然にフレンドリーな言葉使いへとスライドさせていった。
彼女はというといつまでも敬語で会話をするので、タメ口でいいよと言ったが敬語の方が喋りやすいとの事なのでずっとそのままだ。
そして辺りが薄暗くなってきたのでお互いそろそろ帰る事にしてた。
目の前の信号が丁度今青に変わったが、彼女をゆっくり見送るため次の青で渡る事にする。
彼女は
「それではまた」
と言い楓のアパートとは反対方向へ歩いて行った。
後ろ姿も実におしとやかだ。
彼女は少し歩いた所で、はたと振り返り軽く会釈をしながら手を振ってきてくれたので、勿論直ぐ様、手を振り返した。
誰かにこうして手など振ったのはあまりにも久しぶりな為、内心照れてしまう。
楓は信号が青に変わったのを確認すると今度はちゃんと渡る。
長話に付き合ったおでんはすっかり冷めてしまった。
普段なら温め直すのが面倒なため不機嫌になるが、今日は冷めたおでんも美味しく食べられそうな気がする。
些細な事などまるで気にならなくなる恋の力というのは、一時的ではあるが長年山にこもって悟りを開くよりも、よっぽど人を成長させてくれる気がする。
歩調に合わせながらコンビニのビニール袋を微妙に縦に振り、気分良くアパートに着くと、部屋に入る前に集合ポストに向かう。
102号室――そこを開けると中には光熱関係のお知らせや、ピザ屋の広告チラシなどが入っていた。いかがわしいチラシが目についたので興味本意で手に取り、キャッチコピーや料金などをササッとみる。
写真の女の子のセクシーなポーズに、下がわずかに反応するも、学生が気軽に手を出せる値段ではない。
しかしこの現場をアパートの住民に見られたらと思うと、のんきに変な妄想をしている訳にもいかず、必要な物だけコンビニ袋に入れ、不要な広告などはアパートで用意された共同のゴミ箱にポイした。
無論、大人のチラシも不要物の仲間入りにした。
ジーンズのポケットから部屋の鍵を探りながらドアに向かう。
いつも人気の無い101号室の前を通り過ぎる。
この部屋に人は住んでいるんだろうか?
反対のお隣さんには引っ越しの挨拶をしたがここだけ今だ出来ていない。
もうする気も失せ始めているが。
鍵をポケットから掴むと鍵穴に当てる。
反対だ――まだ越してきて間もないので、たまにミスる。
向きを直して鍵穴にさし込む。
ここでも回す方向を間違えながらもガチャっと解除音を鳴らした。
じきに慣れてミス率も下がるだろう。
玄関に入ると直ぐに無意識に鍵をかける。
良くも悪くも昔からの癖である。
実家に住んでいた頃、直ぐあとに親がドアを開けるのに、癖で鍵を閉めてしまい、よく注意されていた。
だが一度体に染みついた一連の動きというものは、なかなか直せないものだ。
競技中に格闘家が途中でコンビネーションを止める位難しいんだと自分に言い訳をして未だに直せていない。
恐らく一生直るまい。部屋に入るとガラス製の小さなテーブルにコンビニ袋を置く。
あまり換気していないせいか、自分独特の臭いが部屋に充満しているのに気付く。
ずっと部屋にいるとその部屋の臭いに鼻がなれてしまい、あまり気にならなくなるが、一度外の新鮮?な空気を吸い込むと嗅覚の働きがリセットされ、さっきまで無臭に感じていた部屋の臭いが鼻につく様になるから困ったものだ。
とりあえずベランダの窓を開け、空気入れ換えをする。
ひんやりと心地いい夜風が頬に触る。
網戸越しにぼーっと天を仰ぐ。
夜空にちりばめられた少ない星くずがキラキラと光放っている。
ふと故郷の空を思い出し、しんみりする。
この東京で一人やっていけるのか。
先ほど当てにした月が、お前じゃ無理だ的な顔で、こちらを見ながら浮かんでいる様に錯覚した夜だった。月に微妙な嫌悪感を抱くも、夜風に当たり冷えた体が熱を欲しがっているので部屋に戻り窓を閉める。
先ほど買ってきたコンビニ弁当を袋から出してレンジで温める。
チン!っとなるまでの間、冷めたおでんの大根を口にする。
意外とおいしい。
浮かれ気分が味覚にいい働きをしているのだろう。
レンジがチン!っとなったので弁当を取り出し、テーブルの前の床に座ると先ずはライスから頂く。
