第3話 父母
自室に戻った俺は汗をかいた稽古着を着替えて、食堂へと向かう。食堂の扉を開けると、その途端に香ばしいパンとコーヒーの香りが漂っていた。窓からの眩しい朝日が部屋の中央にあるテーブルを照らす。朝食の準備は万全のようだ。
「おはようございます。」
「おはよう、クルス。」
「あら、おはようクルス」
「「「「「おはようございます。」」」」」
俺の挨拶に父ボリスと母サラと使用人たちが返事してくれる。テーブルの中央にいるボリスの対面の席に着いて、アリスとシルビィを待つことにする。
ここで俺の両親についても紹介しておこう。
父親の名前はボリス・ヴァンフォール。見上げるばかりの長身(190cm)で、鎧のような筋肉を纏った大男だ。顔つきは岩石を材料にして作ったような武骨な顔で落ち着いた赤髪、ただ優しげな眼差しを持っているおかげで迫力が若干緩和される。もし眼差しも鋭ければ、大人でも泣き出すレベルだ。一言で言えば”熊“だ
ボリスは4人兄弟の末子で、幼少時は大きな体のわりに気が弱かったのでバカにされていたそうだ。そんなボリスを認めてくれたのは家族とわずかな友人と母サラだけだった。ただ、ボリスは周りからの期待に対して無頓着だったところがあり、ノビノビ成長していった。
そんなボリスにとって人生の転機が訪れる。ボリスが22歳のときに、東部の国境を接するガルルーク王国と戦争が起こった。初戦でガルルーク王国の戦力を見誤るという失態を犯したため、アルケリア王国は東部国境の近辺を一時的に失陥した。
したがって次戦には王国軍や領主軍の総力が集められた大規模なものとなった。この戦争に領主である祖父の代理としてボリスは参加した。我が国の伝統として領主を継ぐ後継者は必ず戦場で武勲を上げる必要がある。これは我が国の建国以来の伝統であり、ボリスの行動はおかしなものではなかった。
しかし、この行動に真っ向から大反対したのが母サラだった。当時、近衛第2騎士団の副団長であったサラも出陣が決定していたが、何故かボリスの参戦に関して強硬に反対するという事態になった。
まずサラはボリスの実力不足を指摘した。ボリスは幼少時から女性であるサラに手も足もでなかったが、貴族の嗜みとして剣術の稽古を欠かしておらず、その実力は悪いものではなかった。更に貴族が持つ武器として相応しくなかったが棍を使った戦いとなれば並みの騎士では敵わないほどの実力を持っていた。特に恵まれた体格から繰り出す一撃は鎧ごと叩き潰すほどだった。
そのあたりを説明すると形勢が不利とみて、サラは論点を変えてきた。
それはボリスが初陣であること指摘し、前線に出て指揮をとるなど狂気の沙汰だと言ったらしい。もともと領主の後継者が武勲を上げる伝統は既に形骸化しており、初戦でも後継者たちは後方の安全地帯で見物していた。これは初戦がいつもの小競り合いで、多少の損害を出してお互いが退くと考えられていた。そのため、箔付けに東部領主の後継者たちが多く参加することになった。
しかし蓋を開けてみれば伏兵に後方と右側面を突かれ、アルケリア王国は総崩れになった。その結果、後継者たちの半数が戦死した。また敗因の一つとして領主軍の無秩序ぶりが挙げられており、初陣のボリスが指揮をとれば足を引っ張るだけとアリスは主張した。更に今回のような10年に1度あるかないかの大戦に素人が出てくるなと言ったとか。
これに対してもボリスは正面から反論した。まず初陣として参戦するのは自分だけではない。初戦の敗北があるため国王陛下は領主軍に対してかなり大規模な召集を実施した。そのため10代後半から20代の若者の数がかなり多く、当然ほとんどが初陣だ。実際に王国軍と領主軍の3割近い数だったらしく、それほど数を遊ばせておくなど王国にできるはずなかった。アリスからの個人攻撃をボリスは全体論観点から躱した。
また、ボリスは指揮官として未熟であることは自覚していたので代替案を提案した。それは領地から連れてきた副官に指揮権を委譲することだった。この副官は長年にわたって軍事面で祖父を支えてきた人物であり、少なくない武勲も挙げている。また、サラも幼少時にこの人物から戦場でのイロハを叩き込まれており、実力を信頼しているためサラは言い返せなかった。
唇を噛んでボリスを睨んだ後、サラは次なる主張を開始した……。
そして、この大喧嘩は実に3刻(6時間)に及んだらしい。しかし、サラはボリスを言い負かすことが出来なかった。そしてサラは最後の手段に訴えた。「どうしても戦場に出たいなら、私から一本とってみろ。」と泣きながら言ったらしい。
“力づく”と“泣き落とし”である。
