燃え尽き令嬢、燃え尽きる
ーーー今日も徹夜かぁ。
シャンデリアの光が眩い。バーキランス貴族学園の夏休み前ダンスパーティー。
華やかな音楽と爽やかなジュースの香りが漂うホールの中央で、私の婚約者――ブラク・エバーレンス伯爵子息は、茶色の髪をした小柄な令嬢の腰を抱き寄せ、高らかに宣言した。
「アーシュ・フィルミナス! 貴様のような、萎びた女との婚約は、今この瞬間を以て破棄させてもらう!」
ホールが静まり返る。
私は、手に持っていたグラスをそっと給仕のトレイに戻した。驚きよりも先に、どこか他人事のような、ひどく冷めた思考が頭をよぎる。
(……ああ、やっぱり、あの子爵令嬢と……)
「ブラク様。ここは真夏の宴の場。そのように乱暴なお言葉遣いはこの場に相応しくないことを、お忘れなきよう」
「ふん、殊勝な振りをしても無駄だ。見ろ、その薄汚れた、流行遅れのドレスを! 学園中がお前のことを何と呼んでいるか知っているか? 『燃え尽き令嬢』だ。華やかさも、学園の生徒らしい覇気も、女としての魅力も欠片もない……。お前のような者こそこの場に相応しくないのだよ!」
周りからクスクスと失笑が漏れる。
確かに、私のドレスは三年前の型だ。灰色の髪も飾り気なくまとめ、化粧もしているが、二日目の徹夜によるクマを隠しきれていない。
けれど。
私が三年間、一度も新しいドレスを作らず、趣味の化粧も、お茶会も全て後回しにし続けてきたのは何故か。
父が急逝し、多額の借金を抱えたフィルミナス子爵領を立て直すため。
そして何より、贅沢三昧で破綻寸前だったエバーレンス伯爵家の資金繰りを、私の領地の利益から補填し続けてきたからだ。
「ブラク様。私が節約に励んでいたのは、貴方の家のーーー」
「言い訳は見苦しいぞ、灰女めが! ここにいるクレーは、私を心から敬い、花のような笑顔で癒やしてくれる。お前のように、いつも領地の帳簿ばかり見て、可愛げのない女とは違うんだ!」
ブラクの腕にすがりつくクレーと呼ばれた子爵令嬢が、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
私の視界の端で、ブラクが身につけている最高級シルクのタイと、特注の魔石のカフスが光っていた。
ーーーそれも全部、私が寝る間も惜しんで、領民と一緒に泥にまみれて育てた特産品の利益で買い与えたものだ。
「……そうですか。私に魅力がない、というのは、重く受け止めますわ」
「わかればいい。どうせ、親のいない子爵令嬢など、行く当てもないだろうが……まあ、路頭に迷うなら、我が家の洗濯女として雇ってやらんこともないぞ?」
くふふ、と下品に笑うブラク。
「…………はぁ」
その時、私の中で「ぷつり」と何かが切れる音がした。
悲しみではない。それは、三年間、重く冷たく私を縛り付けていた鎖が、ようやく外れた音。
「承知いたしました、ブラク様。婚約破棄、謹んでお受けいたします」
そう言い残して、私はホールを後にする。
一人、薄暗い大理石の廊下を歩きながら、私はドレスの裾を思い切り掴み上げた。
「……あは、はははは」
誰もいない廊下に、乾いた笑い声が響く。
悲しくなんてない。ただ、おかしくてたまらないのだ。
あの馬鹿に貢ぐために、今月も睡眠時間を削って帳簿を合わせ、領民に頭を下げて新商品の開発を急がせていた自分の滑稽さが。
「伯爵夫人らしく、清楚でいろ」という彼の言葉を真に受けて、大好きな香水も、可愛いリボンも、甘いお菓子もすべて我慢してきた。
ーーーでも、もういい。
「洗濯女? 冗談じゃないわ。誰がそんな重労働を。……私は明日から、徹底的に『適当』に生きてやるんだから」
私は歩きながら、窮屈だった銀の髪留めを力任せに引き抜く。バサリと灰色の髪が肩に散る。
三年間、ロクに手入れをする暇がなくて『燃え尽き令嬢』と馬鹿にされたこの髪ーーーけれど、月明かりの下で見れば、これは父から譲り受けた美しいプラチナブロンドの輝きを秘めているはずだった。
「まずは、寝る。……飽きるまで寝てやるわ。それから、化粧に香水に流行りの衣服。あの男の散財に消えていた分がまるまる自分で使えるんだから、なんでも買えてしまうでしょうね」
カツ、カツ、とヒールの音が軽やかに鳴る。不思議と、足取りは羽が生えたように軽い。
ーーー『燃え尽き令嬢』? 結構だわ。
一度燃え尽きて灰になったのなら、あとは風に吹かれて好きなところへ飛んでいくだけだ。
淑女寮の前まで来ると、フィルミナス家の側使いの少女が待っていた。
「待ってくれていたのね。マキア」
「お疲れ様でした、お嬢様……。あの、伯爵家への貸付利息についてご相談が……」
「ああ、その話なら歩きながら聞くわ」
心配そうに駆け寄ってきたマキアに髪留めを渡しつつ、借用書に目を通す。
「……あの、お嬢様、もうよろしいのですか? パーティーは、まだ……」
「ええ、クビになったわ。婚約破棄。だから、もう良いの」
「…………、えっ!?」
「あ、ところでマキア」
「は、はははい!?」
「明日、伯爵家への送金をすべて止めて。1リンたりとも出しちゃダメよ。あと、この貸付金の借用書……取り立て開始通知出しておいて。気が向いたら取り立てるから」
私は自室に着くと、倒れ込むように乗り込み、ふかふかのベッドに顔を埋めた。
微かに残るブラク好みの「清楚な石鹸の香り」が鼻につく。
「……マキア、明日、香水屋を呼んでくれる? 一番派手で、一番強気で、一番高い香りを全部持ってこさせて。私、明日から性格を変えることにしたの」
「お嬢様……?」
「決めたの。今日、婚約破棄された時に……」
ダンスパーティでの出来事を思い出す。
ついでにこれまでの色々な苦労も。
明日、エバーレンス伯爵家が「財布」を失ってパニックになることなんて、今の私にはどうでもいい。
「これからは、『適当』に生きてやるってね」




