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燃え尽き令嬢、肯定される


「シアテーラス侯爵夫人……!?」


 夫人は、ステージの上で見せていた氷のような視線をふっと緩め、穏やかな笑みを浮かべる。


「こんなに早くまた会えて嬉しいわ。アーシュ・フィルミナスさん」


「お、お見苦しいところを、お見せいたしました……」


 今さっき、私は何をしようとしていたのだろう。

 エルドレッドの熱い視線に、言葉に、あやうく全てを委ねて吸い込まれるところだった。さっきから周りに聞こえるんじゃないかと心配になるくらいドッドッと心臓が爆音を鳴らしている。


「確かに、淑女として褒められた振る舞いではありませんでしたわね。でも……」


 イバラ侯爵夫人は冷静に指摘しながら、隣に立つエルドレッドへ鋭い一瞥。


「エスコートもできない殿方がいけないのでしょうから。アーシュさん、貴方が気に病む必要はないのよ。だって――」


「そうですわ! その男は卑しい平民。貴族ならば、毅然とした態度ではね付けるべきですわ!」


 横から、クレーが勝ち誇った顔で割り込む。

 横でギョッと驚いているブラクに構うことなく一歩前へ出た彼女は、イバラ侯爵夫人に臆すことなく挨拶をした。


「ご機嫌麗しゅうございます。アビゲイル・シアテーラス侯爵夫人。お初にお目にかかりますわ。わたくし、クレー・フローレンスと申します」


 彼女は完璧な所作で淑女の礼を執り、夫人に向け不敵に微笑む。


「貴族のしきたりを重んじる侯爵夫人から、どうかアーシュさんをお叱りいただけないでしょうか? 彼女はあろうことか、平民の男と不潔な関係になろうとしています」


「……叱る? わたくしに彼女の何を叱れとおっしゃるの?」


「それは勿論、貴族が平民と通じることですわ。わたくし達貴族に対する侮辱ではありませんか!」


 クレーはクスクスと喉を鳴らして笑う。

 この女、夫人の前でなんてことを言ってくれるのだ。先日に領民を助けたこともあって、こんな私にも優しく接してくれる数少ない知人だというのに。


「このままではここバーキランス貴族学園で、あろうことか『貴賤結婚』が起きてしまう可能性もあるのです!」


 貴賤結婚とは貴族と平民が結婚することだが、貴族社会においてこれは一種のタブー。貴族という高貴な存在が下々である平民と番うなど、階級社会に対する侮辱に他ならないのである。

 そのため、貴賤結婚が行われる場合には必ずと言って良いほどに、爵位の剥奪が行われる。貴族の世界では、平民と婚姻を結ぶことは平民になることと同じなのだ。


――で、先ほど私は何をしていたのか。


 平民と今にもおっぱじめようとしていた私は、厳しいことで有名なイバラ侯爵夫人の地雷を全力で踏み抜いたに違いない。


「シアテーラス夫人、その……これは……」


 取り繕おうとするも何も言えない。何せそれを理解してて、それでも私はエルドレッドが好きになったんだから。

 彼と一緒になること――それは全てを失うことを意味する。地位も、土地も、家も……そして人脈すらも。

 それでも彼と一緒になりたいから、せめてその準備をしていこうと、慎重に動いていた結果これだ。


「いくら『燃え尽き令嬢』でも、貴族として最低限の分別は持つべきですわよねぇ?」


 クレーの嘲笑がホールに響く。

 だが、夫人はその声を無視し、冷ややかな目で彼女を見据えた。


「失礼。フローレンス家と言うと、レバノ・フローレンス子爵の御息女かしら?」


「はい。わたくしの家名をご存知いただけていたこと、光栄でございます」


 人形のように整ったクレーの挨拶。それに対し、夫人は心底退屈そうにため息を吐いた。


「……忘れもしませんわ。二十年ほど前、有り余る財と引き換えに、無理やり子爵の席を誂えさせた……例の『成金蜘蛛』の娘さんね」


「ッ!? な……っ」


 その瞬間……クレーの顔が、羞恥と驚愕で歪む。隠し続けていた血筋の浅さを公衆の面前で暴かれたのだ。夫人は刃のように鋭い目を向け、さらに言葉を重ねる。


「平民を侮るは策略の浅きゆえ……ですよ」


「え……? 策略……?」


「正しい貴族とは、常に領民に支えられている自覚を持つもの。クレー・フローレンスさん。貴方はまだ、領地の主がなんたるかを、まるで分かっていない。今のままでは、畑のカカシと大差ないでしょうね」


