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燃え尽き令嬢、本音で話す


「……エルドレット、様?」


 今日、恋人になったばかりの少年は、私とブラクを引き裂くようにして、その場に悠然と立っていた。


「ごめん、アーシュ嬢!」


「え?」


 先ほどまでの圧倒的な威圧感はどこへやら、彼は大きかった背中をしゅんと縮め、申し訳なさそうに頭を下げた。助けてくれた本人が、礼を言われるより先に謝ってくる。そのギャップに、私は椅子に座ったままフリーズしてしまう。


「勢いで殴り飛ばしたから、君のドレッサーが……」


「ああ……」


 視線を向ければ、無惨に倒れた鏡台と、床にぶちまけられたお気に入りのコスメたちが目に入った。その中心で、ブラクが顔にひどいアザを作って気絶している。あれほどの破壊音がしたのだ。かなりの力で殴られたのだろう。


「……掃除は大変そうですけれど。それよりも、お礼を言わせてください。助けてくださって、本当に……ありがとうございます、エルドレッド様」


「実は、君にもう一度会いたくて、そこの使用人に案内してもらったんだけど……」


 彼が入り口を指差す。そこにはマキアが顔面蒼白で立ち尽くしていた。


「尋常じゃない気配がしたから、無理やり押し入らせてもらった。彼女も止めたかっただろうけど、相手は貴族だからね。手出しは難しかったはずだ」


 主人が襲われているのに、身分差ゆえに動けずパニックになっていたのだろう。マキアの忠誠心を知っているからこそ、その苦悩が痛いほど伝わる。


「……って!? 貴方こそ、そんなことを言っている場合ではありませんわ! 平民の身で伯爵子息を殴り飛ばすなんて、取り返しのつかないことに……!」


 この学園の特権階級意識は凄まじい。もし彼が貴族に手を上げたと知れれば、退学どころか重罪は免れない。

 だというのに、当の本人はケロッとした顔で「まあ、他に方法なかったしね」と頬をかいている。


「それは俺の方で何とかするよ」


「そんな簡単な話では――」


「しー」


 不意にエルドレッドの指が私の唇を塞いだ。そして、喋れなくなった私を見ながら彼はニコリと笑う。

 相変わらず顔が綺麗な男だ、と思っていると、口に当てられていた長い指が頬を滑り、目頭から目尻をそっと優しく撫でる。


「泣いてるぞ……?」


「っ……」


 指摘されるまで気づかなかった。彼の手の温かさで、ようやく自分が涙を流していることを知る。


「よく、我慢した」


 泣く子をあやすような声。それは優しい、安心させられる声。


「ぁ……」


 水滴がスカートの上に、ポタリ……と落ちた。

 エルドレッドの指先が何度も涙を拭うたび、ダムが決壊したように雫が溢れ出しす。


「……あれ? おかしい、ですわ」


 なぜだろうか……。ニエラじゃあるまいし、こんな状況で泣きじゃくるなんて。

 頭では変だと思っているのに、泣きたい気持ちなんてないのに、ポロポロと落ちる涙がとめられない。

 そんな、心と体がチグハグになってしまった私を落ち着かせるように、頭を撫でてくれる少年の手。

 その温もりがまた、壊れた涙腺を刺激する。


「辛かったな。もう、大丈夫だ」


「エルドレッド……様」


 彼の言葉が、心の奥底で凍りついていた感情を溶かしていく。見ないように、見せないようにしていた弱い心まで。


(……やめて!)


「……違います! 今は、こんな……泣いている場合じゃないんです! 私なんかより、貴方の方が、ずっと良くない状況で……!」


「いいんだ」


「良いわけ、ありませんわ……」


「傷ついているのは、君だろ」


「どうして……」


「たくさんの人に裏切られて、辛くないわけないよな」


「ッ……!」


 違う。辛くなんかない。私は『適当』に生きると決めたのだから。

 期待しない、本気にならない。そう決めたはずなのに。


「頑張ってきたのに、分かってもらえないのは、悔しかったろ」


「…………」


(どうして、知っているの?)


 気づいていた……。

 『適当に生きる』という言葉は、ただの言い訳でしかないと。

 誰からも顧みられない自分、無価値だと言い捨てられた自分……そんな惨めな現実を認めたくなくて、必死に自分を騙していたのだ。


「一人ってのは悲しいもんだ」


(バレていたんだ、この人には……)


「……わたし、は」


 婚約者だったブラクから告げられた『萎びた女』という言葉。

 ペンダコができるまで勉強し、領地のために全てを捧げてきた私の三年間を、存在そのものを八つ裂きにされた気がした。


「……エルドレッド様。わたしは、貴方を騙しておりました」


 夢破れ、目標を失った私に残ったのは、可愛げも、魅力もない、空っぽの抜け殻。そんな私を、誰が隣に置いてくれるというのか。


「本当は、優しくも綺麗でもない……ずるくて、何もない、灰のような人間なんです。恋人になったのも、ただの『適当』……」


「だろうな。分かってたぜ、最初から」


 分かってたのに、助けてくれたのか。

 彼はきっと良い人なのだろう。

 私なんかよりも、ずっと……。


「だったらもう、行ってください。貴方まで私のせいで酷い目に遭いますよ? 私がやったことにすれば、まだ何とかなりますから!」


 私のような汚い人間は、見捨てて逃げてくれ。そう叫ぶ私に、彼は断固として告げた。


「断る」


「………………」


 その力強い響きに、言葉を失う。


「アーシュ嬢。君は俺が初めて付き合えた人で、誰よりも可愛いと思っている女性だ。……こんな恋人を、自分から手放すなんてあり得ないね」


「……話、聞いていましたか?」


「もちろん」


「騙したんですよ!? 私なんて、全然可愛くな――」


「可愛いくて優しくて賢い!」


「ッ!?」


「俺にとって、それが君だ。だから……もう一度言うぜ」


 熱を持った大きな手のひらが、頬に残る涙の跡をふわりと撫でる。


「好きだ。……君から離れるつもりはない」


「どう……して」


 いい加減枯れたと思っていた涙が、これまで以上に溢れ出す。

 顔が良いだけの、よく知らない人だったはずなのに、どうしてこんなに嬉しいのだろう。なんて都合の良い女なんだろうか、私は。

 騙していたくせに。

 利用していたくせに。

 頬をつたう雫が、とまってくれないのだ……。


「改めて聞かせてくれ。この告白に対する、君の答えを」


 ルビーのように燃える視線が私を貫く。

 暗闇に灯された炎が、冷たくなった私の心を、ゆっくりと、けれど確かに溶かしていくように。


(……ああ、あたたかい)


 私は震える唇を開き、本当の答えを返した。


「    」

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