2 野心の花
第一章の物語はゆっくり単調に進みます。
それから1年後にお母さまはこの世を去った。死に顔は、とても穏やかだった。
死装束は純白で、首元と袖、裾には透かし模様が付いていた。眠り姫みたいに綺麗だと不謹慎にもそう思ってしまった。
絹で作られた一級品の死装束は、お父さまからの最後の贈り物となった。桜色の長い髪に幾つもの花を添えられて、お母さまは棺に入り花木の下の冷たい地面に埋められた。
お母さまがここまで頑張れたのは、私の「話」のおかげだとお医者様は褒めてくれた。
余命1ヶ月と言われていたお母さまは、私と毎日のように前世、現世、来世の話で盛り上がった。私との話は、死後の世界へ旅立つお母さまの恐怖を取り除いていったように思う。
白雪の節には、まだお母さまは私の話に頷いたり、笑顔で答える事が出来た。蒼天の節には、目を瞑り笑顔で聞いていた。
段々と目を瞑る時間が長くなり、雷雨の節に差し掛かる頃にはもう話すことは出来なくなっていた。
でも、最後までお母さまはちゃんと私の話を「聞いて」いたと思うわ。
だって、その穏やかな顔が今も心に焼き付いているから――――。
◇◇ ◇◇
お母さまへ
お母さま、あれから私は背も髪も伸びて、少しレディへと成長しました。
お父さまも「位」が上がり、ギルツァ・エン・オーレアからギルツァ・ゼツ・オーレアへと名前が変わりました。
お母さまが死んでから、その悲しみを糧に真面目に仕事に取り組んだみたいです。
それに、まだ一途にお母さまを愛しています。
私はというと、この世界の事について勉強を始めました。
お母さまとたくさんお話をした時に決めた目標のために。
その目標とは、第二の新しい人生を楽しむ事です。
青春を謳歌したり、恋愛をして、今度は一途に私を思ってくれる人と幸せな結婚生活を送りたい。
不倫や浮気とは疎遠な生活をしたいです。
そのためには、悲劇や大戦争を回避する事が大事だと考えています。
戦火の中での恋愛は、悲恋に繋がる気がするから……。
人脈を築き、徒党を組み、歴史を変える事が、私のすべき事でしょうか。
相変わらず自分でも嫌になるくらいの真面目振りです。
お母さまは新しい人生を楽しんでいますか?
またいつかお母さまとお話出来ることを信じています。
「リコリスより……と」
お母さまへの手紙を書き終えると、筆を置いて手紙を封筒に入れた。
他の誰かが誤って開けないように、封蝋も押しておく。
送る必要のないこの手紙の行き先は、引き出しの中と決まっていた。
引き出しの中には沢山の一方通行の手紙が所狭しと仕舞ってある。もう1年が経ったけれど、まだ1年という感覚だった。
重い溜息を吐いた後、窓の外に視線を向けた。
ステラ島の高台にあるこのお屋敷から真っ直ぐに伸びる道は、海へと続いていた。
その海の向こうには、北から北東にかけてペテロ帝国、南東にはアンドーラ国、東にはぺツィート王国、南西にはユリネス大公国の領土がある。
ステラ島は、地図で見るとこの4つの強国の中心部に位置していた。
大海と気候に守られた小さな島国だったが約千年前の戦争でステラ島国の王族は絶え、ペテロ帝国の領土に組み込まれる。
ステラ島の隣にある双子島――モナス島国もペテロ帝国の支配下に置かれているが、王族は滅ぼされる事なくまだ生き残っていた。
ステラ島では、平時にペテロ帝国の兵士を見かける事はほとんどない。約千年前の大戦争以来、至って平和そのものだった。
この2つの島をさらに南に行くと、「思い出の花」の舞台となる島がある。そのゲームのお話が始まるのは、今日から3年後の事。
――――トントン。
誰かしら?