やはり温かいご飯は素直にうまい。
いつも弁当を温めると同じクレーム魂が眼を覚ます。
メインのおかずの横に、おまけ程度に添えつけられた惣菜が意に反して温まってしまう事だ。
サラダ系などが温まるとヘコむ。
最初これに気付いた時はまさに、はっじーめてーの〜、ヘコ〜ムーだった。
いっそおかずはメインだけにして料金を下げてほしいものだ。
それでもなんだかんだいって食べるのだが。普段メシ時は必ずテレビジョンを見ながら食べるが、今日は邪魔になりそうだからあえて見ない――美咲ちゃんの妄想の。
家はどの辺なのか、学校はどこなのか、そして一番気になるのは彼氏はいるのかだ。
あの容姿だ、いても何ら不思議ではない。
教えてくれたかは別として、駄目もとでメアド位聞いておけばよかったと後悔の念にかられる。
がしかし、昇華しきった彼女のオーラの前で、ずうずうしく聞ける方が異常だ。
そうだな。もう白昼夢にお邪魔するのはたくさんだし。
現実に目を向けるか。明日は意地でもアルバイトを決めなければならない。
虚しい妄想をおかずにご飯を食べ終えた楓は、続きのゲームをやろうとしたがそれでも微妙に残る美咲ちゃんへの想いが虚脱感を呼んだため、ウジウジした気持を洗い流すべくシャワーを浴びる事にした。
半間サイズの押し入れの上の段にある黒の三段チェスト――その三段目から無造作にバスタオルを取り、浴室へ向かう。
赤の蛇口をひねり、お湯を出す。
水で適温にしてから気疲れした体に浴びせる。浴室内がだんだんと曇り始め湯気と絡まった淡い恋心は換気扇へと排出された。
シャワーを浴びて取り合えず身も心もスッキリさせると床に脱ぎ捨てられたブルーのパジャマを着て、そのまま全てを投げ出し布団に入る。
翌朝わりとスッキリ目覚めた楓は嫌な音を耳にした。
ポツポツと降る雨音だ。
こんな日にバイト探しとは嫌になる。
だが逆に考えればライバルが少ないかもしれない。
何だか希望がわいてきた。
楓は台所で歯を磨くと買い置きしてあるカップラーメンを取り出す。ポットからお湯を注ぎ出来るのを待つ。
その間に前々から書いておいた履歴書に今日の日付だけ書き足し、封を閉じる。
続けて髪を整え面接を考慮した服装に着替えると三分を越える。
ズルズルとラーメンを食べ終えると直ぐ様玄関に行き、傘立てから黒の傘を手に持ち部屋を出る。
雨はイメージしていたよりも激しく、やる気がダウンしそうになる。
先ずは取り合えずいろんな店がある賑やかな所に向かう。
楓はいつもアルバイト情報誌は見ない。
あんなもの見て電話をするにしても時間がかかるし、多くのヤツから応募があるから採用確率が悪い。
応募者が多数のためか採用担当者も余裕をかました態度で面接をしてくるので、ここで働いてやろうとする気がしない。
それよりも店の表に貼り紙をしている店の場合の方が急募が多いので何倍も受かりやすい。面接をして悪くなければ即採用してもらえるし店の雰囲気も直に見れるし、担当者の方も来てくれて助かったと喜んでくれるのが、何より働く動機に繋がる。
これが楓流のバイト探しだ。
しばらく歩くとバイト募集の貼り紙を見つけた。コンビニだ。高校生は時給七百五十円と書かれている。完全に足元を見た金額だ。
同じ労働でなぜ金額に差がでるのか謎である。
むしろ体力が一番ある時期の高校生の方が元気に働いてくれそうなものだが、生活がかかっていないからか。
だが楓の様に一人暮らしをする無謀な高校生もいる。
ここでいくら矛盾に腹を立ててもお金は入ってこないし、もう少し高い店をさがす事にした。
白い息が視覚から寒さを伝える。
くそさみい。この雨の中、長期戦はごめんだ。そんな楓の思いを無視するかの様になかなかいい貼り紙は見つからずとうとう夕方になってしまった。
幸い鬱陶しい雨はあがったが、肝心のバイトが見つからず途方にくれる。
この際安くてもいいかと妥協し始めた時、時給千円の貼り紙が目についた。
まさに砂漠にオアシスだ。
楓はさっきまで死んでいた眼を生き生きとさせ貼り紙の前に駆け寄る。
