第十一羽
第十一羽
三四郎は抑えようの無い苛立ちを、デスクトップPCのキーボードにぶつけていた。
自らの身体の変化を克明に記したブログ。
それは彼の数年間の努力と闘いが深く刻まれていた。
彼は今、そのブログに彼の持論を上げようとしている。
いわく、屈強な精神は頑健な肉体に宿る。
いわく、声を大きく出すことは自らを正々堂々と表現することである。
彼にとって弱さを前面に出すことは罪であり、害悪だった。
彼は既に見もしないが、ブログの初期の初期、貧弱だった頃の彼の姿が奥深くに眠っている。
無意識に腹直筋や上腕二頭筋、大臀筋、ハムストリングス、広背筋、鎖骨下筋、胸鎖乳突筋を触る。
優しく撫でるように、自らを愛するように。
安心と快楽を感じながら、努力した自分を誇りに思う。
そしてそれを続けているこれからの自分をも褒め称える。
だが同時に、苛立ち・・・・・・腹立ちに近い感情も蘇ってくる。
くそ。くそくそくそ。
心の中か口に出しているか分からないが、彼は見えない何かを罵倒し続けた。
書き上げて、ブログの投稿ボタンを押す。
一息つくと、彼は立ち上がり筋トレマシーンに向かう。
バイトして、社会人になってからは更に働いて、揃えた一通りのマシーンたち。
彼の努力の結晶であり、また戦友でもある。
文字通り血と汗の滲み込んだそれは、毎日磨いていることもあって独特の光沢を放っていた。
近くに置いた姿見には、惚れ惚れするような肉体が映っている。
ポーズを決めると、鏡の中の男は上気した笑顔を見せた。
ベンチを使い、上半身のトレーニングをする。
その間は、無心になれた。
弱い奴は、嫌いだ。
弱い奴は、嫌いだ。
彼は胸の中で繰り返す。滲み出る汗と呼吸のリズムに乗せながら。
彼は二度のスカイプチャットで、気分を害していた。
レイジと名乗った、若造の声が昔彼を馬鹿にした男の声に似ていたからだ。
弱いくせに、貧弱な精神と身体のくせに、自分より劣っていると三四郎をけなした。
あれから、彼の努力の日々は始まったのだ。
今ではすっかり忘れていたのに、怒りがふつふつと蘇る。
今の自分は違う。今の自分は強い。
立派な肉体と精神を手に入れた。
馬鹿になんてさせるものか。
それなのに、けして奴と同一人物ではないのに、レイジは自分を見下した。
三四郎は頑なに、そう思い込んでいた。
実際はそんなことは無いのに、彼の中ではそれは紛れも無い真実だった。
あのやろう。あのやろう。
弱い癖して馬鹿にしやがって。
怒りを込めて、上半身を苛め抜くと汗はしとどにベンチを濡らした。
「ふう」
息をついて、三四郎は起き上がり満足したような恍惚とした表情で汗を拭った。
そして再びデスクトップPCに向かい、Tmitterクライアントを立ち上げる。
彼は、上気した顔でこう書き込んだ。
『鍛え上げた自分には怖いものなんてない。若堂なんて体も晒せない貧弱な奴に決まっている。そんな奴を怖がるなんてどうかしている』
ツミートを送信すると、彼は満足げに笑った。
『@nk6500sinkai メンダコ、可愛いよね写真があるなら僕にも見せてよ』
『@yamuchaDB よく色んなところに誤爆したーって呟いているけど、今日はしてないの?』
『@leonheart お父さんに意地張らないで謝っとかないと後悔するよ』
『@bellbellto そんなに身長大きいと、苦労するでしょ。おでこ平気?』
『@jagarrun 君、口ばっか大きいけど何か成し遂げたことあるの』
『@divetosky 死にたい、って何回も呟いてるけど何で死なないの』
その頃、若堂はフォロワーたちに無差別にリプライを送り続けていた。
リプライを返さねば、即座に殺される。
その恐怖からか、フォロワーたちのリプライは慎重かつ媚びるようになっている。
