少女小説家編-10
文花は冷静にポットに茶葉を入れ、紅茶を煮出した。向井のハワイ土産のチョコレートがまだ余っていたので、それを皿に盛り付ける。
紅茶とチョコレートを客間のテーブルにゆっくりと置き、朝比奈の目の前に座った。
「わぁ、美味しそう! SNS映えするかな?」
朝比奈は張り付いたような笑顔を見せながら、紅茶とチョコレートの写真を撮った。笑ってはいるが楽しそうではなかった。
「あなた、メイク上手いわねぇ」
言葉では褒めているが、もちろん嫌味である。文花は足を組んで座り、少し小馬鹿にするように朝比奈を見据えた。
「ええ、友達に桐山キリコっていうメイクアップアーティストがいるんです。キリコに教えて貰って、文花さんの完コピをしましたっ!」
無邪気には笑っているが、文花の嫌味は気づいているようだった。
「文花さんもキリコにメイク習った方が良いですよぉ〜。ブスだから不倫されちゃう!」
わざとらしく身を縮めてぶりっ子をしていた。文花は正直イライラとしたが、無視して朝比奈のぶりっ子の態度を見守った。
「これ、キリコの名刺です! 本当にメイク習った方が良いですよ。はい、どうぞ!」
朝比奈は恩着せがましく、桐谷キリコの名刺を渡した。都内でメイクスタジオまで持ってるようだが、興味がないのでチラリと見るだけでテーブルの上に放置した。
「はは、このチョコ美味しい!」
「どうぞ、いっぱい食べて子豚ちゃんにでもなってください」
「酷い、子豚なんて!」
「あら、子豚が悪い動物なんて私は一言も言ってないわよ。かわいいわよねぇ、子豚さん。あなたとソックリで」
文花のネチネチとした嫌味にさすがに朝比奈はむっとしてチョコを摘む手を止めた。
太りやすい体質なのか、自分に甘いのか知らないが、朝比奈の体型はぽっちゃりとしていた。指も肉厚なソーセージのように丸みを帯びている。メイク、ファッション、表情などを真似られても伊夜の体型は真似できないらしい。その事を思うとどんどん冷静になって来て、嫌味の一つや二つぐら言っても良いだろうと思ってしまう。
「ところで私の家もよく調べたわねぇ」
「ええ。この『愛人調査』の奥さんの真似して、あなたの事をいっぱい調査したんです!」
窓の外でカラスか何かの鳥が呑気に鳴いていた。この客間の中は、残念ながら呑気さは全くなく、猿真似二番煎じ少女小説家と、決して楽しくない会話を交わしている。とても虚しい行為であったが、本妻として負けるわけにはいかない。こんな偽物めいた女に負けるわけはいかない。文花はグッと奥歯を噛み締めて朝比奈を見据えた。
「本当、文花さんって面白いですよね。前も居酒屋に居たでしょ。昼出版の滝沢さんと一緒に尾行してたのバレバレでしたよ」
「あら、だったらその時に言えば良いじゃない」
まさか尾行がばれていたなんて。
ショックではあるが、ここで動揺する素振りを見せたら負けてしまう。文花は無表情に紅茶を啜った。
「言うわけないじゃないですか。泳がせて油断した所を仕留めた方が面白いじゃない」
朝比奈はキャッキャと少女のように笑う。こうして見ると老けた小学生のようで本当に気持ち悪い。
「私、伊夜様にストーカーやってるんですから、文花さんを調べる事ぐらい屁でもないですよ。文花さんは〜」
朝比奈は、ペラペラと文花の個人情報を披露し始めた。出身高校や夫と知り合ったきっかけまで把握している。とても気分が悪くなってきたが、グッと奥歯を噛み締めて、表情を変えないように我慢する。
「『愛人探偵』に意外と素行調査する方法ガチで載ってますよね。はは、田辺先生、取材熱心だなぁ。そんな細部まで拘らなくていいのにぃ!」
「で、そんな私の事を調べて何がしたいの? というか、伊夜様にそんな事やっていてもよく嫌われないわねぇ」
「伊夜様と私は魂の姉妹として契約しているんですよ。嫌われる事なんてないですね」
朝比奈は自信満々に胸元から十字架のネックレスを取り出して私に見せつけてきた。ロザリオという物のようだ。
「このロザリオの前で伊夜様と私は契約したんです。何をするにも一心同体ってね。キャハ!」
朝比奈は身を捩って笑った。
「気持ち悪いわねぇ。お花畑の少女小説読みすぎなんじゃないの? そもそも十字架ってそんなもの? 真面目なキリスト教徒に怒られるんじゃないの?」
「いいんです。マリア様の前で二人で契約したんですから!」
「そんなんでいいの…? っていうか、なんで貴方達、そんなにマリア様が好きなのかしらね。聖書ではマリアの箇所なんてほんの少しだけよ。マリアだってこんな崇められちゃって、天国でプレッシャーすごくて神様の息子に泣きついてるんじゃないの。たぶんマリアは崇められる事望んでないと思うんだけど」
