第3話:チャラ男、現る
教室に入った瞬間、背中にドンと衝撃が走った。
「よっ、湊! 今日も弁当箱パンパンだな!」
金色の頭が視界に割り込んでくる。
伊集院翔太。クラスのムードメーカーにして、俺の隣の席に陣取る自称・陽キャ代表。入学一週間にしてクラスの中心に居座り、全方位に話しかけ、全方位から好かれている。コミュニケーション能力という概念に肉体を与えたら、たぶんこいつになる。
「朝からうるさい」
「いいじゃん。で、聞いてくれよ。昨日ゲームのガチャで限定キャラ引いたんだけどさ——」
「興味ない」
「まあまあ。そのキャラの性能がヤバくて——」
興味ないと言ったのに。
翔太は俺の返事を待たずに喋り続ける。声がでかい。笑い方も派手。金髪は地毛じゃなく、入学式の翌日に染めてきた猛者だ。桜井先生に「染めろ」と言われて「先生こそ白髪染めたら?」と返し、職員室に一時間正座させられたらしい。
——まあ、嫌いじゃない。
こいつといると「普通の高校生」をやっている感覚になれる。家での生活が特殊すぎて、その感覚は割と貴重だ。
「にしても、お前朝から疲れた顔してんな。夜更かし?」
「……寝不足」
正確には、隣で寝ている幼馴染が深夜二時に「……チョコパイ」と寝言を言い出して目が覚めた。起きてるのかと思ったが完全に寝ていた。夢の中でもチョコパイを食べている。あの女の脳内はどうなっているんだ。
「ゲーム?」
「いや……ちょっと物音がして」
「一人暮らしで物音? 幽霊じゃね?」
「幽霊の方がまだ静かだよ」
「?」
翔太が首を傾げたが、深くは追及してこなかった。
こいつはこういうところがある。怪訝な顔はするが、踏み込まない。チャラ男のくせに妙な距離感覚がある。
一限目、桜井先生が気だるそうに教室に入ってきた。ジャージの上にカーディガンを羽織ったいつもの出で立ち。片手にはスルメ。朝からスルメを齧る教師もどうかと思うが、その辺を指摘する度胸のある生徒はいない。先生の睨みには不良が震え上がるという伝説がある。
「えー、席替えは来月だ。文句あるやつは職員室に来い。俺が相手してやる」
桜井先生は「俺」と言う。性別は女性だ。誰も突っ込まない。
授業中、俺は前を向いてノートを取りながら、背後の気配を意識していた。
二列後ろ、窓側。朝凪まふゆの席。
授業中のまふゆは、完璧な「氷の女王」だ。教科書を開き、ノートを取り、当てられれば最短の言葉で正答する。無駄がない。隙がない。あのスライム状態の面影は、影も形もない。
——同一人物なんだけどな。今朝「おんぶ」と四回言った人間と。
四限目が終わり、昼休みのチャイムが鳴る。
俺が弁当箱を取り出した瞬間、翔太が椅子を引きずってきた。
「おっ、見せて見せて」
弁当箱の蓋を開ける。
卵焼き(甘め)、タコさんウインナー、ミニトマト、ブロッコリーのごま和え、白飯にはちいさな梅干し。隅っこにチョコパイが半分。
「…………」
翔太が黙った。
それからゆっくりと俺の顔を見た。
「お前さ」
「なんだ」
「彼女いるだろ」
「いねえよ」
「じゃあ母親」
「海外」
「……これ、誰が作ったんだよ」
「俺」
翔太が二度黙った。今度は五秒くらい長い。
「お前が」
「俺が」
「タコさんウインナーを」
「切れ目入れて炒めただけだ」
「しかもチョコパイ付きかよ。弁当にチョコパイ入れるやつ初めて見た」
あれは入れたんじゃない。今朝まふゆが「……おべんと、チョコパイ入れて」と言ったから入れたのだ。正確には、まふゆの分の弁当に一個入れたら「……湊のにも入れた。お揃い」と半分に割って俺の弁当にもねじ込んできた。
