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燃え尽き令嬢、適当なことを言う


 エルドレッドと別れた私は、大理石と金箔がこれでもかとあしらわれた、悪趣味なほど豪奢な扉の前に立っていた。

 この先では今まさに午後の授業が行われており、そこには当然、自分を捨てたあの男もいるはずだ。

 手に力をこめて、重厚な扉をためらいなくガラッと開け放つ。


ーーー静寂。


 教室内、全員の視線が突き刺さる。冷やかし、同情、困惑。けれど今のアーシュ・フィルミナスには、それらすべてが羽虫の羽音ほどにも感じられない。


(……大したことないわ。もっと凄い修羅場を、領地経営で何度も乗り越えてきたもの……)


 堂々と、自分の席へと向かって歩き出す。その途中、教壇から無愛想で有名な魔鉱工学の教授、ハランが声を上げた。


「アーシュ・フィルミナス……か?」


 鉄面皮な彼が、珍しく目を見開いている。皆勤賞が当たり前だった優等生が、突然の大遅刻。驚くなという方が無理だろう。


「左様ですが、何か?」


 私が淡々と肯定すると、ハラン教授は「随分と……いや、うむ。まあいい。席につけ」と、毒気を抜かれたように授業を再開した。教授が続行を宣言した以上、他の十七人の生徒たちも口を出すことはできない。

 しかし、席に着くまでの間、男の子たちの妙な視線を感じる。

 ブラクのように「婚約破棄された哀れな女」と馬鹿にされるか、腫れ物に触るような目で見られるかと思っていたが、何かが違う。男子生徒たちが、信じられないものを見るかのように私を凝視しているのだ。


(……何かしら。顔に、何か付いてる?)


 まさか、堂々と遅刻しただけで、これほど反応が変わるものだろうか。

 一方で、女子生徒たちは予想通り。「よく出てこれたわね」「わたくしなら恥ずかしくて退学するわ」といった陰口が、わざとらしく耳に届く。それともう一人ーーー。


「まだいたのだな、灰女……」


 元婚約者であるブラク。一番後ろの席で座っている彼も、他の令嬢と同様に見下してくる。

 私は、ハァと重いため息を一つ。そして、自分の席に座ると、ざっと黒板の内容を把握。なかなか難しい計算式の羅列だが、理解は三分あれば余裕だ。

 クスクスとダンスパーティーの一件をネタに花を咲かせる淑女達と浮気男の話し声を無視しつつ、優雅に、かつ傲然と手を挙げた。


「ハラン教授、よろしいでしょうか?」


 本日の授業中、二度目の遮断に眉をひそめる教授に対し、私は澱みなく口を開く。


「疑問が二つあります。一つはリュートン駆動方程式から磁界のマグウェル方程式へ展開する際、三行目の積分式に初歩的な誤記がありますわ」


「む。……なるほど、確かに。指摘に感謝する、フィルミナス嬢」


 教授は素直に間違いを認める。やはり彼の、学問に対して真摯なところは嫌いではない。


「……して、二つ目は?」


「はい。先ほどからそちらの女子生徒たちが、ハラン教授の授業を『退屈でつまらない』と、内緒話に興じておりますの。あまりに不敬ですので、厳重なお叱りをお願いしますわ」


 瞬間、教室の温度が氷点下まで下がった。


「なっ……!?」


「アーシュさん、あなた! 適当なことを言わないでくださる!?」


「わたくし達はそんなこと言っておりませんわ!」


 顔を真っ青にして喚き散らす小心者たちを、私は冷ややかに見下ろして微笑んだ。


「あら? ご否定なさるの? だったらせっかくですもの、何をそんなに熱心にお話しされていたのか、今ここで教授に説明なさってはいかがかしら?」


「それは……っ」


 言えるはずがない。私に対する無責任な中傷を、本人の前、かつ教師の前で再現することなど。正直に言う勇気が彼女たちにあるなら、そもそも陰口などしないのだから。

 少しの沈黙。痺れを切らしたハランが、低く、冷徹な声を出す。


「では……話を聞いていたはずの諸君。フィルミナス嬢が指摘した式の誤りを、論理的に正してみなさい。私語に耽る余裕があるのなら、造作もないことだろう?」


 その言葉に、私以外の全員が蛇に睨まれた蛙のように固まった。

 教授は容赦なく、一番後ろの席で、苦虫を噛み潰したような顔をしていた元婚約者ーーーブラクを指差した。


「ブラク・エバーレンス。まずは君だ。回答したまえ」


「…………っ」


 ブラクの顔がグニャリと歪む。彼は私を殺さんばかりに睨みつけるが、教授の追及からは逃れられない。「早くしなさい」と急かされ、彼は蚊の鳴くような声で答える


「……わかりません」


「……ふむ。では、隣の君」


「……わかりません」


「では、その隣の……」


 阿鼻叫喚の指名タイムが始まったが、正解者は一人も出ない。結局、最後にもう一度私が指名され、我ながら模範的な解答を述べて幕を閉じた。


「由々しき問題だな、諸君。貴族たる者が、学問においてこれほどの体たらくでは困るのだがね」


 そう言って、授業終了の鐘の音と共に教室を後にすらハラン。彼の姿が自分たちの席から見えなくなった瞬間に、クラス中から刺すような視線を感じる。


(まあ、これだけ派手に喧嘩を売れば、こうなるわよね)


 自業自得。けれど、気にする必要もない。

 私は席を立つ。せっかく注目の的となって良い機会だ。

 その場でクルリと顔の向きを変え、恨めしい顔つきの者たちへと向かい合う。


「皆様。私が憎ければ、どうぞ学力でやり返してきてくださいな。……もし、次の定期テストで私より一点でも高い点数を取れた方がいらしたら、その方の仰ることを『何でも』聞いて差し上げますわ」


 小馬鹿にする笑みを見せつけながらの宣言。

 瞬間、クラスメイトたちの目に、燃えるような復讐の火……あるいは、なにかの欲望の火が灯るのを感じた。


(ふふ。これで少しは、クラスの平均点も改善されるかしら)


 我ながら、随分と「適当」な鼓舞をかましたものだ。けれど、負ける気は微塵もしない。

 これまでのテストは無能な元婚約者に押し付けられた帳簿仕事や領地経営の重圧で、勉強時間を削られ続けてきたーーーが、自由になった今、全力を出したらどうなるか。

 すでに学年二位の私が全力で勉強して、一位になることはあっても、負ける未来は見えないのだ。


「めかし込んで、人気者にでもなるつもりか? ……灰女のくせに」


 脅すような口調で呟くブラク。


「あら、この適当な化粧……気に入っていただけました?」


「っ……」


 更に目尻を尖らせる元婚約者。今更、この男の指示通りの化粧をする気は無い。

 私は、拳を震わせて眉間にシワを作る男の横を、鼻歌でも歌いたくなるような足取りで通り過ぎたのだった。

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