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夢魔の館

私と同じところ ~アウェイク~

作者: るびん

 どれほど長い間眠っていたのか、自分では分かるはずも無く。

 どれが現実でどれが夢なのか……それさえも区別はつかなかった。

 そんな中、少女は辿り着く。

 全てを包み込む、深い闇の中で唯一つその色を残す館に。

 そこにあることがそもそも不思議に思えるものの、何故か違和感は無い。

 むしろ、そこに足が向くことこそが自然の摂理であるかのように。

 少女は、その痩せ細った足を踏み入れた。


「……こんにちは、誰かいませんか?」


 そんなありきたりな物言いで館に声を投げかける少女。


 ギギィ……


 まるで物語の中のような重々しい音と共に開かれる荘厳な扉。

 そこから顔を出したのは少女の予想通り、怪しげな笑みを浮かべる魔女のような老婆。


「ひひひ、ようこそいらっしゃいました」


 期待通りの言葉。

 本来ならばそんな状況ではない少女だが、これを夢だと判断したのかそれに嬉しそうな顔をする。


「ひひ、夢ではありませんよ」


 老婆は少女の心情を察したかのような言葉を発する。

 しかしそれは夢見がちな少女を喜ばせるだけであった。


「では、こちらへ」


 老婆は少女を館の奥へと案内する。

 どうせもう楽しいことにめぐり合うことは出来ない……悲しいかな、そう認めていた少女はこれを神様が与えてくれた最後の喜びであると信じ、自分が物語の主人公にでもなったかのような心持ちで足を弾ませながら老婆についてゆく。


