燃え尽き令嬢、特別講師に驚く
「これ……ただの講義につけて行っても、よろしいものかしら」
ドレッサーの前でマキアに身支度を手伝ってもらいながら、私は右手に嵌めたブレスレットを見やる。
昨日、あの汚してしまったドレスは結局自分のお金で買い取った。予想通り貯金の九割が消え去ったけれど、後悔はない。その後の診察でも、エルドレッドが過保護なほど心配してくれたおかげで、腕の傷は跡形もなく消えている。
「跡が残らなくて何よりです、お嬢様」
「ええ。ここに青玉のブレスレットは……確かに、さぞかし映えるでしょうね」
白く滑らかな肌の上で、深い青が鮮やかに主張している。宝石はその中に青空を閉じ込めたように、どこまでも透き通っていた。
「でも、あまりに目立ちすぎて……」
「お嬢様。エルドレッドさんに、つけて来てほしいと頼まれたのでしょう?」
そうなのだ。
昨日の別れ際、彼は必死な顔で「学校でも寝る時でもずっとつけてくれ!」とお願いしてきた。その熱量に負けて律儀につけ続けているが、本当に授業中でも付けてていいのか少し迷う。
私自身、この贈り物を片時も離したくないと思っているのは認めざるを得ないが。
「『燃え尽き令嬢』が見栄を張っている、なんて言われそうね。またブラク様からお金を巻き上げた、とか」
ままならない外聞にため息を吐きながらも、私は唇の端を持ち上げた。
「……まあ、いいわ。私は『適当』に生きると決めたんですもの。存分にこれを見せびらかしてあげましょう」
「その意気ですわ、お嬢様」
マキアと笑い合い、今日もしっかりと身支度に時間をかける。髪は絹糸のように整え、肌には潤いを与え、お化粧も細部まで丁寧に。そうして私は、あえてホームルームをサボり、優雅に遅れて登校した。
今日の授業は、二学年全クラスによる合同講義。教室代わりのグランドホールには大勢の生徒が集まっている。
領地経営学――数人の特別講師が招かれると聞き、実務に役立つかと参加したのだが……。
(……なんだか、この間よりも視線が突き刺さる気がするわ)
ホールに入った瞬間、クラスメイトのみならず他クラスの面々からの視線も一斉に集まった。
婚約破棄の件や前回の挑発で、注目されている自覚はあったが、それにしても様子がおかしい。
(なぜ、皆様あんなにポカーンと私を見るの?)
自分では知らないうちに、また変な噂でも流されているのだろうか。貴族というのは、とことん他人の不幸と醜聞を好む人種だ。
「平民の方のほうが、よほど潔いですわね……」
エルドレッドから誰かの噂話など聞いたことがない。彼はいつも、一生懸命に私を楽しませようとしてくれる。その存在に、どれほど救われていたかを改めて痛感した。
私は金糸の髪を探して周囲を見回す。彼もこのホールのどこかにいるはずだが、あいにく見当たらない。
「はぁ……早く、エルドレッド様に会いたいわ」
「どなたですか?」
「どっ!?」
いつの間にか隣にいたニエラ。気付かぬうちに背後を取られた私は、驚きで心臓が止まるかと思った。この少女……以前にも増して気配を消すのが上手くなっていないかしら。
好きな異性の名を呟いたところを聞かれた羞恥で、頭が沸騰しそうである。
「し、知り合いですわ! おはよう、ニエラさん」
「おはようございます、アーシュさん。……今日も、恐ろしいほどにお綺麗ですね」
「お世辞はいりませんわ。……でも、ありがとう。貴女に言われると、少しだけ救われます」
「お世辞ではありませんよ。……皆様、本当に見惚れているのですから」
私たちは小声で談笑を続ける。やがて、講義の開始を告げる鐘が鳴り響いた。
ホールの一段高いステージに担当教師が登り、続いて特別講師たちが姿を現す。四十代から五十代の、自信と信念に満ちた重鎮たちが並ぶ中――最後の一人が現れた瞬間、ホールの空気が凍りついた。
「えっ!?」
思わず声が漏れたのは私だけではない。
生徒たちの間に広がるのは、恐怖を伴う静寂。真っ赤な薔薇を思わせる鮮やかな髪、隙のない毅然とした立ち振る舞いだった。
「ごきげんよう。バーキランス貴族学園の皆様。わたくしはアビゲイル・シアテーラス。本日は特別講師として、皆様に実務の厳しさを教授いたしましょう」
その表情は冷徹な氷のようで、昨日見せた柔らかさなど微塵も感じさせない。
――あの『イバラ侯爵夫人』がなぜここに?
戦慄する生徒たちの前で、嵐を予感させる合同授業の幕が開ける。




