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ABCの謎  作者: まきの・えり
7/10

ABCの謎7

 門を出ると、お母さんは一人ではなく、二人で連れ立って来ていた。

「あ、どうぞ、お上がりください」と言うと、二人共、何となく尻込みする様子が伺える。

 もしかすると、遅ればせながら、噂を聞いた?

「この間、願書を書いたんですけど、主人と相談しましたら、まだ、英語を習わせるのは、早い。

 中学生になってからでいい、と言うので、申し訳ないんですけど、また、次の機会にでもお願いすることにしたいと思って、お伺いしたんです」

「うちも主人に叱られまして、何で、先に相談しないのか、て言うて。

 それと、そんな無料体験に来たその日に、よってたかって入学願書を書かせるところは、やめておけと言うものですから……」

「では、申し込み金をお返しさせていただきます」と、二人のもう決めているという顔を見ると、何を言っても無駄だと思ったので、そう言った。

「そうですか。お手数かけます」

 二人共、申し込み金は、1000円以上ならいくらでもいいとスタッフに言われて、1000円ずつ払ったのだった。

「いえ、1000円ですから、結構です」と言うかと期待した私がバカだった。

 どうしても、家に入ろうとしないので、また、門から玄関を通って、『ABC用』と書いてある封筒の中の1000円札を2枚取り出した。

 いただいたまま、元の持ち主に返るの図である。

 どっちがどっちかはわからないけれど。

「むきだしで失礼ですけど、お返しします」と1000円ずつお返しした。

「あのう……願書も返していただけますでしょうか」

 一度に言えよ、と思いながら、

「承知しました」とまた、家に向かって走って行き、『ABC』と書かれたファイルの中から、たった2枚の願書を取り出した。

 生徒数たった2名ではなく、ゼロ名になってしまったわけだ。

「あの、それから、後で、またしつこく勧誘の電話がかかってきたりしませんよね」とまで、言われてしまった。

「それは、大丈夫ですから、ご安心ください」と言うしかない。

「あのう、それから、ここで、気功の教室もやっておられると聞いたんですが……」

「はい。

 月水金とやってますが。

 火木土と、近くの区民センターでもやっているはずですし」

「それが、区民センターは、満員だということなので……

 こちらでなら、何とか入れていただけるのではないか、と思ったものですので」

「私は、家を管理している者なので、直接お尋ねになってください」と隆さんの家の場所を教えてあげた。

「お電話番号を教えていただけませんか?」

「残念ながら、電話はないのです」

「携帯でも……」

「先生は、電話がお嫌いなもので……」と言うしかない。

「わかりました」

 去っていくお母さん方の後ろ姿を茫然と見送っている私。

「すっごいハンサムなんで……」

「綺麗に……」

「ダイエット……」

 という声が、切れ切れに聞こえていた。

 ABCとは違って、無茶苦茶に繁盛しているのね、隆さんの教室。

 区民センターで頼まれて教えることになった、と言っていたのが、一年ほど前。

 満員……区民センターの広い教室が……満員……

 たった2名の生徒もいなくなり、その生徒のお母さん達までが、隆さんの教室に行く。

 不況も戦争も、『幽霊屋敷』も、何の関係もないのか。

 フッ、と自嘲してしまった。

 しっかし、範子さんに何と話そう。

 物凄く気が重いかも……

 そう思って、門の方を向いて、ギョッとした。

 いつぞやの中学生が、またも、制服姿のまま、ボウッと立っていた。

 仕方がない。

 代わりの生徒を確保しないと、と思い、「中に入る?」と尋ねると、コクンとうなずいた。

 言葉が話せない子なのだろうか。

 それなら、英語は無理だから、数学か漢字はどうであろう。

 無意識のうちに、ABC専用の教室に通した。

 あーあ……

 また、ポスターが全部落ちている。

「ちょっと、ごめんね。

 そこに座っていてね」と椅子を勧めて、今回は、落ちているポスターを手早く拾い集めた。

 貼っている暇はない。

 集めたポスターは、ABC専用キャビネットに収納した。

「勉強しに来たの?」と尋ねると、コクンとうなずいて、持っているカバンから、教科書とノートを取り出してきた。

 英語の教科書だ。

「英語を習いたいの?」

