可哀想な女編-5
翌朝、文花ははやくからキッチンに立ち、シュトーレンを作っていた。今まっで自分で作ったものは納得いく出来ではなかったが、あのシェハウスの桃果に教えて貰ったレシピを参考にしたら、上手にできた。焼き上がった生地に粉砂糖を纏わせ、適当にスライスしてラッピングをした。
シュトーレンはドイツで生まれた伝統菓子だ。夫が以前小説の取材に使ったお菓子の本によると、「坑道」という意味だ。坑道とはトンネルという意味で、確かにスライスする前のシュトーレンはトンネルみたい。また、シュトーレンの形はおくるみに包まれた赤ちゃんのイエス・キリストにも似てるという説もあり、クリスマスを待ち望むお菓子だとも言われている。日持ちする菓子であり、クリスマスが始まるまで少しづつ食べていく。
今日は、昼間キリコのメイクスタジオに行く予定だった。このシュトーレンを手土産に持っていっても良いだろう。お菓子があればうっかり秘密を漏らすかもしれない。
偶然にもキリコのメイクスタジオは、伊夜が亡くなったセミナー会場のビルと近かった。何か事件と関係があるかわからないが、少し気になった。メイクスタジオはまさに写真を撮るスタジオとメイクをする楽屋のような二つの部屋で構成されていた。
「朝比奈さんの紹介できたのね…」
キリコは、文花を出迎えると明らかに嫌そうな顔をそていた。
姿勢がピンとして指先まで神経が行き届いているような女だった。メイクは芸能人のように濃かったが、派手な顔立ちなので違和感はない。朝比奈と同じ30歳だそうだが、いい意味でしっかりとした年相応に見えた。少し宝塚の女優のような雰囲気もあった。
「これ、お土産なんですけど」
嫌そうな顔をしているキリコだったが、シュトーレンを渡すと笑顔を見せた。
「あら、嬉しいわ」
「秘伝のレシピを使った手作りなんです。嫌でなければ」
「手作り? シュトーレン手作りでできるの? けっこう凄いわね」
「知り合いに教えて貰いながら作ったので」
そんな事を話しながら、楽屋のような部屋に案内された。壁に鏡が並び、メイク道具も机の上にいっぱい置いてある。メイクパレットは、何色もあり、目がチカチカしてきそうだ。ファンデーションも何色も並び、ブラシやパフも何本もある。さすがプロの道具だとは思うが、冷ややかな目でそれらを見ていた。
「椅子に座って。さっそくメイクを始めましょう」
「どんなメイク教えてくれるの?」
メイクは興味がないが、椅子に座りながら一応聞いてみた。
「まずは私とカウンセリングよ。普段どんなメイクしてる? 基礎化粧品は?」
キリコも椅子に座り、メモをとりながら質問し始めた。メイク道具にせいかキリコが香水をつけすぎているのか、この部屋は少し人工的な香りがして、あまり良い気分ではない。
キリコも仕事だから何とか笑顔を作っているが、朝比奈の紹介できた文花に良い感情を持っていないのがありありと伝わってくる。メイクやスキンケアをあまりやっていないというと、キリコは小馬鹿にするような目をしていた。
「あ、そうなの。でもそんな手を抜いていると、年取った時ツケが来るわよ」
「そうですか? 化粧品も所詮化学物質でしょ。界面活性剤はかえって肌を痛めるみたいだし、化粧水が肌に吸収していくという化学的エビデンスってありましたっけ? 口紅もタール色素が身体に悪いのよね。たまになら良いけど、毎日つけてたら病気になるって噂ね。確かに今って女性特有の病気は増えているんじゃなかったかしらね」
文花は少し早口で、化粧品の害を述べた。夫のために栄養を調べている時、化粧品もさほど身体に良くないと知った。それに化粧品に原価はとても安い。ボッタクリと言って良い。その事をケチな夫に話すと、化粧はしなくて良いとまで言われている。何も問題がない。
「まあ、あなたは歳の割に肌綺麗ですけどね…」
キリコはちょっと悔しそうに文花の白い肌を見ていた。
「化粧品なんて無駄よ。にがりを水に薄めたの塗って、乾燥したところだけワセリンをちょっと付けてるだけ。まあ、食事は全部無添加無農薬でこだわってますが」
ここまで言うと、キリコは押し黙り、ため息をついた。さすがに化粧品類でマウンティングが出来ないと察したようだ。
「ところで今日は何できたんです? 朝比奈さんの知り合いですか?」
「別に知り合いじゃないけど。あんな芋臭くて猿真似ばっかりしている気持ち悪い女とよく友達やってられるなぁって」
「別に友達じゃない」
ボソッと吐き捨てるようにキリコは呟いた。すっかり機嫌を損ねたようで、営業風の笑顔すら見せていない。
「伊夜とは友達だけどね。朝比奈サンと安優香サンとは別に友達じゃないわ。まあ安優香サンは悪い人じゃないと思うけどね」
やはり文花の予想通り、朝比奈とは中良くなかったようだ。朝比奈と違って安優香には同情めいた表情を見せている。
「じゃ、何で友達ごっこみたいな事してたのよ?一緒に写真を撮ったり」
「まあ、私も大人ですし、普通に付き合ってはいるけどね。ところで、文花さんは今日はどんなイメージでメイクしたいの? 本当にあなた、何しに来たわけ?」
「そうねぇ。浅山ミイ風のメイクはできる?」