「さあ、こちらにお嬢様はいらっしゃいます。どうぞ、ごゆっくり……」


 老婆はそう告げると同時に静かに去っていった。

 その去り際がまた不気味であったことに、少女は尚更胸を躍らせる。

 高鳴る鼓動に、最後にこの夢を楽しもうと期待して扉を開いた。


「こんにちは、(やなぎ) 真琴(まこと)さん」


 その部屋で椅子に座り、机に肘を付いていた少女は迷う事無く自分の名を呼んだ。

 しかしそれがまた柳の好奇心を揺さぶる。


「ふふ、やっぱり私の名前を知ってるんだ? ますます小説の中みたいね」


 そう楽しそうに言った。

 ところが相手の少女はその表情を変える事無く。


「何か勘違いしているみたいですけど、これはまごう事なき現実です」


 そんな冷たい言葉も、柳にとってはさらに想像を掻き立てるだけで。


「ねぇねぇ、あなたの名前は?」

「……リリスです」


 少しだけあきれたようなリリス。

 けれど、まるでそれが儀礼であるかのように柳に尋ねる。


「あなたの望みは?」


 普通ならばこの言葉に戸惑うところではあるのだが、柳にはそんな様子は微塵にも見られない。

 それどころか、うきうきした様子であった。


「え、望みを叶えてくれるの?」

「ええ。ただし、闇の望みのみ。心の奥にある、醜いばかりの闇の願いだけを」


 闇の望み――純真無垢な柳には、そんなものあるはずが無いように思われる。

 ところが、彼女はあっさりと答えた。


「ん~……それじゃ、祐安……鮎永(あゆなが) 祐安(ひろやす)を私の行く先と同じところに、お願いできる?」

「!?」


 笑顔での柳の返答に、リリスは面をくらった。

 常識的に考えてありえない返答だったからだ。

 いくらリリスといえど、予想外すぎたのだ。


「……あなた、自分の行く先が分かっているの?」


 思わず、そう尋ね返した。


「もちろん…………あの世よ」


 そう、柳はもう余命幾許も無い。

 世界的権威の名医ですらもさじを投げるほどの重病にかかっているのだ。


「……それはつまり、『鮎永 祐安さんを殺して欲しい』という風に受け取ってもいいのですか?」


 そう言ったものの、リリスでさえもそれを受け入れることはしがたい。

 にもかかわらず、柳はしれっとした様子のまま。


「なんかその言い方は嫌だな~。リリス、あなた可愛いんだからもっと夢のある言い方してよ。そうね……『二人、あの世で幸せに暮らす』とかさ」


 どこまでも能天気な物言いの柳。

 そのとぼけた様にいいかげんリリスも怒りを覚える。


「……まだあなたはこれを夢と思っているようですけれど、これは現実なんです。ですから、もう少し真面目に答えてください」

「――真面目よ」


 急にその顔を引き締めて言った柳。

 これには逆にリリスが驚いた。


「真面目も真面目。私の願いは、祐安を私と同じところへ……それに相違無いわ」


 ――ありえない。

 リリスは、これまで幾人もの心に闇を秘めた人の願いを叶えてきた。

 もちろん、柳と同様になかなか現実であると認識してくれない人もいたし、重病に侵されている人もいた。

 特に『誰かを殺して欲しい』という願いを持った人はそれこそ星の数といってもいいほどたくさんいた。

 ……けれど。


「あなたの願いは理解しかねます。鮎永 祐安さんは、あなたの恋人なのではないのですか?」


 そう、柳と鮎永は恋人同士。

 柳が病に侵されるずっと前から交際していた。

 無論、病気になってからも見放すことなど無く、それどころか昼夜問わず看病に明け暮れていた。

 いついかなるときも励ましてくれ、何もかもを投げ打ってまで柳のために。

 それほど、愛していてくれたというのに。


「……私は、わがままなのよ」


 不意に、悲しそうな声で柳。


「もう、どうあがいたって私の病気は治らない。それは承知してる」


 そう言って見せた笑顔は、諦めたような寂しい笑顔で。


「あなた、ひょっとしてこうやって色々な人の願いを叶えてきたの?」


 そのままリリスに問いかけた。


「……はい。あなたと似たような状況の人にも」

「なら、私の願いに驚いたのにも納得できるわ。普通の人ならこう願うのでしょうからね。『病気を治して欲しい』とか『恋人に、自分の事は忘れて幸せになって欲しい』とか、さ」


 その通りであった。

 この館を訪れた人の中で柳と似た境遇の人は皆、そのように願ったのだ。

 ……だが。


「でも、それはその人たちの本当の願いじゃなかったんじゃないの?」


 その言葉もまた的を射ていた。


「そりゃもちろん、私だってこの病気が治ってくれればいいと思ってはいるけどね。そんな都合のいいことがあると本気で思ったりしないわ」


 自分でも冷めた考え方だなと思ってはいるけれど、柳は悲しい瞳を携えたまま言う。


「私は、自分が幸せになれることを一番望んでいるの……悪い?」


 なんとも自分勝手な言葉。

 普通は、そう受け取るだろう。


「だから、祐安も私と同じところに。それが私の願い」

「そうすればあの世で再び出会って幸せになれる……そういうことですか?」


 あまりに馬鹿げた願い……なのだが、どうしても尋ねたくなっていた。


「そうよ。あはは、自分勝手でふざけてるでしょ? でもね、私だって普通の幸せを手に入れる権利はあるわ……祐安は優しいもの、許してくれるわよ」


 何故か、その言葉は冷たい様で儚くて。


「……本当に、いいのですか?」


 もう一度、確かめた。

 すると、柳は目を逸らして……俯いて言った。


「うるさいわね。私は、さんざん苦しんだのよ。最後に一つくらいわがままが叶ったっていいじゃない!」


 吐き捨てた言葉。

 顔を上げた柳の瞳には、涙がにじんでいた。


「私だって本当は死にたくない、生きて祐安と一緒に幸せになりたい! けど、無理なのよ……ありとあらゆる手を尽くしても、結局は無駄だった。毎日のように痩せていくこの体を恨むしかなかった!」

「…………」


 もう柳の頬を伝う涙はとどまることを知らない。


「もし……もし私が死んだ後、祐安が他の誰かと幸せになるなんて想像したくない! それをあの世から笑って祝福できるほど私は…………っ!」

「だから共に死んで欲しいと?」

「そう……言ったでしょ、私はわがままだって。自分の幸せのためなら恋人の命さえもそのための道具にしようとする……そんな女なのよ、私は」


 だが柳の瞳からは言葉以上に涙が溢れていて。


「離れたくないの……好きになればなるほど、愛してくれればくれるほど、死ぬのが怖くなるのよ! 死んで、祐安と離れるのが嫌なの……いつか祐安が私のことを忘れてしまう日が来ると思うと、不安で眠ることさえも出来ないの!」


 もうほとんどむせび泣いているのとなんら変わらない。

 きっとにじむ涙で柳にはリリスの姿がまともに見えていないだろう。


「……あの世で再会できるとは限りませんよ?」

「いいのよ。そこに祐安がいると思えれば、死ぬのは怖くない」

「…………」

「祐安は、私がこんなこと願ったと知ったら……怒るかな?」


 不意に、そう尋ねる。


「…………」


 リリスは、笑顔で答えた。


「いいえ……きっと、喜んでくれると思いますよ」


 その言葉と同時に、リリスの右目が赤く染まる。

 それはまるで血の色のようであったが、不思議と柳にはそれが美しく思えた。




「お疲れ様でした」

「ええ、今回は本当に少し疲れました」


 老婆の淹れた紅茶をすするリリス。


「……シナモンティーですか?」

「はい。口に合いませんでしたか?」

「私は苦いのは少し苦手なのですが……これは美味しいですね」


 いつもなら、願いを叶えた後はあまり気のいい顔をしないリリスが、珍しく笑顔を見せた。

 老婆はそれにいささか疑問を感じたようで。


「……彼女の願いを叶えたのではないのですかな?」

「もちろん、叶えて差し上げました。『鮎永 祐安を、柳 真琴と同じところへ』」


 その言葉に、老婆は絶句した。

 何故なら、それでどのような形で願いを叶えたのか分かったからだ。


「ふふ……あんなにも純粋な闇があるとは知りませんでした」


 そう、からかうような言葉と共に立ち上がり、窓際の鉢へと向かう。

 前よりも少し大きく、そして元気のあるように見える双葉に向かってささやいた。


「……おまえも、こういう闇ばかりならば嬉しいのかしら?」


 少女が触れた葉が、まるで喜んだかのようにかすかに揺れた。

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