文花がため息をつきながら、チョコを摘んでボリボリと噛み砕いた。朝比奈はこの女子高生のノリは大人になっても卒業できていないようだ。この様子だと伊夜も朝比奈と似たようなタイプなのかもしれない。牧野がこの二人は気持ち悪いと言った事を文花は深く理解してしまった。
「まあ、そんなお花畑のノリもいいんじゃない。貴方のお仕事にも役立つのかもねぇ。あ、でも貴方猿真似二番煎じの作家だったんでしたっけ?」
文花はさらに口で嫌味を言い続けた。文花も笑顔を浮かべていたが、胸に朝比奈という存在に不快感が溜まっていく。朝比奈と夫は不倫をしていないが、こうして挑発しているのは事実だ。やっぱり朝比奈の調査は続行しなければ。悪い芽は摘み取って置いた方が良いだろう。
「へぇ。意外と文花さんも私の作家としての評判調べてるんですね!」
「そうよ。貴方、コアな少女小説ファンからは評判最悪よ。こんな事してないで、少しはお仕事の研究でもしていたらどう?」
文花は一切油断する事なく、淡々と朝比奈に嫌味を続けた。朝比奈も少しイライラとしてきたのか、ぎゅっと眉間に皺を寄せて文花を睨みつけた。
「文花さんこそ、こんなボーっとしていて良いんですか?」
「は? どういう事かしら?」
「文花ってこの『愛人探偵』の主人公みたいに旦那さんに作家辞めろとか言ってるんでしょ。昼出版での文花さんの評判聞きましたけど、最悪ですねぇ」
朝比奈は再びニヤニヤと笑い始めた。
「何の資格もない専業主婦が、旦那さんの収入途絶えたらどうするの? ね? 笑っちゃう。田辺の筆折れなんて、自分の生活は考えてないのねぇ」
ニコニコと笑いながら、朝比奈は太い指でチョコを摘んだ。
「おいひぃ!」
咀嚼しながらそう言ってた。文花は、無表情を貫いていたが、さすがに不快で口元がヒクヒクと引き攣る。
「私は国家資格があるもの! 国家資格! パパがやってる輸入食品の会社にまた勤めてもいいしね。あはは」
SNSでしたように朝比奈は、国家資格マウントを忘れなかった。その上、実家が金持ちらしい事も匂わせている。実に下品だったが、他人のどうでもいい女にわざわざ注意してやる必要はないだろう。姪っ子の佳苗がこんな下品な態度だったら、かなりキツく注意するかもしれないが。
「あ、文花さんは別に資格持ってなかったんですよねぇ〜」
「それが何? あなたに関係あるかしら」
「そんなんでも旦那に仕事辞めろ何ていうのすごい!命知らずで尊敬しちゃう」
朝比奈はぶりっ子のように身を捩った。
「そうだ、文花さんも伊夜様のセミナー出ます?」
「セミナー? 何それ」
「伊夜様が開いているネットビジネスノウハウのセミナーですよぉ」
カバンから朝比奈はチラシを一枚取り出して文花に渡した。そこには「誰でも簡単に月100万円稼げるネットビジネス!」と書いてあり、キラキラした伊夜の写真も載っていた。日付を見ると、ちょうど明日の夜から都内某所のビルでセミナーを開くようだった。
「伊夜様のところで勉強したら、文花さんみたいな何の特技もない専業主婦でも稼げるかも!」
「で? 私にこれに参加しろっていうの?」
セミナーの料金は一回につき5万円もする。果たしてこの五万円が回収できるかどうか疑問である。伊夜はともかく多くのキラキラ女性起業家は失敗していると聞くが。
「そうです。私が口を聞いてあげるので、参加してくださいよ」
朝比奈は文花が何か言う前に伊夜に電話をかけ、勝手にセミナーの予約を入れてしまった。その事も腹立たしいが、伊夜様、伊夜様と猫撫で声を出している朝比奈もとても気持ち悪かった。魂の姉妹で契約中らしいが、大人になりきれていない小学生の様にしか見えなかった。
「よかったですね、文花さん。セミナー代はタダでいいって」
「ちょっと待ちなさいよ。私は参加するなんて一言も言ってないんだけど」
「文花さんも伊夜様に学んで、手に職つけた方が良いですよ! あとキリコからもメイク勉強したら」
「余計なお世話。もう一度言うけど、あなたこそ、猿真似二番煎じじゃない少女小説でも頑張って書いたら?」
しかし朝比奈は文花の言うことには無視して、伊夜のセミナーのチラシとキリコの名詞を置いて帰って行ってしまった。
朝比奈がいなくなった客間でため息をつきながら、朝比奈が残して行ったものを見つめた。
それらをまとめて書斎に持っていき、ノートに書き込む。
・朝比奈佳世が自宅にやってきた。おそらく挑発の為。やはり、この女を調べなくてはならない。




