【短編】婚約破棄されて「神隠しの森」に追放された転生令嬢ですが、その鈴の音、実は助けを求める民の声でした~聞こえないあなた方に、ざまぁを鳴らしてあげます~
「セリカ・フェルン! 貴様は森の魔物と通じ、領民を神隠しに引き渡した大罪人だ!」
大広間に、第二王子アルヴィンの声が響き渡る。
居並ぶ貴族たちのざわめき。突き刺さる無数の視線。その中心で、私は静かに立っていた。
(あーあ。やっちゃったよ、この人。証拠もなしに大声出して……前世でいう名誉毀損、しかも公衆の面前で。訴えたら勝てるやつ。)
心の中で、私はそっとため息をつく。
前世――現代日本の、小さな神社。巫女だった母のもとで育った私は、この世界に転生してからも、あの頃の記憶をすべて持っていた。冷静な観察眼も、理性も、そして少しばかりの脱力癖も。
「婚約は破棄する! 森へ追放し、二度と帰らぬよう封印してくれる!」
アルヴィンの隣で、異母妹のロゼリアが儚げに目を伏せている。燃えるような紅玉の髪。涙をたたえた瞳。まるで悲劇のヒロインのように。
「お姉様……どうして、こんなことを……」
(どうして、はこっちの台詞なんだけど。あなた、知ってるはずでしょう。私が本当は何を「聞いて」いたのか。そして自分が何を握りつぶしてきたのか。)
「セリカ・フェルン。何か申し開きはあるか」
アルヴィンが勝ち誇ったように顎を上げる。私は、静かに口を開いた。
「……いいえ。何も」
広間がどよめいた。反論すると思っていたのだろう。
(言っても、あなた方には聞こえないもの。あの鈴の音が。)
「潔いな! では、連れていけ!」
兵士に腕を掴まれながら、私は最後に一度だけ、ロゼリアを見た。彼女は勝ち誇った笑みを、一瞬だけ、確かに浮かべた。
(決めた。もう我慢しない。私を捨てたあなたたちに――真実の鈴を、鳴らしてあげる。)
森へ続く道を歩きながら、私の耳には、もう聞こえていた。
――りん。りん。
遠い森の奥から響く、助けを求める、あの音が。
*
神隠しの森。人々が「魔物の棲む死の森」と恐れる、その入り口。
兵士たちは私を森の縁に突き放すと、逃げるように去っていった。誰もが、森に呑まれた者は死んだものとして扱う。
はずだった。
「お嬢様――ッ!」
栗色のおさげを揺らして、侍女のミラが駆けてくる。息を切らし、そばかすの顔を真っ赤にして。
「ミラ……どうして」
「どうして、じゃありませんよ! お嬢様お一人で行かせるものですか! あの馬鹿王子とニセ聖女め、いつか吠え面かかせてやりますからね!」
(相変わらず口が悪い。でも……ありがとう。)
胸の奥が、少しだけ温かくなる。この子だけは、幼い頃からずっと私を信じてくれていた。
「ミラ。私にはね、聞こえるの」
「……あの、鈴の音の話ですか」
「そう。みんなは魔物の誘いだと言う。でも違う。あれは――助けを求める声よ」
森の奥から、りん、りん、と音が響く。私はそっと目を閉じ、前世で母から教わった神楽鈴の呼吸を思い出す。
その瞬間。
私の視界に、音が「色」として広がった。
【鈴音感応】。音を光として視る、私だけのギフト。無数の細い光の糸が、森の奥へと伸びている。一本一本が、生きている誰かの声。
「ミラ、見えるわ。光が……たくさん。まだ、生きてる人たちがいる」
「お嬢様……」
「行きましょう。迎えに」
私は森へ足を踏み入れた。恐れではなく、確信を持って。
(待っていて。今、行くから。)
光の糸を辿るその先で――私はまだ知らなかった。数百年、ひとりぼっちでこの森を守り続けてきた、寂しがりの守護者に出会うことを。
*
光の糸を辿った先に、それはあった。
空気がゆらりと歪む、透明な膜のような結界。触れると、指先に鈴の音の感触が伝わる。
「ここ……時間の流れが、違う」
前世の知識が囁く。これは隔離された空間。閉じ込められた者は、老いることなく――ただ、助けを待ち続けている。
私は結界の綻びに指を差し込み、そっと押し広げた。
りん――。
澄んだ音が響き、光が漏れる。その向こうに、男が座っていた。無骨な、壮年の兵士。手には小さな鈴を握りしめている。
「……誰、だ」
かすれた声。彼はゆっくりと顔を上げ、私を見た。
「セリカ・フェルンと申します。あなたを、迎えに来ました」
男の目が、大きく見開かれる。
