殺人事件編-1
次の日、文花は都内某所のビルにやってきた。これから伊夜の誰でも月100万円稼げるキラキラ起業家女子セミナーに参加する為だった。駅から徒歩20分以上離れてはいたが、そこそこ小綺麗なビルだった。
本来ならこんな下らないセミナーに参加するつもりはなかったが、やはり伊夜の事も調べたいと思い参加を決めた。
夫は一緒に作品を作った漫画家の猫子先生やアシスタントの井村に誘われて飲みに行ってしまった。退院明けに飲みに誘うとは猫子先生にもイライラとしたが、あまり飲ませないと言っていたし、あの朝比奈と会うよりはマシだろうと思って許可した。猫子先生にも何か不倫をするような素振りを見せたらすぐ連絡するよう釘も刺してうたし、そう心配は要らないだろう。
セミナー会場は、ビルの4階だった。貸し会議室などを運営している会社の一室のようだ。学校の教室よりはやや狭い会場にセミナーの客達が続々と到着している。
文花が一番後ろの席に座って、客の様子を観察する。全員女で、30代前半ぐらいだった。みな伊夜のようなファッションやメイクだった。茶髪に巻毛、濃いめのアイシャドウにグロスを塗った唇。服装は、ピンク色でヒラヒラとしたワンピース。
多少の差はあれどどれも判で押したような女達だった。心なしか表情や声も似ている。黒髪で薄化粧、全身カーキ色の服の文花はいやでも目立ってしまった。地味なメイクやファッションで目立ってしまうこの状況が、何だか皮肉みたいだ。
お陰で他の客達で文花に話しかけるものはいなかったし、文花も居心地が悪い。ヒヨコの集団の中に一人だけニワトリになったような気分だった。
時間ピッタリに伊夜が室内に入ってきて、セミナーが始まった。
一人だけ目立っている文花を一瞥したが、あとは無視して「ネットで簡単に稼ぐ方法」を説明し始めた。
伊夜は、没個性的なメイクファッションだったが、この中では顔立ちも整い、そこそこオーラのようなものがあった。朝比奈と違って指先まで神経が行き届いているようで、所作も上品で声も可愛らしかった。確かに学校内でファンクラブが出来たり、こうして人前に出るのもわかる気がした。芸能人とはいえないが、人目を引くオーラのようなものは確かにある。
肝心の講座内容は退屈だった。特に目新しい情報はなく、それこそネットでいくらでも転がっていそうな話ばかりで眠い。その他も特に実態の無いような心の持ち方などの自己啓発に終始していて退屈だった。伊夜はこうしてセミナーで稼げるだろうが、果たしてこの会場にいる客で稼げる人が居るのか疑問である。
そんな事を考えていると、伊夜と目があった。向こうも何か察したらしく、軽く睨んできたが、実際退屈なセミナーなので仕方ない。
「ちょっと、気分が悪くなってきたわ」
伊夜は文花を見据えながら、そんなことまで言い始めた。ほぼ信者と化しているセミナー客の最前列の連中は、わざとらしく声をあげて心配していた。
「ごめんなさいね。十分ぐらい休憩にします」
そう言って伊夜は、どこかへ行ってしまった。
会場内は、予想外のことでザワザワし始めた。
伊夜に関して何かわかると思ったが、あまり収穫はないかもしれない。それでも帰るのは、ちょっと惜しい気もして、一応、文花は隣の席に座っている女に声をかけて伊夜の評判などを聞くことにした。
「伊夜さんてぶっちゃけどうなの?稼げるセミナー?」
「ああ、それは…」
隣の女は少し困ったように眉毛を下げた。香水をつけ過ぎたのか、少しキツい花の香りが鼻をくすぐる。
「まあ、実際稼ぐのは難しいかな?実は私は伊夜様の学校の後輩で、ファンだから見にきたって言うのも大きいんだけどね」
隣の女は、そう言って首をすくめた。やっぱり客達も稼ぐ目的というよりは伊夜に会うためにこのセミナーに参加しているようだった。
「朝比奈佳世って知ってる? ああ、実は、出版業界の関係者で、少女小説の関係者でもあるの」
嘘は言っていない。実際、夫は作家だし少女小説編集者の滝沢と知り合いと言ってよかった。
「ああ、あの朝比奈さんね…」
明らかに隣の女は、苦笑していた。少し小馬鹿にしているような笑い方だった。
「朝比奈さんってどんな人? 少女小説界隈ではあんまり良い評判を聞かないのだけど」
「朝比奈さんねぇ。あの人は、はっきり言って伊夜様のストーカーよね。いくら好きでも、毎日追いかけるのは私でも出来ないわ」
「伊夜さんと朝比奈さんて中良かったの?私が伊夜さんだったらウザって思う」
「それが不思議な事に伊夜様はあんまり朝比奈さんの事を嫌っていなかったのよね。あと、キリコさんと安優香さんといつも四人で連んでた感じ」
キリコとはおそらく朝比奈の知り合いにメイクアップアーティストの事だろう。安優香のことは全く情報が無いのでわからない。
「キリコさんは美人だったから伊夜様ち仲良くなるのわかるけど、朝比奈さんと安優香さんは別にそうでもないから、なんでいつも四人で連んでいるのか疑問だったのよねぇ。あ、別に朝比奈さんや安優香さんがブスとか言ってるわけではないのよ」
そう言いつつ、隣の女はニヤニヤと笑っていた。心の中では朝比奈や安優香という女を見下しているのが文花にも伝わってくる。女子校出身の女は性格が悪いものが多いのだろうか。同性を見る目がシビアでちょっと怖いと感じる。
「まあ、それだけ伊夜様が慈悲深いマリア様みたいな女性なんでしょうね」
隣の女はうっとりと語っていた。この女もやっぱり少し気持ちが悪い。マリア様を拝むと何か気持ち悪いオーラでも受信するのだろうか。
そんな事を考えている時、外が何やら騒がしかった。
救急車、警察を呼べなどという誰かの怒鳴り声が響いている。
何かあったのだろうか。
セミナー会場の連中も外に出て騒ぎを確かめようとしている。文花も何があったのか気になり、続いて外に出た。
騒ぎは控え室の方だった。
人混みをかい潜り、文花が最前列の方に向かう。
そこには想像もできない光景があった。
伊夜が胸を刺されて倒れていた。
血を流し、顔は青白く血の気がなかったせっかく綺麗にメイクした顔は人間のようだ。死んだ?殺された?滅多に動じない文花の頭も混乱し始める。
「うわあああああああああ」
側には複数のガードマンに取り押さえられていた男が一人。
あの元ヤクザの男・佐倉直志が絶叫していた。
「伊夜が!伊夜が!」
直志の両手は血に染まっていた。それに小指がない。誰がどう見ても直志と刺された伊夜に何か関係している事は明らかだ。
そうこうしているうちに救急隊がやってきて伊夜を担架に乗せてあっという間に消えてしまった。
警察もやってきて直志も手錠をかけられた。
あっという間の出来事で文花の頭もクラクラとしてくる。伊夜は夫に不倫相手でもなく、単なる合コン相手。浅山ミイや坂井智香の時みたいに、死んでせいせいしたと思えず頭は冷静になれなかった。
「どういう事?」
その文花の呟きは、この騒ぎでかき消された。




