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ABCの謎  作者: まきの・えり
9/10

ABCの謎9

 ABCからは、誰も生徒のいない全クラスの報告書を書く『報告書記入会』という研修の案内が来ていた。

 私も範子さんも、考えてみれば、随分多くのクラスを開いたものである。

「アホちゃうん。

 何で、一人もいない生徒の報告書なんか書く必要があるん」と範子さん。

「それは、最初からの約束ですので、必ず来てもらないと困ります」と範子さんを、毎度プチッと切れさせる、おバカ担当者。

 余りの担当者のしつこさに、またも、我が家の電話線を抜いてくれた範子さん。

 うちに、大事な生徒さんからの電話があったら、困るんですがね……

 

 範子さん主催のABC関係の集会が、4月の中旬、ちょうど、例の『報告書記入会』の日の後、近所の区民センターの大講堂で開かれた。

 これも、非常に盛況で、範子さんが呼び掛けた殆どの先生と、呼び掛けていない先生も噂を聞いて、全国から集まってきた。

 範子さんは、既に、私も含めた数名の先生と、地裁に『ABCとの契約解除』の訴えを起こしており、これは、全国誌にも囲み記事で報道されたり、テレビで報道されたりしたので、全国から先生が集まるという事態になったものと思われる。

 しかも、集会の模様は、地域のケーブルテレビで実況中継され、その一部が、全国ネットのテレビでも報道される模様。

 私は、偉いことになってしまった、と緊張しまくっていた。

 ケーブルテレビで、範子さんの料理教室の助手として、映ったことがあるとはいえ、全国に流れると思えば、話は別。

 家庭のビデオとハリウッド映画ほどの差がある。

 ABC側からは、弁護士が一名来ているだけで、総合センターからも地区センターからも、誰も現れなかった。

 テレビカメラの前で、法的にまずいことを言ってはいけないからだろうか。

 その弁護士も、白髪のお爺さん。

 よれよれの背広を来て、ボソボソとした聞こえにくい声で、最初から最後まで、

「契約書の○条○項によれば」云々というのを繰り返すだけだった。

 つまり、契約書を交わしたのであるから、お互い、契約書に忠実に、

「信義を守って」このままやっていきましょう、ということだ。

「一生、一緒に暮らしましょう、という約束で始める結婚だって、3日で別れることもあるんですよ」と範子さん。

 会場は、爆笑に包まれた。

 テレビ慣れしてる……

「それに、これは、生徒が大勢集まるという前提に立った契約じゃないですか。

 うちみたいに、大金をかけて、半年間も脇目もふらずに、生徒募集に奔走して、生徒がゼロだった

場合、そんな契約に、何で縛られないといけないんですか。

 ここにおられる、どの先生だって、皆、自分のお金と自分の手と足と汗で、必死で生徒を集めてきたんですよ。

 それは、先生自身の生徒であって、ABCの生徒じゃない!」

 わああ、という拍手と歓声が巻き起こった。

「一体、ABCが、生徒獲得のために、何をしてくれました?

 何のCMかわからないのをテレビで流したり、全然効果のないチラシを新聞折り込みしただけで、スタッフがよってたかって、無理に願書を書かせたりして、本来なら来るはずの生徒まで、逃がしてくれただけじゃないですか!」

 再び、歓声。

「大体、この契約書自体が、職業選択の自由を保証している憲法に違反しているわけですし、契約に違反した場合の先生方が払う違約金ばかりが書かれていて、教室発展のために支援するというABC側の契約違反には、全然触れられていません。

 私達は、裁判で、この契約書の違法性と、ABCの詐欺まがい商法を徹底的に暴いていくつもりです」

 何かわけのわからない感動と興奮に巻きこまれて、私までが立ち上がって、拍手していた。

 目からは、一筋の涙が。

 思えば、半年間、よく頑張ったものである。

 こんな実りのないことのために、本当によく頑張った。

「佐藤先生!

