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ABCの謎  作者: まきの・えり
2/10

ABCの謎2

『何か用か』と人形のくせに、偉そうに、隆さんの真似をしている。

 これは、息子の可愛がっている美形の日本人形。

 息子と一緒に、隆さんの家に行ってしまったが、時々、こうやって現れる。

「人形、『何か用か』やないでしょう。『何か御用ですか』」

『隆ウンコが、「何の用か聞いて来い」と言った』

「あ、そう」

 用があるのは、わかってしまってるのね。

「明子さん、人形相手に、何一人でブツブツ言ってるの。

 お兄さんみたいで、不気味よ」

 そう。

 隆さんに息子という変人師弟と付き合っているうちに、私まで、人形の話すことがわかるようになってしまった、というお粗末。

 範子さんは、隆さんの妹なのに、まったくの普通の人。

 人形の声なんかは聞こえない。

「けど、どういう仕組みか知らないけど、この人形って、宙に浮いてるのね。

 これも、お兄さんの実験?」

「うん……

 まあ、そんなもんでしょ」

 人形は、ぐるぐると私と範子さんの上空を旋回すると、パッと消えては、違う空中に現れる、という芸を披露した。

「凄い!」と範子さんは、感激して、拍手している。

 人形は、いつの間にか、人形版瞬間移動をマスターしている。

 これは、あの変人師弟にもできない技だ。

『何か用か』

『何か用か』と言いながら、旋回しては消え、また、違う場所に現れては、

『何か用か』

『何か用か』と言って、旋回する。

 範子さんは、拍手し続けていたが、人形の声が聞こえる私は、かなりイライラしてきた。

「人形、ここに来なさい」と怖い声で言った。

 人形は、まだ旋回する気だったようだが、くるくるくると空中で回って、スタッと、私の前に着地した。

 黙って、ジッと立っていると、ただの日本人形なんだけど。

「わあ、すごい、どういう仕掛け?」と範子さんが、人形を手に取ろうとしたので、人形は、表情のないまま、ススッと1メートルぐらい横滑りした。

「まあまあ」と範子さんの手を押さえる私。

「範子さん、多分、これ、隆さんの発明した電話のかわりやと思うから、この人形に、ABCのことを、電話やと思って、話してみて」

「お兄さんたら、そんなものを発明してたのね。

 念の実験?」

「そ、そうやと思う」

「もしもし、お兄さん?

 聞こえる?」と範子さん。

 そして、ABCに面接とテストで行ったこと、合格通知が来たこと、この家で、塾を開く予定だということを話した。

「もしもし、本当に聞こえてるの?」と合間合間に、私の顔を見ながら。

 話が終わったとたん、人形は、くるりと後ろを向いて、スッと姿を消した。

「凄い、凄すぎる」と範子さんは、興奮している。

「電話の時も、車の時も、パソコンの時も、そう大したものだと思わなかったけど、これは、凄いわ」

 隆さんの家には、電話がない。

 テレビも無ければ、冷蔵庫や洗濯機もない。

 かろうじて、電灯はある。

 電話は念でかけるので、いらないらしい。

 車を念で動かす実験は、体力を消耗しすぎて、途中で断念。

 今では、範子さんのマイカーになっている。

 パソコンでも、電気も使わず、プロバイダー接続もせずに、インターネットを念でする実験をしていたらしいが、隆さんにとって、あんまり面白くなかったようで、これも、今では、範子さん専用のパソコンになってしまっている。

