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ABCの謎  作者: まきの・えり
3/10

ABCの謎3

 その翌日、ABCから私の合格通知が届き、同じ日に速達で、範子さんと私に、『研修のご案内』という封書が届いた。

 範子さんが、この家まで持ってきて、一緒に封を開けると、研修の日程が、書かれていた。

『研修説明会』とある。

 持参するもの・筆記用具、印鑑、3万円の登録費。

「明日じゃない」と範子さんが言ったとたん、ハーレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、という電話の着信音。

「はい」と素早く電話に出たのは、範子さんだった。

「はい」

「はい」

「はい」

「いいえ、佐藤です」

「はい」

「坂口も行けます」

「はい」で、電話は切れた。

「ABCから、明日の研修、大丈夫か、という電話。

 印鑑と3万円は絶対に忘れないように、だって」

 なぜか、この時、非常にイヤな予感がしたことを覚えている。

 でも、すぐに、どこかに消えて行った。

 もう既に、流れ作業のような研修の渦に飲み込まれていたからだった。

 しかし、3万円……

 範子さんにとっては、ほんの端金だろうが、我が家にとっては、大変な大金なんだけど……


 翌日、『研修説明会』に行くと、この間とは違って、十数名の人が集まっていた。

 その中から、名前を呼ばれると、個別に小部屋に呼び出されて、3万円を支払って、契約書に署名捺印。

 契約書を読んでいる暇なんかは無い。

「ABCの講師として登録なさる場合は、ここに署名と印鑑をお願いします」という有無を言わせない態度。

 どことなく、イヤならやめてもいいのよ、という雰囲気があり、言われるがまま。

 それが終わると、何の講師として登録するか、という選択を迫られる。

 これは、待っている間、散々に考えてもいいらしい。

 英会話だけでなく、随分、色々なコースがあるので、本当に驚いた。

 英語・英会話、算数、数学、国語、漢字、パソコン。

 英語・英会話にも、三才、幼児、小学校低学年、高学年、中学、中学受験用、高校生以上、シニアというクラスがあり、高校生以上の英会話もレベルに応じて、4クラス。

 私の横に座っていた範子さんは、無謀にも、全部のコースに○をつけている。

 私も、何となくつられて、数学とパソコン以外には、全部○をつけてしまった。

 全員の契約がすんだ頃、ABCの大阪地域の一番偉いらしい男性が、姿を現した。

「先生方、この度は、合格おめでとうございます」

 口では「おめでとう」と言っているが、顔は全然おめでたくない。

 お通夜用に取ってあったような表情だ。

 そのとたん、研修に使っている部屋の蛍光灯が、パチパチパチと、点滅を始めた。

 特に、私と範子さんの座っている上の蛍光灯の点滅が激しい。

 一番偉い人が何も言わない先に、部屋で待機していた女性が、部屋の外に出て行き、若い男性を連れて戻ってきた。

 男性は、蛍光灯を見上げると部屋から出ていき、突然、部屋は真っ暗になった。

「大丈夫です。

 今、原因を調べていますから」と暗い部屋の中に、不安をあおるような暗い声が響く。

 突然、部屋が明るくなったが、そのとたん、私と範子さんの頭上の蛍光灯が、パチパチパチと異常点滅を繰り返したあげくに、パシーンと言って切れた。

「先生方、暗くなって申し訳ありません」と待機していた女性が、私と範子さんが座っている机の横に来て、ひそひそと囁いた。

 景気の悪い顔をした年配の男性は、ABCが、先生方の生徒募集の支援をすること、チラシの印刷は無料、新聞折り込みやテレビCMを効果的に流すこと、そして、生徒募集応援費として、5万円を支給することなど、非常に景気のいい話をした。

 そして、生徒数が20名以上になると、収入の6割が先生方のものになり、50名以上になれば、7割が先生方のものになると告げたのである。

「単純に計算しますと」とホワイトボードに、数字を書き始めた。

『5000円×50名×0.7=』

「いくらになりますか?」

「17万5000円」と計算の早い人が答えた。

「あんまり大した額ではない、と思われるかもしれませんが、他の仕事に比べると、教える仕事というのは、夕方の短時間ですので、時給にすれば、満足のいく額だろうと思います」