 佐藤先生!」と範子さんコールが起こっていた。

 範子さんは、誰よりも、一生懸命に頑張った。

「大教室も夢じゃない」ということばを信じ、

「頑張れば頑張るだけ、生徒は集まる」ということばを信じて、半分ノイローゼになりかけながら、頑張ってきた。

 苦手だった英語を、必死になって丸暗記し、研修の準備は、万全怠らず、休まず、遅刻せず、全研修をこなしてきた。

 教室のために、和室を洋室への全面改装。

 クリスマス会のパーフェクトな準備。

 元旦午前0時のチラシ配り。

 新聞折り込み、ポスティングに手配り、DMやパンフレット類の宅配。

 その全ては、一切、報われることが無かった……

「ABCのバカヤロー!」と範子さんが絶叫すると、全員が一人になったかのように、

「ABCのバカヤロー!」コールが起こった。

 泣いている先生がいる。

 絶叫している先生がいる。

 こぶしを振り上げている先生がいる。

 その後、興奮した先生達が、一人、また一人とマイクを握って、生々しい現場報告を行った。

 範子さん同様に、頑張ったのにダメだったという報告。

 また、これだけ自分でやらなければならないのだったら、一人でやった方が、よっぽどマシだった、という不満。

 十年以上続けている大教室の先生も、毎年毎年高い教材費を買うことに、父兄の間で不満があること、報告書やらレポートやら、月謝の計算が、ひどく大変なこと、本当に、自分で始めていれば、よほど楽だった、と思う、と切々と語った。

「でも、ABCをやめることができなかったのは、生徒可愛さのためです。

 やめられるものなら、一刻も早く手を切りたい」

 また、わあ、と歓声が上がった。

 ほんまに、ABCって、評判悪かったのね。

 後は、範子さんお手製のクッキーと紅茶が登場し、ひとしきり、ABCへの不満に花が咲き、テレビ局が引き上げ、先生方も

「佐藤先生、がんばって勝ち抜いてください」と激励の声を残して、一人また一人と帰って行った。

 その日の午後7時のニュースでは、範子さんの演説の一部と、絶叫しているシーンのアップが、各局で流れ、範子さんは、その全部をビデオやDVDに録画していた。

 手の回らない分は、友人知人に頼んだものらしい。

 夜のニュース番組と、翌朝と昼のワイドショーでも取り上げられていた。

 ABC問題は、学習塾チェーンの問題点を一挙にあぶりだし、ABC以上に悪質な塾チェーンも、その訴訟状態が、逐一、報道されるようになった。

 ABC以外で、集団訴訟を起こされた、超のつくほど悪質な塾チェーンが、すぐさま倒産した。

 この塾チェーンは、数十万の登録費を取りながら、全然、フォローをせず、生徒管理もずさんだということが報道され、一挙に生徒がいなくなり、倒産に到ったものらしい。

 上には、何にでも、上があるものである。

 

 裁判は、遅々として進まなかったが、ABC側は、個人的に和解案を持って、訴えを起こしている各先生を晦渋にかかっていた。

 ABCの看板と教材を返してくれれば、生徒はそのままで、契約解除に応じる、というものが多く、範子さん以外の先生方は、その条件で和解に応じた。

 私は、それで上出来だと思ったが、範子さんは、がんとして、和解には応じなかった。

 最終的に、ABC側は、看板と教材を引き取りに来るとまで言い、申込金はお返しするとまで言い、範子さんが支払ったチラシの印刷代をお返しするとまで言った。

 でも、範子さんは、和解に応じなかった。

「だって、もし、ここで私が和解に応じたら、マスコミはすぐにABCのことなんか忘れて、また、私と同じような人が、

『大教室も夢じゃない』と言われて、実りのないタダ働きをしたり、自分の大事なお金を投資したするわけでしょ?