事ここに至って、ボリスはほとほと困ったらしい。これまでの罵詈雑言が自分を心配し、自分のことを守ろうとしていることはボリスにもさすがに分かっていた。だがサラがこれ程強硬な態度をとる理由が分からなかった。困ってサラの泣き顔を見ていると、子供の頃にサラを泣かしてしまった事件のことを思い出した。
この事件でボリスはサラを庇って怪我をしたが、サラはこのことを悔やんでいるらしく「ボリスのことは自分が守る」と度々言うようになった。しかしボリスにとってはサラを守れたことが誇らしく、サラがいたからこそ自分は力を振るえたと思っていた。
そのことを思い出すとボリスの中にあったモヤモヤした感情が霧が晴れるように消えてなくなった。そして……
「サラ、結婚して欲しい。」
「サラの不安な気持ちは分かっている。俺の実力はサラの足元に及ばないし、昔から頼りない姿を見せていた。でも俺はサラの後ろで守ってもらうだけの子供じゃない。」
「……子供の頃、サラのこと庇って俺が怪我をしたことがあったよな。あの時ほど必死に戦えたことはなかったよ。サラがいたからこそ俺は強くなれた。」
「俺はサラのためになら強くなれる。絶対死んだりしない、必ず生き残って見せる。」
「だからサラ、俺と結婚して欲しい。」
これを聞いてサラはしばらく絶句していたらしい。その後、顔を真っ赤にして腰から崩れ落ちて口をパクパクしていたらしい。そして心配したボリスが近寄ると気絶したそうだ。
翌日、ボリスは目を覚ましたサラを再び説得して、3つの条件を飲むことで結婚と戦争への参戦を認めさせた。まず、サラの側近の騎士をボリスの護衛とすること。次に、この側近の騎士が逃げろと指示した時は味方を見捨ててでも逃げること。そして最後に絶対に生き残ることを約束した。
その後、ボリスは「生き残るためには必要なことだ」と主張して恥ずかしがるサラを教会に連れて行き、略式の結婚式を行った。これは単に神父前で結婚の誓いをするだけだったが、ボリスは幸せだった。
そして、幸せの絶頂状態でボリスは戦場に向かった。戦いはアルケリア王国の勝利で終わり、ボリスは小さいながらも武勲をあげることが出来た。また、サラも全体の第3功に当たる武勲を挙げた。その後、急いで領地へ戻ると正式にサラとの結婚式を執り行った。その1年後には祖父から爵位も継ぎ、俺とアリスが生まれた。
さてここで少々余談となるが、この両親のプロポーズ事件に関しては詳細な記録が残されている。
この事件の舞台になった場所は王宮に隣接する近衛騎士団の練兵場にある幹部用の一室であった。サラの罵声は王宮まで聞こえてきたそうだが、この舞台となった部屋の隣室には複数の女性近衛が待機していた。この女性近衛たちはサラの親友あるいは部下たちであった。
この女性近衛たちは隣室で繰り広げられていた痴話喧嘩を最初は興奮して聞き入り、次第にこの会話を後世に残さねばならないと奮い立ったらしい。その結果、実に便箋100枚に及ぶ詳細な記録が残されることになった。
そして略式の結婚式を挙げた後、サラはボリスと顔を合わせることが恥ずかしくて堪らなかった為、ボリスを避けるように戦争の準備に精励した。逆に女性近衛たちは戦争の準備をそっち退けで、ボリスに事件時の聞き取りを実施した。その結果、サラの細かい行動やボリスの心情なども記載した長大作が完成した。
完成した手紙はサラの親友である女性近衛が、サラとボリスのそれぞれの実家に手紙として贈り、両家では家宝として大切に保管されている。戦争後、正式な結婚式を挙げるため領地に戻るとボリスたちはようやくこの手紙の存在を確認した。当然、サラは烈火の如く怒り狂ったがすでに手遅れだった。領都ではプロポーズ事件の概要についてなら子供で知っている有様で、サラにはどうすることも出来なかった。
俺とアリスも去年サラの実家に遊びに行った際に事件の概要をサラの祖父母から教わり、大きくなったら手紙を見せてもらえるように祖父母と約束した。
まあ、俺が知っているボリスのことをこんなものだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次に母サラについて紹介しよう。
旧姓サラ・ウォルド。女性としてはやや高め長身(170cm)で、均整のとれた見事な体つきをしている。最近は剣を振るうことが少なくなったがわずかに日焼けした肌。そして肩先を少し超えた長く美しい茶髪、目つきは鋭いが瞳は大きい。かつて王都で名を馳せた女傑だ。
サラは2人兄弟の長女で、3歳離れた弟がいる。サラの父が領都の騎士としてボリスの父からも信頼が厚かったため、ウォルド家とは家族ぐるみの付き合いがあった。幼少時からサラはボリスとボリスの次兄オベールと一緒に過ごしていた。サラにとってオベールは1歳上で、ボリスが2歳下という関係であり、三人の仲はかなり良かったらしい。遊びも剣術の稽古もいつも三人一緒で行動していたらしい。
