第1章 60話 「司教 天秤座のクリス」
ーアデン右翼軍第2部隊ー
「クリス様、伝令より前線へ敵指揮ブレアが単騎突撃したとの報告を受けました
……俄かには信じ難い話ではありますが」
「……全く、無茶苦茶やってくれるわね
それじゃ、こちらの作戦が丸潰れじゃない」
夜の闇の中にあって尚、一際黒さを誇示する黒髪を風に任せ、彼女は口元を手で覆う
狙いはデズモンド大司教の首で間違いないわね
開戦早々、総指揮自ら単騎で敵陣に乗り込むなんてとても正気の沙汰とは思えないけど、裏を返せばそれだけ力量に自信がある証拠とも考えられる。
「報告が確かならば、奴は大司教様の下へと向かう可能性が高いとは思われますが」
「……我らで包囲して殲滅しては?
とでも言いたそうな顔ね 司祭?」
「は、はっ!」
退路を絶ってから最優先で始末、そして指揮系統を失った敵軍を蹂躙
……敵軍総指揮が陣中に潜り込めば、誰もが考えるシナリオ
大司教様の命を狙っているとなれば尚更放って置く訳にはいかない、か……
「……成る程」
司教クリスは司祭の言葉に応じず、敵軍の狙いを探る
……つまり総指揮自ら囮になったと
そういう事よね? スカーフェイス
此方を掻き乱すだけ掻き乱しておいて、配置を無視して浮き足だった隊を後詰めが仕留める、それが敵軍の狙い。
予想外の強襲に見舞われ、アデン軍の多くが混乱を起こしたが、その中にあってもクリスは努めて冷静に状況を分析していた
デズモンド大司教と相対してどうなるかは予測が付かない
しかし、どちらにしろ奴は流石に私達の手には余る
数を集めても戦力の足しになるかどうか
「クリス様?」
……私の隊が今すべきはスカーフェイスを追う事では無く、その「後詰め」を討つ事
……直ぐに迎撃する必要があるわ
「司祭、ブレアは大司教様にお任せする、我らの標的は別にある」
「……は、はっ!」
「作戦変更よ、各位に通達しなさい
第二中隊はブレアが作った風穴を塞ぐ様に配置
鶴翼を組んで前方の敵先遣隊に備えよ
交戦次第、殲滅掃討を開始する
ただし、合図を出すまで手を出すな」
的確な判断と大局を読む目
部隊長の資質を持つ彼女は迅速に行動を開始した
「ワラワラ、ワラワラと懲りねーなぁ!
そんなに吹っ飛ばされたいのかよ!」
……ブレアの後を追い、ようやく敵軍中腹に到達した月柳だったが
そこでまた、何度目かの兵の壁に進路を遮られた
もう既にブレアの姿は視界から消えている
慣れた動作で右手を出し、景気良くバーストを放つと10人程の兵の塊が後方に吹き飛んでいく
そうして、また開けた道をただ進んだ
……チッ!キリがねぇな
やっぱ2.500人は伊達じゃ無いってか
しっかし、この分じゃ敵兵全員雑魚なんじゃねーか?
少し位歯応えがある奴はいねーのかよ
法術に抵抗出来ず軽々と道を開ける敵兵達に辟易し
そんな事を思い始めた時だった
突然目の前に道が拓ける
……ん? 配置が変わった?
敵兵は月柳の左右に整列し、武器を構えてはいるが攻撃の気配は見せない
包み込む様なその配置はまるで自分を誘導しているかに見えた
罠……だよな? コレ
横目で敵兵を見ながら敵陣中央を突破する
丁度、雑魚達ばっかで飽きてきた所だ
面白れぇじゃん、何の仕掛けか知らねーけど止めれるもんなら止めてみな!
大地を踏みしめ風を纏う足は彼を鶴翼の最奥まで運ぶ
月柳が進んだ先、そこには1人の敵兵が待っていた
それを視界に入れた彼は再び無慈悲な風を右手に装填させ、今までと変わらぬ要領でそれを放つ。
立ちはだかった敵兵の体は線が細く
バーストに掠っただけで吹き飛んでしまいそうに見えたが……
”プロクト”
敵兵の目の前に眩い正方形の透明な盾が発生し、荒れ狂う風を受け止める
風圧に耐えきれずヒビを入れてその盾は割れ光の鱗粉に変わったが、バーストもまた力量を失い消失した
……敵兵は何事も無かったかの様にそこに立っている
「へぇ、やるじゃん」
軽口を叩きながらも足に纏った風の法術を解き、フワリと彼の身体は地表に降りる
「放てっ!」
それを待ち兼ねていたかの様に敵兵が剣を向けると、周囲を囲んだ兵達から光の矢が放たれた
しかし、月柳の反応も素早い
再び右手に魔力を装填すると腰の捻転を利用して右から左へと180°その場で回転する
月柳は己を囲む様に魔力を放ったのだ
それは彼を台風の目と定め、近づくもの全て吹き飛ばさんと暴風を発生させ壁を作り出した
暴風の壁に阻まれた光の矢は、或いは風に弾かれ消失し、或いは流れに乗って主人の兵士達に戻っていく
流れ弾をもらった兵達から悲鳴が上がり
光の矢が無意味な攻撃と知った中央の敵兵は剣を下ろす
合わせてピタリと光の矢は止んだ
月柳もまたそれを確認して風を消す
彼は無数の光の矢を受けても無傷だった
自然、中央の敵兵と月柳はお互いに向き合う
少しの間、二人は睨み合いを続けていたが
……不意に敵兵が月柳に向かって歩き出した
「……随分とせっかちみたいね
でも残念、ここは行き止まりよ」
先程その兵から聞いた声は短かった為
判別出来なかったが、トーンが高い
……女か?