 それは、よくないことだと思うのよ」

 私は、自分さえ良ければ、と思っていた自分を、かなり恥じた。

 そうか、何も意地でやってるわけじゃなく、自分みたいな犠牲者を二度と出さないために、やっているのか……

「意地もあるけどね」

 えーとー、範子さんにまで、考えを読まれる私って……

「本当に、お兄さんが言ってた通り、明子さんて、何考えているか、凄くわかりやすい」

「あ、そう」

「本当に、顔に書いてあるもんね。

 ABCは、すごくイヤ、と顔に書いてあったし、研修は嫌い、と顔に書いてあったし、チラシ配りなんかしても無駄って、顔に書いてあったし、早く和解に応じればいいのに、って顔に書いてあったし……」

「もういい。

 もう、やめて。

 隆さんと息子に読まれるだけでも、大変なのに」

「私は、お兄さんや春樹さんみたいに、細かくはわからないけど」

「いや、もう、それだけで充分」

 クリスマス会なんかやりたくない、ってのも読まれていたのだろうか……

「クリスマス会ねえ」

 当然、ギョッとする私。

 やはり、読まれていた?

「去年は、散々だったけど、今年は、料理教室と英語教室と合同で、派手にやりましょうよ」

「そ、そうやね。

 派手にね」

 あー、心臓に悪い。

 しかし、そんな百人近くも収容できるような場所があるのだろうか。

「ホテルでも借り切って、豪華にやりましょう。

 年に一度のことだし」

 はあ、貧乏人には無い発想だ。

「お兄さんの気功教室も合同でやれば、春樹さんも謎の熊で登場できるし。

 けど、春樹さんのハンサムが隠れてしまう……」

 生徒がかぶっているとは言え、隆さんがそんなパーティーに来るかな?

「明子さんは知らないでしょうけど、お兄さん、毎年、1月には、この一年を盛運に導くパーティーをホテルを借り切ってしているのよ。

 会費1万5000円も取って。

 けど、これがまた、気功を知らない人まで、会費払って集まるのよね。

 会社の社長さんとか、自営の人が。

 何となく、新興宗教の集会っぽい雰囲気。

 お兄さんのお札とかお守りなんかが、飛ぶように売れる」

 なるほど、お金のあるところには、どんどんお金が集まってくるというわけか。

「今度、明子さんも、受付する?」

「いえ、とんでもない。

 そんなパーティーなんて出たことないし。

 着る服もないし」

「お兄さんの手を握って泣く人もいるし、小説のネタにもなるわよー」

 う。

 痛いところをつかれて、ググッと心が傾きかける。

 実は、誰にも言っていないけれど、この家と関わり合って以来の不思議な出来事は、暇だった一年間に、全部記録風にまとめてある。

 全5冊。

 1200枚は越える。

 安くてコンパクトな原稿用紙に鉛筆書きだけど。

 私の寝室の押しいれの底の段ボールの中身は、原稿用紙の山だ。

 しっかし、こんな本当の話、誰も小説だとしか思わないだろう、と思う。

「明子さん、角の文房具屋さんで、何度も原稿用紙を買ったでしょ」

「え?」

「私が、プリンター用紙を買いに行ったら、『お宅とこの坂口さん、何か書いてはるんですか?

 いや、一度にあるだけ買いに来はるんで、毎度、追加で注文出さんとあきませんねん』と原稿用紙を見せられて、ピーンと来たわけ。

 前に、『作家になりたい』と一度だけだけど、聞いた覚えがあるし」

「あははは。

 趣味よ、趣味。

 スーパーやめてからの一年間、暇やったし」

「読ませてー」

「字下手やし、鉛筆書きやし、まだ、まとまってないし……」

「途中でもいいから、読ませてー」

 これは、困った。

 範子さんは、最初から登場している。

「ははーん。

 私のこと、書いたのね」

「いや、そ、そんなこと……」

 あるけど。

「私がモデルとして出てるんなら、読む権利あると思うけど。

 私、一度、小説に登場してみたかったの。

 脇役でもいいから」と夢見る瞳になる範子さん。

 ズバリ、脇役です……

「まだ、書いてないけど、今度書く小説は、範子さんが主役」だよね、絶対。

「え! 