サラの剣の実力は凄まじく、10歳にして大人たちを圧倒していた。まともに相手ができるのは数人の騎士だけとなっていたが、驕った様子もなく周りの大人たちはサラの将来に期待していた。この頃から王都の近衛騎士団への勧誘があったが、サラが乗り気ではなかったため実現しなかった。しかし、サラが12歳の時に唐突に近衛騎士団に行くと言い出して周囲を驚かせた。
これはボリスが王都の王立学校に行く時期と重なっていたため、周囲はボリスとサラの仲が深まったことに驚き、安心した。もともと双方の実家はサラとオベールの婚約を考えていた。当初の思惑とずれるが“これは幸い”と王都に行く前にサラとボリスを婚約させようとしたが実現しなかった。
これは当人たちの仲がどうみても恋人同士と呼べるものではなく、両家は困惑してしまったこと。あとオベールの気持ちも確認する必要があると考え、このときは婚約を先送りにすることにした。後に分かったことだが、サラがボリスに対しては強烈な天邪鬼を発揮してだけだったらしい。
近衛騎士団に入団したサラは一気に頭角を現してきた。見習い期間にも関わらず、先輩騎士たちをバタバタと薙ぎ倒していき、10年に一人の逸材と言われた。当然周りから嫉妬や女性であることを論われたが、驕らない態度や先に入団していたオベールの助力もあって、次第に騎士団に溶け込んでいった。サラは騎士の必須技術の剣術と馬術に関しては文句なしの腕前であったが、馬上槍や弓術や作法など未熟な面もあった。しかしわずか2年あまりで誰にも文句が言えない腕前に成長し、平均5年かかる見習い期間を2年で終了させて近衛騎士になった。
また、サラの存在は保守的になっていた騎士団にとって新しい風となった。女性近衛は女性王族の守護という重要性から一定数存在していたが、男性陣に比べて実力が劣っていたため低く見られがちだった。騎士になったサラはこの現状を変えるべく、女性近衛たちを徹底的に鍛えぬいた。無論、反発もあったが見事やり遂げ、女性近衛の地力を底上げした。
そしてこの余波は男性近衛騎士にも波及した。もともと縁故あるいは箔付で採用されている男性近衛が一定数おり、この男性近衛たちは実力不足であるにも拘わらず実家の権勢を利用して近衛騎士団内で幅を利かせることが多かった。この男性近衛たちをサラが訓練でボコボコして、近衛から追い出したらしい。
この件に関しては王宮が握りつぶしたため詳細は分かっていないが、男性近衛たちがサラに振られた腹いせに嫌がらせを行い、返り討ちにあったと言われている。また、男性近衛たちを嫌っていた近衛第2騎士団団長サーチェスが協力したため事態が大きくなったと噂されている。
そんなこんなの大活躍で、女性王族や一部の近衛上層部からサラは信頼されるようになった。しかし、本当の意味でサラの実力を世に知らしめたのは、騎士となった2年後16歳の時のゴルディア会戦だ。
ゴルディア会戦は北東の国境と接するパルパディン帝国との戦争であり、帝国のゴルディア平原で行われた。サラは一騎士としてこの戦争に参加した。この時のサラの戦いぶりは凄まじく、両軍を震え上がらせた。当初、サラは騎兵隊の中盤にいたが活躍するうちに列の前に前に進み、最終的には先頭で猛威を振るった。騎兵突撃したサラの周りでは敵兵が宙を舞い、文字通り血吹雪が吹き荒れたと言われている。
この活躍から帝国には“魔女”と恐れられるようになった。この異名は敵の返り血で赤黒く染まった鎧姿から名づけられたらしい。きっと相当迫力があったのだろう。戦では攻撃魔法をたいして使ってもいないのに、この異名を貰ったことがサラはかなり不満だったらしいが、この異名は王国でも定着した。
そしてサラの活躍もあり、ゴルディア会戦はアルケリア王国の勝利で終わった。その後も大小さまざまな活躍を見せ、21歳で近衛第2騎士団の副団長にまで上り詰めた。この頃になると近衛騎士団のトップである聖騎士の位を、女性で始めて取るだろうと言われ始めた。
王族や貴族からの信頼も高く、国民からの人気も高かった。そのためサラの婚姻は注目の的だった。騎士見習い時代から同僚騎士や貴族の子弟のアプローチはあったが、サラの態度はかなりつれなかったらしい。当時は第3王子も振られたらしいが、これは社交界での公然の秘密になったほどだ。
そんな状況の中でガルルーク王国との国境紛争後にサラの結婚が伝わると王宮と社交界では大騒ぎになった。特に王宮の女性王族たちは、結婚後も近衛騎士を続けてくれないかと頼んだほどだ。結果として女性王族たちは説得を諦め、結婚を祝福してくれた。
そんなことを考えている間にアリスとシルビィが食堂に入ってきた。
さて、朝飯だ。