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メンヘラ地雷女編-5

 朝出版の応接室で文花は砂を噛むような思いをしながら、牧野花江を待った。


 牧野は、朝出版での夫の担当編集者だった。朝出版では若者向けの恋愛小説をよく出版している。朝出版は、児童書や子供向けの図鑑で有名なところで、ここでの夫の小説も肉体描写などはほとんど書かれていない。せいぜいキス止まりである。キスシーンすら書いていないのもある。


 牧野は若い女で夫の不倫をするのではないかと心配したが、全く夫には興味がない様だった。まあ、確かに目が大きく、少々ギャルっぽいルックスなので夫に好みとは外れる。年齢は25歳ぐらいだが、アイメイクやマニュキュア もバッチリとしていてあまり落ち着きもない。髪の色も編集者の割に派手に見える。


「文花さんじゃないですかぁ。今日は何の用事でいらっしゃったんですか?」


 朝出版に関係者と夫は今まで不倫した事はなかったので、牧野は文花がメンヘラ地雷女だとは知らなかった。


 文花は牧野の蝶々のシールがついた派手な爪を見ながら、低い声でつぶやいた。


「あなた、夫と夜出版の町田さん、少女小説家達と合コンを開いたって本当かしら?」


 牧野の表情がさっと暗くなる。この様子だと後ろ暗い事はあるのだろう。


 町田は、夫と合コンを開いた事を吐いた。夫に良い恋愛小説を書かせるためだとか言い訳をしていたが、妻の気持ちを傷つける行為意外の何者でもない。


 町田がこんな妻の敵になる事をしでかすとは思わなかった。あの常盤や紅尾が可愛く見えるぐらいである。やはり一刻も早く恋愛小説を書かせるのをやめて、ミステリーに専念して貰うか、筆を折ってもらわなければ。


「どういう事かしらね? 夫は結婚している身だとご存知ないのかしら?」


 文花は牧野に出された紅茶をゆっくりと啜った。味の薄い紅茶である。昼出版同様、経費をケチっていとしか思えない。紅茶を飲んで砂を噛む思いがますます強まった。


「それは知ってますけど、田辺先生に良い小説を書いてほしくって」

「いい訳はいいから、合コン当日の状況を詳しく教えてくださいよ?」


 文花が睨みつけると、牧野はポツポツと言い訳を交えながら、合コンの日の夜について話し始めた。


 合コン参加者は、夫、町田、牧野、朝比奈佳世、佐倉伊夜。朝比奈は少女小説家で牧野が過去に担当した女だった。佐倉が朝比奈の友人で女性企業家。当初は佐倉がもう一人男を連れて来る予定だったが、用事で来れず四人で合コンがスタート。


 場所は都内にあるオーガニックイタリアンレストラン。感染対策をゆるいレストランで陰謀論者やオーガニック信者などの巣窟になっているという。


 牧野がちょっと陰謀論にかぶれていてそんな店を選んだという。文花は別に疫病などには興味がないが、感染対策がぬるい事は後で店にクレームでお入れておこう。頭の中に牧野から聞き出した店の名前をメモする。


「それで、夫はその女達と鼻の下伸ばしてた?」

「ちょっと、文花さん怖いですよ〜。これでは警察の取り調べみたいじゃないですか」

「あら、警察の取り調べを受けた事があるの?」


 牧野は押し黙った。


 もしかしたら万引きなどの軽犯罪で警察の世話になった事もあるかもしれない。まあ、今はそんな事はどうでも良いので当日の様子や女の事を聞き出さなくては。


「まあ、朝比奈さんと佐倉さんとはちょっといい感じになってたかな…」

「それで? 連絡先の交換していた?」

「ええ。でも別にホテルに行くとかそんな事はないですよ。一応疫病の事もありますし、さっさと解散しました」


 そんな話を聞いても文花は全く安心できなかった。少なくとも新しく女と二人知り合ったのだ。今は不倫をしていないとしても、あの頭の悪い男がいつ不倫を再開するかわかったものではない。愛人探偵だってたまたま運良く売れただけで、夫のミステリ作家としての未来に保証があるわけでもないのだ。まだまだ安心は出来なかった。


「その朝比奈って女と佐倉って女について詳しく教えてくれませんか?」

「ああ、あの二人ね」


 牧野は苦笑し始めた。


 文花は疑問に思う。


 もし二人が美人だったり、色っぽい女だったらこんな見下した様な笑い方をするだろうか。


「あの二人、正直ちょっとキモかったんですよねぇ」

「は? どう言う事?」

「なんていうか、大人になりきれてないっていうか、女子校のノリを引きずっているというか。実際同じ女子高校だったみたいですよ、あの二人。まあ、子供っぽい二人ですよ。田辺先生と不倫する可能性は低いんじゃないですかね」