 本当?

 凄い! 

 主役?

 わー、楽しみー。

 早く書いてねー。

 そして、早く読ませてねー」

「はいはい」

 しかし、問題は、いつ書くかだ。

 しかも、誰にも知られずに。

 火曜、木曜、土曜は、塾で忙しい。

 範子さんの料理教室もあるし。

 日曜も無理。

 とすると、月曜、水曜、金曜の隆さんの気功の日だな。

 その日に、元ABCの教室のドアを締め切ったら、誰にも見られることはないし、たとえ見られても、教える下準備をしているように見えるだろう。

 

 例のボウッとした女の子は、毎週土曜日の3時に、きちんきちんとやって来ていた。

 声も小さいし、覚えは悪いし、今覚えたこともすぐに忘れるけれど、とにかく、熱心だった。

「覚えられなかったら、30回でも100回でも、声に出しながら、ノートに書いてきなさい」と言うと、本当に、30回100回とノートに書いてくる。

 健気で律儀な女の子だ。

 他のクラスは人数が多く、元気で騒がしい。

 でも、全員熱心だ。

「うわ、何かいる!」とたまに、霊が見える子がいるようだ。

「まあ、気にせんと、勉強しよ」と言うしかない。

「先生、こんな『幽霊屋敷』に住んでて怖くない?」

「まあ、ここにいてるのは、全部成仏した霊やから、大丈夫なんよ」と一体、何を言わすのや!

「ええ、成仏て、あの世に行ったんやろ?

 何で、ここにいるの?」

「ま、遊びに来るわけやね」

「ふーん。

 成仏してない霊て、どんなん?」

「(それは、怖いでー……)さ、そんなん言うてんと、勉強、勉強」


 毎日、暑くなったり涼しくなったりと気候の変動の激しい6月の半ば。

「凄い!

 あんた、ほとんど教科書覚えたやんか!」と私は、言った。

 例の女の子は、私を見て、ニッコリと笑った。

「やり方が、わかったから」

 うう!

 感動の瞬間。

 先生と乞食は、三日やったら止められない、というのは、こういう瞬間があるからだ。

「先生、ありがとう」

 う、いかんいかん。

 ジワーと目に涙が浮かびかける。

「何、言うてんの。

 あなたが、一生懸命に頑張ったからやないの。

 ほんまに、よう頑張ったわ、ほんまに、一生懸命やったわ」

「うん。私、頑張った。

 だから、やり方がわかった」

 その時、ピンポンピンポンパーン、とインタフォンが鳴った。

 次のクラスの一番乗りがやってきた。

「ちょっと待っててね。

 門、開けてくるから」

「はい」

 私は、インタフォンに出ずに、直接、門に向かった。

 広い家は、こういうところが不便だ。

 門を出ると、何と、お久し振りのお爺ちゃんが立っていた。

「お爺ちゃん!」

「春子ちゃん!」

 と息子と爺ちゃんみたいに、感動の対面だ。

「元気やったか、春子ちゃん」

「爺ちゃんこそ、元気やった?」

「うん」

「今日は、どうしたん?

 私、まだ、塾があるから」

「ああ、範子を迎えに来たんや。

 春子ちゃんに教えてもらってるて、言うてたから」

「けど、範子さんは、もう帰ったけど」

 ハッと気がつくと、横に、カバンを持った女の子が立っていた。

「範子、よう勉強したか?」

「はい」

 え?

 え?

 え?

 そうだ、名前も聞いていないままだった。

「あなた、範子っていうの?」

「はい。

 佐藤範子です」

 ズガーン。

 これは……

 一体……

 どーいうこと……

「じゃあ、一緒に帰ろう」

「先生、さようなら。

 これからは、自分で勉強します」

「あ……はい、さようなら」

 私は、茫然として、爺ちゃんと範子(?)ちゃんが帰って行くのを見送っていた。

 どういうことか、訳がわからないまま。




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