燃え尽き令嬢、クルミを拾う
「クルミ……落ちましたわよ?」
「へ?」
拾い上げたクルミを差し出すと、老人はその枯れ木のような指を震わせ、驚愕に目を見開いた。
場違いなほどに着飾った私の姿に驚いたのか、あるいは差し伸べられた手に戸惑ったのか。彼は慌てて、地面に擦り付くほど頭を下げる。
「あ……ありがとう、ございます! すみません、こんな……ワシなんかの為に!」
「気になさらず。……大切なお礼の品なのでしょう? ちゃんと綺麗にしておきますわ」
私は持っていたシルクのハンカチで一個ずつ丁寧にクルミを拭い、土ぼこりを落としてからカゴの中へと戻していく。
すると、それをぶちまけさせた張本人が、ヒステリックな声を張り上げた。
「なんですの、貴女は!?」
見上げれば、二人の令嬢が顔を真っ赤にして私を睨みつけている。制服のリボンは三学年を示す青。
(まあ、学年なんて関係ありませんけれど)
先輩だろうが誰だろうが、不快なものは不快なのだ。
「私は、アーシュ・フィルミナスと申します。お二方があまりにもみっともない振る舞いをしておられたので、僭越ながらご忠告に参りました」
「なっ、なんですって! 貴女、自分が何を言っているのか――」
「貴族が敬われるのは、『領民を守る義務を果たしているから』だと、私は考えます」
言い返そうとする唇を、言葉のつぶてで封じる。
「領民を慈しむことさえできない貴族は、はっきり申しまして『穀潰し』が妥当かと思いますが……いかがかしら?」
「ッ!? ど、どうせ、低位の小物の分際で、伯爵家のわたくしたちになんという言い草を!」
「左様でございますか。ご推察の通り、フィルミナス家は子爵位を賜っておりますが……それが何か?」
ドレスの裾をほんの少し摘んで、優雅に、けれどこれ以上ないほど冷ややかに嘲笑してやった。
暗に「中身のない貴女たちは、爵位という看板がなければただの無能でしょう?」と言っているわけだ。
「馬鹿にして……! 貴女の家もタダでは済みませんわよ!」
「ええ、お好きにどうぞ?」
「か、家名に傷がつくのですわよ!?」
家が潰れても、今の私には痛くも痒くもない。むしろ、平民の彼と生きていくなら「子爵位」という重荷は邪魔ですらある。
今の私にとって、守るべきものは貴族の地位などではないのだから。
「待って……。この子、エバーレンス家に婚約破棄された『燃え尽き令嬢』ですわ」
静かだった方の令嬢が、私の黒歴史を掘り返す。さすが貴族令嬢。学園内の人間関係には他人事でもしっかり把握しているらしい。
うるさかった方の令嬢が、勝ち誇ったように目を細める。
「あらあら、貴女こそ救いようのない『穀潰し』ではありませんか! エバーレンス伯爵家のお金を使い潰して、捨てられたんですってねぇ!」
真実を真逆に捉える世間の噂。けれど――。
「……ふふふ」
今の私なら、そんな誤解も「適当」に笑い飛ばせた。
「おかげで、今はとても楽しく暮らしておりますわ」
「楽しくですって!?」
「ええ。地位をひけらかして喚く必要がないほど、満たされておりますもの」
「っ!?」
「偉そうに! 貴女の方が、ずっと弱小貴族、のくせ……に……」
令嬢の言葉が、不自然に尻すぼみになった。二人の視線が、私の右腕――青玉のブレスレットに吸い寄せられている。
「ああ、これ。とても安かったですわ」
思わず漏れた独り言。
なんと言っても破格の二千リン。品質を考えれば、やはり異常な価格だ。
「安い……ですって?」
「あんな代物を……!?」
こちらとは対照的に、少女達は戦慄していた。なぜそこまで驚くのか不思議だったが、私は構わず言葉を重ねる。
「これは、平民の方からいただいたのですわ。貴女たちが穢らわしいと罵った、『平民』の方に、です」
「う、嘘よ! そんなはず……たかが平民に、そのブレスレットを買えるわけが――」
「分からないでしょうね。施されることしか能がない、穀潰しの貴女たちには」
「い、言わせておけばっ!!」
逆上する声を無視して、私は最後のクルミを拾い、老人に手渡す。
「おじいさん、ここは私が引き受けます。貴方は恩人様のところへ」
「ありがとう……でも、嬢ちゃんのドレスが……」
「え?」
屈んだ拍子に、真っ白な裾が砂で汚れてしまったらしい。借り物だというのに……。
(……もうこれは、買い取るしかありませんわね)
高価なものだから、全財産が吹き飛ぶ可能性もある。けれど、自分で選んだ行動の結果だ。後悔はない。
「気にしないでください。それよりも、早く」
「……この恩は、絶対に返します!」
老人は何度も振り返りながら、小走りに去っていく。これで目の前の理不尽は消えた。
さて――。
「無視するんじゃないわよ!」
残った問題は、彼女らをいかに蹴散らすかである。
「『燃え尽き令嬢』のくせに!」
振り返るのと同時に、静かだった方の令嬢が、私の右腕を乱暴に掴む。
「何が平民からの贈り物よ。馬鹿馬鹿しい!」
「っ!? 離してください!」
エルドレッドからもらった、唯一無二の宝物。それを奪おうとする彼女たちと、取っ組み合いになった。
「どうせ横領した金で買ったんでしょう! 貴女には相応しくないわ、渡しなさい!」
「やめなさい! これだけは……絶対に渡せません!」
力任せに引っ張られ、鋭い爪が二の腕を抉る。滲む血の痛みさえ、今は意識の外だ。
二対一。
揉み合いの末、私は無様に地面へ突き飛ばされた。
「この! 諦めなさい!」
「うぐ……っ!?」
仰向けに倒れた私を押さえつけ、彼女たちの手が大切なブレスレットを強奪しようと迫る、その時――。
「――何を、しておいでなのかしら?」
頭上から、冷気を孕んだ声が降りかかる。
そこには……薔薇のように赤い髪と、エメラルドグリーンの瞳。顔に刻まれた皺さえ、近寄りがたい高潔な美しさに変えている五十代ほどの女性が立っていた。
「え?」
「う、そ……」
その姿を見た令嬢たちは、瞬時に血の気を失い、声を震わせる。
「あ……あな、貴方様は……い、イバラ侯爵夫人……!?」
その名が示す通り、夫人の視線は触れるものすべてを切り裂く、鋭利な棘のようだった。