「迎え……? 俺は、グラント。領兵の……もう、三十年になる。ずっと、鳴らし続けた。誰か、気づいてくれと。だが、誰も……」
「聞こえていました。ずっと」
私が手を差し伸べると、グラントの無骨な手が震えた。
「……本当に、迎えが来るとは思わなかった」
壮年の頬を、涙が伝う。三十年分の孤独が、ほどけていく音がした。
「行きましょう。あなたの帰る場所へ」
結界を抜けたグラントは、外の光に目を細め、ミラに支えられながら膝をついた。
「お嬢様……この方が、最初の一人ですね」
「ええ。でも、最後じゃない。まだ、たくさんいる」
私は森の奥を見つめた。無数の光の糸が、まだ、私を待っている。
(全員、連れて帰る。そして――誰がこの人たちを見捨てたのか、白日の下に晒す。)
りん、と森が鳴いた。今度は、少しだけ嬉しそうに。
*
救出を重ね、私は森の最奥へと踏み込んでいた。
そこには、朽ちかけた神殿のような場所があった。漆黒に藍を溶かした鱗。月光色の長い髪。金色の竜眼を持つ、長身の青年が――こちらを、じっと見ていた。
(竜人……この人が、噂の「森の主」。冷酷な魔物と呼ばれる……)
身構える私に、彼は口を開いた。
「お前……鈴の音が、聞こえるのか」
低く、静かな声。だが、どこか震えている。
「はい。あなたが、この結界を守ってきたんですね」
青年――ヴァイスは、金の瞳を見開いた。そして、信じられないものを見るように、一歩、また一歩と近づいてくる。
「俺の声が……届くのか。呪いで、鈴の音を介してしか、人と関われなくなって……もう、何百年も、誰とも――」
言葉が、詰まる。
「あなたが領民たちを、守ってくれていたんですね。ひとりで、ずっと」
「……っ」
ヴァイスは口をつぐみ、ふいと顔を背けた。かと思えば、身を乗り出すように、食い気味に言った。
「……で、次はいつ来る?」
「え」
「い、いや、その、救出とか、まだ残ってるだろう。だから、次に、いつ……」
そこまで言って、彼は自分の言葉に気づいたのか、みるみる耳まで赤くなった。竜眼が泳ぐ。
(……この人、めちゃくちゃ寂しがり屋だ。冷酷な魔物どころか、ポンコツじゃない。)
思わず、私は笑ってしまった。追放されてから初めての、心からの笑みだった。
「毎日でも来ますよ。あなたが望むなら」
ヴァイスは、はっと顔を上げ、それから照れ隠しのように咳払いをした。
「……勝手にしろ。別に、俺は、寂しくなんか……」
りん、と。
私が鈴を鳴らすと、彼の体を覆っていた黒い呪いの靄が、ほんの少し、薄れた。
「今の……」
「あなたの呪い。私の鈴の音で、解けるみたいですね」
ヴァイスは、自分の手のひらを見つめ、そして――泣きそうな顔で、笑った。
「……お前、名前は」
「セリカです」
「セリカ」
名を呼ぶその声は、数百年分の孤独が、初めてほどけた音がした。
*
季節が巡る前に、私は数十人の領民を現世へと帰還させた。
そしてミラが、動いていた。
「お嬢様。集めましたよ。ロゼリア様が神託を捏造していた証拠、それに――救出された方々の証言、全部」
おさげを揺らし、ミラは分厚い書類の束を掲げた。
「あの女、行方不明者の情報を握って、『森の声が聞こえる』なんて嘘をついて回ってたんです。助けられた人を見殺しにして、その情報で社交界をのし上がった。反吐が出ますよ」
「証人は?」
「グラントさんをはじめ、皆さん『証言する』と。お嬢様が助けてくれたこと、この目で見た真実を、王都でぶちまけてやるって」
王都の大聖堂。聖女ロゼリアの「神託感謝祭」が催されるその日。
壇上で、ロゼリアが涙ながらに語っていた。
「森に呑まれた哀れな民のため、わたくしは日々祈りを……」
その時、扉が開いた。
老兵グラントが、ゆっくりと歩み出る。壮年の姿のまま、しかし三十年の重みを背負って。
「――嘘だ」
静寂。
「私は、グラント。三十年前、神隠しに遭った領兵だ。結界の中で、鈴を鳴らし続けた。だが、誰も来なかった。ロゼリア様、あなたは我々の場所を知っていた。知っていて、見捨てた」
ロゼリアの顔が、青ざめる。
「な、何を……わたくしは聖女……」
「我々を見捨てたのはロゼリア様だ。そして助けてくれたのは――セリカ様。ただ一人だった」
