燃え尽き令嬢とイバラ問答
「噂には聞いてたけど、流石の豪華さね……」
「お嬢様、入って大丈夫でしょうか……」
太陽が空をオレンジ色に染め始める時間、私は紙に書かれた住所へ側付きのマキアと一緒に訪れていた。
目の前にそびえるシアテーラス夫人の別荘は、学園の喧騒を忘れさせるほどに、圧倒的な存在感を放っている。
門番に促されて門をくぐれば、手入れの行き届いた四季折々の花々が咲き乱れ、白亜の壁に夕日が反射し、建物全体が黄金色に輝く。
(これが……『イバラ侯爵夫人』と呼ばれる方の別荘なのね)
私の領地内に休憩所として用意した別荘とは全く違う、圧倒的な権威と気品。3m以上ある大きな扉の前に立つだけで、思わず足がすくんでしまう。
「お待ちしておりました。アーシュ・フィルミナス子爵様でございますね。ここからはわたくしポールがご案内させていただきます」
「よろしくお願いします」
執事への礼をしつつ、後ろで震えているマキアに「行きますよ」と声をかけてあげる。
シアテーラス夫人も私たちを獲って食べようとしているわけではないのだから、もう少し肩の力を抜いて、毅然とした振る舞いをしてほしいものだが、小心者の彼女にそれを求めるのは酷だろう。
「お足元にお気をつけ下さい」
(え!?)
執事に促されて屋敷の中に入った途端、今度は先ほどとは真逆の理由で驚かされる。
あれほど厳格な外観の城に一歩足を踏み入れれば、そこには光も内装も……そして『人』すらもが温かい、とても優しい空気が流れていた。
玄関ホールでは磨き上げられた大理石の上を、使用人たちが軽やかな足取りで行き交っている。けれど彼らの制服は汚れ一つなく、所作の全てが美しい。
「いらっしゃいませ、フィルミナス様! 奥様がお待ちですよ」
「お荷物、お預かりしますね。お疲れではありませんか?」
「奥様はサロンにて、フィルミナス様が来られるのをとても楽しみにされていましたわ」
すれ違う誰もが、花の咲くような明るい笑みを浮かべていた。
主人の「イバラ」という二つ名に怯える様子など微塵もない。むしろ、自分たちの仕事に誇りを持ち、この屋敷を愛していることがその活気ある声から伝わってくる。
サロンへと続く廊下には、歴史を感じさせる重厚な絵画や、国宝級と思われる異国の花瓶が一切の乱れもなく並べられていた。
けれど、それらは決して近寄りがたい威圧感を放ってはいない。使用人たちが毎日、愛情を込めて手入れをしているからだろうか。
最高級の品々が、まるで呼吸をしているかのように、この屋敷の活気に溶け込んでいる。
「こちらでございます……」
ポールと名乗った執事に導かれ、サロンへと足を踏み入れるとーー
「歓迎するわ。アーシュ・フィルミナスさん」
ソファでゆったりとくつろぐ夫人が、目を細めて私を迎えてくれた。
もう50歳は過ぎているはずなのに不思議と雰囲気は若々しく、それでいて凜とした振る舞いが美しい。
彼女の隣では、一人の若いメイドが「お好みの温度でございます、奥様!」と、自信満々に紅茶を差し出している。
「ありがとう。もう下がってもらって問題ありませんよ。……さぁ、フィルミナスさん、おかけになって」
「ありがとうございます。お招きに預かり光栄です」
制服のスカートをつまみ、感謝の礼を示したのち、静かにソファへと座る。ちなみにマキアは使用人なので、私の後ろで控えてもらった。
「驚いたかしら? わたくしの家は少し、騒々しいでしょう」
「いいえ……。とても、素敵ですわ。皆様がこんなに楽しそうに働いていらっしゃるなんて」
「ふふ。恐怖で縛るより、美味しい食事と正当な報酬、そして『自分たちがこの屋敷を支えている』という自負を与える方が、よほど効率的なのよ」
夫人は悪戯っぽく笑い、ティーカップを口に運む。
最高級の絨毯、壁を彩る豪華なタペストリー。それら全てが、使用人たちの明るい笑顔によって、より一層輝いて見える。
「さて、本題に入る前に一つだけ、フィルミナスさんに質問しても良いかしら?」
「お気を回して頂きありがとうございますわ。私などで答えられることであれば、是非ともお答えさせて頂きますわ」
イバラはティーカップを机に置くと、スッと目を細めた。その目には先程までなかった冷たい光が浮かぶ。
彼女は優しい口調で、けれど冷淡さも感じさせるほど淡々と言う。
「……フィルミナスさん、もし貴方の好きな殿方が、立場も経歴も、その性格すらも嘘だったとしたら、貴方はどうするの?」
「……え?」
予想もしなかった問いかけに、鼓動がドクンと高鳴る。
「例えば……そうね。莫大な借金を抱えていた、とか。“人も殺せる”恐ろしい人だった、とか」
「…………」
「その真実を知った時、貴方はどうするのかしら」
きっと夫人は今朝のグループディスカッションの時のことを言っているのだろう。私がエルドレッドと結ばれたとして、もし彼が私に、恐ろしい嘘をついていたらどうするのか……と。
固唾を飲み込み、慎重に言葉を選ぶ。
「……後悔は、するかもしれません」
「あら、正直ね」
「ですが、そうだったとしても、彼と一緒に乗り越えられるように、努力します」
