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ABCの謎  作者: まきの・えり
4/10

ABCの謎4

 またか……オーナーと、色恋沙汰なんか無い、と何度言っても、理解する気のない範子さんだった。

「いや、そんなことより、店があれだけ荒れてるんが、ショックやったわ」

「女心って、傷つきやすいものなのに、私ったら無神経やったわ」

 違う、言うてるやろ!

 私の話も聞いてよね、範子さん。


 それから数日後、縦1メートル、横2メートルの看板が届いた。

「わあ、凄い!」と範子さんは、喜んでいたが。

「ABCはやめておけ」と言った隆さんの顔が、フラッシュバックのように蘇る。

「範子さん、看板をかけるのは、まずい気がするんやけど。

 ここは、隆さんの気功の教室もやってるわけやけど、看板なんかはかけてないし」

「気にしない、気にしない。

 せっかく、こんな立派な看板もらったんだから、門か塀にでもかけないと、もったいないわよ」と範子さんは、聞く耳を持たない。

 看板の裏に、超強力両面テープを貼って、二人で、鉄の門の辺りをウロウロと適所を求めて歩き回る。

「やっぱり、ここやわね」と範子さんが言うのは、門のすぐ横の壁。

 ちょうど、看板をかけてください、という感じになってる。

 まあ、目立つと言えば、目立つ場所だ。

 で、二人で、地面と平行になるように、バシッと貼った。

 私の住んでいる家は、玄関が開き戸になっていて、入ると土間。

 そこから、上がり口があり、そこの正面が、隆さんが、気功の教室に使っている、20畳ほどの広間。

 玄関から入って、左側に息子が使っていた六畳の部屋。

 気功の教室の右側に、何にも使われていない六畳間がある。

 台所は、玄関から右になる大体14畳ぐらいの板間。

 玄関の裏側に位置する6畳間が、私の居室。

 まあ、一人暮らしの身には、広すぎる家だ。

「ここかしらねえ」と範子さんが選んだのは、やはりの使われていなかった六畳間。

「台所のテーブルだったら、一度に14人ぐらい教えられるのに。

 でも、ここに黒板を置いたり、ポスター貼ったりは、無理よねえ」

 範子さん、家で一度に14人教えるなんて、実際問題、無理だって……

 というわけで、時期的に不要になる、冷暖房器具を置いたり、新聞やら捨てるのが面倒な物を置いて、物置代わりになっていた部屋が、『教室』として蘇ることになった。

 私には、経済的な余力はないけれど、範子さんにはある。

 隆さんの気功の教室の無い日を選んでは、畳敷きの純和室をカーペット敷きの洋室に変え、ABC斡旋のキャスターつきのホワイトボードを買い、障子をカーテンに変え、壁はクロスに張り替え、その上に、段ボールで送られて来ていた、何十枚というポスター類を、所狭しと貼りまくった。

 台所のテーブルよりも小さめのテーブルと座り心地のよさそうな椅子を8脚買って、立派な教室、一丁あがり。

 その間にも、ABCからの段ボールが、ドカンドカンと届き続ける。

 隆さんの気功教室もあるので、目につくところには、置いておけない。

 教室に置くのは、範子さんがガンとして反対するので、仕方無く、息子の部屋と私の部屋が、段ボールや冷暖房器具、新聞類や不用品に埋まることになった。

 押し入れの戸も開けにくいし、動く度に足を打つ。

 生活しにくいこと、この上も無い……

 こうなったら、息子が隆さんの家に移ってくれていて、良かった、と言うべきか。

 そうそう。

 玄関の横に超強力両面テープで貼りつけた看板は、その日のうちに、下に落ちて泥にまみれていた。

 範子さんが、もっと強力そうなテープを買ってきて貼ったけれど、1時間で落下。

 全面にテープを貼りまくったけれど、今度は、見ているうちにズルズルと落ちた。

「何でなの!」と憤っても、落ちるものは仕方がない。

 諦め切れない範子さんは、自分の家の門に貼ってみたが、やはり落下した。

 仕方無く、教室内の空いている場所に貼られることになる。

 範子さんは、担当者に言われた通り、知っている限りのお店にポスターを貼らせてもらっている。

 顔の狭い私は、荷物持ち。

 一口にポスターを貼るというけれど、一枚一枚に教室名と二人の講師名と住所と電話番号を書き、開講しているクラスのシールを全部貼り、裏に両面テープを貼って、持参し、貼らせてもらえる場所に貼りつける。

