新しい夫婦関係編-2
一瞬の事だった。
自分でも油断していたと思う。安優香は手を伸ばして文花の首を締め始めた。片手に持っていたホットココアのカップが手から転び落ち、地面にぶち撒かれたが、今はそんな事を気にそている場合ではない。
首を締められたといっても小柄な安優香する事で大した力ではない。それに夫に不倫されよるはマシだ。
冷静になり、精一杯の力を込めて、安優香を蹴り飛ばした。
安優香は地面に倒れぜいぜいと荒い息を繰り返していた。
文花もさすがに息が切れ、その場にしゃがみ込み、息を整える。
「あ、あなた、犯人ね?」
「そうよ。何か問題でも?」
驚いた事に安優香は開き直っていた。
あのオドオドとした姿とは想像がつかない。万引きを繰り返し、ヤンキーを手懐けていた事に深く納得してしまう。
「コソコソ嗅ぎ回って、何がしたいのよ!」
安優香は息を切らしながらも文花を睨みつけた。
こうやって興奮する犯人を見れば見るほど、文花の気持ちは冷静になってくる。
夫に裏切られる事に比べれば、一人のバカな女の相手など簡単な事だ。ちっとも心は乱されない。
文花は薄ら笑いを浮かべて、犯人を見た。
「なんなのよ、そのメイクは! 伊夜様の真似? 朝比奈みたいな事しないでよ!」
やっぱりこのメイクは、安優香に心理的なダメージを与えたらしい。このメイクをしてきた判断は間違えではなかったようだ。
「ふざけんな! どいつもこいつも猿真似ばっか!」
「でもあなたが書いた小説だって、既存の作品とそっくりよ。まあ、ゴーストで書くんだから、手を抜いてそれでも良いでしょうけどね」
冷ややかに言い放つと、さらに安優香は興奮し始めた。
「なんだ、私が朝比奈の代わりにゴーストしてたのもバレてるの」
「そうねぇ。朝比奈さんの成績表見たけど、あの国語の成績ではいくら少女小説書くのは無理よ。当時から脅されてたのね。作文やテストもあなたが代わりにやってたのね? 可哀想に。そこまでしてあげる事なかったじゃない?」
少し同情してやると、朝比奈はちょっと泣きそうに顔を歪めた。
「伊夜様を殺したのは、誰?」
「伊夜様を殺したのは私じゃないわ…」
「えぇ?」
これは驚いた。
てっきり朝比奈とキリコ、安優香が口裏を合わせてアリバイを作り殺したものだと思っていた。まあ、実行犯が安優香の可能性が高いというだけで、誰かはわからなかったけれど。
少し安優香は冷静になってきたのかポツポツと当時の状況を話し始めた。
確かにあの日、朝比奈達は伊夜を殺すために動いていた。しかし、途中でキリコや朝比奈が怖気付き逃げた。安優香だけは、最後まで現場に残ったが、あのヤクザが先に現れて伊夜と口論。本当にあのヤクザが殺してしまったのだと言う。
「本当に?」
「本当よ! その証拠にあのヤクザはまだ捕まったままじゃない。最初は援助交際で付き合った二人だったみたいだけど、朝比奈に脅しがあまりにもキツくて結婚したそうよ。ヤクザが朝比奈から守って貰って惚れちゃったみたい。一時はヤクザのお陰で朝比奈も大人しくなったけどね。伊夜様とヤクザの関係が悪化したから、最近朝比奈はまた脅しに精を出していたってわけ」
安優香は怒鳴るように言った。それでも泣きそうな表情は崩さない。悲しい人間にしか見えなかった。新事実も明らかになるが、予想の範囲内で特に驚くべき事もない。
「朝比奈を殺したのね?」
「そうよ。でもあの脅しから逃れられるなら、捕まってもいいと思ってたのよ。でもキリコが現れて、あんな事に。薬の影響でおかしくなっているのかしらね?」
文花はため息をつく。
自分の推理がさほど当たってなく、見事に私怨まみれの調査だったことも悔しい。でも何故かこうして犯人と対峙そているのだから、最終地点は間違ってなかったかもしれない。
「せいせいしたわ。邪魔な朝比奈が死んでくれて!」
「それは同感よ。あの女は、私の夫にちょっかいをかけて、私にも挑発してきて、挙句炎上まで起こしたんですから。殺してくれてどうもありがとう」
文花はわざとらしく頭を下げた。
「は? あんた、今殺人犯と向き合っている自覚あるの?」
文花はあまりにも動じないので、安優香はイライラとし始めた。
「ところで、タイムカプセルは何を埋めたの?」
「は? そんなのあるわけないじゃない。私たち、別に友達じゃなかったんだから。感動的な作文にするために盛ったのよ。あんたが島崎と一緒に昔の作文を探ってるのは気づいてたから、ここに来るんじゃないかと思ったのよね」
「まあ、目障りな朝比奈を殺してくれて本当に感謝するわぁ。私、何にもしてないのに得しちゃったわね」
この言葉にさすがに安優香は怒りはじねた。
「うっさい! このメンヘラ地雷女!」
「あら、そう言われてる事よく調べたわねぇ」
文花はちょっと面白くなってきて、笑って頷いた。確かに夫にちょっかいをかける朝比奈を勝手に殺してくれた事は、良いことかもしれない。確かに人間の命が失われた事は悲しいが、せいせいとしたのは事実だし、この犯人がちょっと可哀想にもなってくる。
「あんたの個人情報が、何故かエンジェル万歳教が持っていて探すのは苦労しなかったわね」
「道理で。あとで近所に住むカルト信者を問い詰めなくちゃ。わざわざ教えてくれてありがとう!」
本気で感謝したように言うと、安優香はチッと舌打ちをした。文花にこれだけ感謝されるとは思っても見ないようだった。
「あなた、あのドグズな朝比奈に振り回せ心底同情するわぁ」
「そんな同情すんな!」
安優香はそんな文花についにブチ切れたらしい。
「全部知られてしまったら、あんたも殺すしかないわね」
安優香は立ち上がり、折りたたみナイフを広げて文花に近づけた。




