第1章 53話 「接敵」
31日
戦争開始まで残り1:45:00
ーアデン大教国領 北の樹海ー
俺達は三方包囲の陣を敷き
敵の小隊を待ち構えていた
足音の距離、後約20m
耳を澄まし敵の足音を数える
1.2.3.…
数え切れない敵の数は10人以上だ
足音が更に近づく距離約10m
ここからは特に自分の身体が発する信号に配慮しなければならない
人間は野生の動物や魔物より大分鈍いとは思うが、それでも用心に越した事は無い
まずは目を閉じて呼吸を遅くする
……次第に心音が小さくなる
これで音を消した
次に全身を脱力させ森の揺れに同調させる
……次第に身体が森の一部と化す
これで気配を消した
最後に思考を完全に無にする
……次第に自分自身の存在を忘れた
これで意識すら消した
最早、ここには殆ど俺が存在しない
今は残された聴覚だけがこの世界と俺とを繋いでいる
足音が真横を通っていく
まだだ、まだ俺は存在してはいけない
足音が真横から消えた
瞬間
一気に意識を覚醒し心臓の心拍数を急上昇させる
血液に末端まで酸素を行き渡らせ
パンサーを掴み茂みから勢い良く飛び出した
敵兵の後ろ姿が見える
淀みなく躊躇いなくパンサーをその後頭部に突き刺す
1人撃破
そのまま先を歩く敵兵へと間合いを詰める
横目でチラリと俺を見たが、その兵士が反応できたのはそこまでだった
首を深く貫き引き抜く
その兵士は勢い良く首から血を吹き出して崩れる
2人撃破
次だ、姿勢を低くして3人目を捕捉する
敵兵の背後を取り槍を突……
「敵襲だ!背後にいるぞ!剣を抜け!!」
チッ!気づかれたか
後頭部に向かって真っ直ぐ進んだ槍の軌道は振り向いた敵兵の頰を掠めた
「っく!?いつの間に!」
敵兵が剣を構える
気付かずに殺せたのは2人か…
3人は殺っておきたかったのだが、
敵に勘のいい奴がいるな
いや、気づかれたモノはもう仕方ない
眼球のみを動かして敵小隊の構成を確認する
俺に向かい剣を向けて臨戦状態の敵兵が2人
その奥、2人を壁に挟んで同じくこちらに身体を向ける敵兵が1人
その敵兵と背中を合わせる様にして野間の方を向くデカイ大男が1人
そのデカイ大男の前に更に敵兵2人
今、視認出来た敵の数は全部で6人
俺と野間が2人ずつ殺して10人か
足音は10人以上確認していた
恐らく、残り1人か2人は木村と交戦している
と見ていい
「……伏せていた敵は3人と見える、1人は大司教様の元へ向かい襲撃を報告せよ!」
中心で俺に身体を向けていた敵兵が指示を出した
どうやらあいつがこの隊の指揮官らしい
俺に剣を向けていた兵士が反応する
俺に警戒しながら獣道に身体を動かし始めた
報告等させるものか
敵兵に向かって一気に間合いを詰める
敵兵はビクッと俺に反応して手なりで剣を振った
剣筋が遅い
右に荷重を移動させ楽々躱す
同時にパンサーの狙いを付けた
「狙いは首だ!避けろ!」
指揮官が叫んだ
チッ!鬱陶しい!
俺は突きの態勢に入っていたパンサーの狙いを強引に手に変えて放った
剣を持っていた敵兵の下がった右腕を捉える
「ぐぅ!!」
敵兵は嗚咽を漏らし、剣を地面に落とした
よし、次こそ首を落とす
再度パンサーを持つ手に力を入れる
その時「馬鹿者!剣を落とす奴があるか!」
そう後ろの指揮官が放ち
俺に向けて素早く右手を向けた
あの構えは……法術か!?
気付いた瞬間に高速の光の矢が飛んできた
速い!が!
瞬時に身体を大きく開いて躱す
光の矢は俺の身体の中心部があった場所を通り過ぎて背後の木に当たった
俺が態勢を崩したのを見ていたのか
右腕を負傷した敵兵がここぞとばかりに走り出した
くっ!しまった、突きの態勢を取る時間が無い
援軍を呼ばれでもしたら作戦が水の泡だ
ならば!……
態勢を崩した状態のまま、横を通り抜ける敵兵に向け思い切り振る
バシン!!
静寂な森にパンサーが咆哮を上げた
続いて払いが命中したと思われる敵兵の倒れる音が聞こえた
少し手間取ったが3人撃破だ
指揮官は苦々しい表情を作った後、側にいた敵兵に顔を向けた
「こいつは私が相手する、お前は道の先にいる敵を倒しに行け」
命令を受けた敵兵は俺を睨んでから獣道の先の闇へ消えた
……次の相手は指揮官か
光の法術に適切な指示
楽に勝てる相手では無さそうだ
指揮官は続けて背後の大男に声を掛ける
「レイバン司祭、そちらの敵はお前に任せる
必ず仕留めろ」
「了解だ、司教様」
大男は低い声で確かにそう答えた
……司教?
