表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/21

第15話:監視の果てと、予想外の言葉


 朝、目を開けると、窓の外が明るかった。

 久しぶりの晴れ。

 光が部屋に差し込んで、まふゆの髪を金色に染めている。


 彼女はまだ眠っている。

 寝顔が穏やかで、起こすのがためらわれた。

 でも、学校がある。


「……起きろ」

「……んー」

「晴れてる」

「……それで?」

「気分いいだろ」

「……寝てる方がいい」


 結局、いつも通り力ずくで起こした。


 朝食はパンケーキにした。

 週末でもないのに、少しだけ特別なもの。

 理由は分からないが、そういう気分だった。


 まふゆは蜂蜜をたっぷりかけて、幸せそうに頬張っている。

 その姿を見ているだけで、俺も少しだけ幸せになる。


 リボンを結ぶ。

 昨日教えた通り、固く、きっちりと。

 もう誰にも直させない。


 家を出ると、空が青かった。


 ---


 校門の前に、雫がいた。

 いつもと同じ場所。同じ姿勢。

 だが、今日は何かが違う気がした。


 俺たちが通り過ぎようとしたとき、雫が口を開いた。


「夏目、朝凪。放課後、生徒指導室に来い」


 心臓が凍った。


 バレた。

 昨日の図書室で、決定的な何かを見られた。

 もう終わりだ。


 隣で、真冬の呼吸が止まるのが分かった。

 俺は必死に平静を装い、「分かりました」とだけ答えた。


 教室に入ると、翔太が心配そうな顔で近づいてきた。


「お前、雫さんに呼び出されてたな。何かやらかした?」

「……分からない」

「マジで? やべえな。生徒指導室って、停学レベルの話だぞ」


 停学。

 その言葉が、頭の中でぐるぐる回る。


 授業中、何も頭に入らなかった。

 黒板を見ても、文字が意味を成さない。

 ただ、放課後のことだけを考えていた。


 昼休み、弁当を開いたが、味が分からなかった。

 翔太が何か話しかけてきたが、上の空で聞き流した。


 背中側で、真冬の気配を感じる。

 彼女も同じだろう。

 食欲なんてないはずだ。


 放課後が来た。

 俺と真冬は、別々のタイミングで教室を出た。

 廊下で合流し、無言のまま生徒指導室へ向かう。


 ドアの前で、足が止まった。

 ここを開けたら、何が待っている?

 俺たちの関係がバレて、問題になる?

 最悪の場合、親に連絡がいく?


 真冬が俺の袖を掴んだ。

 指先が震えている。


 俺は深呼吸をして、ドアをノックした。


「入れ」


 雫の声が、冷たく響いた。


 ---


 生徒指導室は、思ったより狭かった。

 机が一つと、椅子が数脚。

 窓からの光が、埃を照らしている。


 雫は机の向こうに座っていた。

 腕を組み、俺たちをじっと見ている。


「座れ」


 言われるままに、椅子に座った。

 真冬が隣にいる。

 肩が触れそうで、触れない距離。


 雫は長い間、何も言わなかった。

 沈黙が部屋を満たす。

 心臓の音が、自分でも聞こえるほど大きい。


 やがて、雫が口を開いた。


「単刀直入に聞く。お前たち、同棲しているな」


 頭が真っ白になった。


 否定しなければ。

 嘘をつかなければ。

 でも、言葉が出てこない。


 隣で、真冬が息を呑むのが分かった。


 雫は俺たちの反応を見て、小さく頷いた。


「やはりそうか」


 終わった。

 そう思った。


 だが、雫の次の言葉は、予想外のものだった。


「今すぐ報告するつもりはない」


 俺は自分の耳を疑った。

 同時に、膝から力が抜けた。

 椅子に座っていなければ、その場に崩れ落ちていたかもしれない。


「……は?」

「今は、報告しないと言った。聞こえなかったか」


 聞こえた。確かに聞こえた。

 でも、意味が分からない。

 頭の中がぐるぐると回っている。終わったと思った。人生最大の危機だと思った。同棲がバレて、親に連絡がいって、まふゆと引き離されて——そんな最悪の未来が、一瞬で頭の中を駆け巡っていた。


 それが、「報告しない」?


