少女小説家編-2
「私、本当に不倫されて辛いんですぅ〜」
向井探偵事務所の応接室は、若い女の涙声で溢れていた。
向井と文花は出来るだけ、冷静になって対応していた。
不倫の相談で来た女だが、事情を話すうちにだんだんと感情が昂ってきて、泣いてしまったようだ。
向井に呼ばれ、文花はこのクライアントを宥める事になってしまった。
「大丈夫です? お茶でも飲みます?」
「う、はい」
女は、広瀬という名前だった。10個年上の旦那に浮気され、心が死ぬ思いだと言う。
「気持ちはわかるわぁ。私の夫も51人も愛人がいたの。遊び相手も入れる地もっといるでしょうね」
「そんなに!」
驚いたのか、広瀬の涙は止まっていた。
「大丈夫よ。馬鹿な不倫女は本当に馬鹿なんだから、ろくな結果にならないわよ」
「そうだぞ。この文花さんはノートに名前を書くだけで愛人を呪い…」
「あのねぇ、向井さん。そんな呪いなんてあるわけないじゃない。不倫なんてやってる女にろくな事は起きないってことよ。自業自得。やっぱり真面目に正直に生きてる人が報われないと」
広瀬はすっかり二人の言葉の応酬に負け、自分の辛い不倫を忘れていた。一瞬ではあったが、広瀬は少し笑顔を見せて返っていった。
「しかし、本当に不倫が多いな。本当に疫病流行ってる? どいつもこいつもラブホ行き過ぎだろう」
「そうねぇ。夫もまた合コン言ってたのよ。嫌になるわ」
文花はため息をつきながら、広瀬に出したコーヒーやお菓子のカスを片付けた。夫が合コンをやった店にクレームを言ったが、疫病は茶番など頭の痛い陰謀論をまくしたてたれ、ワクチンで宇宙人になったり異世界に飛ばされるから危険だと打つなと言われた。クレームを入れているつもりだったが、ここまで見事なファンシーな陰謀論を言われるとは思わず、これ以上話していても無駄なので電話を切った。ただ、向井探偵事務所で扱う不倫中の男女は誰一人疫病にかからず、少しは陰謀論もアリなのかもしれない気にさせられた。
「合コン行ってたワケ? こりねぇな、そっちの旦那は」
「そうなのよ。嫌になるわ」
文花はせっせとテーブルに布巾をかけているが、やはり頭の中をしめるのは朝比奈や佐倉の事だった。
「これがその合コン相手の写真。どう思う?」
文花は『ヤクザな夫の愛し方』の後ろに載っている顔写真を向井に見せた。向井は顔を顰めながら、写真をじっと見ていた。
「このヤクザ、文花さんの旦那に似てないか?」
「そうなのよ。まあ、主人にその事を言ったら、怒られたけど」
あの夫の怒りは当然だった。たしかに誰かに似てると言われて気分が良くなるはずもない。文花も女優の秋野涼子に似ていると言われた事があるが、確かに不快だった。
「それにこのヤクザ、前科あるはずだぞ。どっかで見たことあると思ったが、殺人未遂事件の容疑者だった記憶が」
「え? 嘘」
「ああ、このエッセイにも書いてある。ヤクザ内のトラブルで、組長の妻を殺そうとしたそうだ。何十年も前の話だが、捕まった後で出てきて組を抜けて、この女と結婚したのか」
向井は興味深々に『ヤクザな夫の愛し方』を読み耽っていた。
「しかし、元ヤクザと結婚するなんてとんでもない女だな。文花さん、この女調べてみたらいいんじゃない?」
「でも、この伊夜って女は別に不倫はしてないのよ」
夫に愛人調査も止められているし、愛人ノートも坂井智香の事件のせいで警察の押収されたままだった。
「でもこんな夫がいるのに呑気に合コン行ってる女だぜ? 話聞くと、朝比奈っていう女友達とも変な関係って。怪しいぞ、この女達」
「まあ、言われてみれば」
「今日はもう仕事いいから、この二人についてSNSから調べな。妙な事になる前に」
珍しく向井が甘い事を言っていた。でもその表情は、苦虫を噛み潰したようだった。
「妙な事って?」
「いや、カン。男のカンは当たらないかもしれないが、嫌な女に見えるぞ」
向井は、伊夜と元ヤクザの写真を指で突っついてた。
茶髪で巻毛、メイクバッチリのキラキラした伊夜の写真が、歪んだように見えた。