55 選択の扉
身体が空気中に溶けていく感覚が続いていた。
それでも意識と記憶は失われてはいなかった事が、私を未だ私でいさせてくれた。ただ身体がないだけで。
自分の置かれた状況をそう理解した途端、今度は水の中に落ちるような感覚がした。意識は、流れるままに流されていく。
止めたくても、藻掻く手さえ私にはなかった。
せめて手があれば……。
そう思うと、手が生えてきた。
目がないから見えないけれど、確かにそう感じた。
今の景色が見たいわ。
そう思うと、今度は視界が開けて、周りの景色が見えた。砂と石と流れる水の景色だった。
その瞬間、この世界の仕組みを理解した。
私はリコリス・オーレアよ。
まだ声を出せなかったけれど、強い意志を示してそう宣言した。その瞬間に、リコリスの身体は成形されて、私の意識はそこに吸収されていった。
◇
重たい瞼の上を水と光が流れていく。
私は慌てて上半身を起こした。
髪や服が濡れていて耳の中まで水が入っている事に不快感を抱きながらも、一番に確認した事は自分自身の身体だった。先程まで動かなかった手を試しに動かしてみる。自分の意志で手が動く事を確認すると、息を吐いて胸を撫で下ろした。
「良かった、身体が動いてる」
状況を確認する為に、私はゆっくりと立ち上がった。
そこで初めて自分のいる場所が小川の中だという事に気が付いた。足首までの深さがある小川の真ん中に私はいる。濡れて重くなってしまった洋服を着て。
不思議な事に、死ぬ直前まで着ていた暗躍用の黒装束ではなく、3年前ピーロットでお父さまに買ってもらったドレスを着ていた。
「死装束の代わりかしら?」
皮肉っぽく呟いた後、周りを見渡した。
そこには色鮮やかな花畑がどこまでも広がっていて、その花畑を分かつように小川は流れている。
「冷たっ」
水に浸かっている素足がじんと痛み、悲鳴を上げた。陸に上がろうと思い切り水を蹴飛ばしてみたけれど、足は重たくて思うように動かせなかった。
「ここは、天国? 地獄? それとも…………」
誰もいないこの場所で独り言を呟いてみる。予想通り反応はない。けれど、私にはこの場所の心当たりがあった。
「この世界では星を“天命を待つ命”と呼んでいたわね。なら今の私もその天命とやらを待っている命、という事かしら」
私の言葉に反応するように、花畑に風が吹いた。その風を感じながら、自分の置かれた状況を観察していく。意地でも今を見つめなければ、過去に囚われそうだった。
心を覗くと怖い。
死ぬ前の記憶も死んだ時の記憶も、全部この身体に入っている。振り返ると血が出るまで手を強く握り締めたくなるし、唇は千切れる程に噛み締めたくなる。
だから私は、今は周りに目を向けていたいと思っていた。
やれる事はまだある筈。例えここが地獄でも私には動く身体があるのだから、失敗を活かし次に繋げなければいけない。
苦い記憶に蓋をして、小川の流れに逆らい重たい足をゆっくり前へ進めた。
小川の水に最初に違和感を感じたのは、足首だった。冷たい水の感覚が段々と消えていき、同時にくすぐったい感触に変化する。
小川の水が水以外のものに変化しているのを、私の目が捉えた。足首まであった水が淡い発光体となって、私の腰ほどの高さまで周りを埋め尽くす。
水の流れに似せて、発光体は絶えず流れているようだった。時折私の身体を優しく揺らした。まるで、先程まで私もその一部だったのだと知らせているみたいに。
視線を遠くへ向けると、その発光体の小川の上流から何かが流されてくるのが確認出来た。肉眼で見るだけでも、それは無数にあると分かる。
「……流石に、桃ではないわよね」
有名な童話を思い出して、何が流されて来るのだろうと想像を巡らせた。それが桃ではなく「扉」だと気付いた頃には私は扉に囲まれていた。
「この無数にある扉の内の2つが、転生の扉か舞い戻りの扉ね、きっと」
確証はないけれど何となくそう思った。
流れていく扉一つ一つに意識を向けて、調べていく。形や色など違いがたくさんあり、どれが目当ての扉なのか全然分からなかった。
試しに「見渡せる目」の力を使ってみた。けれど、自分とは違う力で掻き消されてしまった。この場所では、魔法も武力も風も称号さえ無力なのだと思い知る。腹を括り、目の前を流れる扉を開けてみる事にした。
古い西洋扉がギィーと音を立てる。ゆっくり開く扉の中だけに意識を集中させた。すると、色鮮やかなものが私の視界を覆った。狭い視界でそれが無数の花びらであると知り、急いで扉を閉めた。
「この扉は、違うわ」
それからは、大胆に次々と扉を開けていった。扉の中は、不思議な世界で溢れていた。千花模様だったり玩具の世界だったり、前世の世界が垣間見えたり真っ暗闇な時もあった。色々見たけれど、扉の形や色とその中の光景に法則性は見つけられなかった。
――――どのくらい時間が経ったのかしら。
身体は疲れを感じなかったけれど、何時間もこの作業に没頭していたのかもしれないと不安を覚えた。この場所から出る事が出来ずにロゼスや皆とお別れをしなくてはいけないという不安が、身体の中をぐるぐると這いずり回っている。
「――そんなの嫌だわ」
発光体の小川の中を走った。
手前にある扉ではなく、その奥の方に隠れている扉に可能性を感じて、思い切り開けた。花模様のステンドグラスで飾られた美しい扉は、開けた瞬間に光を放った。
「――――これは?」
少し期待をしていた。けれど、あの世界ではなかった。理解するのに数秒程の時間がいる扉だった。
脈打つ命の鼓動、人間の体内を連想させる光景がそこにはあった。神秘的な光景でもある筈なのに、私は急に怖くなって直ぐにその扉を閉めた。
「まさか、これが転生の扉なの?」
直感的に、私はあれが女性の「子宮」であると思ってしまった。もちろん実物は見た事がない。でも、それ以外にそう思えなかった。
転生の扉の中の生々しい現実を見て心臓はバクバクした。思わず自分のお腹を摩る。
それからは気軽に扉を開ける事が出来なくなり、動きは恐ろしく遅くなっていった。
「……これでやっと最後の扉だわ」
この台詞を言う為にどれ程の時間を費やしただろう。考えるのも面倒だと思いながら、最後の扉を開けた。
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