 全身の力が抜けていく。

 指先から、腕から、肩から、順番に緊張がほどけていく。

 呼吸が乱れる。さっきまで止まっていた息が、一気に戻ってくる。


「いや、聞こえましたけど……なぜ?」


 声が震えている。自分でも分かる。

 隣で、真冬が小さく息を吐いた。彼女の肩も、微かに震えている。


 雫は腕を解き、椅子の背にもたれた。

 その姿勢が、いつもの冷たい風紀委員長とは少し違って見えた。


「最初から怪しいと思っていた。登校のタイミング、弁当のおかず、図書室での距離感。全部、普通の『クラスメイト』じゃなかった」


 やはり、見られていた。

 俺たちの小さな工夫は、全部バレていた。


「それと——教室で何かの音がした時、お前たちは無意識に互いの方を向く。一瞬だけ。本人たちは気づいていないだろうが、私は全部見ていた」


 心臓が冷えた。

 そんな癖があることすら、俺は知らなかった。

 雫の方が、俺たちのことを理解している——その事実が、屈辱的だった。


「だが、調べていくうちに、別のことが分かった」


 雫は真冬を見た。


「朝凪。お前の家庭環境は知っている。親が海外赴任で、一人暮らしを余儀なくされていること。それが精神的にどれだけ負担か、想像はできる」


 真冬の肩が、わずかに震えた。


「そして夏目。お前も同じ境遇だな。隣同士のアパートで、互いに支え合っている。……違うか」


 俺は何も言えなかった。

 ただ、頷くことしかできなかった。


 雫は深く息を吐いた。


「風紀委員として、これを見逃すのは本来ありえない。だが——」


 彼女の目が、一瞬だけ柔らかくなった。


「私にも、分かることがある」


 雫は立ち上がり、窓の方へ歩いた。

 逆光で、その表情は見えない。


「……朝凪を初めて見た時、息が止まった」


 雫は窓の外を見ながら言った。

 その声は、いつもの冷たさとは違う。


「完璧な造形。冷たい美しさ。……私の理想そのものだった」


 俺は何を言っているのか分からず、固まった。


「だから最初、夏目を見た時——正直、腹が立った。あんな平凡な男が、彼女の隣にいる。許せなかった」


「……」


 真冬の肩が、小さく震えた。


「でも、観察していくうちに分かった。朝凪が夏目を見る目。夏目が朝凪を守る姿勢。あれは——本物だ」


 雫の目が、窓の外から俺たちへ戻った。

 その視線には、冷徹さだけではない、何かが滲んでいる。


「最初は、ただの監視対象だった。異性間の不適切な距離。取り締まるべき違反。……そう思っていた」


 雫は少し言葉を切った。

 何かを飲み込むように、喉が動いた。


「でも、見ているうちに——興味が湧いた。この二人は、どこまで行くのか。どうやって終わるのか」


 その言葉に、背筋が凍った。

 味方じゃない。雫は、味方じゃない。


「私が求めていた『完璧な関係性』が、目の前にある。……だから、今は様子を見ることにした」


 真冬が小さく息を呑んだ。

 俺も、言葉が出てこなかった。


「勘違いするな。私はお前たちの味方ではない」


 雫の声が、冷たく響いた。


「ただ、このまま壊れていくのか、それとも何かが変わるのか——一番近くで見届けたい。それだけだ」


 鳥肌が立った。

 これは監視どころじゃない。

 雫は、俺たちを観察している。

 実験動物でも見るような目で。

 どこまでが本音か分からない不気味さが、部屋の空気を重くした。


「孤独は人を壊す。誰かがそばにいてくれるだけで、人は生きていける。それを否定する権利は、私にはない」


 その言葉には、何か——重みがあった。

 雫自身の経験が、滲んでいるような。


「ただし、条件がある」


 雫は振り返り、俺たちを見た。

 目の温度が、また冷たくなっている。

 いや——最初から冷たかったのかもしれない。一瞬だけ見せた何かは、俺の見間違いだったのか。


「条件は五つ。一、一ヶ月の猶予。問題があれば即座に報告する。二、学校では視線さえ切れ。三、朝凪は週一度、私と話せ。閉じた世界は歪む。四、夏目も何かあれば報告しろ。五、これは『許可』ではない。『観察期間』だ」