答えを導く様に彼女は歩を進め
その顔を月明かりが浮かび上がらせる
絶句、彼女を見た月柳の心情を説明するのにこれ程適した言葉も無いだろう
肩にかかる真黒の髪から覗く息を飲む程に白い肌
彫りは深く無いものの、完璧なバランスを保って配置されているパーツ
月光を浴びて何処か儚げに見えたその表情も含めて
彼女は間違い無く絶世の美女だった
学校では女子に言い寄られる事も多かった月柳だが
今までの記憶を全て辿ってもここまでの美女を目にした覚えはない
「……驚いたな ……どうかな? お姉さん
この戦争が終わったらお茶でもどう?」
いつもの様に軽口を叩く
しかし彼の心中は穏やかでは無かった
その感情は自身でも理由が分かっていない
ただ目の前の女性から目が離せない
クスリと女性は笑って返す
「終わってから?
この戦が終われば貴方は死んでいるというのに
どうやって私と席を共にするつもりなのです?」
いつもの月柳であればここは軽口を返す場面だったが、今の彼はいつもの状態とは程遠く
その可憐な口と妖しげに細められた目に見惚れてしまい何も言葉を紡げ無かった
アデン大教国 司教序列第4席 クリスティン
彼女は風を纏う月柳を見て初めは強敵だと認識していた
しかし、月明かりが浮かび上がらせた今の彼には全く別の印象を抱いていた
以前、教国に咲く一輪の薔薇と称された事もあるクリス
殿方の誘いを受けた事も一度や二度では無い
……当然、自分を見て目を丸くしている若き戦士の表情、それには何度も経験があり、その戦士の心情を推察した
「……ただ、そうですね。
無下に殿方のお誘いを断っては禍根を残すかもしれません
折角の機会ですもの少し踊って差し上げましょう。」
そう言って腰の鞘からスラリと細身の剣を抜く
その剣もまたクリスが手にするに相応しく美しい剣だった
彼女の剣が月光を反射し、月柳の目に入る
そこでやっと自分が惚けていた事に気付き、月柳もまた剣を抜いた
剣を正中線に構えジリジリとクリスが距離を詰める
俺は…… 俺はどうすればいい?
月柳は剣先をクリスに向け戦闘態勢で構えたものの、目の前の女性を斬れる気がしない
実力や技術の問題では無く、これは心にその問題があった
生唾を飲み込み、己に言い聞かせる
目の前の女は敵だ、斬らなければならない
それがブレアさんから与えられた任務であり、自分を護る手段でもある
しかし……
葛藤の最中、近づいてきた彼女から殺気を感じる
剣の間合いにはまだ遠かったが、クリスは仕掛けた
素早く捻転して背面を向けたかと思えば
脚を伸ばして間合いに踏み込む
そして、遠心力を乗せそのまま横に払った
剣の出所が見えない!?
危険を感じて背後に下がると、体スレスレを銀の線が通る
あっぶね!
間一髪剣線を逃れた月柳だったが、彼女の攻撃は終わっていない
剣を振り切った反動を更に利用し再び背面を向けると、今度は深く踏み込んで下段から薙ぎ払う
虚を突いた二段斬り、回避は間に合わない
月柳は舌打ちを打って素早く剣を盾代わりに斜めに向ける
直後、快音が響いて剣と剣がぶつかった
衝撃に押されてお互いの剣が腕ごと弾かれる
お互い態勢を崩したものの、クリスは素早くバックステップを決めてフワリと後方に距離を取ると、綺麗に着地する
月柳もその場で態勢を立て直した
一見、お互いに無傷かと思われたやり取りだったが実は違う
剣を盾代わりにした月柳は剣先を左手で掴んで固定していた
その為、衝撃を受けた自分の剣で斬られ掌に傷を負っていたのだ
再び、距離を取って二人は睨み合う
そして、今のやり取りを再現するかの様にまたクリスはジリジリと間合いを詰めてきた
……この人の剣技、踊ると言ったのもあながち間違いとは言い切れない、まるで舞の様な足運びをしている
……正直、やり難い
クリスがまた間合いの外から背を向ける
来たな、少しマジでやらないと
一気に脚が伸び踏み込まれ
そのまま捻転して剣を振り抜く
高速の剣線が放たれたが、その剣は月柳の頭上を抜ける
彼はクリスの懐に潜り込んでいた
「お姉さん確かに面白い剣だけどな、2回目だぜ?