「うをぉー! マジですかー! いいの!? いいのかい!? こんな暇そうな喫茶店で千円も頂いちゃって! こいつは普段頑張ってる俺への神様からの入学祝いかもしれない。神様ごめんよ。いっつもあなたを信じないだなんて酷い事を言っていて。もし面接が受かった際にはあなた様を崇拝する所存です。それでは今から面接を受けて来ます。どうか天から見守っていて下さい、マイゴッド」
神様に思いを伝えた楓はゴクリと生唾を飲み込み、喫茶店のドアを開けた。
カランコロンと古くさい鐘の音が店内に響く。
「いらっしゃいませ〜」
かなり年老いたおじいさんが落ち着いた声で挨拶をしてきた。
他に従業員は見当たらない。
緑のバンダナで頭全体を包む様に巻き、カウンターの中でコーヒーカップを拭いてるあのおじいさんがマスターに違いない。
楓はそのままカウンター沿いを進みおじいさんの目の前までいった。「あの、すいませんが表の貼り紙を見てきたのですが、まだ募集はしていますでしょうか?」
楓はおじいさんと向かい合いカウンター越しに尋ねた。
「もち、まだしとるぞい。こりゃあえらい若い子が来たのー。んじゃ面接するから後ろのテーブル席に座っちゃっいな」
おじいさんはそう言うとトボトボとテーブル席へ向かい歩き始めた。
(ぬわっ、何なんだこのじいさんは! おかしい! べしゃりが明らかにおかしいぞ! もしかして俺はやばい店に来ちゃったのかい!?)
楓はじいさんに不審の目を向けながらも後ろのテーブル席に座りじいさんを待つ。
十分後。
「よっこいしょ。では面接スタートじゃ」
(って、おせーよっじじぃー! どんだけ待たせるんだよ! そんなにのろいなら別にカウンターでも俺はよかったよ! あんた亀だよ!まあいいや、取り合えず面接受けるか……って何で隣に座ってんだよっ! 俺たち恋人かっ! 普通向かいに座るでしょ!
これは亀じいにはっきり聞かなきゃ落ち着かん!)
そう思った楓はおじいさんに質問した。
「あのぉーさっそく質問なんですが、面接はその席で行うんですかねぇ?」
楓は遠慮気味におそるおそる聞いた。
「いい質問じゃ。わしも普段は隣に座らんのじゃが、実は一目見た時からわしはお前さんの事が好きに……」
「ちょっ、ちょっと待って下さい! 僕はそういう趣味ありませんからっ!」
「ふぉっふぉっふぉっ冗談じゃよ。からかってすまんかったの」
(ボケじい! 冗談で済むかい! こっちは本気で身の危険を感じたんだぞ! その老眼鏡に、はぁ〜って息かけて曇らしたろかい!)
楓は怒りながらも時給千円を思い出しなんとかその場を堪えた。すると急にじいさんはすくっと立ち上がり、ササッと素早く向かいの席に着席した。
(早っ! どこにそんな力隠してやがった! さっきのヨボヨボは嘘だったんか!)
じいさんが話始めた。
「では面接を始めたい――が迷っておるんじゃ。実はさっき既に決まってしまったんじゃよ」
(くらぁー亀じい! いい加減にせんかい! テメーのヨボウソ歩きで何分待たされたと思ってんじゃい! 挙げ句にもうバイトが決まっただとぉー! 寝言は寝て言えやー!)
楓はブチキレ寸前なのを抑え努めて冷静に質問した。
「では何故募集してるっておっしゃったんですか?」
楓は少しムッとした顔で聞いた。
「だってさっきのヤツより好印象なんだもん。さっきのヤツなんて酷いんじゃよ。半分脅された感じで渋々合格させられたんじゃ」
「確かにそれは酷いですけど、一度合格と言ったのでしたら仕方ありませんね」
楓は半分諦めた口調で言った。
「見捨てるのかい! こんな、か弱い老人を! わしお前さんがいい! お前さんじゃなきゃやだやだ! あんな不良と働くならもう店辞めるっ!」
(ええーっ! 何故にそこまで考えるかなー。早まるなじいさんよ! でも俺を選んでくれたのは嬉しいぞ)
「でももし今更断ったりしたら、その方は怒ると思いますよ。何か他にいい方法はないんですか?」
その採用者を断れれば自分がここで働けるとわかるやいなや楓は急に親身に聞き出した。
「えぇ〜、それを考えるのがお前さんの役目じゃ〜ん」
(お前の仕事だろーっ! 面倒くさがってんじゃねー!)
