1 リコリスは、前世を告白する
お母さまの部屋のドアをリズム良く叩き、ドアに耳をぺたんと付けた。
返事を確認してからドアの隙間から顔を出す。
ベッドに横たわるお母さまと目が合うと、嬉しくて思わず駆け寄った。
お母さまの部屋は宝石箱をひっくり返したみたいに綺麗だ。高価なアンティーク家具や装飾品が沢山ある。
サイドテーブルに積まれた本の表紙には、いずれも花の紋様が描かれていた。花の紋様は、悲恋も含めた恋愛本であるという印。
お母さまは、いつも花の紋様が描かれている本を好んで読んでいた。
消毒液の匂い以外は、大好きな部屋だった。
「リコリス、今日もお話をしに来たの?」
咳をした後にお母さまはそう言った。
上半身をよたよたと起こし、私に心配をかけないようにする為か、にこっと笑った。その笑顔を今日も見る事が出来て嬉しかったけれど、無理をしているような笑顔に、胸が痛くもなった。
そう言えば、お父さまやお医者様、お世話をしてくれるリーナも、言っていたっけ。お母さまの状態は良くないって。
「お母さまが良ければ……」
「ええ、良いわよ。ほら、いらっしゃい」
お母さまは両手を差し伸べて、私を迎え入れてくれた。
「ふふ。大好き、お母さま」
「それで、リコリス。今日は何のお話?」
「昨日は、お父さまのドジの話。その前はリーナの素敵なお菓子の話だったから、今日は……」
天井を見上げて何のお話にするのかを必死に考える。でも、9歳の私の頭には、話のネタになるようなものは詰まっていなかった。
前世の話ならいくらでも出来るのに……。
おずおずと聞いてみる。
「じゃあ、前世の……お話は?」
「前世?」
お母さまは、目を大きく見開いた後「素敵ね」と言った。
「でしょ。前世では、私は日本という国に住んでいるの」
私が話し始めると、お母さまはまるで絵本を読んでいる子供のように目をキラキラさせ、聞き入った。お母さまが私の話を「本当にあった出来事」だとは思わなくても、聞いてくれる大人がいるというだけで私は嬉しかった。
だから、余すことなく前世の出来事を話す事にした。
この物語の主人公である『リコリス・オーレア』らしく少し気取って、絵本を読むような口調で……。
「昔、覚 真世と言う女の子がいました。小さな頃からとても真面目な子でした。成績は優秀、品行方正、誰の目から見ても模範生でした。でも、真世の実家にはお金がありませんでした。だから、高等学校を卒業してからは一生懸命働きました。日本では高卒の道はとても険しいですが、お金がないから贅沢は言えませんでした」
私が「お金がない」という度に、心配性なお母さまは私を見遣る。それでも気にせずに話を続けた。
「……友達がキャンパスライフを楽しんでいる時に、真世は仕事で怒られて泣いていました。何かとケチを付けてくる先輩に心が折れて、何度辞めようと思った事でしょう。でも、良い事もありました。さて、お母さま。何だと思う?」
私が問題を出すと、お母さまはすぐに思い付いたようだった。
「その時に、運命の人に出会ったのね」
お母さまは生まれつき病弱で、世間というものをあまり知らずに育った。だから、お母さまの頭はお花畑のような夢物語がたくさん詰まっているのだろう。私室で沢山の本を読む機会がある分、事の顛末にいち早く気付いたようだ。
「せいかーい」
お母さまは嬉しそうに笑ったけれど、そんなに世の中上手くはいかない。あっという間に転がり落ちて、這い上がれない奈落の底へ真っ逆さま。
それを知っているから、お母さまの嬉しそうな顔に胸が痛い。
「でもね、お母さま。お話はそれで終わりませんでした。運命の人に出会い、愛を育み、やがて2人の間に男の子が生まれます。そこまでは良かったんだけど……」
その後の言葉が中々出てこなかった。思い出すと苦い記憶。
次の人生が始まっているのに、消化できない「感情」があるって、本当に人間って厄介だ。
私が下を向いていると、お母さまが気にして頭を撫でてくれた。
「あ、えーっと。実はその運命の人は、運命の人じゃなくて……下半身が……。そう猿! 猿なのでした!」
私は右手に力を入れて、猿と呼ばれた男の大事な所を握り潰すような仕草をした。そんな私の様子を見て、お母さまはクスッと笑った。
不倫された、とは言いたくなかった。少女のように夢見るお母さまの前で、「不倫」とは言いたくなかった。もう終わった人生の話で悲しませたくはなくて、思わず「猿」と言ってしまった。
どうしよう……。上手くお話を繋げれば良いよね?
