表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/22

第19話:借り物競争



 午後の部。最初の種目が借り物競争。


 ルールは単純だ。走ってフィールド中央まで行き、裏返しに置かれたカードを取る。カードに書かれた「お題」に合うものを——物でも人でも——連れてきてゴールする。


 まふゆの出走順は三番目。赤組の三走。


 俺は応援席で見ている。隣に翔太。


「借り物競争ってさ、お題で全部決まるよな」

「だな。『赤いもの』とかならいいけど、『好きな人』とか出たらカオスだぞ」

「ラブコメじゃないんだから——」


 第一走者がスタートした。お題:「眼鏡をかけている人」。走者は冬月を引っ張ってきた。冬月が「私は風紀巡回中です!」と叫びながらゴールした。


 第二走者。お題:「帽子」。体育帽を被ってゴール。


 第三走者。まふゆの番。


 スタートラインに立った。銀色のポニーテールが風に揺れる。氷の女王の目。周囲から「朝凪さん、がんばれー!」という声援が飛ぶ。


 ピストルの音。


 まふゆが走る。速い。100メートルで一位を取った足だ。あっという間にフィールド中央に到着。


 カードを取る。

 裏返す。


 まふゆが一瞬、固まった。


 ——何のお題だ。


 まふゆがカードを見つめている。一秒。二秒。

 

 そして、体の向きが変わった。


 こちらを見た。


 応援席の——俺を。


 まっすぐに。迷いなく。


 走り始めた。

 フィールド中央から、応援席に向かって。


 学年中の視線がまふゆに集まっている。他の走者はフィールド上で物や人を探しているのに、まふゆだけが応援席に向かって一直線に走っている。


「おい、朝凪さん、あっち行ってるぞ」「誰か探してる?」「応援席に用があるの?」


 まふゆが応援席のフェンスの前で止まった。

 俺の前に。


 息を切らしている。汗が首筋を伝っている。目が真っ直ぐに俺を見ている。


「……湊」

「——お題、何だ」


 まふゆがカードを差し出した。


 白いカードに、太いマジックで書かれた文字。


 **「大切な相棒」**


 ——。


「……来て」


 まふゆの手が伸びた。

 俺の手を掴んだ。冷たい指。でも、力強い。


 応援席がどよめいた。学年中が見ている。「あの氷の女王が男の手を引いてる」「あれ夏目じゃない?」「相棒って——」


「朝凪、俺でいいのか」

「……いい。行く」


 考える暇もなかった。

 まふゆに手を引かれて、フェンスを飛び越えた。応援席からフィールドに飛び出した。


 走る。

 手を繋いだまま。


 二人三脚じゃない。紐は結んでいない。でも、手が繋がっている。


 まふゆの速さ。俺は必死について行く。まふゆの方が速い——いつもの二人三脚と同じだ。でも今日は紐がないから、まふゆはフルスピードだ。俺の手を引いて、全力で走っている。