「自炊男子かよ。モテるだろ、お前」
「モテてない」
「意外だな。弁当のクオリティでいったらクラスでトップだぞこれ」
翔太がからあげ弁当をガサガサと開けながら、未練がましく俺の弁当を見ている。
「一個くれよ。タコさん」
「断る」
これはまふゆ印のタコさんだ。——いや、俺が切ったんだけど。まふゆが「……タコの顔、こわい」と言うから目を描かないで作った。目なしのタコさんウインナー。シュールだが、まふゆのこだわりだ。人に渡すわけにはいかない。
「ケチだなあ。卵焼きは?」
「駄目」
「ブロッコリー」
「駄目」
「お前、弁当に命かけすぎだろ」
命はかけてない。ただ毎朝五時半に起きて、二人分の弁当と朝食を作っているだけだ。
——二人分、という部分は翔太に聞かれるわけにはいかない。
昼休みも半ば。教室の喧騒の中で弁当を食べていると、廊下を歩く人影が見えた。
銀色の髪。
まっすぐ伸びた背筋。
周囲の空気を凍らせるような、隙のない横顔。
朝凪まふゆが、教室の前を通り過ぎようとしていた。
「おっ、氷の女王だ」
翔太が小声で言った。
「怖すぎだろ、あの子。この前廊下ですれ違った時、目が合いそうになって心臓止まるかと思った。美人なのは認めるけど、話しかける度胸ねえわ」
まふゆは廊下を歩いている。視線は前方。誰にも興味を向けていない——ように見える。
だが、教室の入口に差しかかった瞬間。
まふゆの視線が、一瞬だけこちらに向いた。
目が、合った。
ほんの零コンマ数秒。すれ違う車窓みたいに一瞬で。
そして、まふゆの唇が微かに動いた。
声は出していない。音にしていない。
でも、読み取れた。
——「ばか」
それだけ。
まふゆはすぐに視線を前に戻し、何事もなかったように廊下を去っていった。銀色の髪が光に透けて揺れる。
……何が「ばか」だ。朝から何もしてないだろ。
いや、待て。心当たりがないわけじゃない。
今朝、弁当にチョコパイを入れたのは半分だけだった。「……一個入れて」と言われたのに、場所の都合で半分しか入らなかった。あの「ばか」は、おそらく「チョコパイ半分ケチ」に対する抗議だ。通学路でも伝えられたはずなのに、わざわざ昼休みに教室の前を通った。
あいつ、ただの通りすがりのフリして、文句言いに来たのか。
「……」
俺は黙って弁当のチョコパイ半分を口に入れた。甘い。とりあえず、帰ったら一個丸ごと渡そう。
「なあ、湊」
翔太の声で我に返った。
からあげを咀嚼しながら、翔太が妙な顔をしている。
「今の……お前、見てなかった? あの子、口動いてたぞ」
「え?」
「氷の女王。お前の方見て、なんか口パクしてた」
「……気のせいだろ」
「いや、絶対動いてた。なんて言ったんだ?」
「知らね。見てなかったし」
嘘だ。見てた。「ばか」と言われた。チョコパイ半分の恨みでだ。
だがそんなこと翔太に説明できるわけがない。
翔太はからあげの最後の一個を口に放り込んで、ふむ、とひとつ頷いた。
「お前さ」
「……なんだよ」
「なんか隠してるだろ」
心臓がドクンと跳ねた。
顔に出ていないか。目が泳いでいないか。必死に平静を保つ。
「隠すって、何を」
「さあ?」
翔太は肩をすくめた。
そして、にっと笑った。
「聞かねえよ。俺、そういうの察するの得意だけど——察した上で空気壊さないのが仕事だから」
からあげ弁当のゴミをぐしゃっと丸めながら、翔太は続けた。
「お前が話したくなったら聞く。それまでは、いつも通りバカやってるから安心しろ」
軽い口調だった。
