第1章 62話 「司教 山羊座のテトラ」
ブレアとデズモンド
その闘いはただ個人同士の決闘でもあったのだが、戦場ではお互いの立場故
勝敗の影響は計り知れない物となる
”頭を落とせばそれで済む”
最奥まで自ら突入したブレアの狙いが正にそこにある
「……う、うわぁぁぁぁ!!」
アデン兵達はその闘いに暫く呆気に取られていたが、兵の誰かが恐怖の声を上げ逃走を始めると
その恐怖は全体に波及し始めた
指揮を失った隊は脆く
それが総指揮であり、更に部下達にとって勝てる者等居ないと思っていた人間ともなれば、士気の低下は凄まじい
流石に司祭級達は何とか混乱を収めようと奮闘していたが、一度始まった潰走の流れは規模故にそうそう止まらない
アデン右翼軍は内部から崩壊し始めた
「……ちょっと! 話が違うのでは無くて?」
祭壇にその脂肪だらけの尻を埋め、ガブガブと葡萄酒をあおるマダムピグマが不機嫌な声を上げる
「……こ、これは」
アデン司教序列第ニ席テトラ
デズモンドの右腕でもあり、右翼軍の副指揮でもある彼の顔からは血の気が引いていた
それもその筈考え得る限り最悪の状況が起こっている
教国の権威を見せるべき賓客を目の前にして、大司教ともあろう人物が瞬殺された
勿論、テトラにはあの応酬が高度な技術の結晶という事は分かっているのだが、賓客共にそれが伝わるかは疑わしく
更に兵達の無様な混乱を見せてしまっている
このまま、もしあの男に一つの手傷さえ負わす事が出来なければ賓客達の教国に対するイメージは地に堕ちる事だろう
賓客達の持つ中央大陸の権力と影響
テトラはその意味を良く理解していたからこそ何よりも今の状況が恐ろしかった
「……ねぇ、司教さん?
あなた私達にこんなものを見せて、このまま帰らせるつもりかしら」
「い、いえ! 滅相もございません!」
「だったら! 何とかして見なさい!」
責任の所在をテトラに定め
こめかみに青筋を立てている婦人の怒りには二つの理由がある
一つ目の理由は、交渉の予定を組んでいた女帝が何時になっても現れない事
そもそも、今回婦人がアデンくんだりまで脚を運んだ一番の理由がそれなのだ
大規模な金が動くと思ったからこそ忙しい中、招待に応じたというのに
取引相手が何時まで経っても姿を見せない
この事態を婦人は自身が軽んじられたと受け取った
そして、二つ目の理由
実は今回の戦に際し婦人は
アデン軍総勢約7,000の内1,500人分の装備を格安で提供し用立てた
この金にがめつい豚商は何の算段も無く、そんな事をする人間ではない
当然、そこには数で圧している戦等勝って当たり前
ならば、自商の武具を宣伝するまたと無い機会になるという思惑があったのだが
……結果は権力者達の目の前でこの体たらく
これではイメージが上がる所か、落ちる事に繋がりかねない
格安で大量の武防具を提供した上にイメージダウン
現在の状況は婦人にとって決して許容出来ないものだったのだ
とはいえ、幾らテトラを責めようと
彼には現状況の打破、具体的にはブレアを討つ事は難しい
その理由はそもそもに於いて実力が違い過ぎているからなのだが
婦人はそんな事露知らず怒りを撒き散らす
前門の虎、後門の狼
テトラは進退極まっていた
……どうする?
どうすればいい!?
今の所、司祭達がブレアに対応してはいるが
司祭級でさえ雑兵同然の扱いで、まるで相手になっていない
それもある意味当然だ
あの化け物はデズモンド様さえ凌ぐのだから
司祭では時間稼ぎにしかならないだろう
嘆いている暇は無い
この隙に何か案を練らなければならぬ
……アルマダ様に援護を頼めれば打開策も見つかりそうな物だが
……いや、時間がかかり過ぎる
そもそも、犬猿の仲のデズモンド様の後始末等頼める筈も無い
ならば我等司教が束になってあたる他無いか
クリスとアルオアを戻して対応に……
「報告致します!」
思案を巡らせるテトラの元に伝令が走る
既に一司教の対応出来る範疇を超えている事態だというのにも関わらず
この報告は彼に更なる衝撃をもたらした
「我が軍の前線は劣勢に立たされ、後退を開始!
更に中腹のクリス中隊、敵兵により全滅!
クリス様の安否は不明であります!」
「ば、馬鹿な!? クリス中隊が全滅だと!」
「はっ!」
……一体何が起こっている
あまりの事態に眩暈を起こしフラつくテトラの目には
司祭を軽々と吹き飛ばす無傷のブレアしか映っていなかった
……もう奴を倒せる者はいない
2,500の武装した軍がたった1人の人間に壊滅させられるというのか
……ならば、せめて
テトラは祭壇に座す賓客達に向かい直すと
その場に跪いた
額を汗が流れる
「皆様、大変遺憾ではありますが
どうか、どうかこの場より退避をお願いしたく存じます
最早、皆様の安全が私には保証出来ませぬ」
「な!?