 フィールドの中央を横切る。ゴールテープが見える。


 風が耳元を切り裂く。まふゆの銀色の髪が風にたなびく。握った手のひらが汗で滑りそうになる。まふゆの指が俺の指の間に入り込んで、しっかりと繋がった。


 ——恋人繋ぎだ。


 いつからそうなった。分からない。走っている間に、普通の手繋ぎが恋人繋ぎに変わっていた。


 ゴールテープ。


 駆け抜けた。


 歓声が爆発した。


「一位ーーー! 赤組第三走者、朝凪まふゆ選手、お題は『大切な相棒』——借り物は夏目湊くん! 一位ーーー!」


 放送が叫んでいる。

 学年中がざわめいている。


「朝凪さんの相棒って夏目かよ」「手繋いでるし」「あの二人ってそういう——」「いや幼馴染って噂は聞いたことあるけど」


 ゴールの先で、まふゆと二人で立っている。

 手が、まだ繋がったままだ。


 まふゆの体が息で上下している。頬が真っ赤だ。汗が輝いている。


「……一位」

「一位だな」

「……湊で、よかった」


 その声は、学校モードでも家モードでもなかった。

 どちらでもない、まふゆそのものの声だった。


 ——手を離すタイミングを、どちらも見つけられなかった。


 三秒。五秒。


 まふゆが俺の手をそっと離した。指が一本ずつ解けていく。


 離れた瞬間、手のひらに空気が入り込んだ。冷たい。まふゆの手がない分だけ、世界が冷たくなった。


 テントのそばで、翔太が叫んでいた。


「お前らぁぁぁぁ!!」


 喜んでいるのか呆れているのか分からない叫び。


「すげーよ! 一位! でもな! 手! 繋ぎすぎ!!」

「借り物競争だからだろ」

「借り物って手を繋がなくても連れてこれるだろーーー!!」


 正論だ。冷静に考えれば、俺の腕を引っ張ってくるだけで良かった。手を繋ぐ必要はなかった。ましてや恋人繋ぎなんて——


「翔太、うるさい」

「うるさくねえよ! クラス全員見てたぞ! 学年全員見てた!!」


 冬月が駆け寄ってきた。

 顔が真っ赤だ。鼻を押さえている。


「ふ、不純異性交遊……!」

「借り物競争だぞ」

「手を繋いで走るのは——いえ、競技上の必然性が——しかし恋人繋ぎは——」


 冬月の言葉が支離滅裂だ。風紀委員長のCPUがオーバーヒートしている。


「冬月委員長。借り物競争のルールに『手を繋いではいけない』とは書いてないだろ」


 翔太が助け舟を出した。冬月に向かってニヤリと笑う。


「むしろ、相棒を『借りて』きたんだから、ルール通りだ」


 冬月が言葉に詰まった。

 

「……ルール上は……確かに……でも風紀的には……」

「風紀的にセーフだ。体育祭の熱気の中での競技行為。以上」

「伊集院くんは黙っていてください!」

「はーい」


 冬月がバインダーに何かを猛烈に書き殴っている。文字が震えている。尊さと風紀の間で魂が引き裂かれているのだろう。


 まふゆは——いつの間にか俺の隣に戻っていた。

 氷の女王モード。完璧な無表情。


 ペットボトルの水を飲んでいる。


 ——なぜか、俺のペットボトルを。


「おい、それ俺の」

「……のどが渇いただけです」


 氷の女王の声。

 でも、俺のペットボトルのキャップを開けて、俺の飲みかけの水を飲んでいる。間接キス。


 周囲がざわめいた。


「え、今の——」「朝凪さん、夏目の水飲んでる」「間接——」「いやいやいや」


 まふゆがペットボトルを俺に返した。

 無表情のまま。


「……のどが渇いただけです」


 二回言った。

 氷の女王は語彙が少ない。


 翔太が天を仰いだ。


「お前ら……お前らーーーーー!!」


 冬月はもはや言葉を失い、バインダーに「尊い」と五回書いていた。


「……」


 まふゆが俺の袖をそっと引いた。

 周囲には聞こえない小さな声で。


「……湊の水、おいしかった」

「水に味はない」

「……ある。湊の味がした」


 俺はもう何も言い返せなかった。


 午後の種目が全て終了。

 

 最終結果——赤組、優勝。

 借り物競争の一位と、二人三脚の一位。まふゆと俺が稼いだ得点が効いた。


 閉会式で表彰を受ける赤組。翔太が応援団長として壇上に立ち、拳を突き上げた。


「赤組ーーー! 最高ーーー!!」


 クラス全員が叫んだ。

 まふゆも——声は出さないが、小さく拳を握っていた。


 体育祭が終わった。

 

 夕暮れの校庭。片付けが進んでいる。テントが畳まれ、万国旗が外されていく。


 応援席のそばで、まふゆが一人で立っていた。

 夕焼けの光を浴びて、銀色の髪がオレンジに染まっている。


「帰るぞ」

「……ん」


 並んで歩く。校門を出る。

 

 帰り道。二人きり。


「……湊」

「ん」

「……今日のお題。『大切な相棒』」

「ああ」

「……迷わなかった」

「見てた。一直線だったな」

「……うん。他の人は、頭に浮かばなかった」


 夕焼けの中、まふゆの影が俺の影と重なった。


「……湊以外は、考えもしなかった」


 その声が、夕暮れの空気に溶けた。

 

 俺は何も言えなかった。

 何も言えなかったけど——手が、自然に伸びた。


 まふゆの手を取った。


 冷たい指。細い手。走った時と同じ感触。


 まふゆが俺を見た。驚いた顔。——次の瞬間、目が細くなった。


「……帰ろう」

「ああ。帰ろう」


 手を繋いで帰った。

 校門から自宅まで、十二分間。

 

 アパートの前で手を離した。


 ——帰り道だけ、という昨日の約束を、俺の方から果たした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