 牧野は半分笑いながらそういった。この様子では、女が嫉妬するような女では無いようだ。しかし、まだまだ安心はできない。詳しく牧野から聞き出さなければ。


 朝比奈と佐倉は双子のようだったと牧野が説明していた。


 ファッションや話し方、注文する飲み物、食べ物全て同じだった。もちろん血の繋がった双子では無いので、他人である。佐倉がお姉さん的な役割で、朝比奈が妹っぽく真似するという印象だったと言う。


「気持ち悪いわね。変な女子校のノリで大人になったのかしら? 別に同性愛ってわけじゃなくてもベッタリしてる女同士ってたまにいるわよね」


 顔を顰めて文花は呟く。文花はもともとそんな女友達は多くないし、女子校でもなかったので、理解できないノリだった。


「そうですね。私も気持ち悪かったし、町田さんや田辺先生もちょっと引いてましたよ」

「本当?」

「でも、佐倉さんが先生にちょっかい出したら朝比奈先生も真似し始めて…。まあ、二人とも本気じゃないでしょうから、放っておいても大丈夫でしょう」


 牧野は他人事だったが、文花はいても立ってもいられない。


 気持ち悪い女二人だとしても、こうして夫にちょっかいを出したのは事実である。


 夫に愛人調査は禁止されているが、愛人になりそうな女の調査は禁止されていない。また夫が不倫する前に妙な事になる種は潰して置かなければ。朝比奈と佐倉については要調査。さっそく彼女らのSNSを探す事から始めよう。


「ところで先生には、また新しく若者の純愛ストーリーを書いてもらおうかなって思っています」

「あのね、今、夫がスケジュールがキツキツで大変なのよ。まだ入院中だし。忙しくなってまた倒れたらどうしてくれるの?」


 すっかり忘れていたが、夫のスケジュールについても文句を言わなくては。


「スケジュールは調整しますから。あれですね、最近我が社でも『余命666日の花嫁』がヒットしましてね、是非先生にも病気の女性が亡くなっていく儚いラブストーリーを書いて頂きたく…」

「は?」


 さっきまで不倫疑惑で気を揉んでいた文花だが、牧野のこの発言で違う意味で胸に怒りが溜まっていく。


『余命666日の花嫁』は病気の女性にラブストーリーで、500万部も突破している。朝出版の入り口やロビーにもヒット記念のポスターが貼られていて、今度映画やドラマにもなるそうだ。書店の恋愛小説のコーナーも大きく取り上げられている。夫の方はそこまで書店に大きなコーナーは無いのだが。


「あのヒット作と似たようなものを書けって言うの?」

「そういい意味じゃないんですけど。まだ余命幾ばくもない女性の小説が実際人気ですし」


 文花はため息が出る。確かに出版業界では、一度人気出たものの似たようなものがいくつもいくつも売られている。二匹目のドジョウや二番煎じというやつだ。二番煎じでもそこそこ売れるし、企画も通りやすいから似たようなものが出版されるのだろう。


 文花はその悪習にウンザリとする。夫もウンザリとしていてよく愚痴を聞かされるし、ヒット作と似たようなものを依頼されるとストレスが溜まり、不倫に走る事も少なくはなかった。


「そもそも小説、ノベルの語源って『新しいもの』って聞いた事があるんだけど、そんな誰かと似たような猿真似って小説って言えるのかしら?」


 これは夫の受け入れだったが、ハッキリと言ってやった。


「でも売れれば正義なんでしょう? 夫の不倫でできた恋愛小説も、いくら妻が傷つこうと、あなた達は売れればそれで良いって思ってるんでしょ?知ってるわよ、あなた達がものすごい商業主義である事なんて。だから夫に合コン誘ったのよねぇ」


 文花が嫌味っぽくチクチクと続けて言う。


 牧野はタジタジですっかり戦意を喪失していたが、少し言い返してきた。


「でも売れないものを売るわけにはいかないじゃないですか」

「そうね。あなた達は不倫される妻を傷つけるのが仕事みたいなものね」

「そんな言い方ってないじゃないですか〜。文花さんこそ疲れてません?」


 憐れみが籠った顔で同情された。

 確かにそうかもしれない。


 毎年、楽しくないクリスマスが近づいてきて、新婚当初の事を思い出してイライラとしているのかもしれない。


 とりあえず、牧野の言葉を信じて不倫疑惑については調べなくても良いかもしれない。

 そんな事を思いながら、味の薄い紅茶を啜った。

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