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少女小説家編-6

 夫はニヤけた顔で駅の方に向かい、東京方面に出た。


 すでに夜になっていたが、夫の足取りは軽く、顔もポーッとしていた。いつみボヤっとしている夫だが、今日は一段と間抜けな顔をしていて、背後を付けている文花には気づかなかった。


 なぜか昼出版のある飯田橋駅につき、駅のそばのファストフードの側で誰かを待っていた。


 文花は人混みに身を隠しながら、夫の姿を伺う。


「あれ、文花さんじゃないですか。こんな所で何してるんですか?」


 滝沢に声をかけられて、文花は慌てて声を小さくするように言った。


「え、なんですか。まさか、田辺先生を尾行してるんですか。まさかその中途半端なメイクも変装…?」


 滝沢は全てを察して、ドン引きしていた。


 文花は会社帰りの滝沢をとっ捕まえて、一緒に尾行させることにした。


 意外と複数人でする尾行はバレにくいし、文花と滝沢は歳も近いので友達同士か、先輩か後輩の関係にしか見えないだろう。今日の滝沢はメイクも抑えめでちょうど良かった。滝沢も自身が巻き込まれた事件で文花に協力して貰ったせいか、渋々一緒に尾行する事を受け入れた。


「それにしても尾行だなんて。『愛人探偵』とガチで同じじゃないですか」


 滝沢は呆れていても、少し楽しそうに夫の様子をこっそりと伺っていた。


「文花さん、これバレませんかね?」

「大丈夫。主人は女と一緒にいる時は頭が一層馬鹿になるから」

「なるほど。私の時もそうだったなぁ」


 文花は、過去の不倫を思い出す滝沢にちょっとイラっとしたが、今はそれどころではない。この女と友達のフリをしながら、夫の様子を伺わなければ。


「あ、先生、変な女と一緒にいますよ…」

「あれは、朝比奈佳世ね」

「あれが朝比奈佳世先生ですか…」


 夫は朝比奈と会っていた。


 朝比奈は伊夜とそっくりな巻髪に濃いメイク、ヒラヒラとしたワンピースに白いコートを着ていた。ただ背も低く、少々ぽっちゃりしているので、あまりガーリーな格好が板についていない。若作りを失敗したオバサンのようでもあり、色気もないので老けた小学生のようにも見えて、滝沢が言う「変な女」というのに深く納得する。


 伊夜はガーリーなファッションが似合っていたが、朝比奈はもっとカジュアルでスッキリとしたキャリアウーマン風の格好の方が似合っているのかもしれない。もっともそんなファッションにしたらキャリアウーマン好きの夫の好みに合致してしまうため、今のファッションのままで良いと文花は思うが。


 夫と朝比奈はそばらく駅周辺を歩いていた。


 だらけたスケベそうな中年男と、年齢不詳の気持ち悪いガーリーな格好の女。とても不倫カップルには見えないのが救いだ。坂井智香と夫は見た目も雰囲気もピッタリだった事を思い出すと、そういう意味では安心できる。文花は一緒に歩く二人をこっそりと写真に収めた。


「すごい、なんか私、文花さんを敵に回したくない」


 証拠をしっかりと抑える文花に滝沢は、少し怖がっていた。


「ところであなた、シェアハウスには帰らなくて大丈夫なの?」

「ああ。それは大丈夫です。うちの人達、新しく飼い始めた猫に夢中になって、動画やブログも作ってる始末ですよ」


 そう言う滝沢は今までに見たことがないぐらい楽しそうで、シェアハウスの生活も良さそうだ。


「シェアハウス楽しそうね」

「楽しいですよ。文花さんもクリスマスパーティー来ましょうよ」

「そうねぇ。それも良いかもねぇ」


 こうそて夫は朝比奈と会っているのだ。今年のクリスマスも一緒に祝える確率は低くなってしまった。滝沢のシェアハウスにお邪魔するのも良いかもしれない。


 そんな事を考えている地、夫と朝比奈は比較的大ききめなチェーン店の居酒屋に入って行った。


「どうします? 居酒屋入ります?」

「入りけど、少し時間をずらして入りましょう。さすがに今入店したらバレるわね」


 十分時間を置いて居酒屋に入る事にした。


 しの間、滝沢から朝比奈について何か知っている事が無いか聞く。


「あぁ、朝比奈佳世先生ね」


 滝沢は苦笑していた。この様子だと少女小説業界でもあまり良い評判が無いのかも知れない。


「私の担当の亜傘栗子先生の真似っぽい事してるのは把握しています。作品の固有名詞などが確かにかぶっていますね」

「何それ。盗作じゃないにしても猿真似じゃない。嫌らしい」


 文花は吐き捨てる様に言った。


「でも別に盗作っていうわけでは無いですし」

「でも、何かストーカー見たいで気持ち悪い」

「え? 文花さんがそれ言います?この状況も結構なストーカーですよ」

「確かに」

「いえいえ、納得しないで下さいよ。文花さんって意外と天然ですか?」


 朝比奈の事は聞けば聞くほど不快感が胸に溜まっていく。


 確かに法律には問えないが、心理的な嫌がらせやいじめの様な気もしてしまう。何よりそれを許している出版業界も気持ち悪い。


 そのうち本屋の棚が猿真似二番煎じばかりになるのでは無いか。そんな未来も感じられて、夫の事も心配になる。やはり、ミステリ作家に本格的に転向させるか、筆を折らせるしか無いのかもしれない。文花はこのとき、夫はとんでもない業界にいて巨悪と戦っているのでは無いかとさえ思った。