カリスマとしてもてはやされた頃の若堂へのリプライとは似て非なるものであった。
しかし、そこまで気を遣ったとしても若堂の気に障れば殺される。
無邪気な子供が、捕まえた蝶の羽根を無心にむしるように若堂は振舞っていた。
そしてその無邪気な子供は、あるツミートを見つけた。
「若堂にフォローされた」
血相を変えた声で、掛かってきたスカイプ通話にタイラーはそれが誰か一瞬分からなかった。
グループチャットで通話するため、タイラーは他の仲間にも連絡をし、すぐにハンドレットと愛華、カッサーラ、遅れて蚊食鳥が着た。
「えっと、お前、三四郎か?」
タイラーが恐々と言う。
ヘッドセットの向こうからは穴の開いた水道管のように擦れた呼吸音のみが聞こえてくる。
「まさか、嘘をついたんですか」
カッサーラがありえない、と言うように小さく叫んだ。
「『鍛え上げた自分には怖いものなんてない。若堂なんて体も晒せない貧弱な奴に決まっている。そんな奴を怖がるなんてどうかしている』か。大きく出たね」
蚊食鳥の言葉には、感情が無かった。疲れているのかもしれないが、それにしても酷く上っ面の声音だった。
ゼーゼー、ヒューヒューと荒い息遣いが耳元で鬱陶しい。
タイラーも流石に、落ち着けよ三四郎、と声を掛けた。
飲み物を嚥下する音が聞こえて、息遣いは一応収まる。
「タイムライン見て。三四郎さんに話しかけてる」
愛華が震え声で叫んだ。
『@kuroobi-sanshirou フォローしたよ。筋トレ好きなんだね』
「早く、リプ返して!」
蚊食鳥が短く叫ぶ。リプライしなければ、殺される。
『@Jackdaw_hamlet はい筋トレ好きです』
『@kuroobi-sanshirou 写真を見ると、かなりたくましいよね。何年掛かったの?』
『@Jackdaw_hamlet はいありがとうございます 10年掛かりました』
『@kuroobi-sanshirou これだけ鍛えてると怖いものは無いんだね?』
『@Jackdaw_hamlet はい ある程度なら』
三四郎の息遣いが、さっきより更に激しくなる。
他の仲間は何も言わない。
三四郎の息遣いの間にたまに入る「無理、もう無理」と言う言葉が耳朶を打つ。
『@kuroobi-sanshirou じゃあ僕なんてすぐ倒せるんだろうね。僕は鍛えたことがないから』
ヒューッ、と喉が引き絞られる音が響いた。
「無理、無理無理無理無理」
壊れたお喋り人形のように同じ事だけを繰り返す三四郎は、ほぼ限界のようだった。
「何でもいいから早く返信!」
蚊食鳥がヒステリックに叫ぶ。三四郎の方からガタガタと何かが落ちる音がした。
『@Jackdaw_hamlet ぶどうなら』
『@kuroobi-sanshirou 武道のこと?そうかあ強いんだね君は』
『@Jackdaw_hamlet はい』
『@kuroobi-sanshirou じゃあ僕のことは全く怖くなんか無いんだね』
「上手く言葉繋いで。詭弁でもいいから」
ぜー、ぜー。ぜー、ぜー。
息遣いのみになった三四郎は、蚊食鳥の言葉に返答する余裕はない。
『@Jackdaw_hamlet じゅうどうにおいてはこわくないです』
『@kuroobi-sanshirou ふーん。怖いものなんてない、だったよね』
『@Jackdaw_hamlet はい』
『@kuroobi-sanshirou 本当に?』
『@Jackdaw_hamlet はい』
その時、確かに全員が、呵呵大笑する男の大音声を聞いた。
『@kuroobi-sanshirou じゃあ何で、タオルケットを抱きしめてぶるぶる震えているの?』
ひぃやああああああああああああああああああああああああああ!