窓の外に向けていた視線をゆっくりとドアへと向ける。
「リーナなの?」
「リコリス、私だ」
ドア越しにお父さまの声がした。
「……お父さま、何でしょうか?」
ドアも開けないで答えた。
――――お父さまには引き出しの中を見せられないわ。
お母さまが亡くなって一番憔悴していたのは、お父さまだった。立ち直っているように見えても、たまに心には隙間風が吹く。寂しいという感情は、何とも人間を弱らせてしまう厄介な怪物だ。
私のお母さまへの手紙は、お父さまが読めば隙間風となってお父さまを泣かせてしまうかもしれない。
急いで片付けないと……。
魔法を使い人差し指を机に向けて、左から右へそっとなぞる。すると、机の上に置きっ放しになっていた手紙と鍵が浮いた。
書き終えた手紙は引き出しの中へ。鍵は引き出しの施錠をする。それが終わると、ジュエリーボックスの中へ豪快に鍵は飛んでいった。うるさい音が部屋中に響き渡る。
部屋が静かになった後、お父さまは話し始めた。
「最近、部屋に籠りがちの娘の事が気になってね。気晴らしに買い物でもどうかなと――――」
年頃の娘を案じるような言葉を聞いて、ドアを開けようとしていた手を思わず引っ込める。
お父さまも気遣いが出来る程には立ち直りつつあるのだと感じて、嬉しくなった。「あの話」をしてみる良い機会かもしれない。
笑顔を作り、ドアを開けた。
私のお父さまはまだ働き盛りの年若く見える男性で、眼鏡をかけていても穏やかな顔をしているのがよく分かる。
お母さまが亡くなられた頃のような不健康に痩せ細り、一気に歳を重ねてしまったような老け込み感は、もうどこにもなかった。
部屋の中へ入るように勧めると、お父さまはそれを拒み「ここで構わない」と言った。
私たちは廊下で話の続きを始めた。
「お父さまのお誘いはとても嬉しいわ。街の散策なんていつ振りかしら。でも、買い物は……」
そこで言葉を止めると、声の調子を下げて言った。
「私の欲しい物は街では買えません。それに、可愛いお洋服や靴、飾り物には興味が全くありませんわ」
「え…………?」
お父さまは衝撃を受けたに違いない。年頃の令嬢が喜びそうな口説き文句を使い、外へ連れ出そうとして見事に失敗してしまったから。
お父さまは頭を抱えたまま、黙ってしまった。
引き籠りでごめんなさい、お父さま。でも、私はこの1年何もしていなかった訳ではないのよ。
心の中で謝ると、ずっと考えていた計画を行動に移した。
「お父さま、私の欲しい物を伝えても?」
顔色を伺いながらも聞いてみる。
「はぁ、言ってみなさい」
お父さまの許可が下りると、背筋を正し顎を引いて、目線を真っ直ぐお父さまに向けた。
「欲しいのは物ではなくて人材です。オーレア家専属の家庭教師ではなく、上級の家庭教師を付けていただきたいです。私が14歳になる月兎の刻997年に、聖教王都学園の特別級で学びたい事があります。その為には、魔法学、武術学、戦争学、動物学などの基礎知識はもちろん、この世界の事について深く教えていただける師が必要だと思っています。入学試験にパスするためにも……」
「リコリス。それは特権階級の――主に男がする事だよ」
お父さまの顔が一瞬引き攣ったのを私は見逃さなかった。一言で片付けようとするお父さまに食い下がる。
「いいえ、お父さま。戦争が始まれば、男も女も関係ありません。私が17歳になる時、丁度千年の節目を迎えます。この世界は、千年の節目には必ずと言っていい程、大戦争が起きています。お父さまの書斎にある歴史書に書いてありました」
「…………」
「それに、お母さまは終活の手紙を残していましたよね? なんて書いてありましたか?」
「娘のやりたいことを応援してください、と書いてあったね」
今がその時です――――と言いたい気持ちをぐっと堪えて、お父さまの返事を待った。
お父さまはうーんと唸った後、溜息を吐いた。
「これは一本取られたね。心に野心の花を咲かせていたなんて……」
そう言うと、お父さまは眼鏡を外して何時になく真剣な目で私を見た。
「確かにリコリスの言う通り、戦争が始まれば縁談どころではないだろうね。真面目で努力家のお前なら、盾の称号が手に入るかもしれない」
お父さまは考えるような素振りをした後、優しい眼差しを私に向けた。
「分かった。モナス島国に騎士の資格を持つ有名な家庭教師がいたから、申請書類を出しておこう」
「ありがとう、お父さま」
お父さまの腕に抱き付き喜びを表現すると、お父さまは満更ではない顔をした。
「次は、私のお願いを聞いてもらおうかな」
眼鏡をかけて、お父さまはにやりと笑った。
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