 ところが、二日もしないうちに、外の壁に貼らせてもらっているポスターはほとんど落ちてしまっている。

「何でなの!」と範子さんは憤るけど、落ちるものは落ちる。

 いい加減ウンザリするほど、前述の作業を繰り返し、落ちたポスターの後に、また貼りに行くという、地獄のような日々が続く。

 その上、次々とチラシを配らないといけない。

 二人でチラシを配る初日に、範子さんはパラソルに指を挟まれるという災難に遭遇。

「どうしよう」と顔が青ざめている。

「どうしたの?」と見ると、パラソルの止めがねのところに指の皮がはさまって、取れなくなってしまった模様。

 私が、何とか、指を引き抜いたけれど、「痛い!」と範子さんは叫ぶ。

 何となく、呪われているような気がしないでもない。

 チラシを配り続けていたが、フと見ると、範子さんが手に持っているチラシに、赤いものがついている。

 血だ。

「範子さん、血が」

「わあ、ほんとだ」

 指の皮が切れて、血が滲み、それがチラシについたものらしい。

「ま、いいか」と範子さんは、血にまみれたチラシを配り続けた。

 私は、範子さんの根性に、敬服した。


 そして、研修が始まった。

 その後、半年間で、数えて、16回の研修があった。

 スーパーで働いていた時も、バカほど忙しかったけれど、これほど忙しい半年間も無いものだ。

 まず、例のポスター貼りが、半年間、延々と続いた。

 ポスターは、すぐに足りなくなって、何度も追加発注しなければならなかった。

 超強力両面テープも何度も買いに行かなければならなかった。

 最終的には、範子さんは、ホームセンターの在庫を全部買った。

 段ボールも次々と開けて、納品書と中身を照合しなければならない。

『確かに受け取りました』という書類を提出するためだ。

 私は辞書を持っていたので、辞書類は買わずにすんだ。

 範子さんは、ABCの教材類を収納する、本棚を買い、辞書も、そこに並べられることになった。

 お蔭で、段ボールが減って、廃品回収の日に、全部出すことができて、我が家は、少し、快適になった。

 研修では、算数や国語や、受験英語は、ほんのさわりだけで、後は、営業のやり方ばかり研修させられた。

 ABCが、一番力を入れているのが、3才児の研修だった。

 3才から入学してもらえば、その後長い間、月謝と毎年の教材費が入るからだろう。

 ついで、4・5才児と小学生。

 3才児クラスは、ほとんど、歌と踊りばかり。

 また、ABCのやり方で、教えないといけないために、やり方を丸暗記しなければならなかった。

 私が、一番大変だったのは、研修までに、やっていかなければいけないことを、全部、範子さんに教え込むことだった。

 研修なんて、ほどほどに済ませばいい、どうせ、実際の役には、あんまり立たないんだから、と思う私と違って、範子さんは、『先生』になるために、毎度、完璧を追求したのだった。

