燃え尽き令嬢、適当に恋人を作る
休日明けの昼下がり。
本来の私なら、教室の最前列でカリカリとペンを走らせ、領地経営に役立ちそうな講義を一つも漏らさず頭に叩き込んでいる時間だろう。
「……ふわぁ、よく寝た」
時計の針は13時を回っている。間違いなく大遅刻だ。この間までの自分なら、5分遅刻しただけで「フィルミナス家の名に傷がつく」と青ざめたに違いない。
けれど今はーーー。
「肌の調子がいいわね……」
鏡に映る顔は、満足げに口角を上げている。
三日三晩、泥のように眠り続けたおかげだろうか?
しつこかった目の下のクマは霧散し、丁寧に保湿された肌は驚くほど瑞々しい。適当に結い上げただけのプラチナブロンドの髪ですら、窓から差し込む陽光を反射して輝いていた。
「お嬢様、本当に授業に行かなくてよろしいのですか……?」
「いいのよマキア。……私、もう『真面目』は卒業したの。貴女も今日はお休みして、好きな物でも食べに行きなさい」
唖然とする侍女にお小遣いを渡し、私は一人、校舎へと続く赤煉瓦の道を歩き出す。誰もいない通学路。風に揺れる木々の音。
(あぁ、なんて贅沢な時間かしら)
生まれてこのかた領主として、貴族として、婚約者として、女として……。色々なものに縛られて、なんて馬鹿らしいことか。
そんな感傷に浸っていた私の視界に、謎の物体が入ってきた。一瞬マネキンか?とも疑ったが、何やらプルプル震えている。
「……あら?」
その正体は、道に倒れ込む少年だった。しっかり私と同じ学年である事を示す赤いネクタイ見えている。
(怪我!?)
慌てて駆け寄ると、信じられないほど整った顔立ちがそこにあった。陽の光を凝縮したような金糸の髪に、ルビーの様な真紅の瞳。
けれどその表情は絶望に濡れている。
「もし、大丈夫ですか? 保健医を呼びましょうか」
「体は痛くないんだ」
げっそりとした顔に、ただ事ではないと身構えた。身体が弱りすぎると、痛みすらも感じなくなると聞いたことがある。
「もしかして、体の感覚がないの!?」
「痛いのは、心だ」
「……心、ですか?」
そんな病気、あっただろうか? 精神疾患の類かな?
必死に校内学力2位の知識を総動員して、彼の状態に近い症状の病を検索する。
そこで、真っ赤な瞳を伏せて、悲しそうに呟いた。
「……振られたんだ……」
「え?」
消え入りそうな声。
あまりの弱々しさに耳を近づけると、彼はポロリと一筋の涙をこぼした。
「クレー嬢に……好きだと言ったんだ。……そしたら、平民はごめんだ、と……っ」
「……は?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
よりによって、あの寄生虫のような女の名前が出てくるとは。
「平民は」という事は、この人は貴族でないということか? そういえばここバーキランス貴族学園に、特待生として一人だけ入学を許された「平民の天才」がいると噂には聞いていたけれど。
(この方だったのね……)
「……それは、残念でしたわね。おいたわしい」
本来の私なら、ここで身分を説き、勉学に励めと諭しただろう。
けれど、目の前でボロボロと涙を流す少年があまりにも美しく、そして彼を振った女があまりにも不快だからか。私は毒気を抜かれて隣に座り込んでしまった。
「よしよし、泣かないで。あんな女、見る目がないだけですわ」
適当に背中をぽんぽんと叩いて慰めてあげる。
人の婚約者を平気で奪い取る様な奴に惚れた、この哀れな少年にちょっと同情。整った顔を有効活用出来れば、性格の良い子爵とお付き合いすることも出来ただろうに。
「貴方ほど綺麗な人に告白されたら、多くの女性は嬉しくて泣いてしまいますわ」
少年は弾かれたように顔を上げた。
「それは本当か?」
「っ……!? えっと、本心ですが」
びっくりした。めちゃくちゃ反応するわね、この方……。
適当な励まし文句だったが、想像以上に彼の心に突き刺さったらしい。真紅の瞳が、驚愕に、そして……次の瞬間には、得体の知れない熱を帯びてキラキラと輝き出す。
「それは……お姉さんもか!?」
「お姉さんって……見ての通り同学年ですが」
「君も、俺に告白されたら嬉しいか?」
「え? うーん、まぁ、そうかもしれませんね?」
そんな事を聞いて如何するのだろう?