 しかし、私は、自分で教えたら、25万円、と計算していた。

 それに、一人で50人も教えられるものではない。

 しかも、火、木、土の三日間なので、最大で、36人。

 予備校や中学・高校とは違うのだ。

 その後、これから以後の研修は、全部で何回になるという話が続いて、最初の研修は終わった。

 わくわくして、やる気まんまんの範子さんと違って、頭上に暗雲が垂れ込めているような気がする私だった。


 それ以降、隆さんの気功の教室の日以外、範子さんは我が家に入り浸りとなる。

 エアロビクスは、気功の教室に合わせて曜日を変更したものらしい。

 範子さんは、電卓片手に、

「生徒が100人の場合」

「生徒が200人の場合」

「生徒が1000人の場合」とパチパチ計算している。

「明子さん、100人で35万円。

1000人だと350万円の月収よ!

 年収だと、3570万円!」

「はい、はい」

 自分では、最大限30人、月収10万弱がいいところだろう、と踏んでいた。

 そのうち、毎日、ドスンドスンというように、ABCから段ボールが届くようになった。

 段ボールの中には、ポスターやら、パンフレットやら、教材やら、送れと言われて原稿を送った教室宣伝用のチラシが入っている。

 アッという間に、台所は、段ボールの山に埋まった。

 私のだけでなく、範子さんのもあるから、大変な量だ。

 この地区の担当者による家庭訪問というのも行われ、その時点で、私は、かなりウンザリしていた。

 担当者は、新入社員らしい。もちろん、人を教えた経験などはない。

 範子さんは、台所の大テーブルで教えるつもりでいたが、担当者は、どこか独立した部屋を、まるまる教室にすることを主張した。

「ホワイトボードも必要ですし、壁にポスターとか、教室らしい飾りつけもしてもらわないといけないし。

 場合によっては、電灯の明かりなんかが原因で、せっかく入学してくださる生徒さんが、入学を見合わせるということもあるんですう」

 範子さんは、メモを取りながら、熱心に話を聞いている。

 私は、ぼうっとしながらも、何か面倒なことに巻き込まれたなあ、と思っている。

「ところで」と担当者は、私の方を見た。

「同じ場所で二つの教室を開くというのはできないことになっていますので、教室は、一つということでいいですね」

「はあ」

 別に、私は、どうでもいいんだけど。

「もうじき看板が届きますから、それまでは、仮看板をかけておいてください。

 目立つ場所がいいですよね。

 電飾看板とかノボリとか立てると教室のアピールができますよ。

 次の研修で説明がありますけど」

「はあ……」

 と、その瞬間、担当者の後方に、例の日本人形が登場、担当者にキックを食わせるつもりらしい。

 別に、キックを食わせてもいいけれど、これが、範子さんの情熱に水を差す結果となってはいけないので、カッと人形を睨むと、人形は、ブーンと旋回だけして、姿を消した。

 前途多難。

「では、ポスターを貼りに行きましょう。

 教室通信も持って行きましょうね」

 娘みたいな担当者に連れられて、大のおばさん二人、裏に強力両面テープを貼ったポスターとチラシを手に、家を後にした。

「こんにちはー」と担当者は、近所のクリーニング店に入って行った。

 範子さんは、「こんにちは」と一緒に入って行ったが、私は足がすくんだ。

 我が家では、衣服をクリーニングに出すほどの経済的余裕はない。

 クリーニング屋さんは、ニコニコ顔でうなずいている。

 クリーニング店の横の壁に、2枚ポスターが貼られた。

『城下町教室 講師 佐藤範子 坂口明子』

 そして、我が家の住所と電話番号が……

「あ、あのスーパーの横の壁もいいですね」と担当者は、スタスタと、例のスーパーに向かって歩いていく。

 私は、範子さんと顔を見合わせた。

「いきがかりはあっても、仕事は、仕事」と範子さんは、キッパリ。

 あー、二度と足を踏み入れたくないスーパーに行く羽目になってしまった。