 また、コクンとうなずく。

「何年生?」

「1年」と今度は、小さな声で返事が返ってきて、私は、ホッとした。

「4月から2年生になるの?」コクン。

「はい、って言おうね」

「はい」

 私は、少々思案した。

 ABCは、以前、中学受験コースについて問い合わせた時、きちんとした答えが返って来なかった。

 ノウハウは、ほとんどない。

 間違ったことを教えても大丈夫な幼児が専門なのだ。

 受験コースは、開設3年目だったと思う。

「ABCの中学受験コースの説明をしようか?」

 私の声の調子に合わせたのか、首を振った。

「けど、私のやり方で教えるにしても、ABCの受験コースに入学してもらわないといけないんだけど」と私は、契約書の内容を思い出しながら言った。

 中学生は、また、首を振った。

 私は、困った。

 小学生2名でABCに半分取られて、月5000円の収入。

 中学生1名、ABCに半分取られて、月3500円の収入。

 しかし、ABC抜きで教えると、月7000円の収入。

「わかった」と私は言った。

 契約違反をしよう。

 訴えるなら、訴えればよろしい。

「大教室も夢じゃない」と言って、範子さんに散々大金を使わせて、生徒ゼロ。

 そんなABCなんか、もうどうでもよろしい。

 どうせ、この家は、『幽霊屋敷』、ABC関係の生徒なんか集まらない。

「じゃ、ちょっと教科書の復習しようか」と勝手に、一年の教科書の復習をした。

 その結果、全然、英語が頭に入っていない生徒だと判明。

 やりがいがありすぎるが、ま、昔取った杵柄。

 小学生が来ることになっていた土曜日の3時から教えることにした。

「じゃ、教科書とノートを持って、土曜日の3時に来てね」

「はい」

 門まで見送って、家に戻ってから、名前も住所も電話番号も聞いていなかったことに、気がついた。

 月謝の値段も言っていない……

 そう思って、悩んでいると、ピンポンパンポンパーンというインタフォンの音。

 今度こそ、範子さんだと思って、出てみると……

「あのう、こちらで、勉強を教えてくださると聞いたもので」という声。

「少々お待ちください」と言って、慌てて、外に出る。

 私は、しっかり者です、と顔に書いてあるほど、シッカリした感じの女の人が立っていた。

「どうぞ、お入りください」

 尻込みするかな、と思ったけれど、「失礼いたします」と平気で、家の中に入って来た。

「どうぞ、こちらへ」と例の部屋に通す。

 ポスターが無いけれど、『教室!』という雰囲気は、充分以上にある。

「うちの子供、進学塾に通わせていたのですが、宿題が多くて、ついていけない上に、成績も下がる一方なので、どこかいいところは無いかと、ずっと探していたんです」

「ああ、それで、ABCの広告を見て……」

「いえ、そうではなくて、学校で使っている教科書に沿って、教えていただけないかと思いまして」

「個人教授を、ということでしょうか?」

「先生は、個人教授の方がよろしいんですか?」

 そうハッキリ言われると、困惑する。

 別に、どっちでも構わないんだが、今の調子では、生徒がいないので、どうしても個人教授にならざるを得ない。

「正直に言うと、本当に、生徒さんが集まらないので、教えるのには、グループ学習の方がいいんですが、個人指導でも仕方がないか、というところなのです」

「そうお聞きしたのは、実は、同じようなお母さん方の代表として、お伺いしたわけでして。

 進学塾の入塾テストに合格するというのが、この地域では、一種のステイタスなもので、一応、この辺りの母親は、入塾テストだけは受けさせるのです。

 すると、自動的に入塾の方向に進んでいくのです。

 でも、一年間通わせていましたが、効果が無い。

 一クラス50人という大教室ですし、とにかく宿題が多い。

 宿題をして来ないと、居残りになる。

 けれど、先生、『これをして来い』と言われて、全部できるような子供は、塾になんか行く必要は無いんです。

 自分で、勉強できます」

「まあ、おっしゃる通りですね」と私は答えた。


「そうでしょう? 先生。

 で、私と親しいお母さん方で、学校の教科書が、どれだけわかっているか、と子供達にテストしてみたら、全然わかっていないのですよ。

 塾の教科書なんか、言わずもがなでした」

「それは、子供さん達にとって、とても良かったですね。

 本当は、ご家庭で、お母さん方が、子供の勉強をみるというのが、一番望ましい形だと、私は思います」