 観察期間。

 その言葉が、胸に冷たく刺さった。

 一ヶ月、一瞬のミスも許されない。

 しかも、雫に観察され続ける。

 俺たちは実験台だ。うまくいくか、壊れるか、それを見届けられる対象。


「……分かったな」


「……ありがとうございます」

「礼を言われることではない。私は自分の信念に従っているだけだ」


 雫は机に戻り、座った。


「話は以上だ。行け」


 俺と真冬は立ち上がり、ドアへ向かった。

 ノブに手をかけた時、雫の声が聞こえた。


「夏目」

「はい」


 振り返ると、雫は窓の外を見ていた。

 その横顔が、少しだけ寂しそうに見えた。


「……弁当、美味そうだった」


 気づいていたのか。

 俺は言葉を探したが、雫は続けた。


「……昔、私にはそういう相手がいなかった」


 独り言のような、小さな声だった。

 雫の目は、どこか遠くを見ている。


「……一人、壊した。私が」


 短い言葉だった。

 でも、その声が震えていた。


「……冬月さん」

「余計なことを言った。忘れろ」


 雫は視線を戻し、いつもの冷たい目に戻った。

 でも、その一瞬だけ、俺は見た気がした。

 雫の中にある、壊れかけた何かの残滓を。


「……一つ、聞いていいですか」


 俺は自分でも驚くほど、自然に口を開いていた。


「何だ」

「冬月さん、『マジカル☆スノープリンセス』……好きですよね」


 雫の肩が、びくりと跳ねた。

 振り返った目には、明らかな動揺がある。


「……なぜ、それを」

「ストラップ、見えました。校門の時」

「……」


 沈黙が落ちる。

 雫の頬に、わずかに赤みが差した。


「……朝凪に、似ていると思った」

「え?」

「オーロラ姫に。銀髪で、寡黙で、孤高で——でも、たった一人だけに心を開く」


 雫は照れているのか、視線を逸らしながら続けた。


「だから私は——お前たちを見ていると、『物語』を見ているような気持ちになる。守りたくなる。邪魔されたくない」


 だから監視していたのか。

 俺たちを見張るためじゃなく——俺たちを守るために。


「……変だと思うか」

「いや、変じゃないです。全然」


 俺は正直に答えた。

 真冬が俺の袖を小さく引いた。

 彼女も、同じ気持ちだろう。


「……感謝しろとは言わない。私は私のやりたいようにやっているだけだ」


 雫はそう言って、背を向けた。

 でも、その声には、どこか安堵の色があった。


 ---


 アパートに帰ると、俺たちは玄関で抱き合った。

 言葉はなかった。

 ただ、お互いの体温を確かめ合った。


「……怖かった」


 まふゆが俺の胸に顔を埋めながら言った。


「俺もだ」

「でも、雫……優しかった」

「ああ。予想外だった」


 検閲はあとでいい。

 上書きも、あとでいい。

 今は、ただこうしていたかった。


 しばらくして、まふゆが顔を上げた。


「……雫と、友達になれるかな」

「さあ。でも、悪くないかもな」


 俺は彼女の髪を撫でながら、雫の言葉を思い出していた。


 「孤独は人を壊す」


 あの言葉には、実感がこもっていた。

 雫も、何か抱えているのかもしれない。


 夕飯は、いつもより少しだけ豪華にした。

 唐揚げと、味噌汁と、卵焼き。

 まふゆの好物を並べる。


「……お祝い?」

「処分されなかった。それだけで十分だろ」

「……うん。でも、雫……怖かった」

「ああ。俺も」


 まふゆは唐揚げを一つ口に入れ、少しだけ笑った。

 その笑顔が、さっきまでの緊張の名残を滲ませている。


「……あの人、何考えてるか分からない」

「分からないな。味方かどうかも分からない」

「……観察されてるって言ってた」

「言ってた。俺たちは実験動物みたいなもんだ」


 まふゆは箸を止め、俺を見上げた。


「……怖い?」

「怖い。でも、最悪の事態よりはマシだ」

「……うん」


 それが、今の正直な気持ちだった。

 雫は味方じゃない。でも、敵でもない。

 俺たちを見ている。何を考えているか分からない目で。

 それでも、隣にまふゆがいる。それだけで、少しだけ安心する。


 食後、ソファに並んで座る。

 テレビの音を小さくして、窓の外を見た。

 夜空に、星が見える。


「……湊」

「ん?」

「私たち、大丈夫かな」

「大丈夫だ。雫が味方になった。それだけで、かなり楽になる」

「……うん」


 まふゆは俺の肩にもたれ、目を閉じた。


「……おやすみの充電」

「ああ」


 腕を回すと、彼女は小さく身を丸めた。

 体温が重なり、今日の緊張が少しずつ溶けていく。


 眠りに落ちる前、まふゆが囁いた。


「……湊、ありがとう」

「何が?」

「一緒にいてくれて」


 俺は答える代わりに、彼女を少しだけ強く抱きしめた。


 窓の外で、風が吹いている。

 明日も、明後日も、学校がある。

 距離を守り、秘密を守り、日常を守る日々が続く。


 でも、もう一人じゃない。

 まふゆがいる。

 そして今日から、雫もいる。


 小さな世界が、少しだけ広がった。

 それが嬉しいのか、寂しいのか、まだ分からない。

 でも、悪くない。


 俺はまふゆの寝息を聞きながら、静かに目を閉じた。

 明日は、リボンをいつもより丁寧に結ぼう。

 雫に見せつけるために——じゃなくて、まふゆのために。


 そんなことを考えながら、俺も眠りに落ちた。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!

もし『面白い』『続きが気になる』と少しでも思っていただけたら、モチベーションに直結しますので、下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援いただけると泣いて喜びます。

ブックマーク登録もぜひ、よろしくお願いします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