第九羽
第九羽
蚊食鳥は自室のソファに転がっていた。10畳程の部屋に、黒い革張りのソファ。
座り心地と寝心地がいいのでお気に入りの一品だ。
その近くには、PCデスクとチェア。
これも黒だ。高級感はあるが、本当は蚊食鳥自身の趣味ではない。
本人としては、もっと華やかなカラフルな楽しい色合いが好もしい。
それもあって、デュアルモニターにした最新式のデスクトップPCは蚊食鳥自身の手で華やかにカラーリングされていた。
蛍光グリーンのパーカーの前を中途半端に開いて、ぐったりとしている。
「うあー・・・・・・」
魘されるように、声を発した。
目は覚めているが体が動かない。息苦しくて、胸が詰まって。
重苦しさで四肢が鉛のようだ。
ソファに体が沈み込むようになって、そして。
叫んだ。
「疲れたー!」
その声を勢いに上半身を腹筋だけで起き上がらせる。
荒い息のまま、両腕を上げて伸びをすると少し落ち着いた。
黄色いカーテンが掛かった窓際に、ベッドがあるがそれを横目に立ち上がる。
まだ寝てられない。
色素の薄い髪の毛はピンピンと撥ね、アシンメトリーに縛ったツインテールが逆毛になっている。
ぐあー、と大口を開けてあくびを一つすると、PCのチェアにどっかと座り込んだ。
チェアの上に胡坐をかいているが、パイル地のショーパンを履いているから問題ない。
デュアルモニターには、Tmitter、ウェブサイトなどの様々なブラウザが開いてある。
やっぱ、もう1、2画面欲しいな。
マウスをカチカツと操作しながら、胸中呟く。
コックピットさながらのPC環境を思い描きながら、蚊食鳥はひたすら若堂関連の情報を収集していた。
過去のツミート。ネットでの軌跡。若堂の痕跡を虱潰しに探す。
それは、いつもの派手な振る舞いとは逆に、実に地道な作業だった。正直、飽きている。
それでも調べ続けるのは半ば意地だった。
確信的なことはまだ掴みきれていないものの、かなり分かったことはあった。
若堂自体は、かなり昔から……それこそネットの初期から、同じ名前で活動しているようだ。
若堂。一部のサイトでは、漢字が違うことがあるが概ねこれだ。
大体のキャラ設定は同じようだ。Tmitterにも、日本に導入されてすぐに参加していることが分かる。
恐らくパソコン通信などインターネットの黎明期から、「いる」ことは確かなようだが。
と、すると若堂は幾つなのか。それ以前に何者なのか。
殺し方。ターゲット。ぼやぼやとした輪郭は未だに定まらない。
彼の呟く言葉と、フォロワーとの会話。チャットのログ。そういったもので構成された人物像はまるでモザイクだ。
解像度が悪くて、何だかよく分からない。
イギリスの帰国子女で、「良いもの」が好き。多趣味。知識もかなりあるようだ。
プロファイリングにもなりはしない。
一度ネットに流れた情報は、よっぽどのことがない限り消滅はしない。
本体のウェブサイトが消えたとしても、キャッシュやサーバーなどに痕跡は残ってしまう。
若堂自身を語ったものがないか。
きっとあるはずなのだ、性格的に。
SNSを頻繁に利用する人間は、自己肯定を求める傾向があると言う。
ネットにどっぷり、どころか一体化している若堂ならば当てはまる可能性がある。
まだブログが流行る前の個人サイトの日記やBBSがあれば、一番いい。
蚊食鳥は、別に正義感に駆られて若堂の殺人を止めたいわけでは毛頭ない。
ネットのカリスマを追い詰めて追い落としたい。
そんなDEEPERとしての意識だけが、蚊食鳥を動かしていた。
つり気味の目は爛々と輝いているのに、肌は青白い。日光は大嫌いだった。
月の光と暗闇。ネットの空間はまさに蚊食鳥の生きやすいそれなのだ。隠花植物や夜行性の動物にとって住みやすい場所。
あえて大義名分を掲げるならば、それを守るため、と言えようか。ほぼ自動に両手をキーボードの上で滑らせる。
モニターに新しい情報が映し出される。
と、そこでPCデスクに置いていたスマートフォンが震えた。
「お、レイちゃん」
知り合ったばかりの、興味深い青年からのメールだ。蚊食鳥としては、キューちゃんと同じくらい気に入っている。
テンションは低めだが、嘘がつけないたちらしく、声だけでも何と無く人となりが分かりやすい。
それは同時に、操作しやすいということでもあるけれど。
たっぷり時間をとって、メールを開く。
「レイちゃん何があったのかなー」
独り言を言いつつ、指を滑らせた。
『俺は正直、蚊食鳥、あんたを疑っている』
ほう。蚊食鳥の目が、嬉しそうに見開かれる。
『あんたは、若堂の仲間なのか。はっきりしてくれ』
蚊食鳥は、物凄い速度のキータッチで返信する。
『あたしが嘘をつくかもしれないのに、レイちゃんはそれを信じてくれるの?』
ややあって、レイジから返信。
『信じるかどうかは俺が決める。どっちなんだ』
痺れるねえ。
蚊食鳥は胸の内で呟く。
『あたしは、誰の味方でもないよ』
だって。だってあたしは。
『蚊食鳥は誰にも付かないからね』
レイジの返信は早かった。
『誰にも付けないだけだろ』
そして続いて、