自分は周りから『燃え尽き令嬢』とバカにされる程度にはパッとしない女である。そんなしなびた異性に、告白前提の質問をしたところでなんの慰めにもならない。
「あの……君の、名前は?」
「あら、失礼しました。私はアーシュ・フィルミナスですわ」
「……俺は、エルドレッド」
エルドレッド……。
平民だから家名は無いのだろう。
(でも、その名前って確か……)
そんなはずないか、とこっそり首を振る。名前の種類は無数にあるのだ。たまたま貴族と平民とで名前が被るくらい珍しくもないだろう。
「エルドレッド様、とお呼びしても?」
「もちろんだ。だから、その……アーシュ嬢!」
先程の失恋ムードから打って変わって、背筋をピンと伸ばすエルドレッド。改めて金髪の下にある紅玉の視線が凛々しさを増していく。
「優しくしてくれてありがとう」
「気にしなくて良いですよ」
雑に励ましただけなので、わざわざお礼を言われる程でもない。
「その、いきなり言うと、あれなのだが……一目見て君が、とても可愛いと思っている」
「え……はぁ?」
そんな気を使わなくて良いのに。
私の外見はお世辞にも良いとは言えない。その証拠に、元婚約者から「萎びた女」とか「灰女」とか言われて拒絶されたばかりだ。だから無理に褒められる方が、むしろ悲しくなる。
「では、エルドレッド様。立ち直られた様なので、私は失礼致しますわ」
これ以上お世辞を言われるのは少し辛い。だから、早々にこの場を去るのが得策だろう。
そう思って立ちあがろうとした時ーーー。
「待ってくれ!」
演劇のワンシーンの様なセリフが飛んできた。おまけにエルドレッドの右手が、ペンダコまみれの汚い右手をガッシリと掴む。
「どうしても言いたい事がある。聞いてくれ」
「は、はい……」
その真剣な眼差しに、流石の私も面食らう。婚約者だったブラク以外、近づいた異性がいなかった自分には、男に手を握られるだけでドキッとしてしまうのに。
(こんな綺麗な人に呼び止められたら、びっくりするに決まってるわ!)
「わ、私に、これ以上なにか……?」
「………………」
なにを言うつもりか知らないが、エルドレッドは手を握ったまま固まる。そんなに言いにくい事なら、また今度の機会に言ってくれても構わないのだが。
この無言の状況のまま数秒が経過し、いい加減こちらから話を切り出そうかと思った瞬間ーーー。
「アーシュ嬢」
「はい!」
赤い、燃える様な瞳が、まっすぐに私を見つめた。炎の様に熱い視線に、気持ちがざわつく。
その波紋が重なり、共鳴する様にみるみる大きくなって、心臓に同調する。鼓動が大きく、速くなっていき、それが遂に最高潮に達しようとする瞬間、少年の喉が震える。
「好きです……」
ドクンッーーーと、大きく跳ねた。
「……僕と、恋人になってください」
「………………は?」
本日二度目の素っ頓狂な声が出た。
ガシッ、と両手を掴まれる。あまりの予想外な事態に、脳はフリーズを起こす。当たり前だろう。
出会って数分。名前も知らない。おまけに彼は、今さっき別の女に振られたばかり。
普通なら、即座に手を振り払い、平手打ちの一つでも見舞う場面だ。
けれど。
(……顔、めちゃくちゃ好みなのよね)
ブラクの茶髪とは違う、眩いほどの金髪。見られた者を灰にしてしまいそうな真紅の瞳。それらを黄金比で整えている美しい輪郭。恋人を外見で選んで良いのなら、これ以上の男はいないだろう。
(でもそれって、相手に失礼だし……)
ブラクにも「男は見た目ではなく内面で決まるのだ!」と言われてきたではないか。
男女の付き合いをそんな適当に……、適当に……、適当……。
「………………」
今の私は『適当』に生きると決めた女だ。そして、「男は内面だ」と言い放った男に捨てられた女でもある。
(そうだったわ。私はもう……)
慎重に相手を見定め、家格を調べ、将来を計算する日々はもう終わった。もう、終わったのである。
「……良いですよ。なりましょうか、恋人に」
私の軽い返事に、エルドレッドはパァッと顔を輝かせた。
「まじで!?」
「まじですわ」
「……ぃょっ」
「?」
「っっっっっしゃぁぁぁ! ありがとう、アーシュ嬢! 俺、世界で一番、君を幸せにするぜ!」
「ハハハ。たのしみですわー」
世界を救ったみたいな勢いで喜ぶ彼ーーーもとい、恋人に握られた手をブンブンされながら、私は空を見上げた。
(あぁ、適当ってなんて楽なのかしら)
いつか、この貴族ではない恋人を連れて教室に入った時、ブラクたちの顔はどんな風になるのだろうか。想像するだけで、不思議と心が躍る。もしかしたら、平民と付き合っていることにびっくりさせられるかもしれない。
「ほんとに、たのしみですわ」
「ん、どうしたんだ? アーシュ嬢」
「いいえ……。ただ、貴方のお名前が、天下の公爵子息様と一緒だったのが、面白かっただけですわ」
私たちは晴れて恋人として、それぞれの午後の授業へと向かうのだった。