 この件、一件落着。

 そういう自慢をしに来たお母さん、ご満足、と私は思った。

「けれど、私の例で言いますと、看護婦をしていますので、夜勤とかもあって、とても、定期的に子供の勉強をみてやる余裕はないのです。

 その他、家のローン返済のために、パートに出ている人とか、母子家庭で、朝から晩まで働かないといけない人とかばかりなのです。

 で、私が、皆を代表して、夜勤明けの今日、寄せていただいたわけなのです」

 どうも、言うておられることが、よく理解できない私であった。

「率直に申します」とお母さん。

 ほんまに、率直に言うて欲しい私。

「ABCとかは、本当に、どうでもいいのです。

 実は、同じご相談で、この近辺の個人塾とか、ABCの教室とか、全部回らせていただきました」

 ご苦労さまな話だ……

「それで、ここまで、こちらの話を聞いていただいたところは、ここが初めてです。

 どの塾も教室も、こちらが話すより先に、自分のところの宣伝をされ、すぐに、無料体験だとか、入塾テストの日ですとか、そういった一方的な話をなさいます」

 なるほど。

「それに、こう言っては失礼ですけど、まず、住所氏名電話番号、生徒の学年を聞かれます。

 先生のように、それをお尋ねにならないところも、初めてです」

 それは、私がウッカリしているだけで、尋ねる方がフツーだと思うけど、ABCみたいなところが、世間には多いわけだ。

「ま、私は、ただの素人ですから」とつい自嘲した。

 そうそう、それに言っておいた方がいいこともあった。

「それに、この家は、この付近の人からは、『幽霊屋敷』と呼ばれている、というのを、つい、今日知ったところです。

 そういうところも、お考えになった方がよろしいかと」

「それなんです」とお母さんは、勢いこんで言った。

「『まるとくや』っていうスーパーがありますよね。

 あそこで、『幽霊屋敷』のお話を伺ったのです。

 だから、誰も子供を通わせる人なんかいない、という。

 それこそ、『穴場』だと思いました。

 実体のわからない幽霊なんかより、金の亡者の塾の方が、よほど怖いと思っています」

 ま、そうかも。

「で、先生、これは、他のABCの教室で、『無理です』と言われたことなのですが、ABCに関係無く、子供達に勉強を、まあ、特に英語ですが、教えてやってもらえないでしょうか」

「一応、ABCとの契約で縛られていますから……」

 アハハハと笑おうとしたけれど、相手が、あまりに真剣な顔をしているので、笑えなかった。

「先生、そこを何とかお願いします。

 ABCの入学手続きが必要なら、そうさせていただきます。

 でも、学校の勉強の方を中心にお願いします。

 できたら、ABCとは関係無く、教えていただけたら、ありがたいんですが」

 そりゃあ、私だって、ABCなんかとは、何の関係も無く教えたいよ。

「わかりました」と私は言った。

 あのボウッとした中学生も教えることだし、もう、ABCなんかどうでもいい。

「ありがとうございました」とお母さんの目が、うるうるしている。

「本当に、もう、断られたらどうしようかと思いました。

 佐藤先生に、ご相談して、本当に、良かったです」

「ええと……

 佐藤先生と言われると……」

 一体、誰だろう??

「もう、先生ったら。

 区民センターで気功を教えておられる、佐藤先生ですよ。

 私も、他のお母さん方も、佐藤先生に、気功を習っているので、知り合ったようなものなんです」

 そこで、初めて、佐藤先生=隆さん、という図式が脳内に発生。

 隆さんの紹介……

 うう……

 物凄くイヤかも……

「だから、先生が、塾とか高校の先生も、なさっていたということまで、教えていただいているんです。

 本当に、ご迷惑になるかもしれない生徒ですけど、どうか、よろしくお願いします」

「は、はあ……」

「お引き受けいただいて、他のお母さん方も、喜んでくれると思います。

 では、また、日を改めまして、他のお母さん方も、ご一緒に、ご挨拶に参ります」

「は、はあ……」

 お母さんを門までお見送りしながら、茫然としていた。

 そーかー、『幽霊屋敷』が怖くない人もいるんだー。

 隆さんの気功教室の紹介かー……

 範子さんには、どういう風に伝えたらいいんだろう……





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