凄まじい悲鳴に、思わず全員ヘッドセットを外した。
ああ、ああ、ああ。
泣き声なのか悲鳴の名残なのか。声とも言えない音が断続的に響く。
『@kuroobi-sanshirou うそつき』
「あ、あ、あ」三四郎と思われる声は、断続的になる。
『@kuroobi-sanshirou うそつきは嫌いだって言ったじゃない』
「うぐ、ぐげ、げ」鶏がじわじわと締められるような声。
『@kuroobi-sanshirou 怖がり屋さん。臆病者。卑怯者』
「げっ、げっ、げっ」ガタガタと、家具のようなものが立てる音。
『@kuroobi-sanshirou 嘘吐き』
一際高く、大きなものが倒れる音が響いた。
そして、沈黙。
ややあって、三四郎のアカウントから画像つきのツミートが投稿された。
若堂がそれをRTし、フォロワー全員の目に触れた。
白目を剥き、鬱血した顔を天井に向けたタンクトップ姿の男が倒れている。
その周囲には、葬列のように筋トレ用品と安心毛布が取り巻いている。
プロテインだと思われる液体が、身体のそこかしこを汚していた。
三四郎は、死んだ。
そのことを理解するのに、タイラーたちは数十秒の時間を要した。
人間じゃない、こんなことを出来るのは人間じゃない。
冷静なハンドレットがうろたえ、取り乱していた。
蚊食鳥は、一人冷静にスマートフォンからレイジにメールを送った。
『レイちゃん、聞こえてたよね』
レイジの返信は速かった。
『全部、聞こえた。耳が痛い』
げんなりした声が想像出来る。
レイジとキューちゃんは、下準備をしてくれている。
自分は自分の戦いをしなければ。
『若堂は、人智を超えてる。でもきっと弱点はある』
一旦、蚊食鳥は息をつく。
『だからあたしは、やるよ』
そして続けた。
『誰の味方にもなれないあたしだから出来ることがある』
ややあって、レイジから返信が着た。
『お前を信じるって言っただろ』
短い、けれど力強い言葉だった。
未だパニック状態のスカイプ通話に、耳を戻した。
タイラーとハンドレットが言い争っている。カッサーラはそれを宥めようと必死だ。
黙っているのは愛華1人だった。愛華だけに会話を繋ぐようにする。
「愛華さん」
蚊食鳥の呼びかけに、愛華が反応した。
「愛華さん、古いサイトを参照する時に必要なものは?」
愛華は暫く呆然としていたが、すぐに我を取り戻した。
「アーカイブ……」
「あともうちょっと、なんだ」
若堂の、本質に近づきつつある。
例え人では無かったとしても、人の言葉を操るならば、またそれは弱点になり得るはず。
「若堂が、初期のネット世界で、個人のウェブサイトをやっていたことは分かってる」
でも消したのか消されたのか、本体に辿り着かない。
キャッシュも無い。
アドレスも分からないため、インターネット・アーカイブ(Internet Archive)でも探すことは困難だ。
しかし3億ペタバイトあると言われるデータを参照することは不可能ではない。やるしかない。
やるわ、と愛華も呟いた。
「ヒントは死ぬほど転がってる」
「ほんとに死ななきゃそれでいーよ」
蚊食鳥の軽口に、愛華が笑った気配だ。
いつ終わるか分からない祭のフィナーレを飾るのは、あたし、いやあたしたちだ。
改めて、グループチャットに入り直す。そして、騒いでいる男たちを一喝した。
「あんたたち!」
パニックが一瞬収まった。
「騒いでどうにかなるんならいつまでもやってればいいよ!でも、そうならないんだからあたしたちに協力しな!」
はいっ、と男たちの声が揃った。
じゃあ、さくさくやるよ。
蚊食鳥は、キーボードの上に両手を置いた。