つい先日聞いた先生の声が頭の中に蘇る
敵軍中堅6人の中の1人
危険度D〜D+
交戦時の際の注意点は
3人で戦闘する事……だったか
指揮官が不意に手から光を漏れさせる
!?また法術か?
身構えて直ぐに回避できる態勢を取る
しかし、妙な事に指揮官は手の中の光をそのまま握り潰し霧散させた
……今、こいつを何をしたんだ?
無意味な事をするとは思えない、油断するな
そう己に言い聞かせる
それにしてもD〜D+
ヤナや春馬クラスに俺が単騎で勝てるのか?
……無理だ、無謀すぎる
ならばどうする?
木村と野間が敵を倒して合流するのを待つのか?
目線は敵指揮官に固定したまま、脳内で思考が目まぐるしく回転する
俺はヤナには勝てない、勝てるはずがない
では逃げるか?
追ってくるかも知れない
…追ってこないかも知れない
もし逃げ切れたとして、その後どうなる
もしこの指揮官が木村と野間を狙ったら……
恐らく木村と野間は殺される
いや、あの2人も逃げればいい
そうすれば誰も殺されない
……誰も殺されない?
違う、仮に俺達3人が首尾良く逃げ切れたとしても軍曹の軍が奇襲を受ける
ただでさえ数で劣る軍曹の軍が更に奇襲を受ければどうなる?
考えるまでも無い
全滅する、エルムサルトの兵士も
軍曹も、補給を担当している溝尾も
……俺は何を考えてるんだ!
俺達に逃げるという選択肢は最初から無い!
戦うしかないんだ
……俺がヤナと1対1で
手が震える、パンサーが揺れる
心が徐々に恐怖に支配されていく
誰か、誰か助けて欲しい
そもそも、なんで俺がこんな奴と戦わなくてはならないんだ
カール先生、軍曹、助けて下さい!
父さん母さん、勝手にいなくなってごめんなさい
俺を…僕を助けてくれ!
恐怖は瞬く間に勇気の心を侵食し完全に支配した
長峰の視線は司教に向けてはあったが、意識はその司教を通り越して夜空を見ていた
月が出ている
美しい満月だ、いつかと同じ
いつか?
いつかとはいつだったか?
……そうだ、思い出した
あの時、パブーンに囲まれて絶望の深淵にあった時だ
ガサガサガサガサ
風が木々を不気味に揺らす
何か…木の上にいるのか?
ハッ!と周囲を見渡す
次の瞬間、俺の目には再びあの地獄が広がっていた
枝という枝にパブーンがいる!
俺の周り全ての木の上に!
そしてやはりと言うべきか
いつから居たのだろう、目の前に白い毛の大猿が佇んでいた
白い大猿が一歩ずつ近づいてくる
やめろ、来るな
大猿は止まらない
ゆっくりだが確実に歩を進める
殺される、殺されてしまう
大猿はもう目の前まで近づいていた
ま、まだ死にたくない
助けてくれ、……パンサー
ポチョン
心に雫が落ちる音がした
右に何か巨大な気配を感じる
気配の方を振り向くとそこにはいつかと同じ
隻眼の巨獣がいた
そこに居たのか!パンサー!
…また……また俺を助けてくれるのか?
夜の巨獣に問いかける
ポタポタポタポタ
心にまた幾つもの雫が落ちた
夜の巨獣はゆっくりと俺に顔を向けて頷いてから、足を器用に畳み身体を小さくした
どんどん巨獣の身体が小さくなる
なんだろう?随分小さくなってしまった
巨獣はあっと言う間に俺の右手大の大きさになると大きく伸びをして槍に変わった
ああ、そうか、そうだった
お前は槍に変わったんだった
今では心を打つ雫は雨となって降り注ぎ続けている
……でも巨獣が来てくれた
身体を前に向き直す
大猿が俺に爪を振り下ろしている所だった
もうお前なんて怖くないぞ
パンサーに喰われちまえ!
その瞬間!
右手で待機していたパンサーが唸り声を上げて大猿に襲いかかった!
「なっ!!?」
大猿はそう言うとすんでの所で身体を捻り
パンサーを躱すと俺から大きく距離を取った
心に降る雨はノイズの様に心を音の嵐で埋め
そして消えていった
今はもう木の上にパブーンはいない
大猿も人間に姿を変えていた
……そうか、俺は幻覚を見せられていたのか
頭が冷静さを取り戻した
司教はいつの間にか剣を抜いた様子で
切っ先を俺に向け構えている
隙の無い構えだ、やはり相当な強さが伺える
恐らく、あの司教が光を霧散させて
この幻覚を見せたのだろう
随分と恐ろしい夢を見せてくれたものだ
パンサーを握る手に力が入る
しかしあの夢のお陰で一つ策を思いついた
ニヤリと自然に口角が上がる
司教、屋内や平原ならば恐らく俺はあんたに勝てなかっただろう
しかし、ここは森の中
しかも普通の人間では視界が届かない夜の森だ
次は俺があんたに森の怖さを教えてやる
俺は森の中に姿を消した