流石に見切るって」
月柳は下段に構えた剣を斜めに振り抜こうとするが
……そこで彼女を斬る事に迷いが生じた
始動で腕が一瞬固まってしまう
クリスはその一瞬の隙を見逃さない
即座に右脚を支柱代わりに左脚で蹴りを放つ
月柳はそれを見て脚を取ろうかとも考える
がその案を即時却下して代わりにクリスをバーストで仰け反らせ、背後に逃げた
クリスのレガースに刃が見えた為だ
溜め無しの即バースト、練習しておいて良かった!
ただこいつにダメージには期待出来ない、直ぐに次が来る筈……
クリスは仰け反った態勢をバク転で回復し、直ぐに追撃に転じる
その攻撃は先程と変わらない、月柳に三度目の背面を向けた
懐に潜られたってのにまだやるか
そーゆーの嫌いじゃないけどな
クリスは同じ姿勢から同じ捻りを加え腕を振る
月柳はクリスの斬撃を受け流すべく構え、そこで違和感に気付いた
逆回転!?
スイッチを使うのか、何処までも器用な人だ
……だが
クリスは左腕を振り抜く事が出来なかった
左腕へまともにバーストをもらって剣が彼方へと落ち
バランスを崩したその背中に手の感触を受ける
「俺の右手を空けたのは失敗だったな
……これでチェックメイトだ」
”バースト”
至近距離で暴風を背に受けたクリスは勢い良く宙へ投げ出される
彼女の軽い体は離れた森まで飛ばされる事になった
……あの人なら、この位じゃ死なない筈
月柳は淡い感情を胸に
心中秘かに彼女の無事を祈っていた
「ク、クリス様!? おのれ!!」
邪魔はすまいと、クリスと月柳の攻防を見守り沈黙を貫いていた司祭だったが、クリスの敗北を目の当たりにして声を荒げる
ああ、そう言えばまだこいつらが残っていたな
月柳は意識から消えていた周囲の兵達を思い出し見渡す
いつの間にか、彼等は逃げ道を塞ぐ様に全方位を囲んでおり、その目は上官の攻撃指示を今か今かと待ち望んでいる
「……で? どうすんの?
……といっても、俺もあんた達を逃がすつもりは無いんだけどさ」
「エルムサルトの鼠が調子に乗るな!
法術隊放てっ!!」
司祭が剣を向けると、直ぐに無数の光の矢が放たれた
包囲された月柳は回避する素振りを見せない
……また風の壁を作るつもりか?
司祭は唇を噛み締め
月柳の一挙手一投足を見逃すまいと注視する
しかし、予想外に光の矢はすんなりと月柳に到達した
全方位から機関銃の如く隙間を埋めた光の矢は、中心点でぶつかり光の粉となって舞い散る
次から次へと光の矢はお互いをぶつけ合い、眩い光の硝煙を上げた
……何故、奴は何も行動を起こさない?
何故、風の壁を作らない?
司祭は光の矢を受けた月柳を見て攻撃が成功したとは思えず
むしろ、予想外の事態に眉を潜めていた
……もしや魔力切れか?
あの鼠はアレだけ高威力の法術を使い続けたのだ、可能性は十分ありえるのだが
「悪いけど、あんた達相手に魔力は勿体無いんでね
こいつでやらせてもらうぜ?」
!?
背後から聞こえた声に反応し
直ぐに振り向いた司祭だったが、月柳の姿を見る事は叶わずその場で崩れ落ちる
月柳は司祭が倒れるのを待たずして
未だに光の矢を放っている敵兵集団に突っ込むと、走りながら剣を振るう
すると、彼が走り抜けた場所を示すかの様に兵士達の首が次々に飛んだ
若き戦士は止まらない
それから僅か5分後
若き戦士は夜天の下、左手の傷を見て想う
「クリスさん、また、会えるかな……」
剣を振って血を払うと
誰にも届かないその言葉を残して、その場を離れた
彼の去った後に広がったのは第2部隊の死体の山
たった5分間で部隊の半数約300人が死亡し、残り半数が逃亡
第2部隊は1人の戦士に壊滅させられた。