 本当に、息子がいなくて助かった、と思う。

 ついには、隆さんの教室のある日も、教室の終わった後、範子さんが、我が家を訪れて、二人で、歌って踊るという日々。

 時々、人形が現れて、私達が歌って踊っている上を、意味もなく旋回していた。


「明子さん、私、アメリカ人と、英語で、ペラペラ話している夢を見た」と範子さんが言ったのが、私も範子さんも、ABCのこと以外考えられなくなった頃だった。

 範子さんは、担当者の指示通りというか、指示以上に、新聞折り込みチラシを6000枚入れ、手配りとポスティング用のチラシも注文していた。

 クリスマス会のご案内である。

 季節は流れ、師走に入っていた。

 二人で、学校や幼稚園の終わる頃、帰宅する生徒達に、

「クリスマス会に来てね」と言いながら、手配りした。

 子供のいそうな家があれば、ポスティングした。

「タダ?」と聞く子あり。

「そうよ、タダよー」とニッコリ笑う。

「お母さんも行っていい?」

「一緒に来てねえ」ニッコリ。

 私は、生徒もいないのに、クリスマス会を開くなんて、気が進まなかったけれど、範子さんは大乗り気で、当日は、ケーキを焼くことに決めていた。

 範子さんは、知り合いに「英語、教えておられるんですか、凄いですね」と言われる度に、喜んでABCに報告する『反響』欄にチェックしていたけれど、そういう人が習いに来る試しはないことは、知らなかった。

 何件か、電話で反響もあったけれど、「クリスマス会に行く」という反響は無かった。

 この頃には、範子さんは、我が家で、電話番をするようになった。

 小踊りして、電話に出ると、大抵は、ABCの担当者からだったので、ガッカリしていた。

 そうそう。

 ABCが、チラシは無料と言っていたのは、毎月200枚分だけで、それを超える分は、印刷代と宅配料まで必要だった。

 それは、4月に払うことになっていた。

 新聞の折り込み代その他、全部範子さんが支払ったので、私は、できる範囲で手伝うけれど、生徒の月謝の取り分とかは、全部範子さんのものにしようと思っていた。

 本当に、持ち出しのタダ働きで、ABCの宣伝をしているようで、不愉快だったけれど、範子さんの夢は、叶えてあげたいと思った。

 最大限36名の生徒が集まったとして、講師の取り分は、月に10万ちょっと。

 毎回、新聞に折り込みを入れ、ホワイトボードや備品を買い、家の改装までした範子さんが、元を取るのは、並み大抵の年月ではない、と思えた。

 この仕事、高い教材費が入って、月謝をピンハネするABCにおいしいだけで、講師には、全然おいしくない仕事だ。

 範子さんは、クリスマス会のために、講師二人用のエプロンサンタの衣装を買ってきて、息子用には、熊の着ぐるみまで用意した。

 教室をクリスマス用に飾りつけ、自分の家から、大きなクリスマスツリーを持ってきて、二人でワイワイと飾りつけた。

 そして、範子さんが、必死に頼んで、クリスマス会には、息子も来て手伝うことに。


 ピンポンパンポンパーン

 クリスマス会の当日は、朝から雨が降っていた。

 範子さんは、午前10時に、焼き上げてデコレーションしたクリスマスケーキを持参して、即、エプロンサンタになった。

 私は、エプロンサンタの見つけた汚れを、セッセと拭いて回る役目に回った。

 クリスマス会は、午後2時から3時までの予定。

 ちょうど12時に、範子さんが頼んでいた寿司が宅配される。

「とても今日は、落ち着いて、料理なんか作れないから」と範子さん。

 ウニやアワビの踊る高価なお寿司とお吸い物をご馳走になった。

「でも、これは、表に出しておけないわね」と寿司桶は、私の部屋に置かれることに。

 私も、1時には、エプロンサンタになった。

「リハーサルしましょう」と範子さん、落ち着きがない。

 私も、どこかソワソワして、今日する予定のゲームとか、歌と踊りをリハーサルする。

 来る子供用の、三角帽子、持って帰ってもらうお菓子の袋をサンタさんの白い袋に詰めてある。

 ケーキ用の小皿とフォーク、オレンジジュースとリンゴジュース。

 子供達が着たがった時のために、鹿、馬、ハムスター、熊の着ぐるみも用意。

 ピンポンパンポンパーン、というインタフォンの音に、二人して、飛び上がる。

「はい」と範子さんが出ると、「春樹です」と息子だった。

 範子さんは、突然、色っぽいエプロンサンタになって、門まで走り出て行く。

「遅くなりました」と息子。

 息子は、熊の着ぐるみを着て、『謎の熊』になる。

 午後2時を回っても、我が家を訪れる人はいない。

 二人のエプロンサンタと謎の熊は、うろうろと落ち着かず、一緒に歌ったり踊ったりする。

 午後2時半になり、2時40分になる。

 範子さんが、涙目になる。

「皆、来そうだったじゃない」

「お母さんも、一緒でもいい?