「こんにちはー」と屈託のない担当者の声が、あまり人気のないスーパーの店内にこだましている。

「いらっしゃいませ」と出て来たのは、40代のはずなのに、60代に見えるほど老けてやつれた田鋤原さんだった。

 思わず、息を飲んでしまった。

 担当者が話している間に、それとなく店内を見ると、一年前に新品だったとは思えないホコリまみれの陳列台。

 大勢いたパートやアルバイトの姿も見えない。

「佐藤様、毎度ありがとうございます」と元お得意様の範子さんにペコペコしている。

 あんまり気の毒で、我知らず、目頭が熱くなった。

 私が、毎日綺麗に磨いて掃除していた店内。

 毎日、沢山のお客さんが喜んで買い物をしてくれていたお店。

 田鋤原さんなら、きちんと経営してくれると思って手渡したのに……

「あ、坂口さん」と見つかってしまった。

「あんたは、本当に、ひどい人だ。

 私には、スーパーの経営なんかできないと知っていて、さっさと自分は手をひいて。

 お蔭で、私は、一人で、どんな苦労をしていることか。

 オーナーには、毎度毎度、坂口さんの時より儲けが少ないと叱られるし……」

 何という言いがかり。

「ポ、ポスターなんかね、雇われ店長の私には、貼っていいとも悪いとも言える権限なんか無いんです。

 奥にいるオーナーに聞いてください」

 あー、来るんじゃなかった。

 たかが、ポスターを貼るだけのために。

「わかりましたあ」と担当者は、屈託がない。

「ここは、やめて……」と私が言いかけた時に、奥から狸親父、登場。

「おー、おー、春子ちゃんやないか。

 元気にしとったか?

 いつも田鋤原君に言うてんのやで。

 春子ちゃんを見習え、てなあ。

 なあ、また戻って来えへんか?

 時給800円も考えさしてもらうで」

 あー、もー、あんたにまで『春子』ちゃんなんて、呼ばれたくない!

「ご無沙汰しています」とかろうじて言った。

「まあ、今のは、ほんの挨拶代わりの冗談や。

 話は聞かしてもうてたで。

 あんたは、ほんまに、色々と才能があるんやなあ。

 ポスターでも何でも貼りたいだけ貼ったらええ。

 百枚でも二百枚でも、好きなだけ貼ってもろたらええよ」

「それは、ありがとうございます」

 あー、もう、一刻も早く帰りたい!

「ちょっと、これ見て」と狸オーナーは、懐から一枚の写真を取り出した。

 担当者と範子さんも、寄ってくる。

 写真には、くしゃくしゃの顔をした赤ちゃんが写っている。

「可愛いやろう? わしに似て。

 この歳で子宝に恵まれるとは、わしも果報者や。

 これで、田鋤原君は、晴れて、お祖父ちゃんやで」

 田鋤原さんが老けた原因の一つは、これか。

 誰が見ても、今の田鋤原さんは、オーナーよりも老けて見える。

 狸オーナーは、田鋤原さんの二十歳の娘さんと結婚したが、年齢は五十以上離れている。

 八十近くになって、子供を作るなんて!!!

「おめでとうございます」と弱々しく言うと、店を後にした。

 担当者は、屈託なく、スーパーの壁に、5枚のポスターを貼った。

「坂口先生って、このスーパーでバイトしてたんですかあ?」と担当者。

「このスーパーを経営してたのよ、立派に」と範子さんが訂正した。

「こんな風にい、色んな場所にい、ポスターを貼っていっていただきたいんですう」

 その後、「ハロー」と出会った子供に話し掛け、

「これ、何色かな?」

「すごーい、英語できるのねえ」と言いながら、チラシを手渡す担当者を、知らない人の顔をして眺めていた。

 正に、前途多難。

 担当者は、駅まで着くと、電車に乗って帰って行った。

「明子さん、イヤな思い、させてしまって、ごめんなさい」と帰り道で、範子さんが言った。

「範子さんのせいやないって。

 気にせんとってね」

「一度は、夫婦同然とまで言われたオーナーが、他の若い女に生ませた子供の写真なんか見たら、そりゃあ、ショックよね」



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