いつも通りの、チャラくて能天気な声。でも、目だけが真剣だった。こういうところだ。こいつが「ただのチャラ男」じゃないのは。空気を読みすぎて、全部分かった上で、あえて何も聞かない。
「……別に、大したことじゃねえよ」
「おう。大したことじゃねえならいいじゃん。俺も大したこと聞く気ねえし」
翔太は椅子を元の位置に戻し、「よっしゃ、購買行くぞー」と廊下に消えていった。
その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
伊集院翔太。
見た目は金髪チャラ男。声がでかくて、テンションが高くて、からあげが好き。
でも本当は——たぶんクラスで一番、人の心に敏感なやつだ。
あいつには、いつかちゃんと話さないといけない気がする。
全部は無理でも、少しだけ。
でも今は——まだ、無理だ。
放課後。
帰り道は別々に歩く。当然だ。学校では「氷の女王」と「ただのクラスメイト」。すれ違っても視線を合わせない。
アパートの階段を上り、101号室の鍵を開ける。
ドアが閉まった瞬間。
「——おかえり」
背後から抱きつかれた。
顔を胸元に埋め、スンスンと匂いを嗅ぐまふゆ。ジャージ姿。髪はボサボサ。三十分前まで廊下を歩いていた「氷の女王」は跡形もない。
「……検閲。……合格」
「一緒に帰ってるんだから当たり前だろ」
「合格は合格」
まふゆが顔を上げた。
ハイライトが戻った紫の瞳が、じっと俺を見ている。
「……チョコパイ」
「やっぱそれか」
「……半分だった。ケチ」
「弁当箱に入らなかったんだよ」
「……明日は一個」
「善処する」
「……善処じゃなくて確約」
善処と確約の違いを知ってるのか。この幼馴染、妙なところで語彙力を発揮する。
まふゆは俺のシャツを掴んだまま離れない。そのままリビングまで引きずられるように移動した。
ソファに座ると、まふゆが隣にぺたりと座り——というか、ほぼ膝の上に移動してきた。
「……今日、つかれた」
「何の?」
「……学校。人がいる。疲れる」
「そりゃ学校だからな」
まふゆが俺の肩に頭を預けた。
銀色の髪がさらりと腕に触れる。シャンプーの甘い匂いと、うっすらとした汗の匂い。体育があったから少しだけ体温が高い。
「湊」
「ん」
「……今日の弁当、おいしかった」
声が小さくなった。
ケチだの半分だの言っておいて、結局そこに着地するのか。
「……あと、タコさんの目がなかったの、よかった」
「お前が怖いって言うからだろ」
「……目があると、食べる時かわいそうだから」
「タコさんウインナーに感情移入するのはお前だけだ」
まふゆは「……ん」と小さく頷いて、目を閉じた。
俺の肩に寄りかかったまま、呼吸が穏やかになっていく。
テレビもつけない。スマホも見ない。
ただ、くっついているだけの時間。
学校での「氷の女王」と、家での「溶解スライム」。
この落差を、毎日切り替えているまふゆは——正直、すごいと思う。
どっちが本物かは聞かない。たぶん、どっちも本物だ。
明日もあいつは、学校で完璧な横顔を作って、クラスメイトを凍らせる。
そして家に帰ってきたら、俺の膝の上でとろける。
——この二重生活、いつまで続くんだろう。
まあ、今はいい。
今日の分の充電は、まだ終わっていない。
「……湊」
「ん」
「……明日は、チョコパイ一個。約束」
「……はいはい」
一個丸ごとなんて弁当箱に入らないと思うが、明日考えよう。
最悪、弁当箱を二段にすればいい。一段目がおかず、二段目がチョコパイ。
——何の弁当だそれは。