「わかりました。僕が代わりに断りの電話をかけます。その代わりちゃんと僕を採用して下さいよ」
マスターにしっかりと採用の約束させた楓は問題の不良の採用者へ電話をかるため店の電話から電話をかけた。呼び出し音がなり、相手が出た。
「もしもし、鈴木さんですか? あのぅ私、鈴木さんが面接をした喫茶店の者ですが、誠に申し訳ありませんが採用の件はやはり不採用という事になりましたので、お知らせのお電話を致しました」
「ああー! ふざけんなよ! 今からそっち行くから待ってろ!」
「いや来ないで下さ……」
ツーツー……
お話合いの余地なく、電話を御丁寧に切られた。
「どうじゃった?」
マスターがのんきに聞く。
「どうしましょう!ヤツが今からこっちに来るそうです!」
「慌てるでない! そう思ってすでに策はうってある」
「本当ですか!?」
「うむ。ちょっと待っておれ」
そう言うとマスターは勇ましくトイレへと姿を消した。ガチャッ。鍵をかけた様だ。
(あ、あれ〜? 何かおかしいぞ〜)
「マ、マスタ〜? 何をなさってるんですか〜?」
不安になった楓は一応優しく問掛けた。
「後は任せたぞい、勇者よ!」
トイレの中からマスターの王様ぶった声が聞こえた。
「こらぁー! 出てこいやーじじぃー!」
楓は怒りながらトイレのドアをガンガン蹴りまくる。
「これ! マスターに向かってじじーとは無礼ではないか!」
トイレの中から負け犬マスターが注意した。
「こんな時に関係あるかいボケー!」
尚もドアをガンガン蹴る楓。
「ちょっと待て! 静かにするんじゃ! 何か聞こえんか!」
マスターの声が突然真面目になった。
「何が!?」
プゥ〜。
マスターの屁が炸裂した。
「屁こきじじぃー! 貴様だけは死んでも許さねー! 開けろこらー!」
「よし、そのいきじゃ! その溜った怒りをヤツにぶつけるんじゃ! 頑張ってくれ」
「マスター……まさかわざと俺を怒らせて、ノルアドレナリンが出るようにしてくれたんですか!?」
「ふっ……バレてしもうたわい。そう、その通りじゃ。わしとてバカではない。少しでもおぬしの力になれ……」
「んなわけねぇーだろハゲー! はよ出てこいやー!」
楓は蹴り足が痛くなってきたので、代わりにコーヒーカップでドアをガンガン叩きまくる。
その時、ついにヤツが店に乗り込んできた。
「誰だテメーは! じいさん出せや!」
鈴木はそう言いながら凄い剣幕で楓のそばに近寄ってきた。
デカイ。こんなヤツに勝てるわけがないと戦う前から白旗モードになる。
そして左の頬に強烈なパンチをもらい、吹き飛ぶ。
その拍子に上着のポケットから財布が落ち、中から一枚のテレカがヒラッと抜け落ちた。それを見た鈴木が叫ぶ。
「これはっ、人気アイドルグループ、メガネッ娘シスターズの超プレミアテレカじゃねーか!」
ヤツの声のトーンからして欲しがっているのが容易に読めた。
どうせ売ろうと思っていたしそれ一枚で丸く収まるなら丁度いい。
「採用を諦めてくれたらそれあげてもいいんだけどな」
すると鈴木は楓の出した交換条件をあっさり飲んで帰って行った。これでなんとかバイト先が決まり、ふーっと安堵の溜め息が出る。見計らったように、なにくわぬ顔でマスターがトイレから出てきた。
そのままカウンターにヒョコと座り勝利のコーヒーを飲む。
「ぷは〜! うまいわい! ん? 誰じゃ小僧! ふふっ、まあ良いわ。今日は機嫌がいいから許そう。そうじゃ! お前さんにさっきのワシの武勇伝を聞か……」
ドゴーンッ! 楓の怒りの踵落としがマスターの頭に炸裂し、マスターの体がかなり縮む。
「ひぃー! ごめんちゃい! こんな、ふがいないマスターを許しておくれ!」
「嫌だなあマスター。僕はもう怒ってませんよ……ではこれで約束通り僕を採用してくれますね?」
「その件なんだがね、楓君や……やはり誰かを辞めさせて君だけ働くのは、人としていかがなものかと……」
「やっぱ殺すっ!」
こうして中川楓は――変な店だけどなんとかバイト決定!
明日はついに入学式。
【プロローグ完】