「あの人形も、私のものになるのかしら」と範子さん。

 うーん、それは無理だろう。

「あれは、春樹のやから」

「キャッ。

 ますます欲しい」と困った人だ。

「でも、明子さん、兄と春樹さんと人形で、三角関係になってるかもよ。

 だって、兄は、元人形オタクだったんだから」

「んなアホな」と笑おうとしたけれど、本当に、あり得る話なので、笑いは、途中で凍りついてしまった。

 そのとたん、ハーレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、と電話の着信音。

 我が家で元気がいいのは、古いのが故障して、新品になった、電話の着信音だけだ。

「きっと、お兄さんよ」と不気味な笑みを浮かべる範子さん。

 期待と好奇心でいっぱいの顔だ。

「はい」と電話に出た。

「お母さん、今から隆さんと家に行くから」ツーツーツー、と、隆さんではなく、息子だった。

「うん、わかった」とツーツーツーと切れた電話に答えながらも、

『家に帰る』ではなく

『家に行く』と言われたことに、かなり傷ついていた。

 傷つきながらも、息子も、念で電話をかけられるようになったのか、とシミジミと思う。

 3秒ぐらいだったが。

「春樹さんだったの?」

「そう」

「あー、私が、電話に出れば良かったー」

「今から来るって」

「えー!」

 やおら、範子さんは、鏡の前に行き、髪型を整え、綺麗にお化粧直しを始めた。

 真剣そのものの顔だ。

 最初に会った時は、とげとげした感じのただのおばさんだったけど、今は、年齢不詳のマダムになってしまっている。

 私も口紅ぐらい塗った方がいいかな、と思ったとたん、ピンポンパンピンパーン、というインタフォンの音がした。

 範子さんのお化粧はバッチリ。

 チ、出遅れてしまった。

「はい」とインタフォンにも、範子さんの方が素早く出た。

 そして、門を開けるために、走り出て行った。

 さすが、週に三日、シェイプアップのために、エアロビクスをしているだけある。

 私は、うろうろと、範子さんの後をついて回っているだけ。

 門に着くと、ますます態度がでかくなった感じのする隆さんと、どことなく隆さんに似てしまっている息子がいた。

「春樹!」と再会を喜ぼうとする私に、息子は、黙礼を返した。

 ……つ、冷たい……

 後は、お殿様のように歩いている隆さんに、あれこれ話し掛けている範子さんと、その後ろを黙って歩く母子になってしまった。

 その私の顔の正面に、人形がパッと現れては消える。

 人形と遊んでいる心境ではない。

 気分は、かなり暗い。

 玄関を上がって、いつもの気功をしている広間の中央に、隆さんが座った。

 息子は、少し、後方に控えている。

「ABCは、やめておけ」と隆さんが言った。

 鶴の一声。

「春行と二人で、念写してみた。

 どうも、気の流れが悪い」と隆さんが言うと、息子が、どこからか、1枚の紙を出して来た。

 範子さんと二人で、顔を付き合わせて、紙をジッと見つめた。

 子供がクレヨンで、灰色の雲を描いたような、もやもやした絵に見える。

「これが、お前達だ」と隆さんの指差すところに、米粒のように白く見える点が二つ。

 灰色の雲みたいな訳のわからない絵を見ているうちに、説明会に行った時の、気分の悪さが蘇ってきた。

 ま、大家さんの了解がなければ、この話は無かったということだ。

「けど、お兄さん、私達、テストにも合格したし、この家を有効に使って、塾が開けるのよ」と範子さんは、食い下がっている。

「お前はともかく、春子は、塾をやりたいのなら、自分でやれ。

 ABCだかDDTだか知らないが、そんなところで、先生の御墨付をもらう必要はないだろう」

 ここで、自分で塾を開く。

 そーか、そういう手もあったか。

 ちなみに、詳細は略すけれど、私は、隆さんには、戸籍名の『明子』ではなく、『春子』と呼ばれている。

 息子は、『春行』。

「塾を開くことには、反対しない。

 ただ、ABCは、やめておいた方がいい」

 そう言うと、隆さんは、いつの間にか立ち上がって、玄関に向かっていた。

 隆さんの歩き方は、人形歩き。

 ススーと滑るように歩いて、足音がない。

 後についている息子の方は、まだ、人間の歩き方だ。

 でも、段々と足音が立たなくなっているような気がしないでもない。

 その師弟の後方に突然、人形が姿を現し、『トアー』と言う声と共に、隆さんの後頭部に、両足でキック。

「何をする!」と隆さんが振り向いた時には、姿を消していた。

「春行、しつけがなってない!」と隆さん。

「すみません」と息子。

 門まで見送りながら、私は、笑いをこらえるのに苦労していた。

 きっと、隆さんの家でも、難しい顔をして話をしながら、時々、人形に、顔や頭を蹴られているに違いない。

「お母さん、あんまり飲み過ぎんように」と息子が門のところで言った。

 範子さんと二人で、去っていく師弟を見送った。

 家に戻ってからも、二人とも、しばらく声が無かった。

 ふと見ると、範子さんの頬は紅潮して、目がうるんでいる。

「明子さん、一緒に、ABCやってくれるわよね」

「え?」

「春樹さんまで、兄と同じ変人になってしまったら、生きる張り合いもないわ」

 けど、範子さん、あなたには、愛する夫と子供達が……

「うーん。けど、塾やるって、思ってる以上に大変やけどね。

 生徒が増えてきたら、毎日みたいに教えることになって、自分の時間なんかほとんど無くなるし」

「けど、やってみましょう?」

 ここまで熱心に言われると、断るのも悪い気がしてくる。

「最近、何か虚しいの。

 子供達も大きくなって、下宿してしまって、滅多に家に帰って来ないし。

 旦那は旦那で、仕事一途。

 私の人生、一体何だったの、という感じがずっとしてたの。

 外国に旅行もしたけど、それだって、もう行くところもないし。

 そんな私の唯一の希望の星だった春樹さんも、どこか遠いところに行ってしまったみたい。

 このまま、寿命が尽きるのを待つだけの人生なんて、イヤ。

 何か、打ち込めるものが欲しい」

 ガーン。

 何不自由の無い生活を送っている範子さんが、そんなことを考えていたなんて、全然知らなかった。

 あり余るお金で、毎日優雅に過ごしているみたいで、いつも羨ましいと思っていたものだ。

「お父さんまで……」と言うと、範子さんは、ワアッと泣き出した。

「春行と一緒がいい、と言って、お兄さんの家に入りびたりなのよー」

「お爺ちゃんまで……」

 それで、最近、我が家へのご訪問が、めっきり減ったわけだ。

 前よりぼけて、うちに来る道を忘れたのかと思っていた。

 まあ、息子と爺ちゃんは、最初に会った時から、実の祖父と孫以上に気が合っていた。

 それで、範子さんは、よく私の家に来ているのか。

「わかった。

 範子さん、一緒にがんばろう」

「え、ほんと?」

「うん、ほんと」

 そこで、私と範子さんは、ガシッと両手を握った。

 その瞬間、『トヤー』という声と一緒に、後頭部にゴンという衝撃。

「人形!」と振り向くと、正に、人形の足袋が、私の鼻に向かって飛んでくるところだ。

 ハッ、と反射的によけると、人形は、大きく旋回して、今度は、範子さんの顔面をねらっている。

 範子さんは、全くの無防備状態。

「叩き落とす!」と言って、人形を叩こうとすると、パッと姿が消えた。

 隆さんではないけれど、しつけが悪い。

 我が家にいた時は、こんなに乱暴ではなかった。

 きっと、隆さんの性格に似てきたせいだ。

「何か、さっきの人形が見えた気がしたけど、気のせい?」

「気のせい、気のせい」



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