 不倫は許せないが、出来上がる小説は個性がある。夫にしか書けないものだ。それを守るために夫は人知れず努力していたのかも知れない。もしこのまま作家業を続けて夫の心が壊れたらどうしようか。すでに肉体では限界がきて2回も入院している。文花は夫の心を守る事が出来るのか、わからなくなり不安も感じ始めた。


 そんな事を考えているうちに時間がきて、滝沢と一緒に入店した。


 奥の方の夫と朝比奈が座って、酒を飲んでいた。ちょうど疫病対策の仕切りがある為、近くの席に座ってもこちらの身が隠せそうだった。文花と滝沢は、手先をアルコール消毒をして二人に近い席に座った。


 ビールやチーズの盛り合わせを注文し、女同士で酒を飲みにきた客を装いながら、耳を澄まして二人の会話を聴く。


 文花と滝沢はこちらの声を悟らせない為、筆談で話す事にした。


 滝沢はここまでするのかと呆れていたが、文花は気にせず酒を飲みながら耳を澄ませた。


「だから、読者の心を掴む為には、まずわかりやすさやキャッチーさが必要だと思うんですよ」


 夫はあまり話さず、朝比奈は独自の創作論をスピーチするかの様に話していた。


「逆にあまりにも個性的な話は読者が頭を使わなければならないので、キャッチーさがなく、伝わらないんです。王道というテンプレを守りつつ、細部で個性を発揮するのがよくありませんか?」


 文花は、朝比奈の若干偉そうな創作論にだんだん表情が曇っていく。


『まあ、朝比奈先生が言う事は正論で、編集者としては悪い話でも無いんですけどね』


 滝沢はまるでフォローするかの様に、ノートにそんな風に書いていたが、文花の表情は冴えない。牧野に『余命666日の花嫁』と似たような話を書けと言われた事を思い出し、不快感が溜まっていく。


「ねぇ、田辺先生どう思いますか?」

「まあ、一つの考えだと思うよ。でも、そのうちネタも尽きるよ。結局新しいものを生み出さなければならない時がくるさ」


 女に甘い夫には珍しく、反対意見を述べていた。


 朝比奈は何かモゴモゴと言い返したようだが、居酒屋の人の声などにかき消され聞こえなかった。


「ねぇ、それはどうでもいいけど、先生。私も文花さんみたくなりたいな」


 甘ったるいハチミツのような朝比奈の声が聞こえるが、文花の顔はさらに暗くなっていく。


 滝沢は筆談もできず、何も言わずにただお酒をちびちびと啜っていた。


「私は、先生のお嫁さんになりたいの〜」


 文花は怒りで少し震えていた。


 鬼のような顔をしている文花に滝沢はどう反応すれば良いかわからない。


「ねえ、どう? 同業者だから分かり合える事もあると思うの〜」

「まあ、それもあるね」


 夫の声に文花は完全に体が固まってしまった。

 滝沢はため息をつき、ただただこの時間が過ぎ去るのを祈る様に待っていた。


「ねぇ、そうでしょう。私は文花さんみたいになる!っていうか文花さん以上にいい奥さんになるわぁ」


 甘ったるい声だが、酔ってる様には思えない声はだった。


 文花は黙々と朝比奈の言葉をノートに書きつけていた。そうしていないと怒りと悲しみで爆発しそうであった。


「いや、文花ちゃんはこの世でただ一人の女だよ。誰も代わりなんていないさ」


 文花は夫のその言葉はすぐには信じられなかった。

 文花よりも滝沢の方がホッとしていた。


「そう、なの?」

「そうだよ。君だって、別に代わりはいないし、誰かの代わりになる事もできないよ。君は伊夜ちゃんの代わりもできないよ」


 文花はようやく夫が何を言っているのか理解し始めた。暗く沈んでいた思考の中に光が差し込む様だった。


「文花ちゃんみたいなユニークで面白い女はいないよ。肝が据わって、動じない。虫も殺してくれるし、料理も私の舌に合わないが、上手い事は上手い。そして何より執念深い。僕がいくら失敗をしても、絶対に諦めない。あんな女が他にいるわけないよ!」


 さっきまでの表情が嘘かの様に、文花はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていた。お酒のせいでなく、頬も少し赤く染まっている。


「僕は偽物が嫌いなんだ。本物が好き。本当の妻しか要らないよ!」


 涙が出そうだ。


 文花が唇を噛み締めながら、涙をグッと堪えた。


「でも先生、先生だってずーっと不倫してたんでしょ。今更、文花さんの信頼を取り戻せますかね?私、同じ女だからわかるけど、何度も裏切られたら、信頼なんてできないと思うわー。いくら諦めの悪い奥さんでもね」


 まるで悪魔のような朝比奈の声が聞こえて、高まっていた文花の心は水をさされた。間の悪い事に、夫は朝比奈にこれ以上反論せず、再び創作論に熱中していた。


 滝沢はため息をついて、ノートにこう書いた。


『文花さん、大変ですね。お察しします』


 励まされたようだが、文花の心は再び曇っていった。


 夫は自分を愛してるのか、わからない。ただ、これは不倫をしていないだけの状況だった。夫婦仲が回復したわけでは無い。

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