あなた自分が一体何を言ってるのか分かっているんでしょうね!!」
テトラの言葉に婦人が激昂すると
続く様に他の権力者にも動揺が走る
安全を保証するから顛末を見届けてもらいたいと呼ばれた戦で、今度は危険があるから逃げてくれと言われたのだ
これには流石の賓客達も婦人に続いてテトラへ不満を浴びせ始めた
……唯一人を除いて
「……申し訳御座いませんが
今や、私に出来る事と言えば皆様の避難の時間を稼ぐ事位なのです
エルムサルトの者共が皆様に手を掛けるとは思えませんが、やはり万が一……」
「差し出がましい真似を失礼、少し宜しいかな」
騒めき出した賓客達の中に於いて、品格を失わないアルスター伯爵は柔らかく、それでいてハッキリと発する
伯爵は今回アデンが招待した賓客の中でも
一際格の高い人物である
影響力で言えば、婦人も引けを取らないのだが所詮は金に物を言わせた成金
発言力に関しては一歩譲らざるを得ない
その他の賓客達は言わずもがな
事実、伯爵が声を出すと騒がしくなった祭壇はピシャリと水を打った様に静まり返った
「テトラ殿
時間を稼ぐとの事ですが、具体的にどうするおつもりか」
「私めが命を賭け、必ず奴を止めて見せますですので皆様は今の内に退避下さいませ」
「……それはいけません
今や貴殿はこの軍の指揮官なのですよ
デズモンド殿に続いて貴方まで倒れればもうこの軍を指揮出来る人物はいないでしょう」
「で、ですが伯爵
これが今の私に出来るせめてもの!」
「テトラ殿が命を賭けずとも
彼の敵兵に渡り合える御方が居らっしゃるではありませんか」
……?
あのブレアに渡り合える?
伯爵は一体誰の事を……
テトラが伯爵の発言に疑問を抱き、眉間に皺を寄せると
伯爵は顔を祭壇の一角へと向ける
釣られてテトラも伯爵の視線を追った
そこに座して居たのは、蒼い髪の若き神官
デズモンド、テトラと並びこの祭壇に座る事が許された人間だったが
テトラはこの神官についてデズモンドから殆ど情報を貰っていない
……伯爵はあの方がブレアに匹敵する力を持っていると?
……何でも総本山からの監査役で来られた
との話しか聞いてはいないのだが
「伯爵、私は今回監査として此方に向かわされているのです
戦力として見られてしまうと困ります」
「おおっと
なるほど、そうでしたか
これは出過ぎた真似でしたな、失礼」
ペコリと一礼して伯爵は向き直ったが
その代わりに婦人含む賓客達が物言いたげに若い神官を見つめる
神官は暫く関係あるかと、苦々しい表情を作ったまま知らぬ存ぜぬとしていたが
とうとう居た堪れなくなって立ち上がる事になった
狸親父め、余計な事をと心中毒突いてから
やれやれと何か詠唱すると、神官は祭壇からフワリと浮遊し、テトラの側までそのままフワフワと落ちて行く
「伯爵に頼まれたなら仕方ありません
あの風使いの相手は私がしましょう
ただし、手を貸すのはこれだけですからね
後の指揮はテトラさんがお願いしますよ」
神官はテトラを見る事も無くすれ違い様にそう残すと、そのまま地面に足を付け
歩いてブレアの下へと向かっていった
……本当に大丈夫なのか?
とても奴と戦える様には見えないのだが
……いや、しかし
少しでも手傷を与えてくれれば、そこから活路が見出せるかも知れぬ
テトラは藁にも縋る思いで背後姿を見送った
「……悪いが情けは掛けられん
戦争を仕掛けた女帝を恨むんだな」
既に司祭は武器を置いて手を挙げていたが
ブレアは容赦無く斬って捨てる
別段顔色を変える事無く、剣から血を払うと
次は誰だと辺りを見回すが
……最早、ブレアに近寄る者はいなかった
右翼軍最奥の壮観な兵列はもう見る影も無く
兵達を束ねていた6人の司祭もまた、たった一人のこの男によって地に伏せられた
局所的な台風の具現
この戦に於いてブレアの所業を形容するのならば、そんな言葉が当て嵌まるだろう
彼はひたすらに荒れ狂う風だった
その風は辺りにもう吹き飛ばす敵はいないと確認すると、踵を返して自陣に戻ろうかと考えたが
ふと、背後に気配を感じ振り返る
そこには自分を貫かんと伸びる光の線があった
!?
光線はもう間近に迫って来ていたものの
ブレアの反応は早い
間一髪躱して地面を転がり、素早く態勢を向き直す
「流石に反応が早いですね」
言葉が発せられた先を目で追うと
そこには、蒼い髪の若き神官が立っていた
自身を貫き損ねた光線はグニャリと歪み
シュルシュルと戻っていく
……蒼い髪
あの妖魔の報告にあった聖教国からの応援か
確か位は大司教級
「あまり気は進まないんですけど
……私が相手になりますよ、スカーフェイスさん」
聖教国大司教序列第3席 ハンス
ブレアの前に再び大司教が立ちはだかった
いつも駄文を読んで頂き誠に有難う御座います。
現在、書き溜めておいた分が切れそうになっておりますので、更新頻度がやや落ちると思われます。
楽しみにして下さってる方には大変申し訳無いのですが、次話更新は暫くお待ち下さいませ。