コホン、と咳払いをする。
「えーっと、正体は猿だったから、お山に帰ってもらいました。それからは、がむしゃらに死ぬ直前まで働きました。息子に迷惑をかけないように終活までして……」
そこまで言うと、知らず知らずに私の目には涙が溜まっていた。お母さまの目も、同じように涙が溜まっている。
「リコリスの前世が見える気がして……」
お母さまが目を瞑ると、涙がベッドに落ちて染みを作った。私の前世の出来事を、こうして想像して泣いてくれる人がいるなんて思ってもみなかった。私は、お母さまの手をそっと握った。
「私のいた世界では独りで死ぬ事を孤独死と言うのだけど、私はその言い方が好きじゃなかったわ。だって、病院でも施設でもなく、自分の部屋で生が終わるのよ。大切な物に囲まれて……」
リコリスではなく、前世の覚 真世としての言葉が出ていた。私の言葉を、お母さまはどう理解したのだろう。お母さまは驚いて、一瞬何かを考えたようだった。
そして、こう言った。
「私も……そんな風に……」
「お母さま?」
「……ねぇ、リコリス。貴女の前世のお話を聞いて、死ぬ事が少し怖くなくなったの。私にも死んだら来世があるのかしら……」
お母さまはそう言って、窓の外を見た。
お母さま、もしかして……。
「お母さま、大丈夫です。リコリスは信じています。前世も現世も来世も全部繋がっていると。人生のお話に終わりはありません。また新しい人生が始まります。それに、少し遠くに行くだけですから……」
「……そうね。ありがとう、リコリス。貴女の前世のお話、とても面白かったわ。話の最後を聞いてもいいかしら?」
手が小刻みに震えていた。
お母さまがお話の最後を聞きたがる理由が、何となく想像できてしまう自分が恐ろしい。
きっと死が近いのだ。
「私は……真世は、子供が巣立ってから、真面目過ぎる自分の人生について振り返ってみました。真世の一番楽しかった記憶は、息子が生まれた時です。社会に出てからは社畜同然でしたから。でも、中学生の時にやったゲームは、楽しかったと思い出したのです。初めて友達からゲームを借りた時、嬉しくて3日程睡眠を削り遊びました」
「……睡眠不足はお肌に悪いのよ?」
「ええ、でも、肌よりゲームを選びました。その私を魅了したゲームは“思い出の花”と言います。数人の男の人の中から運命の人を1人選んで、攻略していく乙女ゲームです」
「何だか素敵な響きね。恋多き乙女の本も、そういうお話なのよ」
お母さまの目が生き生きと輝いている。
「えっと、真世が48歳の時、時間に余裕が出来ました。息子が一人暮らしをしたからです。真世はそのゲームを探し出し、中古品を数千円で買いました。その日から、仕事の合間にゲーム三昧の日々です。そのゲームをやり込んだ後、彼女はそのゲームに続きがある事を思い出します。“思い出の花2”だけでなく“3”まである事を知り、そのゲームも買いに行きました。真面目過ぎる人生に、万彩の花が咲いた瞬間でした」
ここまで一気に話すと、お母さまは言った。
「真面目過ぎるリコリスの前世、真世さんにも熱中できる趣味があった事を思い出したのね」
「でも、お母さま。私の前世の世界では、48歳のおばさんが乙女ゲームに現を抜かすのは、恥ずかしい事だと思われているのよ」
「……そうかしら。年を幾つ重ねても、好きなものがあるって素敵じゃないかしら」
そんなお母さまの言葉に、前世の私は救われたような気がした。世界が変われば、考え方も常識も変わる。そんな当たり前の事に、私は泣きそうになった。
「お母さま、最後のオチは笑わないで聞いて下さいね」
「ええ、もちろん」
一呼吸吐いた後、話し始めた。
「再びゲームをやり始めてから、真世の世界は変わりました。仕事がない日は家事を程々にして、趣味のゲームをやり込みました。慣れない夜更かしもしました。右手にはゲーム機を、左手には安物のワイン。青春時代には決してした事のない、羽目を外す行為を急にしたくなって、真世は自堕落に過ごしました。しかし、罰が当たったのでしょうか。真世はワインで酔っぱらってしまい、覚束ない足取りでトイレに行こうとした時に、転んで頭を強く打ちました。打ち所が悪くて、目の前が真っ暗になりました。そこで記憶はお終いです」
そこまで言うと、死ぬ直前の記憶がフラッシュバックして苦しくなった。
息子は私の死に気付いただろうか。私の死を知ってどう思っただろう。
真面目だと思っていた母親が乙女ゲームをやっている最中に、酔っぱらって頭ぶつけて亡くなる。そんな事を想像すると……。
「おそろしい。おそろし過ぎるわ……」
迷惑をかけてしまった事が、容易に想像出来た。でも、私はこんな人生(猿の存在は含まない)でも楽しかったけど。
「……リコリス? 大丈夫?」
お母さまが心配して、私の顔を覗き込んだ。
「あ、はい。ええと、こんな終わり方ですが、今度はまた別の世界のお話が始まりました。リコリスのお話です。なんとびっくり。真世は、前世の時に熱中するほど好きだった“思い出の花”のゲームの世界に、来れたのでした。お終いっ」
前世を思い出すと、多少の未練が燻って、色々な感情が溢れ出しそうになる。
その感情を押し込めながら、私はさらりと物語の終わりをお母さまに告げた。
お母さまは、感動しているように見えた。
来世の事を想像して、楽しみになったに違いない。
日に日に弱気になっていたお母さまの顔に活気と笑顔が戻り、少しだけ安堵した。
「じゃあきっと、この世界にとってリコリスは宝物ね。違う世界から来た人間はね、きっとこの世界を変えるうねりになる。千年に一度は起きると言われている大戦争も、きっと起きないわ」
お母さまは、自信に満ちた表情でそう答えた。
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