どよめきが、津波のように広がった。次々と、救出された領民たちが名乗りを上げる。「私も助けられた」「セリカ様だ」「聖女など偽りだ」と。
壇上で、アルヴィンが凍りついていた。
「そんな……ロゼリア、これは、どういう……」
「ち、違うの、アルヴィン様、これは何かの間違いで……!」
証言は、止まらない。
真実の鈴が、今、王都いっぱいに鳴り響いていた。
*
大聖堂の扉が、再び開いた。
差し込む光を背に、私は歩み出た。隣には、漆黒の鱗をまとった竜人ヴァイス。そして背後には、救い出した数十人の領民たち。
「セリカ……フェルン……?」
アルヴィンが、幽霊でも見たような顔で呟く。
「森に、封印したはず……なぜ、生きて……!」
私は、ざわめく貴族たちの中を、まっすぐ壇上へと進んだ。取り乱しもせず、声を荒らげもせず。
「お久しぶりです、王子殿下」
「貴様、魔物を……その竜人を連れて、何のつもりだ!」
「魔物?」
私はヴァイスを見上げた。彼は静かに、けれど確かな眼差しで私を見返す。
「この方は、数百年間ひとりで、あなた方が見捨てた民を守り続けてきた守護者です。魔物と呼んで恐れていたのは――あなた方の無知でしょう」
アルヴィンの顔が、赤くなり、青くなる。
「王子殿下。ひとつ、お尋ねします」
私は、静かに問うた。怒鳴らず、ただ、鈴を鳴らすように。
「私が通じていたのは、魔物ではありませんでした。あなた方が見捨てた、民の声でした。――鈴の音は、助けを求める人の音。それを『魔物の誘い』と切り捨てたのは、どちらでしょう?」
静寂。
誰も、言葉を返せなかった。
「どうして……」
崩れ落ちたのは、ロゼリアだった。
「どうして、私が聖女なのに! お姉様は、無能なはずなのに! なんで、なんでこんな……!」
「無能?」
私は、妹を見下ろした。哀れみさえ、少し湧いた。
「あなたは一度でも、あの森の鈴の音を、本当に聞こうとしたことがある? ――助けを求める声を、握りつぶすことに使ったあなたには、聞こえなかったでしょうね」
ロゼリアは、言葉を失い、床に崩れた。
王の裁定は速やかだった。
ロゼリアは偽聖女として断罪され、爵位も名誉も剥奪。アルヴィンは民と王家の信を失い、王位継承権を剥奪された。
私は、指一本汚していない。
ただ――真実の鈴を、鳴らしただけだった。
*
季節は移ろい、神隠しの森は変わった。
私は、森を管理する新たな領主となった。かつて「死の森」と恐れられた場所は、今や「帰れる森」と呼ばれている。
迷い込んだ者がいれば、私の【鈴音感応】が光を辿り、必ず連れ帰る。もう、誰も泣かせない。
「お嬢様、お茶の時間ですよ! ……って、また森に入り浸って。竜人様が拗ねてますからね」
ミラが呆れたように言う。相変わらずの毒舌と、姉のような世話焼き。グラントたち救出された領民も、今では領地の頼れる住人だ。
「お嬢様が正しかったこと、私はずーっと知っておりましたからね」
ミラは誇らしげに、胸を張った。
森の最奥。神殿の跡地で、ヴァイスが私を待っていた。
呪いの黒い靄は、もうほとんど消えている。月光色の髪が、木漏れ日に揺れていた。
「遅い」
「すみません。ミラに捕まってました」
「……別に、待ってなんか」
そう言いながら、彼の尻尾が嬉しそうに揺れているのを、私は見逃さない。
(そう言いながら、尻尾が嬉しそうに揺れてる。見逃しませんよ。)
「セリカ」
ヴァイスが、そっと私の手を取った。金の竜眼が、少し照れくさそうに揺れる。
その手のひらに乗せられたのは――小さな、銀色の鈴だった。
「これ……」
「お前が、いつでも、俺を呼べるように。鳴らせば、俺は、どこにいても駆けつける」
彼は、ふいと顔を背けた。それでも、耳が赤い。
「この音が聞こえる限り、俺はもう……寂しくない」
私は、鈴を胸に抱いた。前世からずっと、たった一人で聞き続けてきた鈴の音。あれはきっと、この日のためにあったのだ。
「ヴァイス」
「……なんだ」
「これからも、毎日鳴らします。だから――ずっと、隣にいてください」
ヴァイスが、はっと私を見た。そして、数百年分の孤独をほどいた、あの泣きそうな笑みで、頷いた。
「……ああ。もう、どこにも行かない」
りん――。
森に、鈴の音が響く。
もう誰も泣かせない、優しい音が。
その音の続く先に、私たちの物語は、まだ始まったばかりだった。