「カ、カカシですか!?」


 クレー含め、私たちはギョッと夫人を見る。さすがはイバラ……学生だろうと何だろうと、言葉選びに容赦がない。

 イバラ侯爵夫人はスッと視線を動かし、クレーが着ている学生服に目を向けた。


「ところでクレー・フローレンスさん。貴方は、ご自分の女学生服が、ブレザーではなくドレスに近しいデザインとなっている理由を知っておいでかしら?」


「そ、それは……淑女にとって、ドレスが正装だからです」


「違います。領民の職を守るためです」


「え……」


 これは有名な話で、ここバーキランス貴族学園の所有権を半分近く持つ四大貴族ーーーリサンドルティア公爵家が決めた事だ。

 ドレス産業は基本的にアイデアと人脈の勝負。アーシュの家でもドレスを作れる人は本当に限られた人しかなれない特別な職業だった。

 しかし、リサンドルティア公爵はアイデアと人脈が必要ない『全部同じ形しかないドレス』の需要を生み出す事で、多くの平民職人に仕事と技術習得の機会を与えたのだ。


「領民の新しい職として、彼らでも作れる、そして彼らが技術を学べる機会の創出。それが、貴方の制服に持たされた意味なのです」


「……この、服が」


 まさか自分が来ていた服が、貴族の為ではなく平民のために編み出された物だと知り、ショックに目を見開くクレー。


「領民は確かに貴族によって生かされている。けれど、同時に貴族は、領民の手で成り立っているのです。それを勘違いしているうちは、もはやカカシの価値すらもないでしょうね」


「………………」


 呆然と立ち尽くすクレーと、彼女を心配そうに見つめるブラク。侯爵夫人の目の前だからか、無力にも彼の想い人を助けることすら出来ない。


「貴賤の関係を持ってしまった男女だろうと、そこに本気の意志があるのなら、私たちが彼らを図る権利などないのです。……そうは思わないかしら? アーシュ・フィルミナスさん」


「……ありがとう、ございます」


 思わず声が震えた。厳しいと噂の女性が、平民との恋に踏み出そうとする私を、こんなに気高く肯定してくれるなんて。


「いいのよ。わたくしはただ、常識を口にしただけだわ」


 夫人は私にだけ、ふわりと柔らかな微笑みを向ける。

 そこに横からエルドレッドの声が挟まった。


「こんにちわ、シアテーラス侯爵夫人。今のお言葉、俺たちの恋路を認めてくれたと受け取って良いんですかね?」


「え、エルドレッド様!?」


 なんという失礼な話し方だ。平民だから仕方がないとは思いつつも、これは流石に看過出来るレベルではない。下手をすれば不敬罪で牢獄行きである。


「も、申し訳ありません、シアテーラス侯爵夫人! か、彼はその、平民の特待生で貴族としての振る舞いに疎いのです! ど、どうかこのようなご無礼をご容赦いただけないでしょうか!?」


 正直もう終わったかもしれない。厳しさで有名な彼女が、このような態度を許してくれるはずがないだろう。


「ふふ……」


 しかし、深々と頭を下げる私にイバラ侯爵夫人はクスッと笑った。


「エルドレッド……と言ったかしら?」


「はい、お好きに呼んで下さい」


 私たちが固唾を飲んで見守る中、不遜な態度を貫くエルドレッドに夫人は何故か楽しそうに目を細める。


「好きに呼んで良いのですね。では、“鈍感男”とでも呼ばせてもらいましょうか」


「ハァ!?」


 エルドレッドが思わずと言ったふうに、素っ頓狂な声を出した。当然私たちも頭の上にハテナが浮かんだことだろう。

 しかし夫人はくすくす笑いながら、言いたいことが言えたのかスッキリした表情でエルドレッドではなく私の方に近寄ってくる。


「え? 夫人……私に何か」


 イバラは顔をこちらの耳まで近づけて、小さな声で耳打ちした。


「もしよろしければ……今日の放課後、学園の近くにあるわたくしの別荘にいらっしゃらないかしら?」


「良いの、ですか……!?」


「ええ。紅茶でも飲んで楽しくお話ししましょう」


「ど、どうして!?」


 思いもよらない申し出に動揺が隠せない。ただの子爵家の娘が、天下の侯爵夫人が開くお茶会に招かれるなど、貴族社会でもそうそうあることではないからだ。


「都合が悪かったかしら?」


「い、いえ! 問題ありませんが……」


 頭が追いつかないのだ。いったいどんな奇跡が起きて、このような展開になったのか皆目見当がつかないから。


「じゃぁ、今日の放課後、ここで待っているわ」


 そっと手渡されたメモ用紙には、夫人の別荘だと思われる住所が記載されていた。そのメモはまるで最初から私に手渡すために用意されていたかのように、美しく詳細に書かれている。


「い、行きます」


 人生で初めて、格上の貴族から差し伸べられた「お茶会」の誘い。

 それも、社交界の頂点に近いイバラ侯爵夫人から。

 私はドッドッと早まる鼓動を感じながら、冷笑を浮かべる余裕も失ったクレーたちを背に、力強く頷いた。

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