 と聞いてたじゃない」

「何でー?」

「三人で、いいクリスマス会してるじゃないですか」と息子。

 おー、大人になったなあ、とシミジミする母。

「朝から雨だし、仕方ないですよ」

「そーよねー。

 雨じゃなかったら、みんな来たかもしれないのにねー」と範子さんも、息子の言葉に、気を取り直す。

「よっし。

 三人のクリスマス会に変更!」

 範子さんは、クリスマス会の模様を撮影するために持ってきたデジカメで、次々と写真を撮り始めた。

 クリスマスケーキと小皿とフォーク。

 謎の熊。

 二人のエプロンサンタと謎の熊撮影には、三脚も登場。

 クリスマスツリーと教室。

 蝋燭をつけて、小皿に取り分けられたクリスマスケーキ。しかも、10人分。

 3時過ぎ、ケーキを三人分食べた息子は、「仕事がありますので」と帰って行った。

 今日ぐらい泊まっていけばいいのに、と思いつつ、口にできない母。

 ま、母親なんかより、もっと自分の好きな世界を教えてくれる、隆さんの方が、必要な時期なんだろう、と己を納得させる。

 息子の帰った後、しばらく沈黙が支配する。

 私も範子さんも、もう歌って踊る気分ではない。

 範子さんは、サンタの袋に入れたお菓子の包みを出したり入れ直したりしている。

「残念やったね」と私が言った。

「雨、降ったしね」と範子さん。

「それに、どっか失敗するかもしれないから、来て欲しくないみたいに思ったところもあったし……

 そんなのって、来る人に通じるかもしれないもんね」

「……う、うん」

 私は、クリスマス会なんて面倒くさいので、絶対に来て欲しくないと思っていたけど、それは、さすがに言えなかった。

「もっと、頑張らないといけないね」と範子さん。

「よし、新聞折り込みも、手配りとポスティングも、もっと頑張ろう」

「うん、頑張ろう」と口では言ったけれど、タダのクリスマス会に誰も来ないんでは、お金を払って来る人がいるのだろうか、という不安で胸が一杯になってしまった。

 

 年末年始は、範子さんも、子供達が帰って来たり、旦那さんがお休みだったりで、我が家への訪問回数は少なくなった。

 しかし、新聞折り込みへの意欲と、手配り、ポスティングへの意欲は衰えてはいない。

 

 ピンポンピンポンパーン

 大晦日の日、午後11時に範子さんは、我が家を訪れた。

 わかっている、範子さんの希望は。

 既に、新年用の新聞折り込みチラシの手配は済み、後は、手配りポスティング用だけが残っている。

 それを、範子さんは、元旦の午前零時から、近隣の各戸に配ろうと思ったのだった。

 協力しましょう。

 二人で、元旦の午前零時を過ぎた瞬間から、近隣の家に、チラシをまいた。

「ドキドキするわー。

 反響は、どうかな」と範子さん。

 申し訳ないけれど、私は、一銭にもならない、こういう仕事ばかりすることに、かなり、不満と疑問を感じている。

 下手したら、生徒10人ぐらいで、毎日教えなければいけないという事態も想定できるし。

 生徒数10人なら、月収2万5000円。

 奥様の趣味ならできるかもしれないけれど、私のように、食べていかなければならない人間には、無理な世界だ。

 それと、我が家では新聞をとっていないので、広告も入らないけれど、範子さんが来る度に、塾関係の広告を持って来るので、この辺りの塾とか教室に詳しくなってしまった。




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