『分かった、信じる』
と短いメールが着た。
『そんなことを聞くためにメールしたわけじゃないよね?あたしは何をすればいい?』
『若堂の弱みを握ってほしい』
レイジの返事はあくまで簡潔だった。
『今それ探してたけどまだ見つからないよ』
そして、レイジの返信が来る前に追撃メールを送った。
『別にレイちゃんが何かする必要はないよね。何?悪を止める英雄気取り?』
さて、どう返す。蚊食鳥の知っている男と言うものは、すぐ勘違いの正義感に駆られて空回りする生き物だ。
そして善意と押し付けを混同して、自己満足をしたいだけなのに相手の感謝と賞賛を求めてくる。
自分が望んだ結果が相手から返ってこないと、不機嫌になって相手を詰る。
蚊食鳥は趣味ではないソファ、PCデスクとチェア、ベッドを緩く見回してため息をついた。
「・・・・・・本当、可愛くない」
それは、気に入らない家具に対して言ったのか、それとも他の何かに対して言ったのか。
蚊食鳥自身にも分からなかった。
手の中でスマートフォンが震える。
『俺は英雄とかそんなつもりはない。俺が死にたくないだけだ』
『いや、違うな。俺自身と俺と縁が出来た奴らにも死んでほしくない。蚊食鳥、お前もだ』
正直者の男は嫌いじゃない。ちょっと後がくさすぎるけどね。
『分かった、あたしが調べて分かったことも伝えるよ。今家?』
レイジからの返信を待つ。何だか、さっきまでの疲れが消え去ったようだ。
人間、目的が無いとね。それも飛びっきり心踊る奴。
そんなことを思っているうちに、返信が着た。
『いや外。キューちゃんと一緒だ。俺たちのいる店で若堂の被害者が出たから、動けない』
『そりゃ大変だ。さっきのネカマ?』
『そう。しかも俺の真後ろ』
『きついね。しかも若堂らしい人間はいなかったと?』
『そうだ。誰もあのネカマのおっさんには近づいてない』
『厨房とかは?毒殺ならあり得るよ』
『確定じゃないけど、扼殺じゃないかって言われてる。ハンドレットさんって監察医なんだよ』
『おお、そうなんだ』
『あと、俺一連の動きで思いついたことがある』
その後に続いたレイジの言葉に、蚊食鳥は目を見開いてから頷いた。
その少し前。
「俺は、キーポイントは若堂のツミート内容だと思うんだ」
救急車がネカマのありすの遺体を運んでいったのを確認してから、レイジは切り出した。
当然、不審死と言うことで警察も来ているので、どこにもいけない。
ファミリーレストランの客も従業員も全員、外には出ないようにお達しが出た。
ありすの席には、現場検証をする警察官がいるので、レイジたちはそこから遠い奥の禁煙席に通された。
2人はどうせだから、とビーフカレーを注文して食べることにした。
キューちゃんはタブレットを弄りながら、鸚鵡返しに、ツミート内容?と言った。
「若堂の話す言葉には、一定のテーマがある」
レイジは、ようやく来たカレーを一口放り込んだ。
「最初の方はどうでもいいことばっかりだったけど、後の方は嫌悪感にまみれた文章になってる」
「あーそういえば」
キューちゃんは直近の若堂のツミートを参照しているようだ。
カレーをもう一口食べようとして、スプーンを宙に浮かせたままレイジは言う。
「自慢話以外だと、何かを嫌悪するツミートが大半だよな」
まだぼんやりしてるけど、とスプーンを口に含んだ。
「うーん、特に反応が大きかったのはイースターエッグの時かな」
キューちゃんの言葉に、レイジは頷く。
向こう見ずな言動で注意を引くことに命を賭けたDEEPERの糞コテは、若堂に罵られながら死んだ。
「あと、凛々さんもか・・・・・・」
「直近ではネカマのありすだな」
「だな」
頷いて、キューちゃんもカレーを食べ始める。
ファミリーレストランの割りにここのカレーは中々美味しい。
2人は会話を止め、黙々と食べている。
だが、レイジの頭は食べながらもフル回転していた。
自分を大きく見せること。偽者。自分を偽ること。
キーワードがぐるぐると廻る。
今まで死んだ人。これから死ぬかもしれない人。
共通点は何だ?
Jackdaw_hamlet『ネットは嘘を吐き放題出来るから、皆こぞって嘘を吐くようになる』
Jackdaw_hamlet『どうせバレナイシ』
Jackdaw_hamlet『でも嘘で人を不快にしては駄目』
若堂のツミートで何かが引っかかった。
もしかして、いやまさか。
「嘘」?
もしそうなら。
「嘘吐き」は殺されるということだ。
「キューちゃん」
「何?」
「スカイプでもいいから、フォロバされてない皆に、Tmitterで嘘の内容をツミートしたことあるか聞いてみて」
「分かった」
レイジはスマートフォンを手に取る。
迷って迷って、結局連絡を取らなかった蚊食鳥へのメールを送る。
その前に、確認したいこと。
それは、蚊食鳥が若堂のグルであるかどうか。
疑いつつも、レイジはそれはないと思っていた。
誰かに与しても、それに従うような奴が「蚊食鳥」を名乗るだろうか。
むしろ煽り、祭に火を注ぐだろう。
イソップ童話の一つを思い出しながら、レイジは送信ボタンを押した。