「貴方は、自分では返せない程の借金を、したことがあるのかしら?」
「ありません」
「そんな貴方が、協力してくれるかもわからない相手と一緒に、困難を乗り越えられると?」
「…………」
「好きになった相手を、見ている世界を、多くのことを知らないのに自分の全てを投げ打つという選択は、あまり賢い選択とは言えないと思うわ」
その言葉を聞いて、夫人が聞きたかったことを理解した。多分、何を気にしてくれているのか、も。
「貴賤結婚のことでしょうか?」
夫人は頷く。
「フィルミナスさん。わたくしは貴方のことを、信頼できる、とても素晴らしい少女であると、そう思っているわ」
「ありがとう、ございます……」
「だからこそ、聞かせてほしいのよ。本当に、その選択で良いのか。世の中には、後悔した……なんて軽い言葉では済まされないような出来事が沢山あるから」
「……その選択で良いのか、ですか」
彼女の言葉は本心なのだろう。
問いかけられた言葉は鋭い指摘でもあったが、それ以上に私を心配してくれる気持ちが見えた。
たかだか十数年しか生きていない私とは、見えている世界も体験してきた経験も何もかも比べものにならないからこそ、私の選択を心配してくれているのだ。
「そうよ。本当に、あの少年との未来を選ぶの?きっと貴方には、もっと確実で、安全な、貴族らしい未来もあるはずなのに……」
「……貴族らしい未来」
「フィルミナス領のことは聞いているわ。その歳で領地を支えている貴方の才は、凡人とは一線を画すものだった。……でも、あの少年と生きていこうとするのなら、その才覚は全て宝の持ち腐れとなってしまう。勿体無いとは、思わないの?」
「勿体無い……ふふ」
「フィルミナスさん?」
「……あははは」
「?」
「あ!?」
夫人にキョトンとした顔をさせてしまう。当然にことだが、自分を心配してくれている相手を笑ってしまうなど、失礼極まりない事だ。
でも、分かっていても笑ってしまうほどに、今の自分が面白かった。
「失礼しました! つい、おかしくて……」
「良いのよ。何か、変なことでも言ってしまったかしら」
「いいえ。お話を聞けば聞くほど、シアテーラス夫人のおっしゃる通りだと思いました。おそらく私が夫人を納得させられる言葉も、出てくることはないと確信致しました」
「……なら、あの少年との関係は諦めるの?」
夫人の顔は優しい。イバラなどと言われているイメージからはかけ離れた、慈愛に満ちた表情。
でも私は、その顔に真っ向から首を振る。
「いいえ。彼と添い遂げられるように、全力を尽くします」
答えを聞いた時、彼女の目は見開かれた。
「……なぜ? わたくしの言葉に納得しているのでしょう?」
「はい。とても。私自身、そうすべきだと思っています」
「なら……」
「ですが、それでも……私は彼を選びます」
「…………」
「私からも、シアテーラス夫人に一つ、ご質問してもよろしいでしょうか?」
夫人の顔にはまだ私の答えに対する困惑の色を残しながら、「もちろんよ」と頷く。
「正しいと思ったことが、必ず正しい選択だったと、どうやって証明できますか?」
「……それは」
この質問に答えなどきっとない。
それは自分よりずっと生きている夫人の方が、身に染みて知っていることだろう。
そして私自身、数日前に思い知らされた。
「確実に、安全に、貴族らしく……そうして添い遂げようとしていた殿方は、私を好きだと言ってはくれませんでした」
「…………」
どんな正しく生きたって、効率よく生きようとしたって、気高く生きたって、自分ではどうにもできないことがどうしたって起こり得る。
でも、逆のこともあってーー
「そんなの全部やめて、『適当』になってみたのです。すると……ふふ、不思議なのですが、やっと見つけることが出来たのですわ。本当に一緒にいたい……ちゃんと私を好きだって言ってくれる人を」
「……そう、だったのね」
出会ったその日に告白してきたエルドレッド。あの時に見た喜びに満ちた顔は、きっと一生忘れない。
あんな適当な選択。向こう水で、考えなしの、無責任な始まりだったけれど。それが私の凍りついた人生を変えてくれた。
「彼と生きていくためには、できる限りのことをします。沢山考えて、一生懸命一緒にいられる方法を探しますわ。だからーー」
「だから、『適当』に出会った彼を選ぶ……ということかしら?」
「……心配してくださったこと、とても光栄に思っております。けれど、私は……」
すると夫人は目を瞑り、「もういいわ」とピシャリと言った。
嫌われてしまっただろうか?
せっかくの助言を無碍にしてしまった。己の無礼な振る舞いを謝罪しよう。
そう思った次の瞬間ーー
「わたくしの不徳でしたわ……」
「え!?」
頭を下げたのは、イバラ侯爵夫人の方だった。
「あ、頭を上げて下さい!?」
「わたくしは貴方の信念を見誤っていました。身分違いの相手と添い遂げようとする覚悟に、心からの敬意を……」
私が賜っている子爵位よりもはるかに高い地位の侯爵夫人が、深々と頭を下げている。
それはまるで、己よりも高位の相手に対して行う最上位の礼に見えた。




